放浪無頼。


 江戸城内の一件の後、秋の事である。

 

 荒れた黒羽織、腰に立派な拵えの二本挿し。左目に漆黒の眼帯をした、まるで一昔前の浪人のナリをした柳生十兵衛が伊賀ノ国――現在(いま)でいう三重県山中――の山道を歩いていた。

 無論、お付きの者などいない。今は馬も連れずに徒歩での一人旅である。

 目的地は故郷、柳生の里。

 柳生の里というのは柳生家が大名として領有する大和の郷であり、山に囲まれた長閑(のどか)な僻地である。

 例の件で江戸を追われた十兵衛はまず一度里に帰ることに決めたのだった。

「ふむ。片目も慣れれば苦でもないな」

 晴れ晴れとした顔で十兵衛が呟く。

 その口ぶりには江戸での確執など気にした風もない。むしろ晴れ晴れとした心地ですらあった。

 失った目(モノ)はあまりに大きいが十兵衛にも得たものがあった。

 十兵衛という男は元来、野生児である。

 日の出と共に目を覚まし、日の入りと共に眠りにつく。

 時間やら柵に縛られない自由気まま一人旅は彼を活き活きとさせていた。

 

 この道中。十兵衛はある村を見つけた。

 

 偶然である。

 鈴鹿山の麓から煙が見えたのだ。林にわけいって進んでいけば、なかなかに大きな村があった。

 どうも鍛冶場のある村のようだった。十兵衛は遠目にソレを見てとって、村に下る。今晩の寝床を求めての事だった。

 なにせずっと野宿がつづいているので、さすがの野生児もそろそろ木の床が恋しい頃合い。

 そこで畑を耕している三十ばかりの女性に声を掛けた。

「おぉぉい! そこの女よ!」

 十兵衛の声に女はびくりと震えて、顔をあげた。

 疲れきった顔で――どこか怯えた様子で十兵衛をみている。

「私は武者修行の者なのだが、近くに泊まれる場所はないか?」

「……」

 十兵衛は女に駆け寄る。しかし、女は黙ったままで答えない。その代わりに――女の視線は歩み寄る十兵衛の左眼帯に釘付けとなっていた。

「あっ!」

 と、途端に漏れる感嘆の声。

「ああ! 貴方様は――!」

 驚いた表情のまま、女は十兵衛の手をとった。

 十兵衛も慌てて、それを解こうとするが――うまくいかない。

「ッ!?」

 細腕からは考えられないほどの力である。女はかなり必死のようだった。

 突然の事に十兵衛は驚くも、同時に悟るものがあった。

 

 ――これは尋常な事ではない。

 

 辺りの目を気にしながら、十兵衛はその場から農具小屋に身を潜めた。

 幸い、あたりにいた数名の農夫たちは十兵衛を気にする様子はない。

 それぞれ黙々と自分たちの仕事にとりかかっていた。

 ――さて。

 十兵衛は連れてきた女に向き直り、事情を聞くこととする。

「なぜ、私を知っている?」

 この問いに女は平伏でもしかねない勢いで、ワケを語る。

「柳生十兵衛様――お噂は聞いております。あぁ、ありがたやありがたや」

 その言葉で、十兵衛は何とはなしに事情を理解した。

 ここまでの道のりで二つの賊を潰したことが祟ったのか。どうも、柳生十兵衛の名前が方々に広まってしまったらしい。

 ――面倒なことだが仕方ないことだ。

 そして、さらに、どうやらこの女は十兵衛に助けを求めているようなのだ。

「うーむ。どうやらこれは」

 表札もなく、普通では見つかりにくい村。そこで助けを求めるというのなら、理由は一つである。――何より、伊賀は多くの曰(いわ)くがある土地だ。

 十兵衛の予想どおりの答えを女はすぐに口にする。

「この村は大変な賊に襲われているのです……! どうか十兵衛様の剣でお裁きを!」

「……ふむ」

 十兵衛は一度、これみよがしに大きな溜息を吐き、

「まぁ待て。――飯のついでに話を聞こう」

 宿にありつけた事にひそかに感謝した。


 ――女はおしんという名だった。

 この女の話では、どうもこの伊賀の一角はすこし前から浪人崩れたちが鍛冶師、猟師と共に村々に幅を利かせているらしい。

 藩政が未だ行き届かぬこのご時世である。それは仕方ないことでもあるがこの村に関してはことさらに浪人崩れの支配力が強いのだという。

 この辺りを支配しているのは宍戸(ししど)という兵法家の血統者。世にも奇怪な鎖鎌という武器をあつかう流派の者だという。

 十兵衛も宍戸流の鎖鎌の噂は聞いたことがある。

 この流派の開祖である宍戸梅軒とおえば、かの二天一流の剣豪、宮本武蔵が果たし合った兵法家の一人だ。

 宍戸梅軒は八重垣流を称する鎖鎌術を極めた男であり、武蔵との死闘の末に――二刀の妙技に討たれた、という伝説がある。

 宍戸の頭目は武蔵に討たれたというのに、なぜ宍戸の血統が残っているのか、というと――今、この地を支配するのは梅軒の息子で宍戸隆生という大男らしい。

 父から求心力と鎖鎌の腕を引き継いだ彼は、新たな頭目として周辺の三つの村を治めているのだ。

 出された飯をぽつぽつと喰いながら十兵衛はそのような話を聞いたのだった。

「なるほどな」

 十兵衛は酒を煽りながら、究めて冷静に言う。

 干飯一杯、川魚三匹、青菜汁と、百姓にしては良い物を出してくれたために腹の方も十分満たされてきた頃合いだった。

「……」

 しかし、女の必死さに対して、十兵衛の表情は徐々に冷めたものへとかわっていた。

「うちの旦那は宍戸の手下衆に斬られ、娘は連れさらわれて所在もしれませぬ!

 あぁどうすれば! お願いです! 宍戸を成敗してくだされ! 天誅を!」

 黙ってしまった十兵衛に対して、おしんは半狂乱におちいりながらも嘆願する。

 この女は余程、宍戸に辛酸を舐めさせられてきたらしい。娘までとられたというのだから相当な恨みに違いない。

「柳生様! 天下を收(おさむ)る剣ならば、どうか! どうか容赦を!」

 しかし……である。

「落ち着け」

 言って、十兵衛は酌を置いた。

 そうして年に似合わぬ威厳ある表情(かめん)をつくる。

 

「我が柳生新陰流では、『活人剣』という思想を学ぶ」

 

 農民に剣の道を説いても、分かるはずもないのが道理ではある。

 しかし、十兵衛はまるで説法のように剣の道を語り始めた。――というのも、柳生流は禅の思想を多分に吸収した流派だからである。

 この剣を語る時の顔というのが彼の嫌う父――宗矩に似ているという事には、十兵衛自身、まだ気付いていないのだが。

「生きる者を殺すのは天理ではない、天然自然のものは天然自然の中で朽ち果てるのが理(ことわり)だ。だから、武器を以て命を刈るのは理に反するとして認めぬ」

 諸行無常。盛者必滅。永遠不滅。

 それがこの世にないのなら、天寿を全うするのが生命に与えられた道である、という事。

「だが、それでも人は武器を摂らねばならぬ時はある。自らが脅かされんとした時だ。民草が苦しめられている時だ。この思想を――断つべき一つの『悪』を斬り、万の『人』を生かす――『活人剣』というのだ。この柳生新陰流もまたその道を行く」

「ならば――悪を、宍戸を殺してくだされ!」

 半ばも理解していないのだろうが、おしんはこれを好機と頼み込んできた。

 だが、十兵衛は否定する。

 それは活人剣ではない、と。

「できぬ。その宍戸は確かにお主にとっては仇であろう。憎き相手だろう。――だが『悪』ではない」

 十兵衛はこの宍戸隆生という男がそれほどの悪辣な人間には感じなかった。

 むしろ頭目としての手腕が優れているとさえ感じていた。

「土地を治めるという事は並々のことではないのだ。宍戸は一を殺し、十を生かしている――つまりは小の犠牲で、村を守っているのだ」

「そんな……」

「お前の農具は誰が作っている?」

「村の鍛冶師が…」

「安く借受けているのだろ。それも宍戸のおかげだ」

 その鍛冶の技術というのは、恐らく、浪人衆から受け継がれた知識であろう。

 農民が鍛冶のような継承する類の技術を持つはずがない。

「この村が宍戸一派以外に襲われた事は?」

「ありませぬ…」

 そうだろう。治めるはずの民を傷つけるのは上手くない。

 加えて荒くれ者の彼らは後影の狐を守る虎にすらなっている。

 ――そして何より決定的な点がひとつ。

「村の者は喰うに困っているか?」

「……っ」

 困っているはずがないのだ。

 突然の来客である十兵衛に飯だけでなく、酒まで出すのだ。

 しかも女一人の住まいである。他の村落ではそうそうあることではない。

 実に上手く、ここは治められているに違いない。

 つまり十兵衛のいいたいことはこうである。

 

「宍戸に救われた村こそが万人。宍戸に貶められる者はそれこそわずかに一人だろう。故に――――って熱ッ!」

 

 話の途中で顔に茶をかけられた。

 粗茶である。

「……あつつ」

「いい加減にしなッ! 喰うだけ喰ってそれじゃあ、ただの物乞いだッ!

 この片輪者! 出てけ! 何が天下を收る柳生だよ。

 口ばっかりの役人侍じゃないか!」

 おしんは激怒していた。

 十兵衛の指摘は図星だったのは間違いない。十兵衛の見立てではこの村の生活水準は悪くはないのだ。――ただ見かけた村人たちの顔色は良くなかったが。

「ふ、ふうむ……いやいや御免。私も言いすぎたか――しかし」

 十兵衛は顔を羽織の裾で拭きながら、立ち上がった。

 こうなってしまった以上、ここにはいられない。

「どうも長居し過ぎてしまったのが災いしたな。すまぬ」

 乱れた顔を取り繕って、十兵衛が神妙に呟く。

 また奇天烈な事を言い出すのか、と――おしんがまた噴火しかけたその時だった。

 ずん、と荒々しい所作で入口の戸が蹴り飛ばされた。

「今日も来てやったぞ、おしん!」

 粘り気のある嫌な口調で、一人の男が上がり込んだ。

 低身の禿げ頭。刀を一本さした浪人崩れ。

「――っ」

 途端、おしんは部屋の隅に逃げるように身を固める。

「冷たいじゃねぇあよぉ。俺というものがありながら、武者修行を家に上げるなんざぁ――どうゆうこったッ!」

 おしんに怒鳴り散らすこの男の素性を、十兵衛は既に察していた。――宍戸の手先。無関心を装っていた農民の中に、おしんを売り、宍戸に告げ口した者がいたようだ。

「――ふむ」

「おめぇかぁ、おしんに抱き込まれた怪しい侍ってのぁ。眼帯かよ――伊達気取りか」

 男は嘲りながら、十兵衛の全身を眺める。

「しかし若けぇな。それに、存外に綺麗な肌をしてやがる。――女かと思ったぜ?」

 屋敷育ちの十兵衛を揶揄っている。

 明らかな挑発だったのだが――その言葉で十兵衛はなぜか苦笑した。

「……さてね。どちらがどちらかは、それこそ秘中の秘だろうさ」

 挑発を返し、ゆっくり、脚の前後を整える。

 悟られぬほどのわずかの変化。

「――しかし、おまえに抱かれたい者はこの小屋の中にはいないぞ」

 そう吐き捨てた時、十兵衛は既に闘争の準備を終えていた。

「おい……斬られたいのか?」

「それを女に聞くかね?」

「――ッ!」

 十兵衛の挑発に、男は満面を朱に染めて怒号する。

「てめぇ!」

 そうして、男は腰の愛刀を引き抜こうとして――止まった。

 万力で抑えられたかの如く、抜けなかったのだ。

「なっ!?」

 驚く男の眼前に十兵衛の顔があった。

 本当に、唇でも触れかねないほど近くに。


「――男前をあげてやろう」

 

 十兵衛は男の刀柄に掌底を放ち、抜刀を完全に封じていた。

 すでにして間合いは無(ゼロ)。

 そして、空かさずの頭突き。その衝撃は石で殴るのとそう変わらない。

「ッッッ!」

 男の鼻孔から、血がこぼれ出た。

 その衝撃に怯み、男は刀を引き抜こうとしていた右手をはなしてしまった。――あまりにも迂闊。

 機を逃さず、十兵衛は相手の刀を自らのものとして抜き放ち――舞うように一閃する。

「……あっ」

 おしんがただ小さく声を上げた時、頭のない死体が路地に転がった。

 断面からは一瞬遅れて、朱が噴き出す。

 水音に紛れて――外から人の悲鳴が聞こえた。

 他にも来ている者がいる。十兵衛はそう悟り、迅速に動きだした。

「いいか。隠れていろ」

「は、はいっ」

 十兵衛は隅で慄くおしんに念を押してから外に出た。

 まず、十兵衛の目に入ったのは、背を見せ走り出している野侍である。この者もまた、宍戸の手先。外で此方の出方を見張っていたのだろう――転がる仲間のアタマでも見て、逃げ出したのだろう。

「おい――ッ!」

 その背中に声をかけると同時に、盗んだ刀をほうりなげる。

「――ひ、ひぃ」

 刀はきれいな弧をを描き、男の頭のすぐ脇を風を切りながら抜けていく。

 その小さな風圧だけで、男は倒れてしまった。

 十兵衛は獣のような俊敏さで、男の背に飛び乗り、動きを封じる。力を徐々に強め、反撃の意識を削ぐ。

 十兵衛がこの男をすぐに殺さなかったのには理由がある。

「聞け。いいから聞け」

「な、なんだ……!?」

「宍戸隆生殿に言伝(ことづて)を頼みたい――できるか?」

 尋ねる十兵衛の顔に感情はない。男は十兵衛の右目の圧力に呑まれ、最早、肯くことしかできていなかった。

 さて。

 ――ここまで来たらあとには引けない。故に、宍戸を斬る以外はないだろう。

 

「兵法家――柳生十兵衛三厳が宍戸隆生に果たし合いを申し込む」

 

 兵法家同士の果し合い。

 本意ではないが仕方ない、と心のうちで言い訳をする。

 

「時は明日――正午。

 場所は此処の入口の三叉辻だ。

 ゆめ臆することのないようにと、伝えておけ」

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