とられた左瞳(ひとみ)。
江戸城のある一室。
そこは小姓の十兵衛の為に用意された六畳ほどの小部屋であった。三本の蝋燭で照らされた室内には、同じく三人の男がいた。
一人は恐ろしく青い顔をした目の細い青年――三代将軍・徳川家光。その人を前に平伏するのが柳生宗矩、十兵衛父子である。
「さて、上様。これは一大事ですぞ」
ゆるりと頭を上げ、宗矩が言う。深きシワの刻まれた壮年の顔。相も変わらずの心奥を悟らせない老獪な相貌。
「……分かっている。そう虐めるな」
宗矩の言葉を受けて、家光公はどこか諦めた調子で溜息を吐いた。
ただでさえ青い青いと言われる白肌が今や真っ青となっている。
理由は当然の如く、眼前の宗矩の助言であった。
「十兵衛も顔をあげよ。そうしていても仕方あるまい」
「御意」
宗矩に声を掛けられた十兵衛がしぶしぶと顔を上げる。普段は鷹の如き覇気をいだくその両眼が今は弱々しく家光を見つめていた。
宗矩は十兵衛の姿を横目に――瞳だけで愚息の醜態を哂っていた。
「天下の将軍がちご若衆に現を抜かしたとあらば、天下は大荒れですぞ。まさか、天下にソレを勧める訳にもいきますまい」
ソレとはもちろんの事。
家光と十兵衛の余人にはもらせぬ関係のことであった。
「分かっている……!」
家光は怒気を含ませて宗矩を睨んだ。――常々から、家光はこの宗矩という男の狡智さが苦手であった。
剣の師として、政事の師として尊敬はしていたが、油断できる男ではない。
何か企みがあると日頃から気を配っていたのだが、この日、ついに家光が十兵衛の部屋に忍んだ事が宗矩に露見してしまったのだ。
その後、すぐに宗矩はこの秘密の会談の場を設けた。
「ただ…、如何に無法者であれ十兵衛は我が子。本来ならば、御身を拐かすなど死罪にして然るべきですしょうが、……ここは一つ情けを」
白々しいにもほどがある釈明である。
この宗矩は真顔で心にもいない事を言う。
十兵衛も家光も共に爪が食い込むほどに拳を握り占めて、黙する他はない。
宗矩はその暗く重い空気を楽しむように間を溜めて--許しを乞うように、贅言する。
「十兵衛の――目玉一つで赦してはくれませぬか?」
二人の男が心を凍てつかせる様を見て取って、宗矩は苦渋の仮面をつけたまま、続ける。
「然るべき処遇でありましょう――さすればこの十兵衛めは未来、剣の指南役としては役に立ちませぬ。柳生の里に謹慎として返しても良いでしょう」
この老獪。その真意は、二人の若者には容易に知れた。
――嫉妬(ねたんでいる)。
この父は剣に優れなかった故に、息子の天才的な剣(ひとみ)を奪おうとしている。
眼とは剣術家の命。失えば兵法家としての未来はない。
「……下衆め」
呟いたのは十兵衛であった。
こらえきれなかったその怨嗟を宗矩は聞こえていないように流していく。
「上様。――何卒、お赦しを頂きたく」
赦しを請いている体ではあるが、宗矩の両眼には有無を言わせぬ威圧がある。
これに答えなければ――宗矩はもっと恐ろしい事をする――そう確信させる圧力である。
それは無論――柳生十兵衛の処遇において。
それがわかっていたから、家光はすぐに折れた。
「最後に十兵衛と話をさせてくれ」
血でも吐きそうな顔で言い放ち、頭を下げる。
その姿を悔しげに眺める十兵衛。握り締めた拳からは、本当に血が流れ始めていた。
「さようですか。では、数刻ばかり席を外れましょうぞ」
家光の言葉に了承し、宗矩は素直に十兵衛の部屋を出ていく。
――事はなした、と満足気な後ろ姿で。
そして部屋を出るその最後に、障子の隙間から一言。
薄笑いすら浮かべた顔で、言った。
「十兵衛。精々、悔いのないようにな」
それがたしかな両眼で認めた宗矩の最後の顔となる。
父の顔を射殺すように睨み返す十兵衛は既に、覚悟を決めていた。
――数刻後。
城中に家光公の激昂が響き渡り、血涙を流し片目を抑えた十兵衛の姿が多くの者に目撃されることになる。
これは公(おおやけ)には十兵衛が家光の怒りを買ってしまったが故の処罰とされ、事実、左眼帯の十兵衛は職を解かれてしまった。
その日の内に十兵衛は端金(はしたがね)のみを手渡され、独り城外に放り出されてしまったという。
経緯について、家光は近しい者にこう説明した。
――十兵衛は言ってはならぬ事を言ったのだ、と。
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