第5話
街に帰る頃には日も落ちてしまっていた。
住宅街まで戻ってグラウさんに報告がある旨を伝えると、彼は静かに頷き私達を再び自宅へと招いた。
「――と、そういう状態です。場所は覚えたので、すぐ戻ることは出来ますが」
「・・・・・・・・・・・・」
ゼルが説明を終えると、グラウさんは目を閉じて考え込むようにしていたが、やがて目を開くと後方に向けて声をかけた。
「どう思う」
奥方は柔らかな笑みを湛えたまま、どこか諭すような口調で答える。
「それがあの子の選ぶことであれば、私は何も言うつもりはありませんわ」
グラウさんはそれを聞いて、背もたれに身体を預けると「そうか」、とだけ呟いた。
数秒の沈黙。
「ご苦労だった。依頼は完了でいい」
予想外の返答に硬直した。
「いいんですか? いえ、信じるんですか?」
同じく驚きながらも、ゼルがなんとか問い返す。
そう。よく考えずとも、この話にはろくな証拠がない。あのモンスターがこの街の森にいることからして、そもそも知れ渡っているわけではない。
いるかもわからない森の怪異に自分たちのペットが懐いているなんて話を、そうあっさりと受け入れられるものだろうか。一応、あの獣の腱を切る時にその毛もちょっと剥いできたので、モンスターの存在証明は補強できるのだが。
「君らが街で聞き込みをしていたことは耳に届いているし、嘘をつくならもう少しマシな話があるだろう」
「それは、そうですが」
「何より」
グラウさんは、少し戸惑うような表情をしながら一度言葉を濁す。今までの印象からすると意外な姿に、二人してキョトンとしてしまった。
「お二方を、疑うなどとても」
口調と、姿勢の変化に身構える。――それは、まさか。
グラウさんはため息をついて、ゼルの方に目を向けた。
「私は、軍部にいたことがあります。高い階級まで登ったわけでもなく、城に出入りした回数が多いわけでもありませんが」
不安と疑念の入り交じる目で、ゼルはグラウさんを見つめている。
「何度か。第六代魔王、テレーゼ・ツヴァイク様の御顔を拝見したことが御座います」
ぐ、と膝の上で手を握る。
高いところから今にも突き落とされそうな気分で、しかし私達はその場を動くことが出来ない。
「貴方様は、テレーゼ様の若い頃にとてもよく似ていらっしゃいます」
声色は優しいのに、私にはそれが断罪の言葉にしか聞こえなかった。
「聞いたことないぞ。・・・・・・そんな、話は」
「無理もございません。貴方様が生まれる時には既にテレーゼ様は亡くなられていましたし、何分昔のことですから。知る者はかなり限られるでしょう」
「っ」
ゼルの反応は、グラウさんの推測を裏付けるものにしかならなかった。
取り繕うことは出来ただろうかなんて、仮定の話も意味をなさず。私達は、暴かれることにただ怯えることしか出来なかった。
私達の正体を確信したであろうグラウさんの目に、震える私達はどう映っただろう。
グラウさんは目を伏せ、じっと言葉を選ぶように沈黙する。やがて、目線を合わせ直してから深く頭を下げた。
「申し訳ございません。素性を暴くような真似がしたかったわけではないのです。きっと、私ごときが知っていい事情でもないのでしょう」
「それ、は」
「ただこれだけはお伝えさせてください。私は、」
顔を上げたグラウさんに対し、ゼルは震えながらも口元をキツく結んだ。
「お二人が、こうして生きているのを見て。少し安心いたしました」
強く、まっすぐな目。
そこに何ら糾弾の色がないことを読み取ると、私達は揃って深く頭を下げた。
慌てて止めようとするグラウさんも無視して、震えと涙が収まるまで、二人でずっとそうしていた。
******
「ごく少数とは思いますが、私と同じように貴方様の御顔に見覚えがある者はいるかもしれません。どうか、お気をつけください」
そんな言葉を貰って、私達はグラウさんに別れを告げた。
結局予定通りの額を報酬として受け取った私達は、夜でも賑やかな通りを並んで進んでいる。グラウ邸を出てから、二人ともずっと無言だった。
何かを言いたい気がするのに、何も伝えなくていいような気もする。或いは、疲れで思考が鈍っているだけなのかもしれない。
どれくらいそうして歩いただろう。
ふう、と息をついたゼルに顔を向けて、自然と目が合った。
ゼルの唇が小さく開く。
「ご飯」
「うん」
「寝る」
「うん」
それは、私達が出会って間もない頃の、どこか懐かしいやり取りだった。
第八代魔王、ゼルマ・ツヴァイク。
それが、私の隣にいる彼女の名前であり。
私より一回り小さいその立ち姿が、今日はいつもより華奢に映った。
《Side.Selma》
月が昇る。
食事を終え、宿を決めて、シャワーを浴びて。
後は寝るだけという段になるまで、俺達の間に会話らしい会話はなかった。
髪を拭きながら寝室に戻ると、先にシャワーを終えていたレナがもうベッドの上に転がっていた。胎児のように身体を丸めて目を閉じている。一瞬、もう寝てしまっているのかと思ったが、俺が隣のベッドに座ると薄目をあけ、焦点の合わない視線をぼんやりとこちらに向けてきた。
レナのダークブラウンの髪に、カーテンの隙間から月明かりが射している。
手を伸ばして髪をすくように撫でると、何か言いたそうに口を開けたが、結局出てきたのはため息だけだった。かと思うと更に身体を丸め、撫でる手から逃れようとする。限りなく、曖昧な抵抗表現。
それ以上何かする気もないので手を離すと、レナは元の姿勢にずるずると戻る。
「灯り消して」
「ん」
素直に従って部屋の燭台の火を消すと、その表情は見えなくなった。
疲れているのは一緒なので、俺も倒れ込むように横になる。
眠そうなレナからは、しかしまだ何か言いたそうな空気が感じられたので、顔をレナの方に向けてじっと待機する。
たっぷり十数秒ほど経ってから、呟くような声が聞こえてきた。
「当時の、私達のことをさ」
「うん」
言葉を一つ一つ、選ぶように。
「狂ってたんじゃなくて、何か事情があったって、思ってくれる人は」
「・・・・・・」
「いるのかな。他にも」
それは、許しを請うような問いだった。
安心いたしました、と。グラウ氏は俺達にそう告げた。
魔王と勇者が生きているという事実を、あの人が吹聴することはないだろう。念押しをするのも、見逃してくれた相手に対し失礼な気がしたので何も言わなかったのだが。
グラウ氏は、俺達を糾弾することはなかったけれど。
他の人がそうかは、分からない。
「いるかもしれないけど」
気の利いたことを言える気は微塵もしなくて、でも気休めを言うのも嫌で。
俺は結局、悲観的な答えを返してしまう。
「そうじゃない人も、いるだろうな」
何かを言われる前に、俺は言葉を続ける。
「今日はごめん」
「なにが」
「正体バレたし。怖い思いさせた」
「・・・・・・・・・・・・」
もぞもぞと布団の中で動く音。少し待って返ってきた言葉は、怒るというより不満げな声色だった。
「怖かったのは貴女も同じでしょう」
「まあ、ね」
最近のレナは、こうした反応をよくする気がする。
気にかけると怒る、というか。本気で嫌がっているわけではない・・・・・・と思うのだが。
そういえば、昼間も過保護と言われた。でもだってそれは、仕方がないじゃないか。あんな目に遭ってきたレナに、これ以上辛い思いなんてさせたくないに決まっている。
それをそのまま告げたら、また彼女は怒るだろうか。
「ゼル、顔隠すの?」
「眼鏡でもかけるかな。変に隠すと、単に不審者だし」
「そ」
話題が逸れたかと思えば、レナは答えに満足したのかあくびをして動かなくなる。
俺の顔を知っている者は、もう殆どこの世から居なくなってしまった。
残っている数少ない者にしても、今は魔王城で業務に忙殺されていることだろう。だから、城から離れた街中で顔を隠す必要は感じていなかった。
しかしまさか、祖母の若い頃と瓜二つとは。考えてみれば有り得る話だというのに、母とそこまで似ていないから完全に考慮外だった。グラウ氏の言う通り、同じパターンで俺が魔王だと気付く者はほぼいないとは思われるが、あまり目立たないようにした方がいいかもしれない。
顔でバレる、という話なら霊人国に入った後のレナの方が深刻な気もするけど。まあ、それは今から考えなくてもいいだろう。
少しベッドの上で体勢を変えると、うつらうつらしていたレナが思い出したような声を上げた。
「あ」
「ん?」
「あのモンスター、腱切っちゃったけど治してあげたほうがいいかな」
真面目か。
「動物なら兎も角、あのレベルのモンスターならほっときゃ勝手に治るんじゃないか。気になるなら、明日付き合うけど」
「ん。いや、じゃあいいや」
今度こそ、思い残しはなくなったらしい。
息をついて、お互いの沈黙を合図に一日を終える。
「おやすみ」
「おやすみ」
明日もまた、壊れないよう願いながら。
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