第6話 地蔵と宿木と宝物と。
太い国道から県道に。
さらに県道から市道、そしてさらにアスファルトの細い道。
いつしかその道も砂利になり土になり、細くくねっていく。
「まだカ?」
「まだだ」
車は細い道を揺れながら進んでいく。
田んぼや畑といった、比較的見晴らしの良い風景が、次第に木々に遮られ始め、左右に加えて上下にも道がくねり始める。たまに道幅が広くなるが、対向車は一向に来ない。
「まだカ?」
「まだだって」
そんなやり取りを繰り広げて30分ほど、細い道をさらに細く見せていた鬱蒼とした木々が途切れ始め、やがて青々とした田畑が目の前に広がる。
「もうすぐだ」
「やれやレ」
心なしか広くなった田舎道を進んで行くと広場に出る。その奥に進む道には木を組み合わせた古びた馬防柵が仕掛けられていた。
車をその前でとめると、野良着姿の男が数人、畑の中から車に寄って来る。
道充は車の窓を下げた。
「こんなところに何の用だね?」
年輩の男が麦わら帽子を脱ぎながら笑顔を向ける。
「この先に行きたいんだが」
道充が答えると男は首を振った。
「この先は私有地だ。悪いが立ち入れないんでね。みんなここで帰ってもらってる」
男は笑みを浮かべる。人懐こい笑み。
しかしその言葉は強く、道充を見る瞳は微動だにしない。
「多分その所有者の一人からの呼び出しだ」
そういって道充はダッシュボードから封筒を取り出すと男に手渡した。
男はその封筒を受け取る。
「見てもいいかい?」
「どうぞ」
男は封筒の中から手紙を取り出すと軽く目を通す。そして手紙を封筒に戻すと道充に返した。
「客人なら先にそうと言ってくれれば良いに。人が悪い」
「性分でね」
道充は封筒をダッシュボードに戻す。
男が目配せをすると、他の男たちが馬防柵を退かし始めた。
「そのお屋敷は向かって左手の道だ。まちがえんな」
「ありがとう」
「助っ人かい?」
「まぁそんなもんかな」
男の言葉に道充は軽く答える。それから男に聞き返した。
「俺たちの他には?」
「ああ、『長』の所にもなんか来てたねぇ。今回は派手になりそうかい?」
「さてね、あんたたちはどこなんだい?」
「わし達は三つ目さ」
そういうと男は笑う。
「まぁ気を付けてお行きなさい」
「どーも」
道充は軽く片手をあげると窓を上げ、開かれた道へと車を進めた。
車を進めると再び広場に出た。
先ほどよりも広い。
先ほどのものは車止めの意味合いがあったのだろうが、こちらは本来の意味の広場なのだろう。広場の周りにはいくつか建物も見える。そのいくつかは店に見えた。まばらながら人の姿も見える。
「左手っていってたな」
運転席で顔を巡らせる。
「あそこじゃないカ?」
そういってゴブ子が指さした先には、確かに店舗に挟まれて、道が伸びている。広場の左手。間違いないだろう。
道充はハンドルを左にゆっくりと切りながら、車を進める。
見慣れない車であるがゆえだろうか、足を留め、こちらを見る住民もいるにはいるが、これといった特別な反応はない。
車はそのまま左手の道に入り、進んでいく。
道はやはり土煙舞う田舎道だが、若干広く振動も少ない。
道の周りには家が建ち、集落としての様相を見せ始める。
その道の先に大きな屋敷が見える。
道の正面には遠目から見てもトラック一台が余裕で通れそうな扉を閉ざした門がそびえ、門のところで左右に伸びた道に沿うように背の高い塀が立つ。
「あれカ?」
「まぁ、そうだろうな」
近づくにつれてその門のありようがしっかりと見えてくる。
瓦葺きの屋根を持つ立派な門だ。
その作りは剛健さを重点に置いているのがわかるが、だからと言って優美さを損なっているかといえばそんなことはなく、剛健さゆえの優美を感じさせる門構え。
その門の前にラフな格好の初老の男が一人立っていた。
道充は車を門の前で停める。
初老の男は小さく頭を下げると門の脇の通用口から中に姿を消す。
程なくして門の扉がゆっくりと開く。
門の下には赤茶けた軌道が弧を描いて左右に伸びているのが見えた。
男は車に近づく。
道充は車の窓を下げた。
「お待ちしておりました」
「来るのがよくわかったな」
「狭い村ですから」
男はそう言って笑みを浮かべる。
男の誘導で駐車スペースに車を停めると道充は車を降りる。ゴブ子も車を降りる。
パーカーのフードを深くかぶっているとはいえゴブ子は異質だ。
しかし男は気にする風もなく道充とゴブ子を母屋へと案内した。
「立派な家だナ」
ゴブ子が小さく呟く。
「これなら金払いもよさそうダ」
「どうかなぁ」
「なんでダ?」
「審問会の意向が絡んでる」
「そっち経由の仕事なのカ」
「そういうことだ」
ゴブ子のため息が小さく聞こえた。
広い玄関を入り、分厚く大きな一枚石の沓脱石の上で靴を脱いでいると、広い廊下の奥から男性が、女性をひとり従えて道充たちを出迎えた。
通允よりも少し背の高い、肩幅の広い男だ。
ただがっしりとした印象は薄く、堅さよりもしなやかさを感じさせる。
髪の毛は短めにさっぱりと切り揃え、自然におろしている。
さわやかといえばさわやかだが、平凡といえばそうかもしれない。
田舎の青年会の会長と言われれば、なるほどと思ってしまうような、そんな雰囲気の人物。
後ろに控える女性は一見すると控えめな印象の美女だ。
その顔に表情は乏しく、まさしく凪いだ顔。
黒い髪を肩のあたりで切り揃え、細めの四角い眼鏡をかけたその姿はクールビューティーと呼ぶにふさわしい。
しかし冷たい印象なのかといえばそういうこともなく、自然な、春の日の、もしくは秋の日の、風の凪いだ一瞬を思わせるような、そんな雰囲気だ。
ただその身体つきが否応もなく存在感を醸し出す。
簡単に言ってしまえば物理的に大きい。
背丈は男性よりも高く、質感のある肉付をしている。
そして切り揃えた艶やかな黒髪の額の少し上あたりから、小さな突起が二つ覗いていた。
「ようこそおいでくださいました」
うえに上がった道充に男性は手を伸ばす。道充は帽子を脱ぐとその手を取り握手を交わす。その後男性はゴブ子にも手を伸ばす。ゴブ子もその手を取って握手をした。
「審問会の助力を受けられるとは思いませんでした」
「いえ」
道充は男性の言葉を制する。
「一応私個人で依頼を受けたことになっておりますので」
それから道充は少し顔をほころばせる。
「まぁ建前上は、ですが」
「そうでしたね。失礼しました」
男性も笑みをこぼす。
「こんなところで話すのもなんですから、まずは奥へ」
そういうと奥に向かって先に歩き出す男性。
その後に道充とゴブ子が続く。
女性は道充とゴブ子を出迎えるように首を垂れると、その後について歩き出した。
通されたのは十畳ほどの広さのある客間。
床の間には書と花が飾られ、部屋の中央には分厚い一枚板の座卓が据えられている。
道充は上座を勧められるがそれを固辞し、結局上座を脇に左右に向かい合って座卓につく。
「改めて、ようこそおいでくださいました。
「吉谷ピーアイサービスの吉谷通允です」
そういって道充は名刺を差し出す。
賢吾は差し出された名刺を受け取ると、座卓の脇に置いた。
程なくして先ほどの女性がお茶を運んできて道充とゴブ子の前に置き、賢吾の前にも湯呑を置くとその後ろに正座した。
「彼女は側近の
「祝梅です」
祝梅は大きな身体を滑らかに折り曲げ、深々と首を垂れる。
その身体をゆっくりとおこし、背筋を伸ばしてたたずまいを整えると、その視線は道充の脇へと延びる。
語尾子はその視線に応えるように、ゆっくりとフードを脱いだ。
「ゴブ子ダ」
ゴブ子の姿を見て無表情だった祝梅の口元が少し緩む。
「西洋の鬼には角はないのですね」
「鬼じゃないからナ」
「小鬼ではないのですか?」
「鬼じゃなイ」
「いや鬼みたいなもんだろ」
横合いから道充が割り込む。
「日本の鬼はオーガとは違うぞ?」
「そうなのカ?」
「鬼には地霊って意味もある」
「……それなラ、鬼カ。でも小さいは余計だロ。まぁ……小さいけどナ」
「それは……失礼いたしました」
祝梅は少し慌てた風に頭を下げる。
「他意はなかったのです。ただ、綺麗な金髪で、可愛らしいと思ったものですから、つい」
「可愛いっテ」
「調子に乗るのでおべっかはそれぐらいにしといてください」
道充の言葉にゴブ子は口をとがらせるがそれ以上の言及はしない。
そのやり取りに賢吾は笑みを浮かべ、祝梅の口元もさらに緩む。
「いい関係をお築きのようですね」
「そうなら良いんですが」
「これ以上の関係を望むなラ、子ど、いたァ!」
目を丸くする二人に対し、道充は笑顔を向ける。ただその口元が少し引きつっているのは否めない。
ゴブ子も笑みを浮かべるが、ほんの一瞬道充を睨んだ。
「お気になさらずに」
道充は滑りが悪くそう告げ、お茶を一口含む。
賢吾は小さくうなずく。
「で、早速ですが依頼の内容を確認したいのですが」
「そうですね」
道充の言葉に賢吾は一口お茶をすすってから居住まいを正す。
「一応確認させていただきます。この集落の『長』の話でしたか?」
「だいたいは。ここ50年ほどは
「で、それにとって代わろうと?」
「そうです」
「つまり集落の権力争いに加担しろと?」
「そうです」
「審問官である私に?」
「そうです」
「特異な状況におけるいざこざを取り締まる側だというのは承知の上で?」
「そうです」
真直ぐに通允を見据えて明朗に答える賢吾。そしてすぐに言葉を継いだ。
「ただ、いざこざというのはちょっと違うとおもいます」
「と、言うと?」
「正当な手順を踏んでの『長』継承の儀式です」
「なるほど」
道充はその視線を真直ぐに見据え返すと、小さく口元を歪め、首をすくめた。
「まぁ形式的に確認しただけです」
道充はゆっくりとそう告げた。
「
「
賢吾が身を乗り出すのを道充は小さく制した。賢吾はゆっくりと身を引き腰をおろす。
「失礼。ちょっと予想外だったもので」
「大協定の許しなく、審問官が動くことはありません」
そういってから道充は居住まいを正し、言葉をつないだ。
「もっとも私立審問官はその限りではありませんが」
そして笑みを浮かべる。
道充の言葉に目を見開いた賢吾であったが、すぐに相好を崩して頷く。
「無論、無論です。わたしはあなたに依頼した。その通りです」
「結構です」
道充も頷く。
「で、あれば依頼はお受けします。無論依頼達成のためには私の持つコネも総動員して力になりましょう。まぁそれはこっちの話ということで」
道充は軽く身体を乗り出すと右手を差し出す。
賢吾も身体を乗り出して右手を伸ばす。
ふたりの手が座卓の上で握られ、軽く上下に振られた。
「改めてよろしくお願いします」
「こちらこそ」
お互い手を放して立ち上がると、賢吾が部屋の外へと誘う。
「とにかく今日はお疲れでしょう。夕食まで時間もありますし、部屋でゆっくりしてください」
「ご案内します」
祝梅が一礼する。
「ありがとう。それはそうと、夕食までの間、村を散策しても?」
道充がそう告げると賢吾は頷く。
「かまいません。まだ始まっていませんから」
「それじゃぁちょっと散歩でもするか」
脇に立つゴブ子に道充が話しかけると、ゴブ子も頷く。
「夕食はなんダ? 肉が良いナ」
「大したものはないですが、猪なら良いのがありますよ」
ゴブ子の言葉に賢吾が笑って答える。
「猪カ。それは楽しみだナ」
「すこし長めに歩いて腹を空かせるとしようか」
道充もゴブ子に応えるようにそう告げた。
門を出て、車で来た道を戻るように歩く。
日は傾き始めているが、影はそれほど長くはなく、少し湿り気のある風が心地良い。
そんな田舎道を通允とゴブ子は連れ立って歩く。
たまに畑の中や道に近い家の庭にいる人々が、こちらに気がつくと会釈をしてくる。
梅本の客人ということはすでに広まっているのだろう。
物珍しそうな視線を感じることはあるが、忌避されている様子はない。
こちらも軽く会釈を返す。
そして再び歩き出す。
「どこまで行ク?」
「まぁとりあえずさっき通った広場あたりかな。店もあったし、様子を見るにはよさそうだ」
「あァ」
そのまま歩き続け、すこし身体が火照り始めたあたりで広場に出た。
「こんな遠かったっけか?」
「大した距離じゃないゾ?」
「疲れた。どこかに座りたいな」
「主はちょっと鈍りすぎダ」
道充はそのまま雑貨屋だか駄菓子屋だかよくわからない店へと向かう。その前に置かれた色あせた赤いベンチが目的だ。
「やれやれ」
道充はベンチに腰を下ろすとスーツの内ポケットから財布を取り出す。
「後ろの自販機で缶コーヒーを買ってきてくれ」
「無理ダ」
「なんで?」
「背が届かン」
「あー……」
道充は立ち上がると、赤いベンチと同じロゴの入った自販機に向かう。
「どれにするかな……あ、これ飲んだことない。でも甘いのか。食事前だからブラックが良いな。いつものでいいか。ゴブ子はどれ飲む?」
「主と同じので良イ」
「わかった」
道充は腰をかがめて自販機から缶コーヒーを取り出すと、ベンチに腰を掛け、座っていたゴブ子に一つを渡す。
「あー旨い」
「自分で淹れるかラ、こだわりがるのかと思ったガ、そうでもないのカ?」
「自分で淹れたのも、インスタントも、缶コーヒーも、それぞれそれなりに旨い」
「専門店で淹れたのハ」
「それは旨い。旨いが正直それを明確に判別するほどの味覚は持ってない」
「なるほド」
「コーヒーを淹れる難しさは、旨い不味いよりも、同じ味を安定して出すってところだと思うなぁ。まぁなんとなくだが」
「ふーン」
ゴブ子もプルトップを開けると缶を傾ける。
そして小さく息を吐き、遠きに目をやった途端、ベンチから飛び上がった。
「あいつハ!」
「あー、あいつがきていたのか……」
今にも走り出しそうなゴブ子を道充は制する。
ゴブ子の睨む瞳に映っていたのは小太りな人物。
その人物がこちらに気がついたように近づきながら片手をあげる。
「グッ」
「ステイ、ステイだゴブ子」
「なにがステイカ! 我は犬じゃなイ!」
今にも噛みつきそうな形相で道充を睨み、さらに低い唸り声をあげながら小太りの男を睨む。
「お久しぶりですね。吉谷審問官」
「そうでもないだろ」
道充はそう言いながら隣で唸るゴブ子を見る。
「こいつがずいぶん世話になったじゃないか」
「そのようなこともありましたな」
男は頭をかきながらゆったりと笑う。
「そのようなことですむカ!」
喰ってかかろうとするゴブ子を再び道充が制する。
「ドウドウ」
「馬じゃなイ!」
「ところでなんで馬は止めるときに『動(ドウ)』で動かすときに『止(シ)』なんだろうな?」
「知るカ!」
「仲がよろしいようで結構ですな」
「そんなことよリ!」
三度飛びかかろうとするゴブ子をやはり通允が止める。
「なぜ止めル! こいつはあの時我を辱めた輩のひとりだゾ!」
「仕事でしたので。あの件についてはご容赦願いたいですな」
「それに今ここでやりあうのも不味い」
道充はゆっくりとしかし強い口調で告げる。
「まぁ慌てなくてもいずれやりあうことになるさ。『長』に呼ばれたってのがお前らだろ?」
「そちらは梅本家に与するようですな」
「……知り合いだったのカ?」
ゴブ子は手にした缶コーヒーを飲み干すと缶をくず入れに投げ入れる。そして小さく息を吐いてから道充を見上げた。
「この業界は狭いからな」
道充も缶コーヒーを傾ける。
「自己紹介がまだでしたな」
男は小さく頭を下げた。
「某は
網乾と名乗った男の背後には、痩せた背の高いスーツ姿の女性が立つ。瞳の小さい白目がちな目を通允とゴブ子に向けると、滑るような笑みを浮かべた。
「しかし吉谷審問官とまたやりあうことになるとは、某もつくづく引きが悪い」
「それはこっちのセリフだ」
道充は缶コーヒーを飲み干すとくず入れに缶を投げる。
缶はくず入れの縁に弾かれ、間の抜けた甲高い音を上げる。
地面に落ちたそれは、力なく転がり、網乾の足元に落ち着いた。
網乾はそれを器用に蹴り上げると、空中にあがった缶を再び蹴り、蹴られた缶はそのままくず入れへと飛び込んだ。
「ともかくお手柔らかにおねがいしますよ」
そういって網乾は深々と頭を下げると、踵を返す。その後ろを船虫がついていく。
不意に網乾が振り返る。
「そうだそうだ、吉谷審問官」
「なんだ?」
「そこの売店」
そういって網乾は道充の座るベンチの背後にある、このベンチの持ち主であろう売店を指差した。
「なかでドクターペッパーを売っていましたよ。しかもなんと瓶のやつです」
「! まじか!」
道充は立上ると背後の売店に視線を向ける。
網乾は軽く片手をあげると、船虫を伴って去って行った。
「まじかぁ」
道充は二人が立ち去るのも気にせず、売店を見ながら思案気に顎をさする。
「どうしタ?」
ゴブ子が道充を見上げる。
「瓶のドクターペッパーだってよ」
「そう言ってたナ」
「しかし夕飯前だしなぁ。どうする?」
「知らんがナ」
ゴブ子は気の抜けた声で返した。
道充は帽子のつばを軽く押さえて上を見上げる。
緑色の天蓋からさらに高い青い天蓋が見える。
「思ったより暑くなりそうですね」
そう口を開いた道充の脇には、いつものパーカー姿のゴブ子。
そして賢吾と祝梅。
賢吾は昨日と変わらない格好をしていたが、 祝梅のほうは昨日よりも幾分ラフな格好をしている。
「主の恰好は浮いていないカ?」
そう言って道充を見上げるゴブ子。
一同がラフな格好をしている中で、道充だけがいつものスーツ姿だった。
「まぁいろいろこの服のほうが都合がいいんだよ」
道充はそう答える。
「靴だけは変えてきただろ?」
そう言って小さく上げた足には革靴ではなく、スーツには不釣り合いなトラッキングシューズが履かれていた。
「それよりも、やっぱりなかなか見つからないものですね」
そういって再び上を見る道充。
「見かけるときは結構見かけるんですけどね」
そういって賢吾も上を見上げた。
「宿木なんて何に使うんダ?」
同じように上を見上げて、そう口にしたのはゴブ子だった。
「何に使うというわけではないのですが」
ゴブ子にこたえるように賢吾が口を開く。
「まぁ儀式的なものです。形式的、と言うほうが正しいかもしれませんが」
「儀式カ。それならわからんでもないナ。どんな儀式なんダ?」
「余計なことは聞くなよ」
「構いませんよ」
窘める道充に賢吾は笑って答える。
「『長』に挑む際は
「ヒヒイロノエダ?」
「ああ、宿木のことです」
「ふム」
「かつて日緋色枝……宿木をお地蔵様に捧げさえすれば、いつでも『長』に挑むことができたそうですが、今では定期的に行われる合議によってその時が決められます。なので儀式的、形式的なものです」
「で、そのあとハ?」
「あとは『長』に挑み、『長』の持つ宝剣を奪い、その宝剣をもって『長』の建立したお地蔵様の首を断ち、しかる後に新たなお地蔵様を建立すれば、その者が新たな『長』となります」
「で、貴殿ガ『長』に挑むというわけカ」
「正確には私も、です」
その答えにゴブ子は首をかしげる。
「一応この集落は松原、竹林、梅本の三家から『長』を選ぶことになっています。『長』選びは『長』の家に他の二家が挑みます」
そこで賢吾は言葉を切って、少し笑みを浮かべた。
「もっとも竹林家はほとんど『長』になることに興味がなく、現在の『長』の松原家か我が梅本家、どちらかが『長』のなるのが通例です。竹林家は一応形式的に宿木を捧げ、挑む意思を示しますが、それ以上のことをしたことはありません」
「事実上二家を取り持つ役割の家ということですか」
道充の言葉に賢吾はうなずいた。
「それデ、やはりあれカ? オサは宿木を取られまいと妨害してくるわけカ?」
「昔はそんなこともあったらしいですが、今はそんなことはないですね」
「なんダ」
賢吾の言葉にゴブ子は小さく息を吐いた。
「ならまとまって探す意味は無いナ。二手に分かれたほうが良くないカ?」
「それもそうか」
ゴブ子の提案に道充はうなずくと賢吾のほうを見る。
賢吾も頷いてから、すこし首をひねった。
「さほど深い林ではありませんが、案内がいないと不便ですか?」
「問題なイ」
そう答えたのはゴブ子だった。
「
「
ゴブ子の言葉に道充はうなずくと、賢吾に向かってもう一度頷く。
賢吾もそれを受けて頷いた。
「それでは二手に分かれましょう。見つかってもそうでなくても、とりあえず昼には私の屋敷に帰るということで良いですか?」
「承知です」
賢吾は軽く手を上げて、祝梅は深く頭を下げて、奥へと進んでいった。
「じゃあ俺たちもいくか」
道充たちは賢吾たちより少し左手の獣道へと進んでいった。
「あれじゃないカ?」
そう言ってゴブ子が指さす。
青々とした枝葉の中ほどに、薄緑色の塊が垂れ下がっている。
「ああ、あれだ。いや、なかなか見事なものだな」
見上げた道充もしばしそれを見入る。
よく見れば小さな枝葉が生い茂り、その塊を作っているのがわかる。
日の光が透けて、まるで薄緑に輝くようなその様は、確かに神々しく見えてくる。
「さて、どうやってとる?」
「得意の銃で撃ったらどうダ?」
「これか?」
道充はスーツの下から古びた回転式拳銃を取り出すとしばし眺めてから仕舞う。
「いやいや、弾がもったいない」
「当てる自信がないだけだロ」
「否定はしない」
「否定しろヨ。まったク」
ゴブ子はため息をつきながら小さなナイフを一本取り出すと、おもむろに投げる。
その軌跡が宿木の上を通り過ぎると同時に、宿木が揺れもせずに枝から離れ、物理法則に従って動き出す。
「おみご……」
道充の称賛の言葉は途中で途切れた。
宿木が地面に落ちるその手前で、宿木が重力に逆らって横に動いた。
無論宿木自身が重力に逆らって横に動くはずもなく、風が押しやったわけでもない。
宿木を動かしたのは一陣の影だった。
その影が落ちてきた宿木を攫った。
そしてふたりの前に立つと、その宿木を上下に揺らして見せた。
黒いスーツを着た背の高い痩せた女。
どこを見ているのかよくわからない、白目勝ちの眼を通允たちに向け、口元を歪ませる。
ゴブ子は再び腕を振るう。
スーツ女も腕を振るう。スーツの裾が軽く巻き上がる。
軽い金属音。
「いきなりだねぇ」
振り上げた腕をゆっくりとおろすスーツ女。
その手には切っ先が鎌のように湾曲した鉈が握られていた。
「そっちが仕掛けてきたんだロ」
ゴブ子もパーカーの中に手を入れる。
手を外に出した時には両手に短剣が握られていた。
「確か船虫とか言ったか?」
道充は特に構えることもなく、ゆっくりとした口調で問いかける。
「網乾の所のやつだよな? 網乾はどうした?」
手にした鉈を軽く投げるように回転させながら、船虫はやはり口元を歪めながら首を斜めに傾げる。
「宿木取得の妨害はしないはずだが?」
「宿主取得の妨害はしない? そんな決まりもないよねぇ?」
「網乾は?」
「ボスは屋敷で寝てるんじゃなぁい?」
船虫は少し間延びした口調で言葉を吐く。それから首を左に、そして右に、さらにもう一度右へとゆっくりと大きく振る。そして最後に口を大きく歪め、両肩を小さく持ち上げた。
「みんなさぁ、ぬるくない?」
そして小さく息を吸い、そして大きく息を吐く。
「儀式とか建前とか、もうさ、手っ取り早く白黒つけちゃえばいいのにねぇ」
「つけるカ?」
そう答えたのはゴブ子だった。その口元が船虫と同じように歪む。
「あたしたちがつけたって仕方がなんだけどねぇ」
「わかってるならさっさと帰れ」
道充が口をはさむがゴブ子はすでに両手の短剣を構え、船虫も両手に鉈を構える。
道充の手が懐に伸び、それが止まり、元の戻ると肩をすくめる。
そして盛大に息を吐いた。
「ほどほどにしとけよ?」
「一応努力はすル」
言うが早いかゴブ子は身を低くして駆けだす。
低い下草が、船虫に向かって小さく揺れる。
ゴブ子の姿は下草に隠れて見えない。
下草の高さは低く、背の低いゴブ子の膝ほどもなかったのだが、それでも草にゴブ子の姿は溶けてしまっていた。
対する船虫は鉈を両手に構えたまま微動だにしない。
下草に生まれる微かな筋が船虫の足元へと延びていく。
そしてその筋が船虫の足元に到達するや否や、鋭い金属音が鳴り響く。
下草の中から飛び上がりながら短剣を振るうゴブ子。
ゴブ子の振るう短剣を鉈でいなしていく船虫。
ゴブ子が飛びあがったわずかの時間の合間に鳴り響いた金属音は五回。
その五回目はひときわ大きく響き、船虫も右腕を大きく振りぬく。
ゴブ子はそのひと振りに弾かれるように飛びのくと、地面には降り立たず、近くの木の幹へと着地する。そしてすぐさま飛び跳ねると隣の木の幹に着地し、間髪入れずに船虫へと飛びかかる。
船虫の顔面に次々と繰り出される切っ先。
しかし船虫はその切っ先を顔を傾けるようにしていなし、また鉈を駆使して弾く。
不意にゴブ子の真下から黒いものが突き昇ってくる。
ほぼ垂直に蹴り上げられた船虫の脚。
その衝撃を受け止めるようにして蹴り上げられるゴブ子。
そのまま枝葉をへし折りながら突き抜けていく。
その離れていく音が、今度は一転して近づいてくる。
枝葉を撒き降らせながら、ゴブ子が緑を突き破り、船虫の頭上に飛び出す。
船虫はそれを撃ち落とさんと鉈を振り上げた。
落ちてくるゴブ子は避けようもなく、かろうじて短剣で受けきれるかどうかだ。
しかしゴブ子は短剣を構えるでもなく、落ちるがままに突っ込んでいく。
船虫が振り上げた鉈はゴブ子の落ちる軌道に寸分たがわず合わさり、その中央を切り裂く。
まさに切り裂かんとするその時、ゴブ子の身体が重力に反するように空中で留まった。
船虫の鉈は、獲物を失い中空を斬る。
ゴブ子は蔦に絡めた足を素早く外すとそのまま船虫の頭上に短剣を突き立てる。
突き立たんとするその瞬間、船虫は身体を後方に跳ばせ、その凶牙から逃れた。
ゴブ子は地面につくや否や、ゴム毬のように身を弾ませ、飛びのく船虫に追い打ちをかける。
金属音が一閃二閃。飛びのく船虫、追いすがるゴブ子。
船虫の口か音を立てて息を吸った。同時に左の腕が大きく振り上げられる。
そこにできた大きな隙。
ゴブ子の短剣がその隙に滑り込む。
船虫はその短剣を右の腕で受けた。
短剣がその腕に突き刺さる。
それと同時に船虫の口から大きく息が吐き出され、左の腕が振り下ろされた。
ゴブ子は咄嗟に短剣を手放すと後ろに飛びのく。
振り下ろされた鉈はゴブ子を掠め、その脇の立ち木へと打ち付けられる。
鉈の刃は幹の半ばまで割り込む。
さらに耳障りな悲鳴を上げながら、幹を半ばまでかち割られた立ち木は、力任せにへし折られた。
船虫は右腕から短剣を抜くと、ゴブ子に向かって軽く放り投げた。
ゴブ子もその短剣を中空でつかむ。
双方口元をゆがめながら、ゆっくりと睨みあった。
双方とも動かず。
さすがに道充が止めに入ろうかと思案を始めたその時、ふたりの間に人影が割って入った。
「こんなところに落ちてた。よかった木に登らずに済んだ……おっと、すまん。取り込み中だったかい?」
そうのんびりと言いながら麦わら帽子を脱いで頭を掻いたのは、畑で声をかけてきた、野良着姿の年配の男だった。
「よっこらしょっと」
ふたりが見つめるのを気にもせず、ゴブ子の落とした宿木を拾い上げると、腰を叩きながら小さくそらす。
「まてまテ」
目を丸くしながらも、男を止めたのはゴブ子だ。ただその声は、今までのことをすべて有耶無耶にしてしまうほどに、のんびりと張りの無いのない声だった。
「それは我が見つけたものだゾ?」
「ありゃ、そうなのかい?」
男は手にした宿木をみると、ゴブ子に視線を向け、ゆっくりとゴブ子に近づいていく。
そしてゴブ子の前に立つと、もう一度宿木に視線を向け、再びゴブ子に視線を落とし、麦わら帽子を脱いでゴブ子に笑みを向けた。
「なぁお若いの」
「なんダ?」
「この宿木、譲ってくれんかね?」
男はそう告げてゴブ子に人懐こい笑みを向ける。
「宿木なら、あそこにもそこにもあるじゃろ?」
そういって男は林の上の方をいくつか指さす。
ゴブ子や道充がそちらに少し視線を移すと、確かに宿木が見える。枝葉に隠れて見つけにくくはあるが、言われてみれば結構あちこちにあるのが見て取れる。
「だったら自分でとればいいだろウ」
ゴブ子がそう返すと男は少し困ったような笑みを浮かべた。
「まぁそうなんじゃが、この歳になると木に登るのも大変でな」
「だめダ」
しかしゴブ子は明確に拒否する。
「それは我が見つけたから我のダ」
「そうかい。そりゃそうだ。無理言ってすまなかったね」
男はやはり笑いながら、手にしていた宿木をゴブ子に渡す。
ゴブ子は宿木を受け取ると、そのまま道充に近づき宿木を渡す。
それから近くの樹に駆け登ると、男が指さしていた宿木を一つ切り取り、それをもって男の前に戻った。
「これはお前が見つけたからお前のダ」
ゴブ子はそう言って男に手にした宿木を突き出す。
「これは……いやはやわざわざすまんねぇ」
男は宿木を受け取りながら繰り返し頭を小さく下げる。
「あんたの相棒かい?」
男は道充に顔を向ける。
「いい子じゃないか。大事にしなさいよ?」
道充は肩をすくめる。
「それよりもあなたは確か竹林家の?」
「ああ、竹林のお家に仕えさせて頂いておりますわ」
男は笑みを浮かべながらうなずく。
「竹林は継承儀式には興味がないという話ですが?」
「それでも儀式には参加せにゃならんのです。面倒な話ですが。お聞き及びじゃないですか?」
笑いながらそう答える。それから男はゴブ子を見た。
「まぁお連れさんのおかげで、今回は楽して宿木を手に入れることが出来ましたが。本当に、ありがとなぁ」
今度は深々と頭を下げる男。ゴブ子は片手をあげてそれに応えた。
男はゴブ子を見て、それから船虫を見る。
船虫の手にはすでに鉈はなく、初めに見せていた歪な笑みを浮かべている。
「さて、水を差して悪かったね。ただ、一応三家の一つに使える年寄りが、老婆心として言わせてもらえるなら、継承儀式の前にあまり事を荒立てるのは、程々になさったほうがよろしいでしょうなぁ。いや、咎め立てするつもりは毛頭ないが、あまりに意味がないのでね」
「ご忠告痛み入ります」
今度は道充が深々と首を垂れた。
男はもう一度軽く会釈をすると、その場から立ち去った。
「なんか、気が削がれたねぇ」
船虫は大きく息を吐くと踵を返した。
「じゃ、そゆことで」
そのまま振り返りもせず歩み去っていく。
「なにがそういうことなんダ?」
「知らんがな」
見上げるゴブ子に道充は、手に持った宿木を軽く振りながら小さく答えた。
豪奢な構えの門。
梅本家の屋敷の門も大きかったが、こちらの門はさらに大きい。
門自体が二層になっており、二階部分にも瓦葺きの屋根が付けられている。
いわゆる楼門だ。
門の脇には石垣が連なる。屋敷というより城郭だ。
ただ防衛拠点としての城郭というよりは、政治経済の拠点としての城郭のイメージに近い。
その屋敷が沢山の篝火によって赤く浮き上がって見える。
その門前に梅本賢吾、その隣にもう一人の壮年の男、
その背後にスーツ姿の祝梅、そして祝梅によく似た顔立ちの、袴姿に腹当を身に着けた、祝梅同様の角持つ女性が立つ。
さらにその背後にそれぞれの家の家人らしき人が四十人ほど従っている。
道充とゴブ子は祝梅の脇に少し離れて立っていた。
「約定により押し通る!」
賢吾が声を上げると背後から大きな掛矢を担いだ男が数人門の前に歩み出る。
そして固く閉ざされた門の前に立つと、手にした掛矢を振り上げた。
しかし、高々と掲げられた掛矢は勢いよく振り下ろされることはなく、申し分程度に門へと打ち付けられ、木と木がぶつかる軽い音が響く。
同じくして門が開かれた。
「儀式ですから」
賢吾は少し笑いながら道充たちのそう告げる。
そして門の両脇に控える掛矢を持った男たちの間を進む。
しかし一哉はその場に立ったまま動かない。
「俺は遅れて入る。あんたたちの戦いを見定めて、今後を決める」
そう告げる一哉に、賢吾は頷く。
「ご照覧あれ」
そう告げると賢吾は祝梅と道充、ゴブ子、そして家人二十名を引き連れて、その門をくぐった。
賢吾が門をくぐるなり、祝梅がその前に飛び出すと手にしていた短槍を身体の前で素早く旋回させる。
旋回する槍に弾かれる矢が地面に投げ出されていく。
道充は拳銃を抜くと屋敷の屋根に向けて引き金を引いた。
白い軌跡が飛んでいくのと同時に射かけられる矢が収まる。
「おみごと」
「なんの」
賢吾の声に道充が答える。
「弾の方は別経費で構いませんのでご存分に」
「それはありがたい」
さらに放たれる閃光。
白い軌跡は緩やかな弧を描くように屋敷の屋根を突き進む。
「今だ! かかれ!」
祝梅が槍を突き出し号令をかける。
後ろに控えていた家人が賢吾の左右から前方へと飛び出していく。
前庭を駆ける歌人たちの数人は弾かれるように後ろに倒れるが、大多数が玄関や鎧戸の閉じられた廊下へと貼り付く。
ここでも掛矢が振り上げられ、しかし先ほどの門のような儀式ではなく、力強く打ち振るわれるそれが、空気を激しく振動させる。
「我々も前に」
賢吾の言葉に道充は頷く。
「行くぞゴブ……」
脇に目を落とした道充の視線の先に、ゴブ子の姿はなかった。道充は口元を歪めると小さくうなずく。
「いい仕事だ」
小さく呟く道充。
「そういえば連れの方は?」
ゴブ子がいないことに気がついた賢吾が歩みを進めながら首をかしげる。
賢吾の前では祝梅が槍を振るい、家人二人が鉄でできた陣笠を盾にして賢吾を守る。
「あれは搦手が本分なんでね」
道充はさらに二発撃ち、弾倉を開けると薬莢を抜き取り、薬莢をポケットにしまうと今度は弾を込め始めながら答える。
「先行させています」
「なるほど。いつの間に。まったく気がつきませんでした。流石ですね」
賢吾は頷くと手にしていた日本刀を抜き放つ。そして高々とその手を突き上げた。
「行くぞ!」
応!
篝火を振るわせるほどの気勢が上がると、次々と屋敷の中へと飛び込んでいく。
梁の上をゴブ子は歩いていた。
屋根裏だというのに立って歩けるほどに高く広い。
梁も長い時間が染み込んで薄黒くなっているものの、全く軋む様子もなく、しかもゴブ子にしてみれば足元を気にするまでもないほどに太い。
この分だと床板の上を直接歩いたとしても問題ないだろう、ゴブ子はそう思いつつも慎重に歩む道を選ぶ。
耳をすませば外にあった喧騒が、次第に屋敷の中へ中へと踏み込んでいるのが聞いて取れる。
狙うは大将首。
と言いたかったが実のところそのつもりはない。
狙うのはあの網乾とかいう術師の男だ。
大将首はこちらの大将、賢吾が取る。
ならばこちらは助っ人らしく、相手の助っ人の首を取る。
それなら問題ないはずだ。
そのことも忍び込むのも道充にはいっていないが、その辺はわかっているはず。
そもそも正面切っての戦いよりもこういった搦手がゴブ子の得手だ。
ならばそうしない手はないし、それがだめならあらかじめ止めるだろう。
止めなかった以上、そう動くのが言われるまでもなく我の仕事とゴブ子は動く。
外観と梁のめぐり具合から、屋敷の中の構造はゴブ子にはだいたい推測できた。
そしてもう一つ、網乾についているあの女、船虫の気配。
それを手繰れば良い。
屋根裏の暗さなどはゴブ子には全く問題なかった。暗さゆえに見通しが良いとさえ感じられた。
フードを脱いで耳を巡らせる。
喧騒がさらにはっきりと、ゴブ子の耳に届く。
さらに奥へ。
太い梁の上を滑るように駆け抜け、左に伸びる幾分細い梁に音もなく飛び移ると、さらに駆ける。
「ン?」
その先で下から光が少し漏れているのが見えた。
天井板が少しズレているのカ?
ゴブ子はそこの少し手前で足を止める。
罠カ?
そう思った瞬間、自分の足元から何かが突きあげられた。
ゴブ子は踵を返してそれを避ける。
飛び込んできたそれは、曲がった切っ先を梁に引っかけるとそのまま引き下ろされる。
細いとはいえゴブ子が駆け抜けるほどの太さがある梁が音を立てて引き折られる。
ゴブ子は足場を失いつつも、短剣を抜き放ち、崩れる梁や天井板を踏み飛ぶ。
そして勢いをつけると頭から飛び込むように落ちる。
そこに再び鉈が突きあげられる。
その鉈に滑らせるように短剣を当ててゴブ子は身体を逃がす。
擦れ合う金属と金属が金切り声と共に火花を散らす。
さらにゴブ子は鉈を払うようにして身体を回転させると、その勢いで逆の手に持った短剣を振りぬく。
再び金属音。
それと同時にゴブ子の身体が弾かれるように飛び、しかしゴブ子は身体を反転させて、短剣を構えたままに床に降り立った。
「やっぱり来たねぇ」
両手の鉈を器用に回しながら、船虫はすこし上擦った声をあげる。
「足を止めなければ一気に駆け抜けれたかもだけど、用心深いのが災いしたねぇ」
「お前も探してたからちょうどいイ」
ゴブ子は床を蹴ると一気に間合いを詰める。
その間合いを払うように船虫が鉈を横に凪ぐ。
ゴブ子はその鉈を身を捻って、背面跳びのように避けると、軽く床を蹴って船虫に飛びかかる。
そこを狙いすましたように船虫が足を蹴り上げた。
蹴り上げられるゴブ子。
ゴブ子はそのまま天井に開いた大穴から天井裏へと飛び込む。
「逃げるなよぉ」
天井板に向け両手の鉈を突き振る船虫。
木っ端になった天井板が船虫の上に降り注ぐ。
その木っ端を、船虫は不意に鉈で横なぎに払った。
金属音と共に、壁に小さな投げナイフが二つ突き刺さる。
「当たらないよ……げ」
とっさに船虫が飛びのく。
それと同時に投げナイフに括り付けた火薬玉が炸裂した。
「無茶するなぁ」
「お前が言うナ」
黒煙の中なら飛び出すゴブ子。
飛びのく船虫。
飛びのいた船虫の先には襖があり、その襖をぶち抜いて船虫は中へと転がり込む。
手狭な板張りの廊下から畳敷きの広間へ。
追いすがるゴブ子に船虫は大きく手を伸ばして鉈を振る。
その下を掻い潜るように広間に転がり込んだゴブ子は起き上がりざまにナイフを投げる。
船虫は少し身をかがめて鉈の鉤状の部分を畳に突き刺すと力任せに剥がし立て、低い位置から突き上げるように投げられたナイフを受け止める。
さらにそのまま畳を大きく振り回し、ゴブ子に向けて投げ飛ばした。
鋭く回転する畳を軽く踏み台にして、船虫に襲い掛かるゴブ子。
鋼の疾風と鋼の暴風が金切り声を上げてぶつかり合い、周りを巻き込む狂風となる。
狂風は部屋の中を巻き上がり、最後には舞良戸を突き破って表へと飛び出す。
白く細かい玉石が曲線を描き、大きな石がその玉石のさざ波に浮かぶ庭。その静寂を二つの嵐がかき乱し、玉石が飛沫となって一面に乱れ散る。
船虫のひと振りを避けたゴブ子が、庭石の一つに舞い降りる。
船虫はゴブ子が舞い降りた庭石に、深々と割り込んだ鉈をゆっくりと引き抜いた。
「くくッ」
「けけっ」
ふたりのくちから歪な笑いが滴り落ちる。
そしてふたりは再びゆっくりと構えた。
先に飛び掛かろうとしたのはゴブ子。
しかし身体を前に出そうとしたその瞬間、庭石から転がり落ちる。
転がり落ちるときにゴブ子の視線がとらえたのは、小太りの男、網乾だった。
網乾の視線がゴブ子を絡め捕る。
「あっけないねぇ」
船虫の鉈が振り下ろされる。
ゴブ子の身体に鉈が打ち付けられるその瞬間、白い閃光が鉈を弾いた。
弾かれた右手に体勢を引きずられながら、後ろに飛びのく船虫。
ゴブ子も身体を伸ばして飛び起き、とんぼを切って後ろに退く。
「大丈夫か?」
「油断しタ。助かっタ」
ゴブ子は拳銃を構える道充の脇に立つと短剣を構える。
船虫は左手に持った鉈を右手に持ち替えると、網乾の前に立ち構えた。
「行けるか?」
「行けと言われれば行ク」
ゴブ子は短剣を小刻みに揺らす。
「あのデブを抑えてくレ」
「了解だ」
そう告げてから道充は言葉をつなげる。
「だが長くは無理だ。弾は六発で途切れる」
「十秒で決めル」
「承知だ」
その言葉と同時に閃光が飛び、その後を追うようにゴブ子が跳ぶ。
その閃光を避けるように網乾が船虫の陰に入り、船虫はゴブ子を迎え撃つように前に出る。
金切り音が二閃、三閃。
船虫の振り上げた鉈を、ゴブ子は両手の短剣で受け止めると、その身体は船虫の膂力で打ち上げられる。
ゴブ子は打ち上げられた身体を回転させて立て直すと、両手を後ろに回す。
そして頭から船虫の頭上めがけて突っ込んでいく。
身を引き締めた、弾丸のごときその体勢が、不意に崩れて弱まった。
ゴブ子を見つめる二つの目。
網乾の視線に絡め捕られたゴブ子の身体は木端のごとく墜落していく。
その身体を白い閃光が襲う。
しかもその閃光は、網乾からでも船虫からでもなく、ゴブ子の背後、道充の拳銃から放たれたものだ。
放たれた閃光は山なりに弧を描き、ゴブ子に上方から突き刺さる。
しかしそれがゴブ子の身体を突き抜けることはなかった。
その閃光はゴブ子が身体に密着させていた二つの短剣を弾いていた。
短剣を弾いた衝撃は、そのままゴブ子を斜め上方から弾き飛ばす。
斜め上方から弾き飛ばされたゴブ子の身体は、その反対、斜め下方に跳ぶ。
その軌道の先にいるのは網乾だ。
網乾が顔をゴブ子に向ける。
そこに襲い掛かる閃光。
道充の銃撃が網乾の視線を掻き乱した。
落ちる木端が再び弾丸へ。
ゴブ子は短剣を自身の前方に構え直すと、さらに身体を伸ばす。
視線を上に向けようとする網乾の頭上を閃光が遮る。
その横合いから鉈が回転しながら飛び込んで来る。
その鉈を閃光が弾く。
ゴブ子が短剣を振りかざし、突き下ろす。
顔を上げようとする網乾をさらに閃光が阻み、駆け寄ろうとする船虫の足元の玉石が閃光で弾け飛ぶ。
ゴブ子が短剣を振り下ろし、その切っ先が網乾へと届く。
まさにその瞬間、ゴブ子は短剣を翻し、何かを弾き、その反動で自らの身体も弾き飛ばされ、身体を捻って飛び降りる。
ゴブ子と網乾、その間に立ち塞がったのは一本の短槍。
「そこまで、です」
そう言葉を発したのは賢吾だった。
服は破れ、髪は乱れ、その顔は半分が赤く染まっている。
右手には豪奢な柄のついた煌びやかな剣を、左手には……左手には、白く長いひげを蓄えた人の首を、白く長い髪をつかんでぶら下げていた。
「『長』松原清運は討った。これ以上の流血は無意味。双方矛を収めてください」
賢吾の後ろに立っていた祝梅は、中庭に歩み出ると、突き刺さっていた短槍を抜く。
ゴブ子は網乾を睨み、祝梅を睨み、踵を返して船虫を睨み、その視線を道充に送る。
それから大きく息を吐くと、短剣を収めた。
網乾はすでに両手を軽く頭上に掲げている。
船虫もその場を動かない。
道充がゴブ子に近づくと、ゴブ子の頭を軽くたたいた。
「引き付けてくれたおかげて上手くいきました」
賢吾も中庭に降りると、清雲の首を庭石の上に置き、その首に向かって手を合わせる。
「ここまでするつもりはなかったのですが、清運殿も意地があったのでしょう」
「なんにせよ、ことが成ったのは重畳です」
道充がそう告げると賢吾は頷いた。
その賢吾の視線が道充から外れてその背後に向く。
「終わったようだね」
そう告げながら現れたのは一哉だった。
一哉の背後には袴姿の祝梅によく似た女性。
「一哉さん」
賢吾は一哉に向けて頷くと、その首は、頷いたまま、落ちた。
「貴様!」
怒号を上げて短槍を突き出す祝梅。
その穂先から飛び退く影。
その影は飛び退いた先で静かに立ち上がる。
「どういうことだ
一哉が声を上げる。
飛び退いたその影、十郎左は手にした刀を背後に回すと、深々と頭を下げた。
「あいつハ」
その影は、あの野良着姿の年配の男だった。
「『長』清運様、日緋色枝を捧げし梅本の賢吾様、双方倒れられた今、『長』を継ぐのは日緋色枝を捧げし最後の一人、一哉様でございます」
「謀ったな!」
声を上げる祝梅に対し、一哉は押しとどめるように手を上げる。
「俺は何も知らん! 『長』なんて面倒ごと、俺はお断りなんだ!」
「それはなりません、一哉様」
そう静かに告げたのは後ろに控えていた袴姿の女性だった。
「いまや『長』を継げるのは一哉様ただ一人」
「
そう叫びながら一哉は十郎座と祝竹と呼ばれた女、双方を交互に睨む。
「時代の流れに抗い、頑固に引き籠ろうとする清運様。時代の流れに乗ろうと、急流を選んで無謀な船出を進めんとする賢吾様。いずれにもこの地の命運は委ねられるものではありません。今こそは固くとも良くしなる、竹のごとき一哉様が『長』になるべき時なのです」
「良いではないか」
別の女性の声。ただその声質は祝梅や祝竹に似ていた。
屋敷の中から出てきたのは長刀を携えた着物姿の女性だった。
そしてその顔立ちは、祝梅、祝竹にそっくりで、やはりその額には角がある。
「祝梅に従うのは正直癪に障るが、祝竹になら従っても良い」
「
様子を見ていた祝梅が大きく息を吐くと構えた短槍を下した。
「……私も、祝松姉さんはごめんですが、祝竹姉さんなら止む無しとします」
「まったく祝梅は可愛くない」
「可愛くなくて結構です」
「ふたりとも」
「勝手に話を進めるな!」
一哉が悲鳴にも似た声を上げた。
「諦めてください一哉様」
「他家が承知するかよこんなの!」
「松原は従わせる。問題ない」
「梅本も従わせます」
「ありがとう」
頭を下げる祝竹。
「思慮深いが過ぎて、引っ込み思案な祝竹が、こうも思い切ったことに出たのだから、そうするが良いのだろうよ」
そう告げてから祝松が一哉に向き直る。
「姉妹は承知した。どうする? 一哉殿」
その言葉に一哉は大きく息を吐いた。
「『長』は面倒だが、いまさら家を手放すのも御免被る。姉妹の合意なら従うしかないなぁ」
一哉は頭を掻きながら視線を巡らせる。
「祝竹! 十郎左! せいぜい気張って俺を担げよ!」
祝竹と十郎左は深々と首を垂れた。
「どうなってル」
ゴブ子は道充を見上げた。
「三つ目の家が総取りってことだ」
道充は肩をすくませた。
「くたびれもうけだなぁ」
「そう言ってくださいますな」
そう言いながら近づいてきたのは十郎左だった。
「やっぱり食わせ物だったカ」
ゴブ子が十郎左を見上げる。
「どこでそうお思いに?」
「林で我に気取られずに現れタ。ただものな訳がなイ。だから恩を売っておいタ。返してくれるよナ?」
「はは、これはこれは」
十郎左は嬉しそうに笑みをこぼした。
「無論、宿木の恩は忘れていませんぞ。大協定とも仲良くしたいですからな」
「やっぱり知ってたのか」
「竹林は物見に長けておりますのでな」
そういうと十郎左は小さな声を上げて笑った。
道充はゴブ子を連れて屋敷を出る。
屋敷では三家が今後のことを話し合うようだがそこに顔を出すつもりはない。面倒になる前に出るのが吉、道充はそう判断した。
そしてそれを咎める者もいなかった。
いまだ凄惨な傷跡のこる屋敷を通り、前庭へと抜ける。
目の前に大きな門が見えると自然と息が吐き出された。
「おたがいやれやれですな」
ふたりの背後から声がかかる。
みれば網乾と船虫の二人。
「おっと、やりあうのはなしで。頼みますよ」
殺気を露にするゴブ子に対し、網乾は両手を上げて見せる。道充はゴブ子の頭を軽くたたく。
「そっちのほうが大損だろ?」
「そんなことはないですよ? 祝松様は支払いを約束してくださいましたから」
「なんだよ、相変わらず立ち回りがうまいな」
「そちらだって似たようなものでしょう?」
ごちる道充に対し網乾が言葉をつなぐ。
「こっちの後金は成功報酬だからなぁ」
「それだけですか? 違いますよね?」
網乾は笑みを浮かべた。
「すべては大協定の下に……違いますか?」
「まぁなぁ……」
そう言いかけてから道充は網乾を見る。
「まさかお前も……そういうことかよ」
「それ以上の詮索はお互い無しで、それでは某はこれにて」
網乾は深々と首を垂れると踵を返し歩み去る。
船虫もそれに続き、途中で振り返ると小さく手を上げた。
それをただ見送るふたり。
「どういうことダ?」
しばらくの沈黙ののち、ゴブ子が道充を見上げる。
「言っただろ? この業界は狭いんだよ。おまけにものすごく絡まりあってる」
道充も歩き出す。ゴブ子も並んで歩きだす。
「すべては
道充はそう言うと肩をすくめて見せた。
第六話完
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます