第3話 星影と包帯と曲芸師と。

……of a brook at evening tide……That ripples by a nook where ……

 事務所から少しかすれた、漂うような軽く小さな歌声が聞こえてくる。

「随分とご機嫌だな」

 その歌声の主に道充は声をかける。

 ソファーに浅く腰を掛けたゴブ子は上を見上げると両耳を動かし、笑顔を見せると再び顔を下す。

「というか、また磨いてるのか、それ」

 道充は手にしていたマグカップの片方をゴブ子の前に置くと、自身もわきのソファーに腰を下ろし、自分のマグカップに口をつけながら、横目にゴブ子の様子を見た。

「気に入ってくれたのは純粋にうれしいが、何もそこまで磨かなくても」

「わかってないナ」

 ゴブ子は手を休めてマグカップを手に取ると、相変わらず耳を上下に動かしながら手にしたそれを傾ける。

鼻腔をくすぐる香りに、ゴブ子の耳がさらに大きく動く。

 ゴブ子の足元に置かれていたのは長靴だった。

 濃い茶色をした長靴。

 トップエンドが外側に折られて二重になっている。

 幾重かのベルトが巻き付けられ、それらで足に固定する構造だ。

 そしてその靴底には、明確なソールはなく、革が足を包み込むような袋状になっていた。

 確かにこれなら靴底を通して足の裏に感触が伝わりやすいだろう。

 人間では足の裏が痛いかもしれないが、ゴブリンには都合が良いらしい。

 その長靴に、ゴブ子はぼろきれにしみこませたオイルを丹念にすりこんでいるのだ。

 その作業を暇を見つけては、いや、時間を作って何回も何回も繰り返している。

「確かにこれはものすごくいい長靴ダ」

「そりゃそうだろう。お前があれこれゴネて、特注も特注、信じられないぐらいの高級な一品にしたんだからな」

「だがナ、いいものが使えるものかといえばそれは違ウ」

「使えなきゃだめだろう?」

「そうダ、だめダ」

 長靴を磨きながら、ゴブ子は再び顔を上げる。

「いいものでもこうやっテ、手間暇かけテ手入れをしテ、身体になじませなければナ、そのままの『いいもの』ハ、手入れをした『わるいもの』より劣ることだってあル。まぁ程度にもよるガ」

「そんなもんか……まぁ、そうだな」

「主もまぁ。そこそこ使えるようになっタ」

「『いいもの』だからな」

「持続力はしょうがないとしてモ、もう少し余裕と積極性があればナ」

「……お前、日も高いうちから何の話をしてる?」

「さテ……おっト」

 とぼけるゴブ子がパーカーのポケットからスマホをつまむように取り出す。取り出してからそれをテーブルに置いた。

 テーブルの上で小さく暴れるスマホをよそに、ゴブ子は周りを見渡す。

 道充は立ち上がると奥の棚からウェットティッシュを取り出し、ゴブ子の前に置いた。

 ゴブ子はウェットティッシュで手をぬぐってから、すでに落ち着きを取り戻したスマホの画面をいじる。

「メールダ」

「お前に? 誰からだ?」

「例の審問官ダ」

「例の審問官ってあいつから? なんでお前に? 俺じゃなくて?」

「主に電話したが出ないって書いてあるゾ」

「え?」

 道充は再び立ち上がると寝室へと向かう。戻ってきたその手にはスマホが握られていた。

「ほんとだ。着信がある」

「主ナ、そういうところだゾ」

「へいへい。で?」

「……せんなみこうえン? に来るようにっテ、伝えてほしいト書いてあル」

「せんなみこうえん? ああ、千波公園か」

「仕事カ?」

「仕事以外で奴から連絡が来たことはないな」

 そういうと道充は奥の部屋に足を向ける。そのあとをゴブ子が追いかけた。

「行くのカ?」

「ああ」

 そこでゴブ子が少し訝し気な声を上げる。

「仕事内容の確認もしないでカ?」

「確認?」

 クローゼットからスーツを取り出しながら今度は道充が訝し気な声を上げる。それから小さく頷いた。

「どんな仕事だろうと断れないからな。聞くだけ無駄だ」

「なゼ?」

「私立審問官ていうのは、まぁなんだ、岡っ引きみたいなもんでな」

「おかっぴキ?」

「ああ、岡っ引きが解らないか」

「いやわかル。どぶだロ? 岡っ引きどブ」

「え? なにそれ? 俺がそれを知らんぞ?」

「今度見てみロ、面白いかラ。それはそれとして主の立場は理解しタ。下っ端は辛いナ」

「下っ端いうな。下っ端だけど。いや、俺が岡っ引きということは、お前は下っ引きってことか」

「何言ってル」

 ゴブ子は少し低い声で、しかし耳は上下に揺らしながら道充の言葉に反論する。

「どちらかといえバ、女房ポジションだロ?」

「女房だぁ?」

 道充は鼻で笑うが、ゴブ子は耳を上下に揺らしたままで言葉をつづける。

「下っ引きに同心や与力が連絡するカ?」

「む?」

「実ハ、われが岡っ引きで主が下っ引きだったりしてナ」

「むぅ?」

「……いヤ、そこはすぐに否定しろヨ……」

「いや、養ってもらえるなら俺は下っ引きでも……」

「いいから仕事しロ!」

 耳を突き立てたゴブ子が叫び声をあげた。




 警官が誘導灯を振っているのが見える。

 その手前でタクシーは停車した。

「この先は進入禁止です」

 道充がタクシーを降りると近づいてきた若い警官が丁寧な口調でそう告げる。

「私立審問官の吉谷です。国連審問官に呼ばれてきたのですが」

 道充は『国連』の部分に力をいれて答える。大抵はこれで通じる。

 が、今回はそうはいかなかった。

「誰も通すなと言われています」

 口調は丁寧ながら、怪訝な顔をする警官。

「なんだどうしタ?」

 ゴブ子が後ろから声をかけてくる。警官の顔がさらに渋くなる。

「その子は?」

「いや、こいつは……」

「少しお話を伺っても?」

「われらはあやしいものじゃないゾ」

「お前は黙ってろ」

 警官の目が鋭くなる。道充はそれに反して努めて温和な顔を作る。

「構いませんよ」

 努めて静かに答える道充に警官は頷くとインカムに何かを呟く。程なくして別の警官が駆け寄ってきた。

「ではこっちに。その子も一緒に」

 そういうと警官はその場を今来た警官に任せると、道充たちを先導して歩き出す。

 それに従ってついていく道充とゴブ子。

 道充の方は特に気にした風もなく、素直に警官の後ろについていく。

 ゴブ子はそれが不満なのか、パーカーのフードが横に大きく膨れている。

 警官は黒塗りの大型バンの前でふたりを振り返った。

「なかに入れ」

 そういってバンのドアを開ける。素直に従う道充。それにならうゴブ子。

「ようやく来ましたね」

 そこで待っていたのは例の審問官だった。

「なんでこんな回りくどい真似を?」

 車内は簡単な会議室のようになっており、そこに据えられた椅子の一つに腰を掛けながら道充がぼやく。ゴブ子も手近な椅子に腰を下ろし、フードを脱ぐと金髪に軽く指を通した。

 車内にはこの三人しかいない。

「そんなにきつい『案件』なのか?」

「ちょっとまずそうです」

 審問官は首を振ってから頷く。

「おそらく『指定案件』です。最悪の場合『解放処理』が必要になるかもしれません」

「まじかぁ」

「『解放処理』? なんだそれハ?」

「簡単に言えば皆殺し」

「ああ、なるほド」

「安易に物騒な言葉にしないで下さい。それにそうと決まったわけではないですよ」

 釘をさすように審問官が割って入る。

「とにかくまずは状況を説明します」

 審問官の言葉に道充は頷く。ゴブ子は気だるげに椅子から垂らした両足を交互に揺らし始める。

「事の始まりは警察に来た捜索願いからです」

「捜索願い?」

「それが比較的狭い地域で多数通報があったらしく、調べていくと『サーカスを観に行く』と失踪前に言っていたケースが多数あることがわかりました」

「サーカス?」

「その先の千波公園に、サーカスのテントが建てられているのは確認できています」

「そんな公演予定あったのか?」

「いいえ」

 道充の問いに審問官は首を横に振った。

「サーカス自体、届け出の無いものでした。ただ初日は無料で公開するというチラシが配られていたのは確認できています。どうもそれを見た人々がそこそこ観に来たようです」

「そしてそれが帰ってこない、と」

 審問官は頷く。

「届け出の無い公演でもあり、すぐに警察が立ち入ったのですが」

「それも帰ってこないわけだ」

 再び審問官は頷いた。

「いきなりサーカスのテントが現れたことなどもあり、『案件』の可能性があるということでこちらに話が回ってきました」

「で、見立てでは『案件』なのか?」

「間違いないでしょうね。ただ詳しいことはまだ何もわからないので、とりあえず『不法占拠』の名目で警察は出ています。周辺閉鎖の理由は『サーカスが猛獣を不法に所有している可能性』と『その動物が適切な検疫を受けていない可能性』としているのが現状です」

「相手ハ?」

「まだなんとも」

 ゴブ子の問いに審問官は短くそう答える。

「中の状況は何もわかっていません。まずはそこから手を付けるしかないですね。まぁぶっちゃけると誰かが入って見てくるしかないわけで」

「だったらわれが見てこようカ?」

「またそういう安請け合いを」

「じゃあ主が行くカ? どのみちそのために呼ばれたんだゾ?」

「本当に話が早くて助かります」

 審問官は細い眼をさらに細めて笑顔を見せる。

「ま、主が心配してくれるのは純粋に喜んでおク」

 耳を揺らしながら見上げるゴブ子に対し、道充は眉をひそめて舌を打つ。その様子を見てゴブ子はさらに耳を揺らす。

「冗談は置いておくとしテ」

「冗談なのかよ」

「報酬の方は弾んでもらうゾ?」

「それはもう」

 審問官は笑顔で頷く。

「で、どうすル。見てくるだけでいいのカ?」

 そう答えてからゴブ子はパーカーの下に隠した短剣を取り出す。

「何なら始末してきてもいいガ?」

「そこまでは必要ありません」

 審問官は笑いながら手を挙げて制した。

「ただそうですね……場合によっては私たちが突入しやすい状況を作ってもらえれば」

「ひっかきまわすのは得意だろ?」 

「それは任せロ」

 ゴブ子は頷いて短剣を片手で器用に回す。

「それは置いて行けよ?」

「なんデ!」

「お前やりすぎるからな」

 ゴブ子はしばし道充をにらんでから、パーカーの下から鞘を出すと短剣を収めて机に置く。それから三本の小ぶりなの短剣も机の上に置いた。

「そっちの小さいのは持って行っていい。しかし、本当に大丈夫か?」

「心配してくれるのカ? われがいないと夜が寂しく」

「さっさといけ!」

 耳を上下に跳ねさせながら小さい短剣をパーカーの中にしまうゴブ子に、審問官が何かを差し出す。

「これを持っていってください」

「これハ? 皿?」

 それはゴブ子の手のひらにも収まるほどの小さな白い皿だった。ただ黒くのたうつ様な文字らしきものが皿の真ん中に描かれている。

「それを割ると」

 そういいながら審問官がもう一枚の皿を出した。似たような白い皿。

「こちらの皿も割れます。それを合図と致しましょう」

「ふーン……」

 ゴブ子は皿を上にかざして眺める。それからテーブルに置いた短剣を手に取るとその皿の端を軽く小突いた。

 皿の端が欠け、白い粉が落ちる。と同時に審問官の手にした皿も小さく欠けた。

「了解しタ」

 ゴブ子はそう言って皿をしまう。

「こけて割るなよ?」

「われがこけるようなことがあれバ、それはやばい状況にあるってことダ。すぐに来てくれヨ?」

「抱き起して『痛いの痛いの飛んでけー』ってしてやるよ」

「くクッ」

 ゴブ子は小さな笑みをこぼす。無論耳は動きっぱなし。

「いいからもういけ!」

「お気をつけて」

 ふたりの言葉にゴブ子は鋭い歯を見せて応えた。




 歓声が聞こえる。

 ゴブ子はいくつも建つ小ぶりなテントと数台のコンテナやキャンピングトレーラーの陰に隠れながら、それらに囲まれるようにして建つ、ひと際大きなテントに近づく。

 そのひと際大きなテントの中から歓声が聞こえる。

 ゴブ子はその大きなテントの、わずかな隙間からその中へと身体を滑り込ませた。

 滑り込んだ先は暗い。

 ゴブ子の耳に届くのは、周囲から小さく響く木材の軋む音と、大きく板が打ち鳴らされる音と、低くこもった歓声。

 狙い通り観客席の下に潜り込んだことをゴブ子は確信した。

 突然現れたという話だったがそれにしてはしっかりしたつくりにも見える。どうやって作ったのか興味はあるが、今の仕事とは関係ないので、ゴブ子はその疑問を頭の隅に追いやることにした。

 ゴブ子はその場でかがむと新調した長靴を軽く外側から揉む。そして小さくうなずいた。

 とにかく状況を把握するのが最優先。身をかがめた低い姿勢のまま、柱や梁の隙間を縫いながら観客席の端を目指す。そこからなら表の様子を伺えるだろう、そう考える。

 柱や梁には触らないように、慎重に、静寂に、しかし迅速に駆け抜ける。

 ゴブ子の足が再び止まる。

 そのままじっと動かない。

 ただその耳だけが、左右にゆっくりと動く。

ちなみにパーカーのフードはかぶっていない。

 小さく響く木材の軋む音。

 聞こえてくるのはそれだけ。

 観客の笑い声や叫び声、興奮で踏み叩かれる床の音。

 それらが一切聞こえない。

 ゴブ子は軽く目を細めるが、その手は短剣にも皿にも伸びなかった。

 いや、違う。

 ゴブ子は危険の中にいるのは肌で感じたが、危機が訪れているとは感じられなかった。

 さらに耳をそばだてる。

 息を呑むような、張り詰めた、しかし心地よい空気の感触。

 耳を立てる。

 ……great sy ph ic……Th t's Ste……by starl……

流れ込んできたのは歌声だった。

 ゴブ子の耳が勢い良く伏せられる。

 微かに届く緩やかでどこか淋しい声色。

 ゴブ子はパーカーのフードを被ると先に見える観客席の端を目指した。




 ……everything on Earth to me…….

 舞台の中央に立つ赤い服を着た少女がゆっくりと首を垂れる。

 夕暮れ時の一瞬のように静まり返った観客席。

 そこにぽつり、ぽつりと星が輝きだし、ほどなく満天の星空へと変わる。

 その喝采に再び少女は首を垂れると、喝采を背にして舞台を降りた。

 ゴブ子はその喝采に紛れるように、身をかがめて少女を追う。

 喝采の煌きの中にゴブ子の影は完全に紛れ、気に留める人は誰もいない。

 そのままゴブ子は舞台の下に身を滑り込ませる。

 舞台の床下でゴブ子は一泊足を止め、再び身を馳せる。

 さらに床下からテントの端へ、テントの隙間から外を伺う。

 素早く身を翻してテントの隙間から外に出る。

 そこでゴブ子の動きが止まり、再びテントの陰に。

 そしてゆっくりと外を伺う。

 テントの外のコンテナの前。

 そこに小さな赤い影と大きな黒い影。

 大きな影は赤い影を襲わんばかりに覆いかぶさり、再び起こり始めた歓声にかき消されているものの、空気を震わせるような怒号を上げているのがわかる。

 大きな影はさらにその腕を振り上げる。

 赤い影かさらに小さく縮む。

 しかしその腕が振り下ろされることはなく、怒号とともに目の前のコンテナに突き出された。

 赤い影は小さく縮んだままコンテナの中に消える。

 大きな影はそのままコンテナから歩み去った。

 ゴブ子は大きな影が立ち去るのを見届けると、赤い影が入ったコンテナに素早く近づき、その裏手に回った。

 可動式のコンテナハウスに近いが、外見からはあまり快適な居住ができるようには見えない。

 壁は普通のコンテナのように波打った鉄製だが、普通のコンテナよりもはるかに薄い。内壁はあるのかもしれないが、あまり厚そうな感じはない。

 高いところに格子付きの小さい窓がいくつか見える。

 太いケーブルが一本、どこからかつながっている。

 あとは何もない。

 窓と扉をふさいでしまえばただのコンテナと区別がつかないぐらい質素なものだ。

 他の住居もそうなのかといえば、見た目快適そうなコンテナハウスもあるのでそんなこともない。

 ゴブ子は中の様子を伺おうと、その茶色に塗られた鉄製の壁に耳を近づける。

……n……o……e……

 何かが聞こえる。

 おそらくは少女の声だろう。

 ゴブ子は自然と聞き耳を立てる。

……y h……rt……I……ree

 歌だ。

 少女が歌を歌っているのがわかる。

 ゴブ子の耳が吸い寄せられていく。

 ゴブ子の耳がフードの中で鋭く突きあがる。

 次の瞬間、ゴブ子はコンテナの壁を激しく突き飛ばす。

 無論コンテナが突き飛ばされるはずもなく、結果ゴブ子の身体がコンテナに突き倒される。

「やばかっタ……」

 投げ出された身体を起こしながらゴブ子はつぶやく。

 ただ引き込まれた意識を取り戻すために、強引にコンテナを突き飛ばした力は全く制御できてはいなく、無様に地面に転がってしまった自分にゴブ子は舌を打つ。

 そして立ち上がろうとしたところを、別の力が押さえつけた。

「なんだお前?」

 ゴブ子を地面に押さえつける力の上から声がする。

「……仕事中ダ」

「仕事ぉ?」

 ゴブ子の言葉に抑える力が少し弱まる。

 しかしゴブ子は無理に動かず、首を小さく縦に動かした。

「お前みたいな子供が……いや、小さいだけで子供じゃないのか?」

 フードが引きはがされる。さらに抑える力が弱まる。

「なんだお前!」

「俺知ってる。こいつゴブリンだ」

「ゴブリン? ああ、聞いたことはあるな。こいつがそうか。しかしなんでこんなところに?」

「あのさ……団長の手下じゃないですか?」

「団長の?」

 さらに押さえつける力が弱まる。

「何も連絡は受けていないが、団長のことだからなぁ……変な動きは見せるなよ?」

 最後の言葉にゴブ子は何度も頷いて見せる。

 ゴブ子の身体を押さえつける力が無くなる。

 ゴブ子はゆっくりと起き上がると両手を上げ、口元を少しゆがめて見せる。

 目の前にはゴブ子を押さえつけていたのであろう屈強な坊主頭の男と、痩身だが引き締まった感じのある男。

 ゴブ子の表情を見て、坊主頭は唾を吐き、痩身の男は肩を竦めた。

「……まぁいい。とりあえずそこに入ってろ」

 そういって男が示したのは少女が入ったコンテナだった。

 ゴブ子が静かにうなずくと、痩身の男がコンテナのドア脇に掛けられた鍵を手に取り、ドアにつけられた簡素な南京錠を開ける。

「ほら」

 そしてドアを開けた。

 ゴブ子は素直にステップを上がってその中に入った。




 部屋と呼ぶには簡素に過ぎるが牢と呼ぶほどのものでもない。それがゴブ子の印象だった。

 少しくすんだ白い内壁の部屋。 

 小さなクローゼットにテーブルに椅子。

 壁際の箱の上には小さなテレビ。

 天井には照明と空調。

 そしてテレビとは反対の壁にパイプベッド。

 そのパイプベッドの上に少女は腰を掛け、目を丸くしてこちらを見ていた。

「あなたはどなた?」

 ゴブ子の目前に居るのはあの赤い服を着た少女。

 背中まで伸びる髪はゴブ子と同じ金髪だが癖がなく真っ直ぐで、ゴブ子の金髪よりも色味が薄い。

 肌も白く薄く、ただ双眸のみが深く碧く光を引き込んでいる。

 ここにいるのはわかっていたはずなのに、いざ対峙すると言葉が出ない自分にゴブ子は少し苛立ちを感じる。

「いけない、怪我をしているのね。ちょっと待って」

 そういわれてゴブ子は初めて痛みを感じた。

 見れば、まくれ上がったパーカーの袖からのぞく左腕に、擦過傷が出来ていた。淡く血がにじんでいる。

 少女はベッドから降りるとクローゼットに向かい、下部の引き出しを引く。

「包帯はあったはず……あて布はこれでいいわ……あ、傷口洗わないと、どうしよう、ここに水道ないし……」

 クローゼットから戻ってくる少女の手には包帯と一枚の少しくたびれた感じのする白い布があった。

「あ、これでいいかしら」

 それらをテーブルに置くとテーブルに置いてあったミネラルウォーターのペットボトルを手に取った。

「ここに座ってもらえる?」

 少女はテーブル横に置いてある椅子を軽く叩く。

 ゴブ子は頷くと素直に椅子に腰を掛けた。

 少女は白い布を手に取ると、その端を噛み切り、縦に引き裂く。

 もう一度引き裂いて二枚の布に分けると、その片方を手に取り、それを水で湿らせる。

「ちょっと痛いかもしれないけれど、ごめんなさいね」

 少女は湿らせた布でゴブ子の傷口を静かに叩くようにして汚れを落としていく。

「痛い?」

「……大丈夫ダ」

「よかった」

 少女は微笑むと、もう一枚の布を取り傷口に当てる。それから包帯を巻き始める。

「……あら? えっと……こうだったかしら?」

 悪戦苦闘する少女。

 ゴブ子はしばらく眺めていたが、余りの悪戦苦闘ぶりに思わず口元がほころぶ。

 そして自然と手が出た。

「……こうダ」

「え、こう?」

「そウ。そのままゆっくリ」

「はい……」

「よシ。その端を結んでくレ」

「はい……出来た!」

「うン。ありがとウ」

「どういたしまして。ほとんどあなたがしたようなものだし」

「そんなことはなイ」

 ゴブ子はまかれた包帯を撫でながら耳を上下に動かす。

「中の布ハ、おまえの服だったのだろウ? 一枚ダメにしてしまっタ」

「いいの。もう着ない服だったし」

 そういって笑いながら少女は自分の着ている服をつまむ。

「歌を歌うようになってから、綺麗なお洋服をもらえるようになったの」

 それから少女は周りを見渡す。

「部屋も綺麗になったし、ベッドもテレビもあるし、ご飯もちゃんともらえるし、シャワーも使わせてもらえるし、痛いことは少なくなったし、以前に比べれば夢のような暮らし」

 そういってから少女は微笑む。それから何かを思い出したように立ち上がった。

「そうだ! こっそりとっておいたキャラメルがまだあるの。一緒に食べましょう? 飲み物は水しかないけれど」

 それから再びキャビネットに向かう。

 戻ってくるとテーブルを動かしベッドのそばに置いた。

 そして自分はベッドに腰を掛け、テーブルの上に紙包みを置いて、その包みを解く。

 中には茶褐色の四角い粒が二つ。

「とっておきなの!……あ、えっと……ごめんなさい」

 急にうつむく少女。それからゴブ子を伺うように顔を上げる。

「ここにいるってことは、あなたも捕まってしまったということだから、本当は喜んじゃいけないことなのに……いつもひとりぼっちだったものだから、つい……」

 ゴブ子は何も言わず、包みに手を伸ばすとキャラメルを一つ摘み上げて口の中に放り込んだ。

「ン……甘くて旨イ」

「でしょう!?」

 少女も笑みを浮かべてキャラメルを摘まむと口に運んだ。

「……んん! 甘い!」

 少女も頬を綻ばせる。

「……舞台で歌ってたノ、おまえだよナ?」

「観てくれてたの?」

 嬉しそうに答える少女にゴブ子は頷いて見せる。

「あの歌ハ?」

「ごめんなさい。タイトルは知らないの。母さんが良く歌って聞かせてくれたから覚えていただけで。私本当は雑用をしてたんだけど、口遊んでいるところを団長に気に入られて、歌うことになったのよ。歌うのは楽しいし、綺麗な服も着られるし、この歌には感謝しなくちゃだわ」

星影のステラStella by starlight、ダ」

 ゴブ子の言葉に少女の目が見開かれる。

「やっぱり!」

 そして嬉しそうにうなずく。

「歌詞の中に何回も出てくる言葉だから、そうじゃないかと思ていたの。それにね」

 少女は自分の胸のあたりに両手を置く。

「私の名前、ステラっていうの」

「われモその歌ハ好きダ」

「本当? うれしい」

 それから少女は少し首を傾げた。

「お名前を聞いてもいいかしら?」

「そうだナ。われはゴブ子と呼ばれてル」

「ゴブ子?」

 さらに首をかしげる。

「変わった名前ね」

「誰だかわかれバどうでもいイ」

「そう? うーん……まぁいいわ。それから、えっと、ゴブ子さんは……」

「ゴブ子でいイ」

「そう! えっとゴブ子は妖精よね?」

「まぁそうだナ」

「小さい頃はよく見たわ。最近はなかったけど」

「そうカ」

「それでね」

 話を続けようとするステラの身体が小さく跳ねて強張る。

 ゴブ子の耳も小さく立つ。

 程なくしてコンテナのドアが開いた。

「おとなしくしているようで何よりです」

 背の高い燕尾服を着た男が入ってくる。その後ろにはゴブ子を押さえつけた坊主頭。

「あれが団長カ」

「違うわ。あれは副団長。でも団長はいつもはいないから、実質彼が一番偉い人よ」

 少し棘のある声で、ステラは小さく答えた。

「ん? ステラ、つまみ食いは感心しませんね」

 テーブルに置かれた包み紙を見て、副団長はステラを睨む。身を縮こませるステラ。

「まぁ、今はその話ではありません。そっちのゴブリンです。仕事中と答えたそうですが?」

「ン?」

 ゴブ子は首をひねって見せる。

「おいおいとぼける気かよ!」

 後ろから怒号を浴びせる坊主頭を副団長が制した。

「違うのですか?」

「……いヤ、言ったかもしれないガ間違ってタ。難しいナ」

「間違ってた?」

「仕事を探してるっテ意味で言ったんダ」

「ほう?」

 副団長は興味深そうにうなずいた。

「何ができます?」

「ナイフならちょっとは見せられるゾ」

「ナイフですか、いいでしょう。ついてきなさい」

 副団長は踵を返す。それから少し振り返った。

「ステラもきなさい」

 そして坊主頭を伴ってコンテナの外に出ていく。

 ゴブ子も立ち上がる。

 ステラは緊張気味に身を縮こませていた。

「いこウ」

「う、うん……」

「つまみ食いハ、いっしょに怒られてやるかラ」

 そういってゴブ子が口角を上げると、ステラもぎこちないながらも笑みを浮かべて立ち上がった。




 ゴブ子たちがコンテナの外に出ると、数人の団員が待ち構えていた。

 その中には、少し前にステラを怒鳴っていた、ひときわ大きな身体をした男もいる。

 女も何人かいるようだ。

 そのうちのひとり、痩身の男に団長が近づく。

 痩身の男は頷くと手を腰の後ろに回し、それから何かをゴブ子に向かって放り投げた。

 淡く銀色に輝くそれをゴブ子はひとつ受け止めるとすぐに上に放り投げる。

 次の一つを受け止め、それも上に。

 最後の一つも上に。

 そして最初に受け止め投げ上げたそれがゴブ子の手元に落ちてくる。

 受け止めて上へ。

 受け止めて上へ。

 受け止めて上へ。

 しばらくそれを繰り返し、最後にはすべてを手の中に収める。

 握られていたのは三本の小さなナイフ。

「まぁその程度はできるか」

 痩身の男は脇に立つ女から何かを受け取る。そしてそれを上に放り投げた。

 そこにめがけてゴブ子はナイフを投げる。

 地面に落ちたのは三本のナイフが刺さったリンゴだった。

「よし、ステラそこに立ちなさい」

 副団長が指さした先は、ゴブ子の立つ場所の反対、ステラの足で八歩ほど離れた場所。

言われた通り、ステラはそこに立つ。

 ステラに女が近づくと、両腕を水平に挙げさせ、両手にリンゴを乗せる。

 さらにステラの頭の上にもう一個。

 合計三つのリンゴがステラの上に置かれた。

 何をしろというのかは問うまでもなかった。

 ゴブ子は不安そうにこちらを見るステラに、小さく微笑んで見せた。

 ゴブ子が手を横にやると痩身の男が四本のナイフを手渡してきた。

 ゴブ子はそのナイフを受け取ると矢継ぎ早に投げる。

 右手、左手、そして頭上。

 次々とナイフが刺さる。

 次の瞬間、別の何かがステラの顔面中央に向かって飛んだ。

 それをゴブ子は残った一本のナイフで弾き飛ばす。

 ステラの目の前で甲高い音を上げて左右に弾かれ、落ちたのは二本のナイフだった。

 ステラは目を丸くして微動だに出来ない。

「大したもんだ」

 別の一本を投げた痩身の男は口元を歪めて頷いた。

「リンゴの方は力を加減して落ちないように投げてるし、不意の一本は力を込めてきちんと弾き飛ばしてる。魅せることを考えて、この短い間に緩急定めて正確に投げるなんざ、なかなかだ」

「ふむ」

 副団長はあごに手を当ててゴブ子を見る。それから女に目をやり、ステラに目をやってから女に向かって頷いた。

 女はステラに近づくと、硬直したままのステラからリンゴを下ろす。

 リンゴの重しから解放されたステラは、大きく息を吐き、そのままゴブ子に駆け寄った。

「怖かったよ! 信じてたけど」

「ははハ」

 頬を膨らませるステラに対しゴブ子はただ笑って見せた。

「流石はゴブリンということでしょうか。確かに曲芸師としては使えそうです。ひょっとして他の仕事もできますか?」

「他のしごト?」

「そう、例えば……」

 副団長の口元が歪に持ち上がる。

「殺しとか?」

「こういうのカ?」

 ゴブ子は腰に手を伸ばすと素早く前方に振りぬける。

 それからステラの手を引いて走り出した。

「なんだ?」

 突然のことに団員たちの動きが一瞬止まる。

 何か大きなものが倒れた。

 倒れたのはひと際大きな身体の団員。

 その手は喉を掻き毟るように固まり、そこから薄く血が流れだしている。

 そして喉には一本の小ぶりな短剣が刺さっていた。

「な! 追いなさい!」

 副団長が声を上げる。

 その後ろでもう一人が倒れる。

 坊主頭の男だ。

 こちらは首の右側を抑えている。

 地面に赤黒い染みが広がっていく。

 それを見て団員たちの足が鈍る。

 しかし騒ぎを聞きつけた団員たちが左右から駆け付け始める。

 追い込まれるように、ゴブ子はステラの手を引いて、一番大きいテントの中へと駆けこんだ。




 テントの中に逃げ込み、ステラの手を引きながら、殺到する団員を潜り抜け、ゴブ子たちがたどりついたのは、開けた明るい場所だった。

「レディース アンド ジェントルメン!」

 鳴り響くアナウンス。沸き起こる歓声。

 ゴブ子とステラはサーカスの舞台の上に追い込まれていた。鳴り響くのはあの副団長の声。

 舞台下から舞台を見上げ、マイクを片手に怒鳴っている。

「いたいけな少女を連れ去ったのは醜悪な小鬼!」

「醜悪な小鬼っテ、われのことカ?」

 沸き起こる歓声の中愚痴るゴブ子。

 ステラの方は相変わらず目を回して固まったまま。

「離れてロ」

「……え、でも……」

「大丈夫ダ。その方がわれもおまえも安全ダ。いケ!」

 ステラをつき飛ばすゴブ子。

 ステラは前のめりになりながらも、どうにか舞台端までたどり着き、そこでゴブ子を顧みる。

「観念したのか諦めたのか! しかし小鬼退治は始まったばかり!」

 煽るアナウンスに盛り上がる観客席。

 舞台の上に衣装をつけた団員たちが上り、ゴブ子を取り囲む。

 ゴブ子の方は短剣を右手に持ち、左手を隠すように腰の後ろに回す。

 腰の後ろに短剣はもうない。

 しかしゴブ子の投擲の腕と隠された左手に警戒して、その囲みはなかなか縮まらない。

「どうした! 小鬼を討ち取る勇者は誰だ! 討ち取れば王様からご褒美! 逃がせばきっとお仕置きだ!」

 その言葉に右後ろにいた男が角材を振り上げて飛び込んでくる。

 ゴブ子はそれを飛び上がりながら左に身体を捻って避けると、その勢いで男の顔を蹴り飛ばす。

 よろける男に追撃を加えようとしたその場所に、手品用の突剣がつき出される。

 ゴブ子はその刃を蹴るようにして飛びのく。

 しなった突剣の刃が大きく揺れる。

 着地したゴブ子の上に三方から巨大なハンマーが振り下ろされる。

 ゴブ子は飛び上がってハンマーから逃れると、突き合せた三人の頭の上を踏み飛んでその場から離れる。三人はやっとのことで床を突き破ったハンマーを持ち上げるが、その勢いで尻もちをつく。

 湧き上がる笑い。喝采。歓声。

「さぁさぁ盛り上がってきたぞ!」

 副団長がさらに煽る。

 ゴブ子は舞台の上を縦横無尽に飛び回り団員たちを翻弄する。

「くソッ」

 ゴブ子は飛び回りながら顔をしかめる。

 実のところゴブ子は焦っていた。

 相手の攻撃をかわし、うまく立ち回っているのも関わらず、一向に舞台から降りることが出来ない。

 このテントの中、観客席も床下もすべて使えるのであれば、もっと有利に立ち回れる自信がある。

 しかし舞台の上に閉じ込められてしまうと、小鬼の役に囚われたように、どうにも動きがままならない。

 このままでは相手のシナリオ通り、小鬼として討ち取られてしまう。

「いよいよクライマックスだ! 可憐なる少女、歌姫よ! 皆に勇気を与えておくれ!」

 副団長の言葉に舞台の端がせり上がり、楽器を携えた団員が現れる。

 そして曲を弾き始めた。

 曲名は無論『星影のステラStella by starlight』。

 しかしそれははじめにステラが歌っていたそれとは違い、アップテンポでビートの効いた、明るく痛快な曲調。

 その曲に憑かれたように、ステラが朗々と歌いだす。

 アップテンポでビートの効いた、明るく痛快な、それでいて全く変わらぬ声色で。

 湧き上がる観客。

「ぐゥ」

 ゴブ子は薄い唇の端を噛む。

 鋭くとがった歯は唇を噛み裂き、そこから血が滲む。

 そうでもしないと歌に意識を持っていかれそうになる。

 軽快な音に乗せられたかのように、団員たちの攻撃は激しさを増し、勢い余って同士討ちも起こり始めるが、そのたびに巻き起こる笑い声と歓声に、さらに突き動かされるようにゴブ子を追い回す。

「いい加減ニ!」

 ゴブ子はシャベルで殴りかかってきた団員の攻撃を身体を回転させて避けると、低くなった相手の頭、その首筋に短剣を突き立てる。

 舞台の上で真っ赤な飛沫が水芸宜しく吹き上がる。

 震えるような歓声。

 シャベルの男は血が噴き出すのもかまわずにゴブ子の手をつかむ。

「しマッ」

 ゴブ子の身体が宙に振り上げられ、舞台に打ち付けられる。

 ゴブ子は身体を丸めて受け身を取るが、腕を握られていては無傷というわけにはいかない。

 血煙を上げながら、暴走する蒸気ロボットのようにゴブ子を舞台に打ち付ける団員。

そのたびに湧き上がる歓声。

そのたびに吹き上がる血煙。

 三回ほど打ち付けたところで、吹き出す赤い煙は底をつき、団員はその場にひっくり返る。湧き上がる笑い声。

 よろけながら立ち上がるゴブ子。

 目の端でステラを追う。

 エンドレスに歌を歌い続けるステラ。

 その声は枯れることもなく、深い碧い瞳がただ宙を見つめている。

「……まいっタ」

 ゴブ子は完全に囲まれていた。

 団員は剣やハンマー、デッキブラシに、曲芸用の棍棒など、様々な得物を手にもってゴブ子を取り囲む。

 対するゴブ子は徒手空拳。

 歌の影響なのか、常軌を逸した雰囲気の中で、中途半端な攻撃は何の意味も持たないのは明らかだった。

 しかしすんなりやられる気もない。

 ゴブ子は口角を上げ、口を大きく開く。鋭く尖った歯が剥きだされる。

 最前列にいた突剣を手にした男が、手にした剣のごとく鋭く踏み出す。

 飛び上がってその首に食らいつこうとするゴブ子。

 しかし二人が接することはなく、甲高い破裂音と共に突剣の男が頭から脇へと倒れこんだ。

 反射的に男が倒れた方と反対側の観客席を見上げるゴブ子。

 団員たちもわれに返ったようにそちらを見上げる。

 ただ歌と歓声はそのままだ。

 続けて二発、三発と破裂音。

 そのたびに団員が倒れていく。

さらにゴブ子の周りに呪符が飛び、淡い光を放つ。

ゴブ子は次第に呼吸が楽になっていくのを感じた。

「なに遊んでるんだよ」

「ご無事ですか?」

 ゴブ子の視線の先には観客席に立つスーツ姿の二人の男。

片方は手に拳銃を持ち、もう片方は呪符を指に挟んでいる。

その後ろに幾人かの警官の姿。

「大体なんでそんなボロボロになるまで引っ張ってるんだよ」

「確かに大半をここに集めてくれたおかげで侵入は楽でしたし、周りの処理も手短にすみましたが、もう少しこちらを頼ってくれても問題ありませんでしたよ?」

「……」

 ゴブ子の手が腰のほうに伸びて何かを探った。

「……あーまさかお前! 自分で割ったんじゃないのか! 忘れてたとか言わないよな!」

「その話はあト! 『飛んでけー』もいらなイ!」

「まじかぁ」

 道充はさらに二発、銃を撃ちながら左手に持っていたものを放り投げる。

ゴブ子は宙に飛び上がり、それを手に掴む。

それは置いてきたゴブ子の短剣。

ゴブ子は鞘から鋭い刃を抜き放つ。

「まずは歌を止めてください!」

 審問官の声にゴブ子は目の前の団員の頭を踏み台にしてさらに跳躍する。

追いすがる団員。

しかしゴブ子はそのままステラには向かわず、踵を返すと追いすがる団員に飛び掛かった。

突然の襲撃に、それでもサーカス団の団員らしく即座に反応を見せる。手にしていた大型レンチを横なぎにふるう。

ゴブ子はその横なぎに払ったレンチを足掛かりにして、さらに跳躍するとレンチ男の両肩に両足を乗せる形で飛び乗る。

そして男の脳天めがけて短剣を突き下ろす。

人の頭蓋に刃物はそうそう通らない。しかしその短剣は熱したナイフがバターに刺さるかのように、あっさりと脳天を貫く。

男が倒れるよりも前にゴブ子は男から飛び降りる。さらに目の前の団員に斬りかかろうとするが、その団員は銃声と共にゴブ子の目の前で倒れた。

「いいから早く行け」

 弾を銃に込めながら道充が叫ぶ。

ゴブ子は踵を返すとステラに駆け寄った。

「しっかりしロ!」

 ゴブ子は歌い続けるステラにしがみつき、ステラの鼻のあたりから、見上げるようにしてゆする。

しかしステラの瞳は宙を舞い、さらに激しい口調で透明な歌声を吐き続ける。

「ゴブ子!」

 銃声と共に道充の怒号が飛ぶ。ゴブ子の後ろで団員の一人が倒れる。

「……しかたなイ」

 ゴブ子はそうつぶやくと右手に持った短剣を突き上げた。

宙を漂うステラの目が大きく見開かれる。口からは微かな歌声が息とともに漏れ、次第に途切れ、落ちていく。

そしてその身体がゴブ子に覆いかぶさるように崩れた。

ゴブ子はステラを受け止めながら、短剣を引き抜く。

その手を赤い血が濡らした。

ゴブ子はステラを舞台に横たえると、そのまま曲を奏で続ける団員に突っ込んでいく。

ステラが歌うことに憑かれたように、彼らは楽器を弾くことに憑かれていた。

ゴブ子に抵抗することもなく次々と切り伏せられていく。

そして屍を踏み飛んで腰の砕けた副団長の前に降り立った。

「まってくれ!」

 副団長は叫び声をあげる。

「取引だ。取引をしようじゃないか」

 すでに立った姿の団員の姿はなく、ほどなく審問官と道充がゴブ子の後ろに立つ。

「取引とは?」

 審問官が静かに問う。

「私の知っていることは何でも話す。計画もすべて話す。だから命だけは」

「知っていることですか……」

 審問官は首を傾げ、道充を見た。そして頷く。

「どうすル?」

 ゴブ子が道充を見上げる。

「どうするも何も……」

 道充は肩をすくめる。

「『解放処理』だ」

「わかっタ」

 ためらいもなく、ゴブ子の短剣は副団長の首を掻き切った。

 

  

 

 惨状を前に正気に戻りつつある住民たちを、警官が一人一人なだめながら確認し始める。

しばらくして警官の一人が報告に訪れた。

「いかがでした?」

 丸い古めかしい鏡をのぞき込んでいた審問官は、顔を上げると警官に報告を促す。

「付近で行方不明になった住民のすべてがいることを確認しました」

「先に来た警官は?」

「……残念ながら遺体で見つかっています」

「そうですか……保護した住民の人数は?」

「事前情報の通り六十三名です。ただ……」

「なんです?」

「こんな状況ですからやむを得ないとは思うのですが、全員が大なり小なり記憶障害を起こしています。ひどいと自分の名前も忘れてしまっていたりで、痛ましい限りです」

「そうですか。ご苦労様でした。みなさんはしばらく住民の対処を。あと全員この天幕の中で待機するようお願いします」

 警官は敬礼すると住民のほうに戻っていく。

「で?」

「残念ながら」

 道充の問いに審問官は首を横に振った。

「走査した結果、全員が剥離状態です。今の報告からもその兆候は伺えます。このままでは影響が他に飛散するでしょう。飛散すれば倍々ゲームで剥離が起きて、さらに飛散する。ここで処理しないと、被害が拡大するばかりです」

「あの歌声か」

「おそらくは」

「ステラの歌声を聞くとまずいのカ?」

 ゴブ子が道充を見上げる。

「われもずいぶん聞いたゾ」

「俺だって聞いたさ。だけど俺は私立とはいえ審問官だ。その俺とおまえはファミリアになっているからな。お前も大協定グランドパクトに登録されて保護対象になっているから問題はない」

「他ハ?」

 ゴブ子の問いに道充が審問官を見る。

「最悪です。残念ですが」

「まじかぁ」

 道充は天幕で見えない天を仰いだ。

「弾足りるかな」

「請求は受け付けます」

「はぁ……」

 道充は大きくため息をつく。

「どうするんダ?」

「だから全部『解放処理』だ」

「ぜんブ?」

「全部」

 そう言いながら道充は発砲した。

観客席に座る住民に向けて。

鉛ではなく閃光が住民の一人を射抜く。

何が起きたかわからず、崩れ落ちる一人をただ見つめる両脇にすわった住民。

「なるほド」

 ゴブ子も短剣を抜くと観客席に飛び込み、手当たり次第に斬り始める。

「手短に一撃で! それとあまり散らかさないで下さい!」

 審問官が声を上げた。

「回収に手間がかかってしまいますから!」

「な、何をする! やめろ! やめないか!」

 警官の一人が怒号を上げて拳銃を抜いた。

「……こいつらハ?!」

「全部だ全部!」

「わかっタ!」

 ゴブ子は拳銃を構えた警官に飛びかかると、発砲する間も与えずに撫で斬った。

「まったく……確実に地獄行きだぜ」

 弾を込めながら道充がぼやく。

「地獄に行けるなら、それこそ審問官の本懐でしょう」

 審問官も呪符を投じ、逃げ惑う住民の動きを縛り、住民を守ろうとする警官の動きを封じる。

大人も子供も、男も女も、住民も警官も、分け隔てなく、次々に倒れていく。

「このままいけば地獄も何も、全部壊れて、なくなってしまうのですからね。そうさせないための大協定グランドパクト。すべては大協定グランドパクトの下に」

「すべては大協定グランドパクトの下に……か」

 そう呟きながら、道充は最後の一人を撃った。


                          第三話完

 

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