鈴鹿山、鎖鬼(オニ)退治。

 

 宍戸一味の根城は鈴鹿山の山奥にある小さな八幡社であった。

 内側は三十畳弱の広さしかない。

 そこで件の宍戸隆生が、あぐらをかき、十三人の手下たちを集めて会を開いていた。

 十兵衛の言伝を受けた直後のことである。


「明日の正午か――これは罠だ」


 重く思慮を含んだ声。その重みからわかるように、宍戸はただの荒くれ者ではない。野熊のような体躯に似合わず、知恵者でもあった。

「これは罠だ。時刻は明朝ではなく正午、果し合いで陽光の利を棄てるのは、兵法家として上手くない」

 語りながら宍戸は眉間の皺を深くする。

 合ったこともない十兵衛という剣豪。その深淵(うちがわ)を覗きこむように、瞳が光る。

「恐らくは時を稼ぐ腹積もりだろうよ」

「奴は……逃げるつもりですかね?」

 子分の一人が尋ねると、宍戸はかぶりを振った。

「違うぞ。恐らく百姓どもを躾け、道中に罠を貼るつもりだろう。十兵衛はこちらが多勢だと知っているのだ。あの柳生宗矩の倅ならば、軍学の心得もあるはず。

 ――油断はならぬ」

 宍戸は深く思案し、取るべき策を考える。

 当然、素直に果たし合いなど応じるつもりはない。宍戸はそこまで愚かではなかった。

 軍略とはより大きな視野をもつということ。

 小競り合いで命を落とすのは将のすることではない。

「決めたぞ。明日、日の出とともに村に仕掛ける。そして有無を言わさずこの者を殺す。天下の柳生家とはいえ、容赦などせん」

 その宣誓に手下たちは深く肯き、部屋を後にした。

「しかし……ふむ」

 と、一人部屋に残った宍戸はあごひげを撫ぜる。

 宍戸隆生にとっても、これは頭目になって以来の一大事である。既に仲間が一人斬られている以上、彼は何としても柳生十兵衛を討ち取らねばならない。それがケジメというものだが――

 

「さて、この十兵衛という男――どうでるか」

 

 しかし、それはそれとして。

 宍戸の内側にある兵法家の血が騒ぐのだ。

 

 果し合い。決闘。一騎打ち。

 もはや、廃れつつある旧世代のくだらぬ風習。――しかし、どうしても血が騒ぐのだ。

 言伝を受けてからずっと、宍戸隆生は誰にも悟られぬほど、ほんの小さく奮えていた。


 ――武者震いだった。



***


     

 最早、満月も空に上がりきった深夜。

 灯りは消えたとはいえ、月が山林を照らしている。            

 宍戸たちの根城である八幡社の近くには三つばかり掘っ立て小屋があった。手下や兵法門下たちの住居である。

 そこは周囲の森と同じように、眠りについていた。


「――上手くいったか」


 呟いたのは、見張りの男二人を無音で片付けた十兵衛だった。

 ――彼もまた、素直に果たし合いなどするつもりはない。相手の出方に合わせるつもりだったのだ。

 使いとしての男を送り出した直後、十兵衛はその男を尾行した。――根城を明らかにし、先手を獲るためである。

 そして全てが眠りについた今ならば、頭目を暗殺する事すら容易い。

 十兵衛は林の中を最小限の音で疾走する。

 さながら月夜の狼。

 十兵衛は周囲に生きている音がない事を確かめると、そのまま八幡社の戸を静かに開けた。

 ――そして。


「まさか本当に来るとはな。柳生は諸国に隠密(しのび)を出すと聞いていたが……ただの噂ではないらしい」


 暗室に二本の蝋燭。

 最奥である神棚の前に――宍戸隆生がいた。

 まるで宮司のような純白の衣裳。

 禅を組んで、剣豪を待っていた。

 ゆっくり立ち上がり、振り返る。その巨躯が十兵衛を見下ろした。

「……ちッ」

 思いがけぬ宍戸の姿に、十兵衛は気を乱すことなく、冷静に対処法を考える。

 ――人を呼ばれる前に逃げるか。

 ――早々に斬り掛るか。

 どちらにして、分の悪い賭けだった。

 宍戸はその無言を躊躇と取ったのだろう。余裕の表情で十兵衛に語りかける。

「果たし合いだろう十兵衛? 今でいい。ちょうど邪魔な奴らもいないのだ」

「……本気か?」

 十兵衛には初め相手の意図が分からなかったが――隆生の血気に満ちた両眼を見て、悟った。

 この男は本気だったのだ。

「天下の御流儀『新陰流』を倒せば、我が八重垣流の無双の証となる。父の無念は俺が晴らす」

 言い放った顔からは覚悟のほどが滲み出ていた。

 十数年前、武蔵の手によりほぼ壊滅となった宍戸八重垣流――彼は自らに、その強さを示さんと欲していたのだ。

「――実にくだらないな」

 十兵衛はそう吐き捨て、ゆっくりと背後の戸を閉めた。

 だが――その意地は嫌いではなかった。

 十兵衛はこの日初めて――無刀取りにて他者から奪った刀ではなく――自らが挿す銘刀『三池典太』を引き抜く。

 蝋燭の灯りを受けて、刀身が朱く輝いた。

「ほぅ、いい刀だ。刃こぼれ一つないとは。よほどの使い手をめぐってきたようだ。……だが刀である以上、利は覆らぬぞ」

 鍛冶師としての正当な評価を述べながら、兵法家としての冷徹な判断を下す。

 隆生もまた得物を床より拾い上げ、構えた。

「それが……!」

 十兵衛はその異様を目の当たりにして、息を呑んだ。

 知識にはあったが、それでも目にするのとは訳が違う。

 左手に首狩りの鎌。

 右手に分銅。

 それをつなぐ長さ十尺という超大な鎖。

 その異様――根源的な武器の形から乖離した、人の知恵によって生み出された凶器――鎖鎌。

 回転する分銅は風を倦んで、空気をかき乱す。

 これに対峙する十兵衛は警戒を強め構えを青眼に取る。

「――」

 場は整った。

 鉄が風を斬る音の中で――静かに、だが力強く、両者は名乗りを上げた。


「宍戸八重垣流真伝、二代隆生」

「柳生新陰流、十兵衛三厳」


 薄暗い室内。

 唯一の灯りである蝋燭に照らされて。

 獣の殺気が満ちていく。


『いざ――勝負ッ!』


 途端、十兵衛の頭部に

「ッ!?」

 重さ一貫を越える分銅――一心に躱す――だが、躱したそばから、鎌の方が飛び出して来た。

 正に宍戸の鎖鎌は自在だったのだ。

 ――鎖鎌という武器は鎖の部分にかなりの余裕がある。

 この余裕を活かすことで連続の投擲や鞭としての用途など、無限の技を取ることができるのだ。

 下手に分銅を弾けば刀が折られ、また、鎖に刃を当てれば絡み取られる。――これを究めた者に、およそ太刀で挑む事がそもそもの愚なのである。

「ならば……っ」

 十兵衛は刀を低く下げて、その投擲、鎖の中を掻い潜り間合いを詰めようとするが――無理だった。

 身を捻り、縦横に跳ね回れば鎌も分銅も避ける事ができた。だが、鎖の自在の前に、近づくことは叶わない。


「いつまでもッ、躱せるとッ、思うなッ!」


 あるいは、これは経験の差。

 十兵衛は鎖鎌など相手にしたことはないが隆生は刀剣使いなど幾らでも相手にしてきているのだ。

 そして戦いが長引けば、体力の少ない方が先に先に死ぬのは道理。

 おそらく、そちらの面でも十兵衛に分はない。

「――思っていないさ」

 そこで十兵衛は――間合いを詰めることを諦めて――宍戸の後ろに回り込んだ。

 否、正確には既に回り込んでいた。

 鎌と分銅を躱しながら、ひたすらに逃げの一手を打ったのはこのためである。

 二人の位置が最初とはおよそ逆。

 宍戸は入口側に。十兵衛は最奥にて構える。

「これで互角だ」

 十兵衛は――その右目で笑い、左で脇差しを引き抜く。

 

 その姿は正しく、二刀流。

 柳生流にはない構えである。

 

「貴様ッ!」 

 怒りに震えながら宍戸は叫んだ。

 ――彼の父、梅軒は武蔵の小刀の投擲に拍子を外され、一気に唐竹割りにされたと伝えられる。

 十兵衛の姿が未だ見ぬ仇敵と重なってか――この一瞬、鎖鎌の連撃が止んだ。

 その隙こそが、十兵衛の狙い。

「疾ッ!」

 一寸の躊躇なく、十兵衛は脇差しを投げた。

「この―――っ」

 所詮、猿真似。その脇差しが宍戸に向けられたモノであれば、呆気なく弾かれて終わったろう。

 だが、


 ――十兵衛の後方、部屋の唯一の光である二つの蝋燭が風圧で火が消える。


 完全な暗闇。――月明かりすら入り込まない空間が生まれた。


 光が消えたとき、音も消えた。

 両者の姿は陰に包まれ、はらり――と布が床に落ちる音だけが鳴る。

「戯けたか――柳生流、敗れたり」

 宍戸はしかし、その暗闇の中で必勝の予感に笑う。

 宣言と共に、風を切る音が変わった。

 

 この暗闇において二者は互角だろうか――違う。

 隆生には視えずとも多くを払う鎖がある。

 唯一の出口もまた彼の背にあるのだ。十兵衛には、身を潜める逃げ場がない。

 

「……ゆくぞ!」


 隆生はその剛力を以て、鎖を縦横無尽に叩き回した。

 何も視えていない。

 視える必要もない。

 ――床を砕き、壁を叩き、天井を崩す。

 一種、それは破壊の暴風雨。嵐。旋風。

 逃げ場などない。

 盲(めくら)に逃れえる物でもない。

 堂内のあらゆる物が分銅に叩き潰され、残骸が闇の中を舞っていく。

 

 その光景を――十兵衛は観ていた。

 

 肉を掠める木片、足を払おうとする鎖、頭を潰さんとする分銅。

 暗闇の中を駆けながら、観て、躱して、近づいた。

 間合いは数瞬で無に帰り――薄闇の中で視線が交錯する。

 驚愕する隆生の姿を、十兵衛の左目が――が捉える。

 ソレは、柳生十兵衛の真眼であった。

「喝ッ!」

 十兵衛が刀を真下から斬り上げる。

 追随し、這い上がる剣閃(ひかり)。

 得物を飛ばしていた隆生には防ぐ法もなく――反射的に後退して剣先を逃れる。

 だが、その背中を木戸が強かに打った。


 ――逃げ場などなかった。


 一瞬の間隙。

 二人の動きが止まった。

「それが……音に聞く柳生の『心眼』か」

 忘我の表情で、隆生が尋ねる。

 彼の瞳は――闇の中の一点しか視ていない。

「違う」

 十兵衛は答えと共に、太刀を大きく振り上げ、

「これは、だ」

 宍戸の体を、一刀の下に引き裂いた。

 

 心眼などではない――暗闇の中、十兵衛がすべてを見通した理由は単純だった。

 十兵衛の左目は永らく闇に閉ざされていたが故に、闇の中でも観えていたというだけなのだ。

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