第34話 最後のチャンス

『おはよう、神さまだよ☆ 知っている人もいると思うけど、昨日はちょっと事件が起こってね。詳細はギルドや広場の掲示板にあるんだけど、幸いに死傷者はいないよ。ケド、そんな不届き者を逃したのはボクの責任。ごめんねみんな。これからもみんなが平和に暮らせるようがんばるから、怨むなら自衛団じゃなくボクにしてネ☆ さて、今日のお天気はネ――――』





 金属がかち合う音色がギルドの中庭を渡る。その隙間から聞こえるのは、指南の声と荒い呼吸の掛け合い。


「踏み込み! そう、もっと! 短刀じぶんの得意な間合いを押し付けろ!」

「んッ!」


 飛びずさるジーナに、臆さずリアが距離を詰める。鋭く短刀を振り、時には爪による貫手ぬきてや蹴りも交えてリアが最も得意とする近距離を保つ。ジーナはあくまでも攻撃を受ける事に徹しているが、昨日の最初と比べれば圧倒的に剣戟けんげきの音が激しくなっていた。


「昨日も日が暮れるまでやってたのに、元気ですねぇ……ふぁ……」

「んぐんぐ。コノハちゃん、疲れてる?」

「神さまの用意してくれた部屋が豪華で落ち着かなくて……ああ、借りてる宿のベッドが……欲を言うなら家のお布団が恋しいです……」


 備え付けのベンチに腰掛け、朝食のパンを頬張るユラの横で眠たそうなコノハは今朝方、ジーナに「リアの修行を行いますが、ご覧になりますか?」と訊かれて飛び起きたのだ。跳ねた寝癖を手櫛てぐししながら、加速する攻防をしっかと見続ける。


「……私、明日には人都に帰るそうです」

「えっ、急すぎないソレ!?」

「昨日、コルドさんとの話し合いで決まりました。父が急いで戻ってこいと言ったそうで……クロさんの容態もありますけど、レノワールで護衛の方が雇え次第、すぐに」

「あンのスカシ男め、コノハちゃんを悲しませやがってぇぇぇ……!」


 怒りを燃やすユラを宥めつつも、やはり心にはいくつもの未練があった。

 もっと早くレノワールに行けばよかった。

 知らない街はとても怖かったけど、父の知り合いであるベリーさんがいた。ベリーさんが、シオンさんとリアさんに縁を繋いでくれた。最初から、怖がる必要なんてなかったのだ。

 ……でも、きっとこれで終わる。

 たった五日そこらの縁。卑屈な心が、私なんてそんな程度とささやいてくる。事実、そうだと思ってしまう。

 だからこそ、コノハは目の前で燦々さんさんと躍動するリアへ憧れのような思いを抱いていた。


「すごいですよね、リアさんって」

「?」

「その……こんな私のために体を張ってくれて。昨日も、私に悲しい顔をさせないために、って言ってくれて……誰かのために一生懸命になれるの、すごいなぁって」

「……リアちゃんね、ちょっと前までそんなじゃなかったんだよ?」


 ユラはおおまかにだが、リアの過去を話した。

 龍人族として不完全だった事。幼少の長期間、迫害されてきた事。冒険者に救われてレノワールに来ても、人を怖がっていた事。

――そして、シオンに出会って変わった事。


「シオンくんも出会った当初は今とだいぶ違うかなー。感情が希薄っていうか、気持ちを押し殺してる感じ? でも、そんなシオンくんから一番強く感情を引き出したのもリアちゃんなんだよね。……シオンくんはよく笑うようになった。リアちゃんも、すごく笑うようになった。これってとっても素敵だと思わない?」

「はい……私が出会ってからのリアさんからは、そんなピリピリした一面は感じませんでしたから」

「あっ、でもね。コノハちゃんに会ってから、リアちゃんはもっと笑うようになったよ」


 ユラは瞳に強い光を宿して戦うリアを見ながら、思い出し笑いをこぼした。


「今はあんなに強いけど、寝る前はすっごくカワイイんだから! 髪をかす間、あのなあのなってその日あったいい事を教えてくれるの。ここ数日はコノハちゃんの事が多くてね。昨日なんかも――――」


 コノハが最も聞きたかった所で、二人の目の前に勢いよくリアが転がってきた。呼吸を大きく繰り返し、リアは五体を地面に投げ出す。


「くっそー、また負けた!」

「だが、上達している。この調子で続けよう」

「あれ、ジーナさんって今日はお休み?」

「ええ。どうやら、今の新人たちは私が休まないと休暇の取り方がわからなくなるそうで」

「あーわかるわかる! ウチの支部長も休まないから、ちょっと気ぃ使うのよね。まあ私は休むけど!」


 その支部長は休みたくても休めないだけなのだが、そこはさておき。

 再び指南が始まって、コノハが話の続きを聞くほどの間もなく。


「あっ、やっぱもう始まってるし!」


 メリアが悔しそうにそう言って、コノハとユラが座るベンチへと寄ってきた。


「お……おはようございます、メリアさん……」

「おはよ。……なんで怖がってんのアンタ」

「いえ、その……えっと……嫌われてるかな、って」


 メリアと顔を合わせたのはつい昨日だが、この二人だけで交わした会話はほぼない。強いて挙げるならばディナクの魔法から避難する時に怒鳴られた程度だ。

 加えてコノハは彼女がかわいがるシオンとリアに近付いて、問題ばかり引き寄せている。襲われたのもコノハが写真を撮った故の自業自得。ひょっとしなくても、と抱えていた思いが口かられて、しまったと思った時だ。

 メリアは心底、不思議そうな顔をした。


「なんでアタシがアンタを嫌うワケ?」

「へっ?」

「こっちのセリフでしょソレ。たしかにシオンの魔法とか昨日の一件とか色々あったけど、アンタも悪意あったワケじゃないでしょ? だったら別にどうともしないし」

「へー、珍しくメリアがまともな事言ってる」

「うるさいしアホネコ」

「また言ったな!?」

「あーあーハイハ――――あ、」


 ユラを面倒くさそうにあしらうメリアは、ふと何かに気付いたような顔をして腕を広げた――瞬間、木々が揺れるほどの風が巻き起こってリアが吹き飛んできた。受け身も取れずギルドの壁に激突するという一歩手前で、その体がメリアの腕に収まる。そのままメリアはくるりと回転して勢いを殺し、リアを着地させた。


「ジーナ! アンタいいかげん人フッ飛ばすのやめるし!」

「む、すまない。予想外に成長していて、咄嗟とっさに加護を発動させてしまった…………仮に壁にぶつかったとしても、耐久力が鍛えられると思うのだが?」

「脳筋思考ッ!」


 突風にさらされた羽虫のように飛ばされたリアは驚いた表情のまま固まり、面目ないと謝るジーナと自分の足元とを交互に見ている。


「リアちゃん大丈夫!?」

「ジーナが剣振った瞬間、ぶわって、風が……これも加護なのか!?」

「昨日も団員さんがやられてましたけど、人があんな勢いで飛ぶなんて……というかメリアさん、よく受け止められましたね。リアが飛んでくる前に気付いてたような……やっぱり一級冒険者にもなると直感が働くのでしょうか……」

「あー、たしかにノールックで避けたりする人もいるけど、アタシの場合はコレが加護なだけだし」


 考察を始めたコノハへ、メリアが注釈を入れた。


「有り体に言うなら『危険予測』。アタシが被害受けるの限定だけど、なんとなく何が原因でどうヤバいかわかるの。今のはリアがアタシに向かってフッ飛んできたから察知できたワケ」

「そんなのがあるのか!?」

「けっこう便利だし。主にディナクの魔法除けとか」


 メリアが敵の攻撃を先読みし、いち早くディナクの魔法を封じ込めていたのは、危険が迫っていると加護が教えてくれたからなのだ。

 驚愕するリアへ、ユラが続けて言う。


「加護は神さまの力だから、いろんな種類があるの。ほとんどの人は身体能力向上とか職業の作業効率が上がるぐらいのものだけど、冒険者には特殊能力みたいに強い加護を持つ人が多いの。コルドみたいにすごく限定的なのもあれば、魔法を使わなくても火や植物を操ったり、骨格まで変えて変身する加護もあるんだって」

「私もクロさんから、一級冒険者の多くはそういう特殊な加護を持っていると聞いた事があります……」

「スゲー……でも、オレはなんもねーな」

「特殊な加護を得る事は簡単ではないぞ」


 ジーナは自身の剣を軽く地面に突き立てる。すると、切っ先を中心として強烈な風が真上へと噴き上がった。

 いままでの組手で乱れ、汚れたリアの髪を直してやりながらジーナは言う。


「私の加護は『空気を纏う』といった所だ。空気の塊を剣に纏わせ、解放すればさっきのように人を吹き飛ばす芸当ができる。だが……私は、いつこれを会得したのかわからない」

「なんでだ?」

「私が神さまから加護をたまわったのは赤子の頃だ。気付けば兄の真似をして剣を握り、毎日飽きもせずに剣を振り続けた。そうして十年ほど経つと、いつの間にやら私はこの加護を持っていた…………しかし、無窮むきゅうの鍛錬が新たな加護を授けるかと言えばそうではない」


 ジーナに目を向けられたメリアが、嘆息して言う。


「アタシの加護はモンスターに殺されかけた時に発現したの。『死にたくない』って心の底から叫んだ時、モンスターがどっちから攻撃してくるかわかった。そうやって命からがら逃げかえって、今のアタシがいるってワケ」

「あっ、たしかコルドの加護も似たような感じだったって聞いた事ある!」

「つまりは、長期間の鍛錬をこなすか命の危機にさらされた時に加護が芽生えるという事ですか? でも、それならもっと多くの人が特殊な加護を持っていてもいいはず……」


 ジーナはコノハの推察に頷いた。


「私より長い年月、修行を続けた者もいるだろうし、冒険者をやっていて命の危機は体験しない方が稀だ。だというのに、特殊な加護は滅多に芽生えない」


 リアは、あの特異点の事を思い出す。

 シオンを庇って胸を刺された時は、薄れていく意識で死を確信した。

 二度目にまみえ、牙が迫った時もまた、死を覚悟した。

 だが、リアに新たな加護らしき片鱗はまったく見えない。


「オレにも出るかな、ソレ」

「こればかりはわからん。だが、案ずるな。お前はまだまだ若く、伸びしろがある。きっと……いや、レノワール自衛団の団長と一級冒険者がついている。必ず開花させるさ」

「すごい加護に決まってるし! 何せ、アタシの妹分だからね!」

「は!? ちょっと待ってなにそれ羨ましい! あたしもリアちゃん妹に欲しい!」

「残念でしたーもうアタシの妹だしー!」

「ふざけんにゃこのヤロォォォ!!」

「ガキみてぇな喧嘩してんじゃねぇよお前ら……」


 頭痛を我慢するように顔をしかめながら、ギルドの通路から中庭に入ったコルド。彼に続いて、シオンとディナクも中庭へ来た。


「おはようございます。みなさん、お早いですね」


 シオンが頭を下げると、めいめいに挨拶が返される。その中でもリアは少し暗かった顔をパァっと明るくして一際元気に駆け寄り、ハイタッチまでした。


「シオン、昨日の『誓い』は任しとけ!」

「うん。僕も頑張るよ」

「ん! っし、ジーナ、続き頼む!」


 シオンの顔を見て元気が出たのか、リアは晴れ渡った顔で修行を再開する。そして、シオンもまた。


「ディナクさん、よろしくお願いします」

「おう!」


 ディナクは腰に下げた本を持ち、厳重に巻きつけられた鎖を繋ぐ錠前に魔力を流す。すると、いとも簡単に鎖が外れ、使い古された魔導書が開放された。

 そこから、能天気だったディナクの声色が少し大人びたものに変わる。


「よし、やってくか。まずは昨日の続きで、慣れた炎から形を変えていくぞ」

「コルドさん。ディナクさんが、その……たまに別人みたいです」

「まあ、ある意味別人だな」


 コルドはサッとディナクから魔導書を奪う。シオンとの修行を打ち切られた事を不服そうにしながら、ディナクがじとりとコルドを睨む。


「何すんだよ」

「こうでもしねぇと反応しねぇだろうが。お前の魔導書が気になるんだとよ」

「はい! その、教えられる範囲でお願いします! 修行中断させてしまってごめんなさいシオンさん!」

「いえいえ、大丈夫ですよ」


 求められると、ディナクは渋々どころか「いいぞ」と前向きに返した。


「まず、俺は俺の師匠の手によって記憶を封印されている!」

「な、なんですとー!?」

「半分冗談だけどな」

「ちょっとぉ!?」

「でも、封印されてるのは本当だぜ? 俺は思考能力をセーブしないとヤバいみたいだから、呪術やらなんやらで魔導書と結び付けて、記憶やらと一緒に魔導書コイツへ移してるんだと。コイツは魔法の補助を担う魔導書であると同時に、俺の記憶倉庫でもある。だから、錠前を解放すると元に戻る」

「さらに使ったら大概、その後は頭痛で使い物にならなくなっちまう。昨日みたく森のド真ん中でシオンとリアが怪我してたあの状況じゃ解放させるワケにはいかなかったんだ」

「な、なるほど……」


 コノハは難しそうな顔をしていた。言っている事はわかるが、どう解釈して飲み込めばいいのかわかっていない顔だ。それを見越して、コルドが付け加える。


「要するに、コイツを開いてる間は賢くなる」

「わかりやすいっ! そしてなんですかその謎設定!? 触らせてください!」

「いいぞ!」


 魔導師然とした頭脳になってはいるが、性格は根っからの楽天家らしい。

 大切であろう魔導書を気軽に差し出され、コノハはそれを丁重に受け取る。ずしりと重たいハードカバーの、いかにも昔話の魔導師が持っていそうな本を開くと――想像していた魔法陣や組成式が整然と並んでいる姿はなく、ミミズがのたくったような古代文字が無秩序に書き連ねられていた。


「こ、これはまた……他人に見られても内容がバレないようにという工夫ですか?」

「いや? 別に見られても困らねぇし」

「じゃあ何故に古代文字が……」

「そいつ、公用語。俺、字がヘッタクソだからな!」

「ウソぉ!?」


 ヘタクソなんて次元ではない。暗号と言われた方が納得できる。


「嘘じゃねぇよ。シオンは読めるし」

「小さい頃、がんばりました」

「がんばって解読できるんですかコレ……!?」


 幼少期のシオンに感嘆していると、ふと疑問が浮かぶ。


「シオンさん、小さい頃から魔法を教わっていたんですか?」

「はい。とはいえ、簡単なものばかりでしたが」

「簡単なって……魔法って、基礎から難しいものじゃ?」

「そうでもないぞ」


 コノハの疑問へ、魔法の専門家は軽く答える。


「魔法はイメージだ。声に出すでも文字に起こすでも絵に描くでも、とにかく自分が想像しやすいやり方で行使すりゃいい」

「想像でそんなに変わるんですか?」

「変わるぞ。例えば――『火』」


 ディナクが呟くと、彼の掌に蝋燭のような火が揺らめいた。

 たった一文字で魔法を成立させた事にコノハは感嘆したが、ディナクはそれだけに留まらない。


「『炎』」


 続けた言葉に呼応し、豆粒の火が握りこぶしほどの炎球となった。


「『浮かべ』」


 ぷかり、水面に浮かべられたかのように宙へ遊び始める。


「『踊れ』」


 今度は、意志を持ったかのように炎球がディナクの周囲を回り始めた。


「『跳んで』」


 球が着地し、ぐっと膝を曲げたようにたわんで、一気に上空へ。


「――『爆ぜろ』」


 パチンッ、という指のクラップに合わせ、炎球は派手に爆発四散した。

 魔法の使い方を知らない者には、軽く行われた一連がもしかすると自分にもできるかもしれないと思わせる。魔法を少し行使できる者には、誰にでもできる芸当ではないとわかる。

 それほどディナクは気軽に、己の手足を動かすように炎球を操っていた。


「ま、基本はこんなモンだ。んで、コレを強くしてぇならド派手な詠唱と大量の魔力とそれを創り出せる想像力が要るワケだな」


 心底楽しそうに笑うディナクの全身に、魔力が満ちる。


「『それは焔を超越する炎熱。其は万里を焦がす崩壊の顕現けんげん』」


 通常なら大慌てになるところだが、コルドは信頼を表すように一歩も動かず、朗々と魔法が紡がれる様を見ていた。


「『汝、日輪をくだす必滅の一射。き尽せ』――」


 魔法の詠唱とは、ハッキリ言って大仰である。そうする事で魔法のイメージを強く激しいモノとし、何節もの言葉を基点トリガーに大量の魔力を魔法へ組み立てていくためだ。

 だが、ディナクのような一流の魔導士は詠唱の言葉に遜色ないほどの威力を誇る。


「アグニストームッ!!」


 天空へ向けて射出された業火。炎の渦を細い筒に詰め込んだような、指向性の暴嵐。その先にモンスターがいようものなら、いかなる巨体であっても焼き尽されて消滅していたと確信させる威力だ。

 火焔が雲の高さまで昇って消えると、ディナクは強力な魔法を使った事が嘘のように平然として言う。


「シオンもゆくゆくはコレだな!」

「がっ、がんばります!」

「「いやいやいやいや!!」」


 一緒にするな、とコノハとユラが代わりに否定する。少し離れた場所では炎に気を取られたリアがまたもやジーナにフッ飛ばされた。


「素養があっても無理でしょ、これは!」

「おう。でも、魔法が行使できるなら割とどうとでもなるぞ」


 ふと、コノハと魔法という二つが結びついたシオンが言う。


「そういえばコノハさん、僕らがモンスターに囲まれた時に風を起こしましたよね? もしかして、魔法の素養があるんじゃ……」

「あっ、いやその……あれは母に仕込まれた妖術で、魔法とは別の……」

「なら大丈夫だ」


 ディナクは指を鳴らし、魔法で地面を隆起させて椅子を作り、座る。


「そもそも魔法の定義ってのは意外とテキトーでな。特に『魔力を利用した技』って認識するなら、その意義はだいぶ広くなる。世間一般が認識してる詠唱やら魔法陣やらを使ったのも魔法だし、詠唱忘れる俺の暴発も魔法で、加護で使える理屈のわからんのも魔法だ。もちろん、ヒノモトの妖術なんかも一種と言えるな」

「へー……魔法って難しい知識を覚えれるぐらい賢くないと使えないって思ってました」

「そいつは細分化して言うなら魔術だな。理論と知識で創るから、覚えりゃ誰にでも作れるし精度も安定して高い。俺がやってるのは感覚寄りの魔法だが、そっちは大雑把になりがちだからな。一番いいのは魔術の知識を持った上で感覚を掴んでいく方法だと思ってる」

「感覚を掴むッつっても、結局は試行回数がモノを言う。だから普段のコイツは何かしらに思い付きを書き連ねて、ピンと来た爆弾を詠唱してるわけだ……」


 コノハはなるほど、とディナクの奇行に合点がいった。魔法をほぼ知らないユラが不思議そうに尋ねる。


「魔法って楽しいの? あたしは適正ないらしいからやった事ないんだよね」

「楽しいぞ! 例えば、魔法と妖術はマナ利用って観点では同じ存在だが、まったく組成が違う。前に試したら、魔法封印をエンチャントした手錠を付けても妖術が使えた! 同じ麦からパンと酒が作り出せる、みてぇな話だ。こういうの楽しいぞ!」


 新発見があるのが楽しい、という事なのだろう。コノハも写真の撮り方を研究していた時期があるため、その昂揚は理解できた。


「だから、コノハも魔法使おうぜ。一から千まで教えるからさ!」

「い、いいんですか? シオンさんのお邪魔になるのでは……」

「そんな事ありませんよ。一緒にやりましょう!」


 手を取りあい、互いに成長していく。

 良きかな青春、とユラが眼福を感じていた時だ。


「元気じゃのう」


 声がしてシオンが振り向くと、背の低い老人がしゃがれた声で不気味に笑っていた。コルドが意外な客人に目を見張る。


「爺さん! 店から出れたのかアンタ!?」

「お前の中で、ワシゃ地縛霊か? 用向きがあれば出るわい」


 彼は北の商業区に居を構える商店の店主だ。

 店自体が看板を出していないため知名度は低いが品揃えは最高級。コルドのような一級冒険者が信頼しており、シオンたちとも面識がある。しわだらけで何歳なのかすら判別できないが、自分の脚で歩いてギルドまで来たのなら、まだまだ空へ旅立ちはしないだろう。


「こんにちは、お爺さん」

「おおシオン。初来店以降、店に来んから退屈しとったぞ。言うてくれたら品を取り寄せるから、たまにはあの龍の娘と共に顔を見せい」

「は、はい! ところで、ギルドに御用ですか?」

「おお、そうじゃそうじゃ」


 バサッ、と老人は持参した紙を広げる。そこには、雑に書かれた公用語の文が並ぶ。


「依頼をしとうての。ネグロ鉱石が足りんのじゃ……丁度いいし、ぬしらに頼もうか」

「おいおい、別の奴に頼めっての。別に俺らじゃなくても……」

「誰がお前に頼むと言った? ワシが依頼したのはそこな二人に、じゃ」


 枯れ木のように骨ばった指が示したのは、シオンとリアだ。

 シオンは驚いて「えっ」と声を上げる。


「ぼ、僕とリアに、ですか?」

「うむ。場所はグロッサル渓谷。多少の崖はあるが鉱石ネグロなんぞどこでも採れるし、モンスターも出んから安心じゃろう。それに景色もいいぞぉ」

「待て待て、今回は事情がある。爺さん、悪いが別の奴らに――」

「ざけんなコルドッ!」


 駆け戻ってきたリアがコルドに飛びついて言葉を遮る。話はバッチリ耳に入っていたらしい。


「爺さんはオレらに頼んでんだろ! 断んのはオレらが決める事だ!」

「いででで引っ掻くなバカ! 断らねぇだろお前!」

「ん!」

「やっぱりじゃねぇか! 今の状況はわかってんだろ。おいそれと外に出すのは危険が――」

「ここにいたって変わらねーだろ!」


 リアの反論に、コルドは思わず言葉が詰まる。


「シオンかコノハか、とにかく誰かが危ねーのはわかってる。けど、ここにいたって敵が来ねーとは限らねーだろ! だったら、オレは依頼を受けるぞ! オレたちだって冒険者だ!」

「っ……」


 痛いところを突かれたとばかりに、コルドは眉間に皺を寄せた。くつくつと店主が肩を揺らす。


「言われたのう、コルド。さて、ワシは本当に足りぬようになったから、ついでに若人が経験を積んだらいいと持ってきたが……どうする?」

「オレはやる!」

「僕は、その……やりたい、ですけど……」


 リアは後先を考えず即決した。

 だが、シオンは自分たちが守られていると理解している。自分たちを守るために周囲の人々が苦心しているとわかっていて、それを踏みにじるような行為をしたくない。同時に、リアの自分たちで進みたいという思いも理解できる。

 どちらを選べばいいのか、頭が混乱していた。

 ひしめき合う思いを貫く最後の一押しは、やはりリアの言葉。


「それに爺さん言ったよな、景色がいいって! なら、コノハの写真も撮れるだろ!」

「っ、リアさん……――」


 誰もが驚いて声も出ない。写真は奪われ、カメラもない。コノハ本人が諦めかけていた夢を、まだリアが諦めていなかった。


「時間がねーんだ。オレはコノハの夢、叶えるぞ!」

「……僕も、同じです」


 シオンも、それに続ける。

 これは結局、コルドたちへの甘えだ。自覚していても、依頼を受けたい。


「危険なのは承知です……けど……コノハさんの夢が潰えるのは、嫌です」


 これがコノハの人生において最後のチャンスというわけでもなく、コノハと今生の別れになるわけでもない。

 だが、これが今回の出会いに――この五日間に最後に残された機会だとするなら、掴みたい。


「本気なの?」


 そう訊いたのはメリアだ。その目が、やめてほしいと暗に訴える。だが、


「諦めろメリア。こうなったら俺らが折れるしかねぇさ」

「わかってるしもう! わかってると思うけど、アタシらもついていくから! ただし、アタシらはそっちの依頼と写真には一切関わらない。これでいいでしょ!」

「ん! ありがとなメリア!」

「あーもう許す! 弟妹のワガママに応えるのが姉の役目だし!」


 照れ隠しでリアの頭を撫でるメリアに、慌ててコノハが根本的な問題を抗議する。


「ちょ、ちょっと待ってください! 写真って言っても、私のカメラは……」


 コルドが額を押さえてため息を吐く。そうして腰のポーチから取り出したのは、小さく飾り気のないカメラ。


「クロバのだ。あいつから、お前がまた写真を撮る気になったなら渡してやってくれと頼まれた」

「クロさん……」

道具カメラはある。コノハ、後はお前はどうするかだ」


 カメラを持つ手が震えた。それが冷たい刀身を思い出した恐怖なのか、それ以外の何かなのか。それすらわからなかったが、コノハは答えた。


「やらせて、ください……!」

「……ったく。わかった、やるだけやってみりゃいいさ。ただし、俺らも準備が要るから出発は明日だ。いいな?」


 三人は同意して頷く。シオンたちとしても、明日の方が今日を修行に当てられて都合がよかった。

 コルドは独り、静かに覚悟を決める。何もかもに、備える必要があった。


「爺さん。そういう事だ。店で買いたいモノがあるんだが、いいか?」

「ウヒヒヒ、儲けが出るから構わんぞ」

「あちょっ、超展開に何も言えなかったけど、依頼なら窓口を通してからにしてくださーい!」

「ジーナ。リアの組手がある程度済んだら、アタシともお願い。敵の得物、長剣ソードらしいから」

「了承した。おっと、その前に明日の予定を空けるよう神さまに言い含めておかねば」

「よっし、重視すんのを魔法の威力よりコントロールに変えるか! コノハは何がイメージしやすいかなーっと」


 それぞれが動き出す中、コノハは二人を呼び止めた。


「なんで二人とも、私を助けてくれるんですか……?」

「ん? コノハがいい奴だから」

「そ、そんな理由……というか、そもそもなんで修行を? 私のためにって、意味が……」

「コノハを元気づけてーから。な、シオン」


 平気な顔でリアは言うが、シオンは少し言い淀む。


「その、子供の浅知恵というか……もう期限は二日ですし、昨日はきっともう間に合わないって思ったんです。だから、僕らがちゃんと冒険者として強くなって、今度はこっちからコノハさんの方へ行こうって……」


 声に出すと気恥ずかしかったのか、シオンは頬を掻いた。


「そう考えていたら、リアも同じ事を考えてたみたいで。負けてられないなって、僕もディナクさんに……」

「ん! オレはシオンが同じ気持ちだったから嬉しかった。だから昨日、修行の後で誓ったんだ。『スゲー強くなって、コノハに会いに行く』ってな! ……ん、でも明日があるからな……よし、もっかい三人でやるぞ!」


 リアが両手を出す。シオンもそれに準ずる。


「え、何ですかソレ?」

「龍の誓いだ!」

「手を出してください、コノハさん」


 言われるがまま両手を差し出すと、リアが二人の手をまとめて包む。六つの手が重なり、リアが宣誓した。


「明日、オレは依頼をがんばってコノハを手伝う!」

「僕も二人を手伝います」

「え、えっと……」

「コノハはスゲー写真を撮る!」

「は、はい! 撮りますっ!」


 よし、とリアが手を離して、気合を入れ直すように頬を叩く。


「ぜってー守る! じゃあ、また明日な!」

「うん。ではコノハさん、また明日」

「はい……」


 各々おのおのの師へと走っていく二人を見ながら、コノハはてのひらに残る二人の体温を握りしめる。

 記憶の海から、搬送されるクロバの言葉が蘇る。


『ともだちでも、なんでも……しんどかったら、頼ってええんですからね』


 友達、仲間。どちらにしても、初めてだ。

 だから、そう呼んでいいのかもわからないけれど――とにかく、この熱を忘れたくなかった。


「誓い…………守りますっ」





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