第13話
一瞬の躊躇はあった。
だが、私は手に持つ呪書を放り捨て魔王に返答した。
「ない」
「待って、レナーテ!」
アナが後ろから私の肩を掴み、そのまま遮るように前に出た。
そして、魔王と脇に控える従者に向けて叫ぶ。
「あんたらは、レナーテがどうしてこうなったか知ってるの!?」
「アナ。それは関係ない」
その手を振り払って、再び前に出ようとする私をアナは必死で遮ろうとする。
「だって、あの二人から敵意を感じない! 城の様子だって変だし――」
「どうやら、お付きの方のほうが冷静なようだ」
今まで黙っていた、痩身の男が口を開く。
「私はカスパル。第八代魔王、ゼルマ様の側仕えをしております。よろしければ、情報の共有をさせていただきたいと思っています」
「あ・・・・・・はい、私は」
「必要ない」
名乗ろうとするアナを遮る。
そう。どちらにせよ同じことだ。
彼奴らが嘘をついているなら殺す。嘘をついていなくても殺す。
だって、そうしなければアナが死んでしまう。
しかしもし、本当にこの魔王が私と同じように呪書に苦しめられてきたというのなら。
「・・・・・・」
いや。その仮定を考えては、いけない。
何より今優先されるのは、魔王を殺すことだ。
剣を下げない私を見て、魔王は悲しそうに口を開く。
「そうだよな。そうだろうさ。でも俺はお前を殺すつもりは、」
その瞬間、床に転がる2冊の呪書が光る。
そして2つのことが、同時に起きた。
「へ、」
アナが、何もないはずのところでたたらを踏み前に転けそうになる。
「は、?」
カスパルと名乗った男の右腕だけが、操り人形のようにぎこちなく動き腰に下げたレイピアを引き抜く。
私と魔王は、呪書の光に目を奪われて瞬時に反応できない。
「え?」
それは、誰が発した声だったか。誰一人状況についていけないまま。
カスパルの抜き放った剣が、アナの左胸を貫いていた。
意識が凍る。
「ち、ちが・・・・・・ゼルマ様、今のは!」
「わかってる! 何でもアリかよ、この本は!」
カスパルが、まるで自らが刺されたかのように悲鳴を上げ。
魔王の悲痛にも聞こえる絶叫が響く。
「っ、あ」
そして、音にならない呻きが聞こえたような気がした。
アナの背から剣の切っ先が突き出ていて、それを中心として服が血でにじみ始める。数秒の内に、アナはピクリとも動かなくなった。
それは、私に全ての終わりを感じさせるのに十分な光景だった。
「死ね」
優に10mは離れた場所から、一歩で踏み込んで大剣を振りかぶった。
魔王と目が合う。驚愕に歪んだ顔が行動を起こそうとするが、間に合わない。
間に合わせてなるものか。
「ゼルマ様ッ!」
だが、側近の反応が早かった。そいつは魔王に覆いかぶさるようにその身を投げ出す。
手応えは、一人分しかなかった。
「カスパル!」
「ゼル、マ、さま。どうか、――」
カスパルに肩からかなり深く袈裟斬りに入った傷は、即死でないのが不思議な程だった。
魔王に身体を支えられながら、カスパルは小さく何かを呟いてそのまま力尽きる。
その呟きを、魔王は歯を食いしばるようにして聞いていた。
「あ、ああ・・・・・・」
魔王が絶望の表情で崩れ落ちる。
私はそれを、無言のまま見つめていた。
その場に居る人間は、あっという間に二人だけになった。
私はうずくまる魔王に大剣の切っ先を突きつける。
魔王は顔を上げてこちらを睨みつけてくるが、不思議と殺意が感じられない。その目には決意と覚悟だけが宿っていて、僅かに震える声にも強さがあった。
「呪書を送りつけたのは、俺じゃない」
やめろ。
「もしそうなら、カスパルを殺させやしない」
嘘だと認めろ。
「もう」
喋るな。それ以上喋るな。
「誰も、いなくなった」
涙を流しながら、それでも魔王はこちらから目を逸らさない。
大剣を握る手が震える。
その言葉を、信じることはできない。
その思いを、認めることはできない。
だって。だって、もしそれが本当だとしたら。
「それじゃあ、私は誰を殺せばいいの」
その問いを想定していたかのように、魔王は痛みに耐えるような顔で口を引き結んでいる。
「誰を恨めばいいの」
始めは静かだった私の声が、段々と怒りが混じって喚くように甲高くなる。
「誰に、謝ればいいの」
私は大剣を床に叩きつける。
耳障りな高音が響いても、私と魔王はお互いから目を離さなかった。
「私の大切な人だって――もうただの一人もいやしないのに!」
私は、床に膝をついたままの魔王を押し倒す。
馬乗りになって、その細い首を締めようと手を伸ばした。
魔王の手が、想像より遥かに弱い力でそれを遮る。
「なんで」
絞り出すような声を出しながら、私は何故かその手を振り払えなかった。
信じたくない。信じられるはずがない。
なのに――私は、心の何処かで理解してしまっていた。
誰かの死に怯える顔も、誰かを奪われる絶望の顔も。
魔王のそれは、演技ではありえなかった。
正真正銘「失い続けてきた」者でなければ。私と同じでなければ。
あんな表情を、作れるわけがない。
私が憎む相手は――彼女では、ない。
でもそれでは。
私の憎悪と悲哀は、一体どこにぶつければいい。
「なんでよ・・・・・・」
理由はもうない。
だが、この世の全てを拒絶する私の意思が、尚も魔王の首を締めようとしていた。
「俺を殺した後、どうする?」
先程より抵抗を強めながら、目の前の魔王が聞いてくる。
今となっては、それは鏡と対話しているようだった。
「私も死ぬだけ。もう、何も残ってないもの」
「俺を殺さなかったら?」
「呪書に、殺されるんじゃない」
「もう自分の命以外残ってないもんね」
魔王は諦めたように、しかしどこか穏やかな自嘲の笑みを浮かべた。
「じゃあ聞くけど、レナーテ・ベルガー」
彼女は何処までも優しい表情で、それを問う。
「呪書に従って死ぬのと、呪書に逆らって死ぬの。どっちがいい?」
目を見張る私を見ながら、魔王は上体を起こす。
互いの腕に、もう力は入っていなかった。
それはただの、言葉遊びだ。
どちらも同じ結果なら、その選択に意味はない。
でも、そうだとしても。
本当にささやかではあるが、それは救いのように聞こえた。
「逆らう」
鼻先が触れ合いそうな距離。
私は泣きながら、それでも力強く言い切る。
「殺してみればいい」
「うん」
魔王は、微笑を崩さずに口を開く。
「どうせ最期なんだ。どこの誰だか知らないけど、俺はこんなものを作ったクソ野郎に膝をついたまま終わりたくない」
涙も嗚咽も止まりそうにない私は、無言で頷く。
小さな壊れかけの魔王は、こんな状況で、こんな距離で、こんな絶望の中で、華が咲くような笑顔を作って言った。
「意地を張ろう。一緒に」
「うん」
心の奥底に熱が灯る。
長いこと凍ってしまっていた何かが、溶け出してくるような感覚があった。
私と魔王は、大理石の床に膝をついて向かい合った。
二人でそれぞれの呪書を掲げる。
示し合わせたわけでもないのに、その言葉は自然に口から出てきた。
「私は、魔王を殺さない」
「俺は、勇者を殺さない」
「私は」
「俺は」
全身を包む万能感。
それは、命の火を一気に使い潰す気分だった。
「「
――呪書が、燃え上がる。
熱は感じない。視覚だけの、幻想の火。
走馬灯でも見えるのかと覗き込んでも、炎の向こうの景色が歪んで見えるだけ。
たっぷり一分程燃え盛ってから、呪書は跡形もなく消え去った。
何も、起きない。嫌な予感もない。
今までの苛烈な所業が、まるで夢であったかのようだった。
呆然として顔を上げる私を、魔王はホッとしたような顔で見つめていた。
私の間の抜けた声が漏れる。
「終わった、の?」
「さあ?」
悪戯っぽく笑う彼女は、しかし目の端が涙ぐんでいた。
――生きている。
その事実をどう受け止めていいのか分からず、途方に暮れてしまう。
そんな私に手を差し伸べるのは、やはり目の前の彼女だった。
「どうしようか?」
あどけない笑顔と共に投げられた問いに、私は。
私は――。
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