第4話

 モンスターとは言うものの、それがどういうものかについてはよく分かっていない。

 それは或いは怪異と言い換えても良いものだ。共通点というか定義の話をするなら、彼らは「通常の生態系で発生するとはとても思えない存在」である。

 凶暴で人を襲う植物、人語を解する鳥、今私達の眼前に居るような不自然に大きい獣。特性や姿形は多岐にわたり、中には人に友好的なものも居るのだとか。

 その進化の過程には呪力が関わっているとも言われているが、そもそも呪力に関しても未知のことが沢山ある状態なので、結局の所「そういうもの」だとして認識されている。

 目の前の獣が何故ミルヒちゃんを連れ去ったのかはきっと、謎のまま終わるのだ。


「レナ」

 モンスターはこちらを見ている。ゼルは私に軽く手で合図をすると、再び気配を消した。背後で突然気配が消えたことにモンスターが一瞬動揺を見せるが、前方にいる私が抜剣したのを見て、こちらへの警戒を続けている。

 時間をかける意味も特にない。手早くミルヒちゃんを保護しよう。

 呼吸のタイミングをずらし、一足で間合いに飛び込みモンスターの足を斬りつける。思っていたより敵も俊敏で、剣閃は浅く入っただけで飛び退かれたが問題はない。牽制目的として顔に向けて剣を振り、更に距離を空けさせたところでミルヒちゃんを抱え上げた。

 軽く暴れるミルヒちゃんを左腕一本で支えつつ、激昂したモンスターの飛びかかりを横に避ける。モンスターは再び体勢をこちらに向け直し、もう一度踏み込むが――

「ガッ!?」

 近くの木の上から霧のように現れたゼルに背中へのしかかられ、首元にナイフを突きつけられた。暴れて拘束を解こうとするモンスターに対し、ゼルはしがみつきながら浅く刃を突き入れる。尚も暴れるが、私が距離を詰めて鼻っ面を踏みつけるとようやくおとなしくなった。

「位置関係的に、俺まで踏まれてる気分になるなこれ」

「馬鹿を言わない」

 うっかり足を外しそうになったじゃないか。

「人語は分かるか?」

 確認のため、ゼルがモンスターに声をかける。遭遇時点で会話にならなかった時点で喋る知性があるとは思っていないが、それでも意図が通じる場合はあるかもしれない。

「こっちの子犬を返してもらいたい。素直に従ってくれるなら、これ以上お前を痛めつけるつもりもない」

 グルル、と低い唸り声。聞こえているのかいないのか、眼光は鋭く私を睨みつけたままだ。

 私が少し身体をひねり、ミルヒちゃんを遠ざけるように見せるとモンスターは再びガァッと気勢を上げて動き出そうとする。私は重心をすぐ元に戻し、ゼルも身を乗り出して頭を押さえつけモンスターの動きは封じられた。

「駄目そうかな」

「駄目っぽいね」

 私は剣を下に向け、モンスターの頭蓋に突きおろせる位置に構えた。

「無駄に死ぬよ。良いんだね」

 私の最後通牒に対しても、足元から脱力の気配はない。


 モンスターの命を奪うのに、抵抗はない。

 血を見ることは以前より苦手なままだけど――大丈夫。

 自分に言い聞かせるようにしながら、私はそのままトドメを刺そうとして、

「キャン!」

「!?」

 ミルヒちゃんの、反撃を受けた。

「な・・・・・・」

 突然暴れだし、顔に飛びかかってきたミルヒちゃんに動揺した私は、モンスターを踏みつけていた足を外してしまう。

「グガゥッ!」

「くっ、そ!」

 動き出すモンスターにゼルがナイフで切りつけるが、致命傷には当然ならない。

 逡巡はあったが、優先順位を即断した私はミルヒちゃんと剣を同時に背後へ放り投げる。こちらに噛み付こうとしてくるモンスターとの距離は近いが、幸い相手の頭の位置は低い。なら、

「だ――!」

 脳天に、手刀一閃。咄嗟の対応ではあったが、手応えは完璧だった。

 モンスターがガクンと崩れ落ちる。意識はギリギリ残っているようで、フラフラしながら再び立ち上がろうとしたが、

「よい、せ!」

 その首根っこに腕を回して、ゼルは器用にモンスターをぐるんと投げ飛ばした。近くの木に背面から叩きつけられ、ようやくその獣は動かなくなった。

 一つ息をついて、投げの残心のまま腰を落としているゼルを見下ろす。

「貴女、割と力あるじゃない」

「お前ほどじゃない。って、それより」

「キャン! キャン!」

 一度放り出されたミルヒちゃんが、意識を失ったモンスターに駆け寄っていた。モンスターを庇うような位置に立ち、こちらを向いて吠え続けている。

「敵視、されてる?」

 それはどう見ても、友好的な鳴き声ではなかった。

「どう見ても犬種違うよなぁあいつら」

「そういう問題じゃないでしょ。・・・・・・あれ、そういう問題?」

「うーん」

 モンスターと動物が共生する? 少なくとも、私はそんな話を聞いたことはない。ゼルにしても、目の前の光景を理解しかねているようだった。

「思考放棄するなら、あのデカ犬にトドメ刺して子犬を無理やり連れ帰るわけだけど」

「・・・・・・後味悪いなぁ」

 私がぼやくと、ゼルがこちらを見上げる。

「あ。傷」

「ん?」

 言うや否や、ゼルは至近距離まで寄ってきて私の頬の辺りに手を伸ばしてくる。

「近い近い」

 近い近い。

「じっとして」

 自分でも同じところに指を伸ばすと、確かに薄いひっかき傷のようなものが見つかる。恐らく、さっきミルヒちゃんに飛びつかれた時のものだろう。

 ゼルの細い指が私の傷をなぞる。ゼルの口元からは小さく治癒式が聞こえ、数秒で傷は閉じていた。その間何故か私の身体は逃げようとせず、目の前でゼルが満足気に笑うのを見るまで、口をギュッとつむって動けなくなっていた。


「さて。子犬共々殺すか」

「なんでよ」

 ゼルの目は据わっていた。まあこれは放っておいていい。

 私はため息ををついて、未だこちらを睨んでいるミルヒちゃんの方を見遣った。

「でも、どうしよう」

 連れ去られてから、丸二日も経っていない。ミルヒちゃんとそのモンスターに何があったのかと詮無きことを考えていると、ゼルがポツリとつぶやいた。

「これそのまま報告してみるか」

 ふむ。

「何ボケたこと言ってんだ早く連れ帰ってこい、ってのがオチだとは思うけどね」

「いや・・・・・・でも」

 確かに、それはただの先送りかもしれないけれど。

「その儀礼は、あってもいいと思う」

 気持ちが軽くなるなら、それは無駄足ではないと思うのだ。


 ******


 大きく移動されないようにモンスターの腱を切り(慈悲があるのかないのか自分でも分からなくなった)、後で戻ってこられるように印をつけながら引き返していく。

 走りながら、さっきゼルが触れた頬の傷跡に触れていた。


 ――ゼルは、私に優しい。

 それは私が彼女にとっての唯一であるからで、不自然なことだとは思わない。

 でもそれを言ったら、ゼルが私にとっての唯一であることも間違いないのだ。

 だけど私は、ゼルにあれほど優しくなれない。自分が傷つかないように、壊れないようにするのが精一杯で、ゼルが何を考えているのかをそこまで読み取ることも出来ないし、ゼルがかすり傷を負ったとしてあんなに怒ることなんて出来ないだろう。

 ゼルがそんなことを望んでいないことは分かる。それは分かっているが、ふと引け目を感じてしまうことがある。

 私にとっての彼女と、彼女にとっての私。

 それが何故、どう違うのかを、雲を掴むような気分で考え続けている。

 

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