第2話 タヌキと秘密と長靴と。
道充は洗い物をするゴブ子の後姿に目をやった。
椅子の上に立ち小さく揺れる肩と、波打つ金髪から飛び出た耳が、上下に動いているのが見える。
すこしケトルを傾け、サーバーの底に数滴のしみができたところで戻す。
そしてゴブ子の耳が30回上下してから、道充は再びお湯を注ぎだした。
ほのかだったコーヒーの香りが次第に湧き立ってくる。
その香りが鼻孔を和らげた。
ゴブ子がテーブルに着くのと入れ替わるように道充はシンクに向かう。
そしてコーヒーの入ったサーバーをもってテーブルに戻ると、並べたカップにコーヒーを注ぎ一つをゴブ子に差し出す。
「豆も買ってこないとな」
ずいぶんと減りが早い。
毎日二人分淹れているのだから当たり前だ。
道充ひとりだと億劫でたまにしか淹れなかったのだが、相手がいるとまめに淹れる気にもなるということだ。
「このあとちょっと付き合え」
「ん? 仕事カ?」
コーヒーを飲みながらゴブ子が答える。
「いや、例のサファイアを売りに行こうと思ってな。何かと入用だからな」
その言葉にゴブ子が露骨に顔をしかめた。
「またわれをはめるつもりじゃなかろうナ?」
「信用無いなぁ」
「あると思ってたのカ?」
「当然だとも!」
道充は大げさに両腕を広げてみせる。
「少なくとも俺はお前を信用している」
「またそういうことヲ」
ゴブ子は顔をしかめてコーヒーをすすりながら、両耳を上下に揺らす。
「だから臥所では無警戒に間抜け面をさらしてるわけカ」
「俺の安らかな顔を拝めるなんてありがたく思えよ」
「ありがたいから切り取っテ、よく磨いた銀製のコンポートにでも載せて飾っておくカ?」
「やめてください死んでしまいます」
道充は軽く答えながらコーヒーカップを傾ける。
「そこまで言うならサファイアはお前が持っていけばいい」
「そもそもわれがいく必要があるのカ?」
「ファミリアになる以上は、顔をつないでおいた方がいい相手なんだよ」
その言葉にゴブ子の耳が立ち、さらに上下に揺れる。
「なるほド。それならば仕方がないナ!」
「本当に仕方がないな!」
ため息交じりに言い捨てる道充に対し、ゴブ子は鋭い歯をのぞかせて思いきり口角を上げて見せた。
階段を上って地上に出る。
道充は帽子を深くかぶりなおす。ゴブ子もかぶっていたパーカーのフードを深くかぶりなおす。
「いい天気だ」
「ン」
道充の呟くような言葉にゴブ子も独り言のような返事を返す。
連れ立って歩きだす。
「上着はいらなかったなぁ」
「だナ」
「でもお前、パーカーは脱ぐなよ?」
「わかってル」
「少し薄手のパーカーも買っておくか」
「そうしてくレ」
「……なるほどなぁ」
「ン?」
ゴブ子が道充を見上げる。フードの陰から覗く小さなまゆが微かに動いている。
「いやなに……」
道充はゴブ子を見下ろして口元をゆがめるとすぐに視線を前に戻した。
「本当に誰も気にしないのな」
「だろウ?」
ゴブ子も視線を前に戻した。
頭からすっぽりとかぶったフードは耳のあたりが少し膨らんでいる。
フードを深くかぶってはいるが、全てが隠しきれるわけでもなく、たまに金色の髪が揺れ、見慣れた肌とは程遠い色をした顔が覗く。
ズボンのポケットにいれた手も、入れっぱなしということはなく、出せば人のそれとは似て非なる形や色が見て取れる。
たまに顔を上げればフードの奥で微かに光る赤い瞳も見えるだろう。
それでも気に留める者はいなかった。
平日の昼間ということもあり、それほど多くの人が歩いているわけではない。
しかし閑散というにはほど遠いほどの人通りはある。
春らしからぬ陽気に戸惑うように、上着を片手に、足早に歩くサラリーマン風の男。
日傘を片手に、日差しから逃げるように、日陰を探しながら歩いていく女性。
この陽気を楽しむように、談笑しながら歩いていくご婦人の一団。
歩くような速度でゆらゆらと過ぎていく自転車。
すれ違い、または追い越していく彼らが道充とゴブ子に気が付いていないわけではない。
あるものは避け、あるものはスマホから視線を上げてまた戻し、あるものはただ通り過ぎていく。
ゴブリンという非日常とすれ違っているのに、それはただ通行人がすれ違っているというだけで、それ以上でもそれ以下でもない単なる日常の気にも留めない、記憶にも残らないような一コマとなっていた。
もしかすると微かな違和感を覚えた人物もいたかもしれないが、それは本当に微かで、そのまま流れて忘れ去られる。
それが現実だろう。
ようするに他人のことなんか大して気にしていない。そういうことなのだ。
「ま、そんなもんだよな」
「そんなもんサ」
歩きながらそんな、なんということも無い会話を交わす。
会話を交わすうちに他愛も無いことが道充の頭の中に点々と浮かんでくる。
道充はそのひとつを何とはなしに口にした。
「そういえばネットカフェに行ったこともあるんだよな?」
「あるゾ」
「動画を見たりは?」
「あるゾ」
「ヘッドフォンとかどうするんだ?」
確かにゴブ子の耳ではヘッドフォンはうまくかぶさらないだろう。道充は純粋な興味から聞いてみた。
「カナル式なら結構いけル」
「なるほどなぁ」
ゴブ子の答えに道充は純粋に感心してしまう。
それはゴブ子の順応力に対してのものだった。
店先の並べられた木箱の中には無造作に商品が入れられている。
茶色の茶碗。白い茶碗。青い茶碗。花柄の茶碗。
雑多になって箱の中に並べられ『特売品一個100円』の札が箱につけられている。
その奥にしつらえられた台には皿や茶碗がきれいに並べられている。
店先の脇の方には大きな水瓶も置かれている。
「ここは何ダ?」
「瀬戸物屋」
「せともノ?」
「ああ……陶器製の器類だな」
「それは見ればわかル……ついでに食器を買いに来たのカ?」
そういってゴブ子は特価品の茶碗を手に取る。白地に濃い青で意匠化された大きな花柄の描かれた小ぶりな茶碗。
「これなんかいいナ。これで特価品なのカ? 普段使うには十分だロ」
「なかなかきれいだな。そういえばお前用の茶碗はなかったか……って、いやいや食器を買いに来たわけじゃない」
「違うのカ?……ああ、そういうことカ」
ゴブ子は何かに気がついたように頷いた。
「見たままの店じゃないってことカ」
「そういうことだ」
道充はそう答えると店の中に足を踏み入れる。それから振り返った。
「気になるものがあるなら帰りにいくつか買ってやるよ」
「そうカ? うン」
ゴブ子は耳を動かしながら手に取った茶碗を箱に戻し、道充の後を追う。
「いらっしゃい」
髪を無造作に後ろで縛り、デニム地のエプロンをつけた若い女性の店員が道充に声をかける。
「おやじはいるかい?」
「下にいますよ」
「ありがとう」
そのまま道充は店の奥へと進んでいく。
奥には所狭しと新聞紙に包まれたままの食器類と思しきものが積まれ、店というよりは倉庫のような体を醸し出している。
しかし道充は気にした風もなく入り込んでいく。そのあとをゴブ子が追う。
「割るなよ?」
「誰にものを言ってるんダ?」
さらに奥に進む道筋の手前で、道充は右に並んだ食器の壁の合間に入り込む。
その先には下へと延びる階段。
それなりに幅にある階段だが、両脇に古びた壺や大きな徳利、皿などが並べられていて、通れる場所はやはり狭い。そして何よりも急だ。
その階段を下に進み、やはり物で埋め尽くされた踊り場を曲がってさらに下へ。
「少しは片づければいいのニ」
「少し片づけたぐらいじゃかわらんだろ」
「わかってないナ。片づけるのが重要なんじゃなイ。片づけ始めるのが重要なんダ」
「……なるほど」
「片づけ始めるのガ」
「わかった、わかったよ。俺も片づけ始める」
「まぁ期待はしてないけどナ」
「なんだそりゃ」
道充は後ろから漏れ聞こえるゴブ子の小さな笑い声にまゆをひそめながら、さらに降りる。
降りきったところで再び少しひらけた場所に出る。とはいえやはり雑多なもので埋め尽くされた場所。
その先に縄のれんがかかっている。
道充はそののれんの奥へと足を進める。
その部屋の中も所狭しと物が並べられている。ただのれんの外とは違い、ある程度『陳列』されている様子はうかがえた。
比較的整然と並べられたガラスケースの中には印籠や根付、懐中時計や小柄など、細々としたものが特に区別されるでもなく、考えられた雑然なのか、無秩序な整然なのか、微妙な配列で並べられている。
ガラスケースの上には皿や扇などがスタンドに立てられて飾られ、ガラスケースの下にも飾り切れない雑多なものが押し込められている。
壁に目を移すと掛け軸や絵画、刀や槍なども飾られていた。壁際には和洋それぞれの甲冑も見える。
ただ壁際に行けば行くほど物は量を増し、陳列は雑然を通り越して、騒然と表現したくなる。
「お、いらっしゃい」
居並んだ物品のさらに奥にある狭い木製のカウンターの向こう側、そこにから少し甲高い、しかし不思議と柔らかい声がした。
声の主は丸顔の男性。
その丸顔に深く刻まれたしわ。
大きな目は白目が少なく目じりが少し垂れている。
鼻も大きく丸い。
白髪交じりの頭髪は短く刈り込まれているが、薄くなってきているのも見て取れる。
全体として声同様柔らかい印象の男だった。
「その娘が例のファミリアかい?」
「なんだよもう知ってるのか」
「この商売じゃ、耳が早くなけりゃ生きていけんよ」
店主は柔らかく笑うとカウンターから乗り出して目線を下に落とした。
「よろしくな」
「こちらこソ」
ゴブ子はそういうと道充を見る。
道充が頷くとゴブ子はパーカーのフードを外し、軽く頭を振ってから、つぶれた金髪を少し整えた。
「さて、さっそく商談と行こうか」
店主はカウンター越しに丸椅子を一つ道充に渡す。
道充はその丸椅子を受け取ると床に据えた。
その丸椅子の上にゴブ子が飛び乗る。
「で?」
「こいつを売りたイ」
そう言ってゴブ子は腰に付けたポーチから件のサファイアを取り出しカウンターに乗せた。
手を離すと転がりだすそれを店主が慌てて抑える。
「建付けが悪いナ」
「年季が入ってるからな。見ても?」
店主の言葉にゴブ子はうなずく。
店主は脇に置いてあった電気スタンドの明かりをつけるとサファイアを光にかざし、さらにルーペで丹念に調べ始める。
「これをどこで?……と聞くのは野暮だな。なるほど嬢ちゃんが持ってたのか」
「相変わらず、すでにお見通しって感じだな」
道充も脇に除けられていた丸椅子の、上に乗っていた壺を下におろすと、丸椅子をカウンターの前に運び込んでそこに腰を掛けた。
「お前も関わった、審問官の手入れが入ったあそこな」
店主はサファイアを手の中で転がし、光の反射を確かめるようにしながら言葉を続ける。
「知っていると思うが前々から目をつけられていたんだがな、目をつけていたのは何も審問官だけじゃなかったんだよ」
「あー……やっぱりそうなのか」
店主の言葉に道充はうなずく。
裏の世界からも目をつけられ、つまり狙われていたということだ。
「確かに力はあったが、ちょっと見境がなかったな。敵を作りすぎだ」
「で、それハ?」
「こいつもまぁ、少々強引な手段で手に入れた代物らしくてな」
店主はカウンターの下から幾重かにたたまれた赤い滑らかそうな布を取り出すとカウンターの上に敷き、その上にサファイアを乗せた。
「手入れの後に審問官に押収されたって話も聞かなくてな、だれがうまくやりやがったのかと思ってたんだが」
すまし顔のゴブ子の耳が上下に揺れる。
「まぁこいつは間違いなく高く売れる」
「そりゃありがたい」
「ただ問題もある」
そう続ける店主に道充が頷いた。
「そこまで有名だとあしがつきやすいか……」
「そういうことだ」
店主もうなずく。頷いてから丸い頬を緩ませながら笑顔を作る。
「無論無理って話じゃないぞ?」
「そのための金がかかるって話だロ?」
ゴブ子が店主の言葉に答えた。ただその声は特に棘つく様子はなく、淡々とした調子だった。
「時間も少しかかる」
ゴブ子の答えにさらに店主が付け加える。ゴブ子はその言葉に小さくうなずいた。
「やけに素直だな?」
道充の言葉にゴブ子は少し首をかしげて小さく目を見開いた。
「いわくつきの物をあしがつかないように売るにハ、それなりの情報や技術や知識や人脈が必要だロ? それらだって手に入れるにはそれ相応の金と時間がかかるだロ? それを使わせてもらうんだかラ、それ相応の対価を支払うのは当然だロ? 慎重に事を運ぶなら時間もかかル。当たり前だよナ? 違うのカ?」
「こういう物のわかった客ばかりならいいんだが……なぁ?」
覗き込まんばかりに道充の顔を見る店主に対して、道充は飄々と顔を背けて見せた。
「とはいえダ」
ゴブ子はカウンターの上に身を乗り出すと、すこしサファイアを自分の方に引き寄せる。
「こっちも仕事だからナ、そっちの言い値で『はいそうですか』というわけにはいかン」
それからサファイアを手に取ると軽くなでる。
「特に此奴はわれの胎を痛めた可愛いやつだからナ、高く買ってもらわないト」
「はらを? 痛めた?」
店主が不思議そうな顔をする。
「これに関してそんな妙な話は聞いたことが……そもそもゴブリンが宝石を産むのか?」
「与太だ。聞き流せよ」
道充は顔をさらに歪めながら店主に告げる。
「お前も。そもそも『胎を痛めた可愛いやつ』を売ったらいかんだろうが」
「ん? それもそうカ……まぁとにかく高く買ってくレ」
「承知した。嬢ちゃんはこいつよりも上客になりそうだからな、勉強させてもらいますよ」
「なんだそりゃ」
「ま、とにかく預からせてもらうよ」
店主は敷いた布でサファイアを丁寧に包むと奥へと入っていく。
軽快な歯車音の後に何かが外されるような重々しい金属音と微かな軋む音、そして再び重々しい金属音、軽快な歯車音。
「そうそう! それはそれとしてだ!」
そういいながら戻ってきた店主は手に抱えたそれを仰々しくカウンターに置く。
「なんだこれハ?」
そういって道充を見るゴブ子。道充は肩をすくませた。
「まぁ付き合ってやれ。最近新顔も珍しいからな、披露する相手もいないんだよ」
「んン?」
「まぁまぁそういうな。しがない老人の戯言に付き合うのもたまにはいいものだぞ」
「まぁ聞くだけならただダ」
「そうそう。付き合いが良いのは美徳だぞ?」
「デ?」
店主は嬉しそうにカウンターに置いた瀬戸物製の置物をなでる。
「こいつの秘密を解き明かせば、サファイアの方はよくよく勉強させてもらうってことで、どうだ?」
「秘密ゥ?」
ゴブ子は訝し気にその置物を眺め、それから店主を見て、もう一度置物を見る。
「実は親とかいうのカ?」
その答えに道充は噴出し店主は顔をしかめた。
「そんなわけがあるかい!」
「そっくりなのニ」
それはたぬきの置物だった。
「存外辛辣だな」
「苦労してる」
店主の言葉に道充は小さくうなずく。
「調べても良いカ?」
「ああ、気がすむまで調べていいぞ……って、何をするつもりだい?」
目を丸くする店主。
対するゴブ子はスマートフォンを取り出してたぬきの置物の画像を撮り始めた。
「何っテ、画像検索」
「最近のゴブリンはスマホを使うのか!?」
「最近のゴブリンはっテ……人間だってスマホを使い始めたのはそれほど昔じゃないだロ? 人間はみんなわれらを未開人みたいに思ってるのカ?」
驚く店主に対してゴブ子は半ばあきらめたようにため息交じりに反論する。
「まったク……電波が入らないナ」
「そりゃ地下だからな」
「それもそうカ……ワイファイはあるナ」
「そりゃあるが、パスワードは教えられんぞ?」
「別にいイ……繋がっタ」
「ん? どこに繋げたんだい? こんなところに届くフリーのワイファイなんかあったかな?」
「いヤ、ここのワイファイに繋げタ」
「なにぃ!」
店主が身を乗り出す。
「パスワードはどうした!」
「無論いれタ」
「なんでわかった!」
「ン? 直感」
「直感って……そんなわけあるかい!」
「そんなわけあるかいといわれてモ……説明しようがなイ。と、これカ」
店主の言葉を気にする風もなくスマホをいじっていたゴブ子が顔を上げる。
満面の笑みに口元から鋭い歯が覗く。
「これは信楽焼のたぬきダ!」
「いやそれはそうだが」
店主はその答えに頷き、そして首を横に振った。
「これが信楽焼のたぬきなのは秘密でも何でもない」
「そうなのカ? ふーン」
ゴブ子は信楽焼のたぬきに手を伸ばすとその場でゆっくりと回し始める。
「まぁあれだロ? 他の信楽焼のたぬきとの違いを探せってことだロ?」
「……ノーコメント」
すこし上擦った声で答える店主をよそに、ゴブ子は信楽焼のたぬきとスマホを交互に見比べ始める。
「ふーン。信楽焼のたぬきは商売のお守りみたいなものなのカ。トーテムの一種カ? その姿に細かく意味があるんだナ。面白いナ」
ゴブ子はスマホをスワイプしながら信楽焼のたぬきを見つめる。
その様子を見つめる店主と道充。店主は気持ち眉間をしかめて、道充はカウンターに頬杖をついて、ただ二人とも口角が緩く持ち上がっていた。
「笠ハ……あるナ。災害に備える? 大きな目……周囲を見張ル。これはわかル」
順番にたぬきを確認していくゴブ子。
「笑顔……愛想よク。これ笑顔なのカ? まぁそういうことにしておくカ。 徳利……とっくリ? とっくりってなんダ?」
「これだよ」
道充はたぬきが左手に下げた貧乏徳利を指さす。
「この瓶カ……何を入れるんダ?」
「酒だな」
「酒瓶カ……人徳? なんで酒瓶が人徳につながるんダ?」
「知らん。徳利だからそこにかけてるんじゃないか? 言葉遊びだよ。たぶん」
「まぁいいカ……通い帳? ノート? これカ。信用? ノートが信用?」
たぬきの右側にかかった帳面を指察してゴブ子は首をかしげる。
「通い帳は金の出し入れを記載する帳面のことだからな。だから『信用』だよ」
店主の言葉にゴブ子は耳を揺らしながら大きく頷く。
「大きな腹……冷静さと大胆サ……すまン、理解できなイ」
「腹が太いってのは『胆力がある』『度量が大きい』って意味でつかわれるんだよ」
「だから主はビビりで度量が狭いんだナ」
「痩せてるのとそれは関係ねーよ」
「その点おいらは太っ腹だぞ?」
「おやじのはただのビール腹だ」
「主らの腹の話はどうでもいイ。あーこれカ?」
そういいながらゴブ子はたぬきをしげしげとみる。
「うん。ないナ」
「なにが?」
道充が興味深そうに尋ねるとゴブ子は嬉しそうに答えた。
「金を持ってなイ」
「かね?」
道充と店主は顔を見合わせる。
「いや、普通ないだろ?」
「ン? ネットには『
「違う違う」
道充は笑いながらたぬきの股間を指さす。
「これが『
「はァ?」
突き抜けるような甲高い声をだすゴブ子に対し、ふたりのおっさんは声を出して笑う。
「まるっきり意味がわからン。金運とどこに関係があル?」
「そこのことを日本では金た」
「いヤ、いイ……」
説明をしようとする道充に対しゴブ子は片手を挙げて制した。耳が少し垂れ下がっている。
「なんとなくわかっタ。主が金運に恵まれない理由もナ」
「どういう意味だよそりゃ!」
声を上げる道充。腹を抱えて笑い出す店主。ゴブ子は気にした風も無くたぬきを回転させる。
「残るひとつハ……ああ、なるほド」
たぬきとスマホの画面を見比べる。
「尻尾が無いナ」
「うむ! 良くぞ気付いた!」
「いヤ、順番に見ていけばわかるだロ」
「しかし尻尾が無いことが秘密というわけではないぞ?」
「どうして尻尾がないのかってことだロ?」
ゴブ子はしばし尻尾の無いたぬきを後ろから眺め、ため息混じりに口を開いた。
「尻尾を捕まれないようニ、ぐらいの意味なんじゃないカ?」
「な……」
絶句する店主。今度は道充が腹を抱えて笑い出す。
「なんダ。図星カ」
「いやなんというか……まいったな」
店主は頭をかきながら口元をゆがめる。しかし目じりは大きく垂れ下がっていた。
「この置物は我が家に伝わる家訓を代々伝える……」
「そんな古いものなのカ?」
「……ためにおいらが作ったものでな」
「はァ?」
「何も知らない新顔を、からかうためにおやじがでっち上げた代物だ。尻尾が欠けて売り物にならなくなったたぬきを手直ししてな。家訓が聞いてあきれるぜ。それだって後付けだろうに」
「はぁぁぁァ?」
「からかうってのは聞き捨てならないな」
店主は身を乗り出して抗議する。
「準備、気配り、愛想、人徳、信用、胆力、運気、どれもこの家業じゃ重要だ」
そういってから店主はたぬきの尻尾の無い尻を叩く。
「そして『尻尾を捕まれない』。これが最も重要だ。おいらは間違ったことは言っちゃいないぞ?」
「まぁ確かに間違ってはいないナ」
「そうだろう!」
店主が丸い顔をさらに膨らませて大きな笑みをうかべる。
「素直ないい娘じゃないか! おまえにはもったいない!」
「いってろよ!」
「それより重要なのハ、秘密を当てたらどうしてくれるかってことダ」
そういうとゴブ子はたぬきの右側を指差す。その指先にあるのはたぬきが提げた通い帳。
「信用、だロ?」
店主にも負けず劣らずの満面の笑みを浮かべ、耳を大きく立てるゴブ子。
店主はその顔を見て大きく口を開け、それからゆっくりと閉じると、頬が膨らみ、口の中いっぱいにたまった感情を噴出した。
破顔とはよく言ったものである。
まさに顔を破らんばかりの笑い。
「そんなにおかしいカ?」
「いやすまん。そうじゃない。あまりにも見事に返されたんでな、嬉しさのあまりにな」
そう言いながら店主はとりつくろおうとするが、再び咳き込むように笑いだす。
その状態が三度続いて、どうにか息を整え始めた。
「終わったカ?」
「いやー笑った笑った。すまんすまん、久々につぼにはいった」
まだ少し頬をひくつかせながら、それでも落ち着いて頭を下げる。
「久しぶりも何も、しょっちゅう笑ってるじゃないか」
道充の言葉に店主はうなずき、そして首を横に振った。
「愛想は大事だからな。しかめっ面よりも笑顔のほうがいい。ただ今日は本当に気持ちよく笑った」
「そうカ、それならその分も勉強してくレ」
「いやもう、本当にしっかりしてるな! ぎりぎりまで頑張らせてもらう。約束する!」
再び店主は笑うと頷きながらそう確約した。
「こんな奴のところより、うちで働かないか? ワイファイの手際といい、機転の利き方といい、大助かりなんだがな?」
「さてナ?」
ゴブ子は道充を仰ぎ見る。道充もゴブ子を見下ろしてから店主に顔を向ける。
「こいつはやれないなぁ」
「おォ?」
道充の答えにゴブ子は両耳を大きく動かした。
「主のことだから『好きにしろ』とか言うと思ったのニ」
「いうわけないだろ」
道充は顔をしかめる。しかめてから口元を軽快に歪めた。
「サファイアの件が片付いてないんだから」
「だよナ」
ゴブ子はため息まじりにそう答えた。
耳は上下に揺れている。
「やっぱりうちで働いた方が良くないかい?」
「確かに面白そうだけどナ」
ゴブ子は丸椅子から降りると雑然とした店内を歩き始める。
ガラスケースの中をのぞき込んだり、その下に押し込められた小皿を手に取ってほこりを払ったり、気ままにみてまわる。
「ガラクタは面白いしナ」
「ガラクタじゃないぞ」
店主は笑いながら反論する。
「どれもこれも可能性の塊だ」
「まぁ確かに値がつきそうなものもあるカ」
ゴブ子はガラスケースの中に飾られていた蒔絵の印籠を取り出すと興味深そうに眺める。
「でもまぁやめておク」
そういってから印籠をガラスケースに戻し、ケースを閉めた。
「ガラクタならミチミツの方が面白いからナ」
「俺はガラクタかよ」
「可能性の塊だといっていル」
「すごい棒読みだな、おい」
「ま、われがいなければただのガラクタなのは間違いないがナ」
「おいおい」
あきれ顔で笑いながら店主が口を挟む。
「ダメ男とそれに依存する女みたいな話になってきたぞ」
「「そんなわけあるか/カ!」」
そろって抗議するふたりに店主は腹を叩いて笑い出した。
顔をしかめるふたり。
ゴブ子の耳は相変わらず上下に動いている。
それが30回ほど往復したあたりで店主は涙を拭きながら身体を起こした。
「いやまぁ、それはともかくこんな相性のいいファミリアはそうそうないぞ? 大事にしろよ」
「そうだゾ!」
「調子に乗るからやめてくれ」
同調するゴブ子を手であしらいながら道充は店主に不満の声を漏らした。
しかし店主は首を振り、両腕を広げると、大きく息を吐き、さらにもう一度大きく首を振った。
「わかってないな。調子に乗らせるぐらいの方が丁度いいんだぞ?」
そういってから店主はゴブ子を見る。ゴブ子は丸椅子の上に戻って腕を組んで目を閉じ、聞き入るように何度もうなずく。
「調子に乗ったところで長靴の一つも与えてみろ。城ぐらい盗ってくるかもしれんぞ?」
「いヤ、長靴だけじゃ無理ダ。袋ももらわないト……っテ、われは猫じゃなイ!」
ゴブ子は非難の声を上げるもその両耳は上下に動きっぱなしだ。
「確かに猫っていうよりはネズミっぽいよな」
「ネズミでもなイ! というかネズミだと喰われる方じゃないカ!」
「そんなことないだろう? 猫とネズミが喧嘩すると大抵ネズミが勝つぞ?」
「そうカ? いやそういう話じゃないだろウ!」
「ネズミよりウサギじゃないのかねぇ?」
「目が赤いってだけで言ってないカ? 一撃で首を落とせるって意味ならそうかもしれんガ」
「ジャバウォックの首をか?」
「主の首だって落とせるゾ」
そういってゴブ子は自分の首を親指でなぞってみせる。
「お前のはシャレにならないから怖い」
「せいぜい機嫌を取ることだナ」
「そうさせていただきますよ」
首をすくめる道充に対し、ゴブ子は歯を見せて笑う。
「でもあれダ、新しい靴は欲しいナ」
「長靴ぐらい買ってやるよ。首を落とされないように機嫌を取らにゃならんからな。赤いのでも黄色いのでも花柄でも、好きなのを買ってやる」
「主のいうそれはゴム長靴じゃないカ? 猫が履くのは長靴は長靴でも
「わかってるって。でもなぁ……」
そう言いながら道充はゴブ子の足元に目を向ける。
ゴブ子はスニーカーを履いていた。
「それだって結構いいものなんだぞ?」
「それはわかル」
ゴブ子は嬉しそうに頷く。
「確かに履き心地もいいシ、静かに歩けるしナ。たダ……」
「ただ?」
「足の裏の感触がよく伝わってこなイ」
「それはそうかもなぁ。だったら地下足袋でも履くか?」
「じかたビ? 聞いたことはあるナ。でもやはり仕事用の長靴は欲しいナ」
「そんなお前の希望に沿うような長靴はなかなかないだろうし、そもそもその足のサイズの靴だと子供用だろうしなぁ」
「ン?」
ゴブ子は首をかしげる。
「靴なんだから採寸して作らせればいいだロ?」
「特注かよ!」
「そんなに特別なことカ?」
「これだからお嬢様は……」
「お嬢様?」
道充の言葉に店主は首をひねりゴブ子を見る。ゴブ子はその視線を外し道充をにらんだ。にらまれた道充は少し眉を動かし帽子を脱ぐと額を拭い、再び帽子をかぶりなおす。
「たいした意味は無い」
「たいした意味は無イ」
口をそろえるふたりに店主は頭をかく。
「まぁあれだ。女性はみんなお嬢様ってことだな」
「そうそウ! それそレ!」
我が意を得たりとばかりにゴブ子は耳を尖らせ、手を打ち鳴らした。
「こいつに愛想を振りまいたってなにも出ないぞ」
「見返りを求めて愛想を振りまいたって、何も出ないのは当然だぞ?」
店主が笑いながら指摘する。
大きくうなずくゴブ子。
「さすがにその置物を体現しているだけはあるナ!」
「それは全然誉め言葉になっておりませんぞ、お嬢様」
そう言いながらも店主は嬉しそうに笑いながら、その太鼓腹をたたいて見せた。
「さて、靴を特注するなら良い職人を知ってるが? どうする?」
「お、いいナ! ぜひ頼ム」
「勝手に決めるなよ!」
「主の仕事を手伝うにハ、やはり良い靴は欠かせなイ。足元は重要だゾ?」
ゴブ子はそう言って胸を張る。
「大体仕立てるにしたっテ、サファイアの金だロ? われの金も同然じゃないカ」
「そりゃそうだが……」
「おっとそうだ。つけてる弾代とか道具代とか、サファイアの代金から引ひかせてもらうよ? それは良いんだろ?」
さえぎるように声を上げる店主。その言葉に道充は頷くがゴブ子は耳を鋭く突きたてる。
「ここにも借金があるのカ!」
「いろいろ物入りだったんだよ……金があるときに新しい弾も欲しいな」
「まいど! それも引いておくでいいな? いやはや今回は支払いが確実だからな。喜んでってヤツだ」
「それもカ!」
「必要経費だよ」
そっけなく言い放つ道充にゴブ子は喰ってかかった。
「それならわれの長靴だって必要経費だロ!」
「そうはいってもなぁ。この前、お前を助けるのに結構金がかかったからなぁ。予定外の出費は……」
「助けタ? 助けタ?! 誰が誰を助けたっテ?!」
「……いい仕事にはいい道具が必要だ。あつらえようそうしよう!」
「ついでに得物も欲しイ」
「なんなりと」
恭しく頭を垂れる道充。
椅子の上に立ち、ゆっくりと頷いてみせるゴブ子。
「本当に抜群のファミリアだよ」
ふたりのやり取りに、店主は声を上げて大きく笑った。
第二話完
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