第8話

「と。そもそも、私もきちんと名乗っていませんでしたね。私はエリン・バイエル。バイエル家現当主の次女にあたります」

 そう言って、青髪の貴族少女ことエリンは軽く会釈した。

「これはどうもご丁寧に。ゼルです」

「レナ、です」

 以前、グラウ氏にゼルが魔王と気付かれた後、今後の行動指針に関してはゼルと一度話し合ったのだが、基本的に名乗りについては変えないことにしていた。

 慣れない偽名でボロが出る危険性についてもそうだが、ゼルマやレナーテなら兎も角、ゼルとレナだけであれば珍しい名前でもなくそこら中に溢れている。そもそも、勇者と魔王が一緒に行動しているとは思わないだろうし。

 気が抜ける状況ではなかったが、なんとか動揺は抑えられていた。

 エリンは私達の名前を聞くと、顎に指の背を触れるようにしながら考えこむ。

「・・・・・・やっぱり知らない名前ですね。そしてそれは、不自然なんですよ」

「何がでしょう」

 ゼルの問いに対し、エリンは背筋を伸ばして、私達を真っ直ぐ見据えて答えた。

「私はご覧の体質ですから、普段は霊人国と魔人国双方の有力者に依頼して上質な血を頂いています。一般人から血を募ったところで、味にしても摂取効率にしてもたかが知れているのでね。私が貰っている血は、どれも高名な戦士であったり、魔人国の貴族本人の血なんですよ。何が言いたいか分かりますか?」

「呪術的才能のある人間を、あなたは全部把握してるとでも?」

 ゼルの切り返しにもエリンは動じなかった。

「そこまでは言いません。ですが言ったでしょう、貴方の血は今まで飲んだ中で一番美味しかったと」

 どんな高名な戦士や貴族よりも、呪術的に優秀な血。

 それがその辺を彷徨いている無名な旅人のものだ――というのは、確かにエリンからすればおかしな話かもしれない。恩があろうと追及したくなるのはまあ、分かる。

「えっと」

 私の上げた声に、二人の視線が集まる。

 追及の躱し方は分からない。でも、時間を作ればゼルが考えてくれていると信じて、場を繋ぎたい一心から言葉を絞り出した。

「単にお腹が空いてたから、特別美味しく感じたとかないんですか?」

「・・・・・・・・・・・・」

 エリンが目を見開いて固まった。

 ゼルは感心した顔で私の二の腕を小突いてくる。やってる場合か。

「謎は解けましたね。じゃあ私達はこれで」

 ゼルが笑顔で席を立とうとするので、私も駄目元で追従する。が、慌てて一緒に立ち上がったエリンから案の定静止の声が飛んだ。ついでに、エリンはテーブルに身を乗り出すようにしてゼルの服の裾を掴んでいる。

「いや無理がありますからね!? ちょっと否定しきれないのが悔しいですけど、そういうレベルではなかったんですよ!」

「ちっ」

「だから! 態度!」

 エリンのリアクションが愉快なせいで、緊張感がなくなってきてしまっている気がする。

 ガチガチに固まって怯えるのも問題だが、バランスが難しい。

「何なんですか貴方達は・・・・・・」

 こめかみに手を当てながら頭痛ををこらえている様子の少女を見ながら、私は「ゼル以外の人とこんなに会話するの久しぶりだなぁ」なんて場違いなことを考えていた。

 ふとゼルと目が合うと、あっちもやけに柔らかい表情をしている。もしかして似たようなことを考えていたのだろうか。もしそうなら・・・・・・嬉しくは、ないけど。そう嫌な気分でもなかった。


「私に名前を売り込めることを喜ぶなら、本当に未知の旅人だったと歓迎することも出来るんですけど。そこまで私を拒まれるとなると、貴方達に後ろめたい何かがあると疑わざるを得ないんですよ」

 私は、ここまでに別の選択肢があったかを一瞬考える。しかし彼女の用事に付き合うというのは、十中八九表舞台の騒動に巻き込まれるということだ。

 まだ幽霊でいたい私達にとって、それはやはり難しかっただろう。

 出会った時点で無視する以外になかった、というのだろうか。

 エリンの論理は整然としていて、まだ私達の正体を追いかけてきていた。 

「でも、実際に俺達のことを知らなかったわけでしょう。後ろめたい何かがあろうとなかろうと、俺達が貴方の知らない旅人であることに変わりはないと思いますが」

 ゼルの返答に、エリンは数秒の沈黙の後ブツブツとつぶやき始める。

「霊人族の女二人組。最初から私と敵対しているとは思えない。おそらく悪人でもない。何を拒んでいる? ただの貴族嫌いにしてはそういう感情を向けられないし・・・・・・裏の人間っぽくも、いや・・・・・・表舞台にもいない、まるで幽霊のような」

 ――待て。

 「霊人族の二人組、悪人ではない」という時点で、それはミスリードだ。世間的な「勇者と魔王」像を持っていたら、私達には絶対に辿り着けない。

 なのに。そのはずなのに、この嫌な予感はなんだ。

 隣のゼルの気配が変わる。悪寒に襲われていたのは私だけではなかった。

「エリン・バイエル」

 ゼルの声の温度は、先程までより遥かに低い。

「その先は、好奇心で踏み込んでいい場所じゃない」

 それは脅しであり、警告だった。

「ゼル」

「ごめん、ここまでしつこいのは誤算だった。ここでケリをつけないと、こいつはいつまでも追いかけてくるタイプだ」

 私の震える声にゼルは悲しそうな顔で答えると、改めてエリンに向き直り殺気を放つ。

 エリンは焦りの表情を浮かべるが、まだ引く様子を見せない。

「そう、きますか。ですが私を殺す勇気がありますか? そこまでして隠す理由が――」

 エリンの目には、捉えられていなかったと思う。

 ゼルは掴まれていたままの袖を引くと、テーブルに倒れ込むように体勢を崩したエリンの首を瞬く間に右手で絞めた。

「お前を殺すのに必要なのは勇気じゃないよ」

 首を握る力が、強まる。

 ようやく状況に追いついたエリンの顔が、苦悶と驚愕に歪む。

「諦めだ」

「かっ、はっ」

 それを見て、私は。


 どうしていいのか、まるで分からなかった。

「ゼル!」

 それでも、ゼルの名前を呼ぶ。

「・・・・・・・・・・・・」

 ほんの少し、エリンの首への圧迫が弱まる。

 ゼルは私の顔を見ない。

「ゼル」

 私は、震える声で彼女の名前を呼ぶだけ。


 何を言えばいいのか分からなかった。

 何を頼めばいいのか分からなかった。

 それでもそのままゼルがエリンを殺すのは、駄目だと思った。


 諦めだ、と言ったゼルの声が頭から離れない。

 その気持ちが痛いほどに分かってしまったからだ。私が過去犯してきた殺しは、そのどれもが諦めの感情と共にあった。きっとそれは、ゼルも同じだったのだと気づいてしまった。

 でも。それはもう、ごめんだ。

「そんな顔で、殺さないで」

 ようやく紡いだ言葉は、ただの感情の吐露。

 理屈にも、なんにもなりやしなかった。

「レナ」

 振り向いたゼルの顔は、迷子で途方に暮れた子どものようで。

 今にも泣き出しそうな顔をしながら、ゼルはエリンの首を絞める手を離した。

「ゼルは何も間違ってないと思う、けど」

「・・・・・・うん」

 ここで殺したら、きっと何かが終わってしまう。

 それは声にならなかったが、見つめ合う中で想いは届いた気がした。

「が、げほ! えほっ」

「おっと」

 エリンの呼吸が落ち着いて何か叫びだす前に、ゼルがその口を手で塞ぐ。エリンは完全に涙目になりながらもがもがと暴れている。

 それを見ながら、私は後先をあまり考えないままに宣言した。

「その子、巻き込もう」

「はあ。まあ、もうそれしかないか」

 殺すのは、私達の精神に悪い。殺さなくても、結果的に精神に悪い。

 となれば、第三の選択肢を取るしかないだろう。なし崩し的ではあるが、どうせ逃げるなら前のめりだ。

「よし」

 ゼルはエリンと目を合わせ、もう危害を加えるつもりはないこと、叫ばないでほしいこと、こちらの事情を話すしそちらの事情にも手を貸すので許してほしいこと等を説明した。エリンは口を塞がれたままコクコクと頷く。

「うん。悪かった」

 ようやくゼルがその手を離す。

「ぷはっ! ぜー、ぜー・・・・・・」

 目尻を赤くしたエリンが荒い呼吸を整える。首元にはちょっと跡が残っていた。

「お互い迂闊だったな」

「そーですねー・・・・・・」

 ひとまずの安全を得られたことに安堵したのか、エリンは気の抜けた声で答えながら涙を拭った。

 私は店を出ることを提案する。

「場所変えない?」

「だね。どこまで話すにしても、長くなるのは間違いない」

 私達は、エリンの様子を交代で気にしつつ店を後にした。


 ******


 手頃な宿で二人部屋を確保し、三人で共に入る。

 幸い、エリンからこちらを恨む様子は感じられなかった。怖くてそれどころじゃなかったのかもしれないが、冷静でいてくれるならありがたい。

 部屋はシンプルな長方形の構造で、長辺側の壁際にベッドが1m程の間隔を開けて二つ並んでいる。反対側に小さい棚があり、その上に備え付けの小物やらオブジェが置いてあった。

 部屋の扉を閉め、荷物をベッド脇に置いて私とゼルは一つのベッドに並んで座る。エリンは少し迷った挙げ句、私達の正面で床に正座した。

「いや・・・・・・ああ、椅子あるじゃん。使っていいよ」

 困惑したゼルが視線を彷徨わせながら一度立ち上がる。部屋の隅にあった、背もたれのない小さな丸椅子を見つけてエリンの元まで運んでくる。

 エリンは無言で会釈し、いそいそと椅子に座った。

 元の位置に戻って座ったゼルが呆れたように声をかける。

「噛み付いてこないのはありがたいけど、畏まり過ぎじゃない? まだ何も説明してないんだけど」

「いえ、なんか私より大物なんだろうなって心で理解してしまって・・・・・・」

 エリンは遠い目であらぬ方向を見ている。ちょっとかわいそうになってきた。

 まあいいか、と呟いたゼルと共に背筋を伸ばす。私達は、随分と久しぶりに正式な名を名乗った。

「俺はゼルマ・ツヴァイク。元魔王だ」

「私はレナーテ・ベルガー。勇者、でした」

 エリンはポカンとしたまま固まる。数秒経って動き出したと思ったら椅子からずり落ちた。

「ええ・・・・・・ええええええ? えええええええ!?」

 その驚愕度合いから、答えに辿り着いていたわけではないんだなぁと思う。やはり彼女を巻き込むべきではなかっただろうかと不安になり隣を見たが、ゼルは困ったように笑いながら首を振った。

「大丈夫」

 ゼルが小さく呟く。それは私への励ましのようで、自身への鼓舞のようでもあった。

「いやだってお二人とも・・・・・・あ、死体は・・・・・・あれ、ええ?」

 エリンは椅子に戻らずにその場で考え込み始める。パニック中に声をかけるのも悪いので暫くそのままにしておくと、たっぷり1分程経ってからエリンは綺麗な土下座を決めた。

「数々のご無礼をお許しください」

「いいから早く座れ」

「はひ」

 全力の謝罪はゼルに一瞬で流され、様々な感情がないまぜになったぐちゃぐちゃの表情で椅子に座り直すエリン。するとゼルはのそのそとベッドの上を移動して、私に背中合わせの形で寄りかかった。

「じゃあ悪いけど後はお願い。俺は暫く先のこと考えながらいじけてるから」

「え」

 どういうこと。

 エリンを殺そうとしたことを気にしているのか、私がエリンを巻き込んだことに思うところがあるのか。気になって仕方なかったが、首を後ろに捻っても表情は見えない。無理やり顔を見ることは出来るだろうが、それをしたらゼルが本当に拗ねてしまいそうにも思えた。

 まあ、いいか。それにこの体勢は――背中が暖かくて、少し落ち着く。


「えーっと」

 ゼルのことは置いといて、エリンの方に向き直った。

 エリンは一応こちらを見ているが――

「・・・・・・落ち着くまで待とうか」

「お願いします」

 まだいっぱいいっぱいな様子のエリンを見て、少し時間をおくことにした。

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