2章 出会いと、追憶の話
第6話
この旅を始めた頃。
私の出身が、霊人国中央北部のサティプスという名前の村であることを話した時、ゼルは「じゃあそれより南まで行こう」と言った。
どうして、とは聞かなかった。そもそも何処へ逃げたところで安全な保証なんてなかったし、私達が本当に怯えて逃げ出したかったのは現実そのものなのだ。
何もかもを失って自らの命を絶たなかったのは、辛うじてその理不尽に怒り、抗う気持ちが残されていたからである。
今となっては、死ぬのが怖いから惰性で生きているだけなのかもしれないけれど。
ゼルがひとまず決めた目的地は、結局のところ「嫌な記憶と縁のない場所に行きたい」ということだと解釈している。
私にとっては、魔人国北方にある魔王城へ向けて北上しながら、途中で立ち寄り事件をおこした街々。
ゼルにとっては、戦争を指揮して戦火に巻き込んだ霊人国の街や、一度は制圧して破壊を行った中立都市郡の一部。
それら全て、私達が落ち着きたくない場所であった。
それにじっとしていたら、心が死んでしまうと思ったから。
とりあえずは何処かずっと、遠くへ。
そこから先を考える余裕は、私達にはなかった。
******
アルボスを発ってから数日。
私達は、アルボスから南東にあるリスニルの街に足を踏み入れていた。
魔人国の南端に位置するリスニルは中立都市トナジルとの交易も盛んで、この辺りの地域では一番賑やかで発展している街である。
――私にとっては、あの地獄が始まった場所だ。
ゼルにそのことは一度伝えていた。それを覚えていたゼルは、アルボスを発つ時「ここを通るのが嫌であれば、アルボスから無理やり山道を経由して中立都市に入ることも出来る」とも言ってくれた。
でもそれを言い出したら、ここから先の街はその殆どがゼルにとって辛い思い出しかない場所だろう。それなのに私だけが逃げるというのは嫌だったし、ずっと当時のことから目を背けているのもそれはそれで苦しいと思ったのだ。
そんな気持ちを説明したわけではないが。リスニルを通ることに同意した私に、ゼルは少しだけホッとしたような微笑を見せていた。
それに、何も街並みがトラウマになっているわけではない。実際に事の起きた場所に一人取り残されるようなことがなければ大丈夫なはずだ。
しかしそれにしても。
「凄い活気だね」
私は思わず呟く。
「そうだなぁ。いつもこんななのかね」
ゼルもゼルで、答えながら目線がちょっとキョロキョロしていた。
先程、検問の元気なお兄さんたちに笑顔で送り出された時も思ったのだが、道行く人の表情が全体的に明るく感じる。
以前来た時も賑やかだったことは覚えているのだけど。
ちなみに検問では、北側から来た霊人族ということで珍しがられはしたものの、女二人で装備も軽いということで警戒はされず、ゼルが愛想よく笑って適当な話をでっち上げると大方信用を勝ち取れた。というかここに来るまでは常にそのパターンである。
検問では、平民として街を行き来する分には名前と目的くらいしか聞かれない。身分を示すような物を持っているのはお偉いさんだけなので、特にそういうものも必要がない。素性を隠している側からすると助かる話だった。
勿論ゼルは本当は魔人族なのだが、肌がちょっとびっくりするくらい白い上に、魔人族らしい訛りが全くないため基本的にいつも霊人族に間違えられている。加えて小柄で笑顔が愛らしい美少女(客観的評価)とくればその信用度たるや。
・・・・・・美少女などと表現したが、ゼルは実際のところ何歳なのだろう。魔人族は霊人族より少しばかり長命で、成長も僅かに遅いと聞いたことはあるが。
尚、今のゼルは以前言っていた通り、いつものマリンキャップに加え赤縁の眼鏡をかけている。
「ん? どうかした?」
私の視線に気付いたゼルがこちらを見上げてくる。
「いや、別に」
一度は誤魔化そうとしたが、彼女と出会ってからそんなことを繰り返してばかりな気がしてきた私は、少し迷った後で言葉を続けた。
「ゼルが何歳なのかなって、ちょっと思っただけ」
ゼルはキョトンとして目をパチクリさせたが、すぐに悪戯っぽく笑いかけてきた。
「何歳差なら大丈夫?」
「なにがよ・・・・・・」
今更、年齢で態度なんて変えやしないのに。
目に見えて上機嫌になったゼルは、こちらの表情を伺いながら答えを言った。
「23歳。レナの4つ上だね」
「私の歳話したことあったっけ」
「寝言で言ってたよ」
嘘つけ。
先の戦争中に私のプロフィールを調べていたとしてもそう不自然ではないし、別にいいんだけど。
しかし、やはり少女という年齢でもなかった。
私は、どう見ても155cmはなさそうなゼルの背丈を眺めながら、魔王という単語とのギャップをぼんやりと考えていた。
ゼルが王位についたのは確か10年前のはずだ。丁度その時、先代魔王――ゼルの父親は、歴代最強と名高い第十代勇者に対し、夫婦二人で挑んで惜敗し命を落としている。勇者の方も勝ちはしたもののかなりの重傷を負い、撤退中に打ち倒された。
つまりゼルは、両親を失いながら13歳で魔王となり、霊王と交渉の席について友好条約を結んだことになる。
その苦労は、ちょっと想像できるものではない。この十年で、どれだけのものを背負ってきたのだろう。
少し遠い目になる私と対照に、ゼルは軽い調子で補足を入れてきた。
「ちなみに誕生日は4ヶ月後ね」
別に聞いてない。
覚えてはおくけど。
時刻は昼時。一番賑わう街道に面した食事処は混雑していたので、一本横の通りに外れることになった。
二人であちこち探しながら、十分ほどかけてそこそこの混み具合の店を見つけた。
が、並ぼうとして店の前に行こうとしたところで――路地から、こちらを見つめてヨロヨロと歩いてくる影があった。
「あの」
青いストレートの長髪。ゼルよりも更に小柄で、一見儚げに見える風貌の少女。白を基調とした服装はところどころ汚れている。しかし胸元や腰回りに薄く入った装飾を見れば、それはみすぼらしいというより上等な衣装を汚してしまった、という感じだ。
何にせよ、賑わう街の中で異彩を放つ少女に私達は驚いて足を止めてしまう。
少女は、ふらつきながらもゼルの手をガッシリと両手で掴んだ。
「ご飯とかを、恵んでくれませんか」
とかってなんだ。
ゼルはその少女を見て困惑しつつ、助けを求めるかのように私に目線を送る。
といってもどうしよう。取り敢えず声をかけてみる。
「お腹すいてるの・・・・・・?」
「それもそうなんです、が」
語尾を濁した答えを返した少女は、しかしすぐに意を決したように目をカッと開くと、ゼルに向けて力強く宣言した。
「あなたの体液を、ください」
私達は今度こそ絶句した。
リスニルに到着してから、僅か半刻足らず。
食事をしようとしただけなのに、見事なまでの厄介事が私達を襲っていた。
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