第12話
戦闘にはならなかった。
というより、戦闘にしたら時間がかかるしアナの妨害も入ってしまうため、暗殺の形を選ぶしかなかった。
そして、暗殺と大仰にいってもその内容は粗末なものである。
野営時は三人共同じテントの中で眠るのだが、私は二人が寝静まる深夜にひっそりと起き出し、使い慣れないナイフでマリウスの喉を一突きしただけだ。
上に覆いかぶさるような体勢になった時にマリウスは目を覚ましたようだったが、彼が何かを問いかけるようにこちらをぼんやりと見ている内に事は済んでしまった。
私はナイフで刺すと同時にマリウスの口元を抑え、彼が発する低い苦悶の声をなるべく抑えこむ。
鍛えていようが、無防備な急所を的確に刺されてはどうにもできず、マリウスはすぐに息絶えた。
彼の警戒が特別薄かったわけではないだろう。
幾ら不安定になっていたからといって、私に害されるなんて想定は全くしていなかった。
きっと、これはそれだけの話で。
その信頼を裏切ったのだという事実が、私の心をいっそう蝕んだ。
私は、殺したマリウスの側に膝をつく。
その死を悲しむ権利はない。アナの側にいる資格もない。
このままここに居ても、アナに問い詰められるだけだ。
だが、私は虚ろな目で亡骸を見つめたまま一歩も動けなかった。
何もかもが限界だった。
血の匂いに反応したのだろう。それから間もなくアナは目を覚ました。
「レナーテ? どう・・・・・・」
そして、その惨状に気付く。
まだ明け方には至らない暗闇の中であったが、テントの中に広がる匂いは全てを物語っていた。
「マリウス? 何・・・・・・なんで? ねえ、何があったのレナーテ? ねえ!」
肩を掴んで揺すられる私は、何も答えない。
「なんとか言ってよ! 侵入があったら気付くはずなのに! なん、」
そして、その手が止まった。
アナの口元から、まさか、という呟きが漏れる。
「レナー、テ?」
その声に怯えの色が混じると同時に。
呪書が、出現した。
皮肉にも、それは指一つ動かせない状態の私を叩き起こす唯一の存在だった。
何故か暗闇でも読み取れる呪書は、遂に最後のページに「運命」を綴る。
――「魔王を殺せ」、と。
伏せていた顔を、上げた。
「魔、王」
地の底で渦巻くマグマが目を覚ましたかのように。
「マオウ」
私の奥深くにずっとあったそれが、堅い殻を割るように噴出する。
「――魔王」
星一つ見えないこの夜空よりも暗い憎悪が、私の身を染めた。
「魔王――――!」
確かめるような呟きは、殺意を込めた雄叫びになる。
何もかもを奪っておいて。理不尽に苦しめておいて。
殺したければ殺してみろ、などという。
ふざけるな。
ふざけるな。
私がどうすればよかったのかとか、ただ一人残ったアナをどうやって守ろうとか、魔王に勝てるのかとか、そんな思考は全て負の感情に流されて溶けていく。
犯した罪も、失った縁も、忘れた感情も、その全てが今はどうでもいい。
「許さない」
自分の口から出たとは思えない程に低く暗い声に、アナが視界の端でたじろぐ。
それすら無視して、私はテントを飛び出し魔王城に向けて一直線に駆け出した。
完全な強行軍だった。
予定していたペースでは3日かかる距離を、私は丸一日の間一睡もせず、ろくに休むこともなく走り抜け魔王城に到着した。
一度止まってしまえば、二度と動けないようにも思えた。それだけ私の身体を動かす情動は苛烈で刹那的だったのだ。
驚いたのは、アナがそのペースに辛うじてついてきたことである。私よりヘトヘトで限界の様子ではあったが、それでも私を見失わなかった。
私はそれを労うこともなく、魔王城の門番に命令する。
「通せ」
全力の威圧。
しかし、門番はそれに怯えるというよりも困惑したようにしながら門を開ける。
明らかに不自然な対応だったが、それに構うことなく私とアナは魔王城に足を踏み入れた。
内装は思っていたよりも華美ではない。装飾品は少なく、石壁が剥き出しになっているところもある。
だが、いつか霊王城で見たのと似たようなレッドカーペットが廊下を網羅し、広く開けた間取りは暗さや寂れを連想させなかった。
「・・・・・・」
ロビーに人の気配はない。
不気味なほどに静かなことだけが、脳内で警鐘を鳴らす。
アナが後ろで何かを言おうとする気配を感じて、私はそのまま突き進んで大広間と思われる両開きの扉を勢いよく開いた。
「うおっ」
「あれが・・・・・・」
開いた扉の先から、ざわざわと声が聞こえてくる。
中には、大勢の魔人がいた。見た目だけの印象だが、文官らしき者も多く詰めていて迎え撃とうという様子はない。どころか、突然侵入してきた私達に対し、外敵を排除しようという意思も感じられない。
「レナーテ、待って。何か様子が・・・・・・」
「魔王はどこにいる」
私を呼び止めるアナを無視して、近くの魔人に威圧気味に声をかける。
聞かれた魔人は一つため息をついて、親指で広間の奥の扉を示した。
「あの奥、突き当たり。そっから回廊を道なりに進んで更に奥」
その発言に、周囲の魔人が驚く様子はない。
明らかに歪な状況。だがそれでも、私は一切状況を整理せずに言われたとおり奥へ走った。
アナが再び呼び止めようとするが、それも無視する。
そして、私はこの城の中でも一際豪奢な扉の前にたどり着き、無言でそれを蹴り破った。
高い天井に、透き通るような大理石の床。
扉の前から部屋の奥まで伸びた、赤を基調とする幾何学模様入りの絨毯。
その先で、そいつは王座に座って頬杖をついていた。
透き通るような銀糸の髪。憂鬱そうに伏せられた紅い目。陶器のように白い肌に、整った顔立ち。
そしてその小柄な身に詰まった、驚くほどの呪力量。
その存在感から、彼女こそが魔王なのだと理解する。玉座の隣に従者と思われる金髪で痩身の男が控えていることにも気付いたが、そちらはどうでもいい。
私の後から、アナが緊張の面持ちで魔王の間に足を踏み入れる。
すると魔王は、それを待っていたかのように指を弾いた。
自身と私達を囲む――いや、この部屋全体を包む結界が瞬時に構築された。
私はあまりこの手の技法に詳しくなかったが、これは確か外からの侵入を徹底的に拒むものだったはずだ。意図は分からないが、今すぐ邪魔にならないなら気にする必要はない。
玉座に座ったまま、魔王が口を開く。
「レナーテ・ベルガーで間違いないか」
私は答えない。
それをどうとったか、魔王は一つため息をついた。
いつの間にか激情は鳴りを潜め、私の憎悪は鋭利で冷たい感情に変わっていた。
目の前の対象を殺す。その先は、考えない。
彼我の距離を図りながら、私は抜剣する。
すると魔王は懐から何かを取り出し投擲した。避けるまでもなく、私は足元にドサリと落ちたそれを一瞬だけ視界に入れて、
「っ」
動揺を抑えるのに失敗する。床に転がったのは、この二年弱私を苦しめ続けてきた呪書だった。
「やっぱり。見えるんだな」
「何を、言ってる」
呪書を見せたところでなんだ。私は今、お前の目の前に居る。
最後のページに書かれた通り、お前を殺せばそれで話は終わりなのだ。
床に転がった呪書は、ご丁寧に最後のページを開いている。
それにもう一度目をやった私は、今度こそ完全に硬直した。
「え、」
――そこに書かれていたのは、「勇者を殺せ」という一文。
私が咄嗟に左手を持ち上げると、床に転がる呪書はそのまま、私の手元にもう一冊呪書が現れた。
呪書が二つある。
「レナーテ・ベルガー」
魔王は立ち上がり、こちらを真っ直ぐに見据えて言った。
「俺と会話をする気はあるか?」
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