第27話 蜥蜴と蛾

『おっはよー☆ ふふふ、今日は何かが起こる予感がするんだ。まあ、毎日何かがあるのは当然なんだケドネ! ボクは今日一日も楽しく過ごせそうだよ☆ あっそうそう今日のお天気はネ――――』





「おはようございます!」


 カランカランという鐘の音に合わせてコノハは医務室に入る。神さまの声の直後とあってかなり早朝なのだが、既にシオンとリアは集合していた。


「お早いですね、二人とも!」

「えぇ。配布のポーションの調合がありますから」

「オレはユラと一緒に来た!」

「そうあたしはリアちゃんと共に来た! おはよーコノハちゃん!」


 部屋に入るなりユラがキメ顔で言う。抱えた籠にはギルドの庭で栽培されている薬草がてんこ盛りになっている。


「シラツユ、ユフダチ、シレにヤトリにラサメ! こんなもんでよかった?」

「はい、ありがとうございます!」

「いえいえー」

「おはようございますユラさん……受付ですよね? 非番ですか?」


 ユラはふっ、と余裕そうに大人っぽい声を作った。


「聞いて驚けフルタイム雑用この後すぐ」

「う、うわぁ……」

「昨日のピークに昼寝決め込んだあたしが完ッ全悪いから心配しないでね!」


 くるりといつもの明るさに戻り、ユラは机に籠を置いて「ところで」と尋ねる。


「写真はどうだった? 昨日は聞けず終いだったからさ」

「ん、ダメだった!」


 失敗を隠しもせず、あっけらかんとリアが笑う。


「でも、今日は行けるぞ! なんたってオレとシオンとコノハだからな!」


 言葉に起こせば、昨日と何一つ変わらない。だが、昨日の失態を思い出して落ち込みかけたコノハが顔を上げるほど、自信に溢れている。

 コノハがグッと拳を握って意気込んだ。


「はい! お、お任せください!」

「ん! 任せた!」


 リアの笑顔を見て、ユラが心の中でおっ、と感心する。コノハは昨日、自分の弱さを笑顔の仮面で隠そうとしていた。それがユラに何とも言えない不信感を募らせていた――もちろん、シオンの胸を見ようとした一件も大いに関係している――のだが、今のコノハにはそれがない。等身大でいる事に負い目がないのだ。

 黒い羽をばさっと膨らませて龍の少女と意気込み合うあの子なら、無駄な心配は必要ない。


「ふふふ、良きかな良きかな。そんでシオンくん、今日はどうするの?」

「それなんですが……同じ依頼を受ける事はできますか?」

「もっちろん! 供給過多には程遠い素材だからね」


 よしきた、と依頼紙を取りに行こうとして、ユラはするりとコノハに寄る。


「ところでコノハちゃん、いい写真撮れた?」

「はっ、はい! それはもう素晴らしいのが!」


 コノハが耳打ちしたのは、リアがシオンを抱き留めたシーンだった。


「っ――――」


 それを脳内補完した瞬間、ユラは流れるように膝を地についてありとあらゆる思いが詰まったため息を落とす。


「最高かよ…………」

「まさか『姫と薬師と』シリーズみたいなシーンが現実にあるとは……」

「知ってんのコノハちゃんッ!?」


 肩を掴んだユラの目がぐあっと見開かれ、とてつもない圧にコノハはコクコクと何度も頷いた。


「何巻まで読んだ?」

「さ、最新の九巻までは……」

「同好の士よぉー!」


 ユラはコノハを抱きしめてクルクルと踊るように飛び跳ね始める。嬉しさがとめどなく溢れ、動かないと発散できないのだ。


「あたしは一巻のラストが好きなの!」

「あっ、『私の病熱が治るまで、共に居てくれ』っていう姫様の告白ですか?」

「そー!! もー! わかってくれるの嬉しー!!」


 両手を合わせてきゃっきゃと会話に花を咲かせる二人を、リアが不思議そうに見つめてシオンの袖をくいくいと引っ張る。


「シオンシオン、ホンって、文字がいっぱい並んでるやつだろ? ユラもコノハも、それが楽しいのか?」

「二人が話してるのは本の中でも小説だからね。英雄譚みたいなものだよ」

「ん! それならなんとなくわかるぞ! でも、オレ読めねー……」

「……今度、時間がある時に一緒に読もうか」


 リアがシオンを見つめ、つぶらな両目でいいのか、と訊く。控えめに頷くと、リアは感謝の言葉と共にシオンの腹へ抱き付いた。

 そんな光景を見逃すほど、ユラとコノハは会話に熱中している。


「レノワールって本を売ってる店が滅多にないから、作品知ってる人がまずいないの! お願い私の萌えを聞いてぇー、一緒にトキメキ女子会しよぉー」

「わ、私もファンですけど、語り合う資格があるほど詳しくは……」

「作品への好きって気持ちがあれば知識も資格もないの! こういうの好き! 好き過ぎて尊い! って言い合いたいだけだからあたしは!」


 あまりの必死さに、コノハは少し笑って「やりましょっか」と返した。

 大仰に喜ぶユラと語らう姿は、街中で休日を謳歌する少女のよう。それはコノハが初めて見せた、十五歳の少女相応の姿だった。


「約束だからねホントに! じゃ、そろそろ地獄雑用始まるから行くね! あ、手続きはこっちがしとくから出発前に受付で受け取ってねー!」


 廊下に残響させながら遠退いて行くユラの声。コノハは女子会の約束を胸に、もう一度意気込んで見せた。


「私、がんばりますっ!」





 日が高く昇る前から三人は森に踏み入った。やる事は少なくとも、難度が高いためだ。

 まずはコノハがモンスターにある程度慣れなければならない。

 昨晩、ルドマンに啖呵たんかを切った。ついさっき、ユラと約束をした。二つを糧に「いい写真を撮ります!」と息巻いていたのはいいものの……


「か、かかってきなさぃぃ……!」

「キュイ」

「ひええええ!」


 一朝一夕いっちょういっせきで劇的な変化など起きるはずもなく。

 見た目が怖くないモンスターランキング一位(カシス調べ)のカラントシードに怯えまくり、んで近くの樹木の裏まで逃げる始末だ。


「やっぱりダメダメです私……うぅ、申し訳ない……」

「さっきよりは近付けてましたよ!」

「気にすんな。そのうち慣れるだろ!」

「そ、そうです! そうですとも! お二人がいればこんなのへっちゃらで」

「キュイッ!」

「ふひゃっほはぁああああああ!?」

「うおおおおおお! たけぇぇえ! ヒャッホー!!」


 元気づけるリアごと飛び上がり、今度はシオンでの失敗を活かしてかゆっくりと降りてきた。初めての大空飛行にリアは大興奮である。


「スッゲーな今の! もっかいやろうぜ!」

「飛ぶのはもちろんいいんですけど、時間が……」


 陽はまだ東にあり、今日の天気は晴天が続くと神さまが言っていた。だが、コノハが気にしているのは未だ一枚も写真が撮れていない点だ。


「でも倒すのって青クチバシだろ? 今度はヘマしねーから大丈夫だって!」

「青クチバシって……ウィンドイーグルは賢いので、滅多に自分から敵を襲わないんです。昨日みたいに巣を攻撃してテリトリーを荒したーって認識させないと戦えません。ですが、巣もどこにあるかはわからないので探す時間が……」


 前回は運良く発見できたが、本来はモンスターの捜索にも時間がかかる。鳥型のモンスターともなれば、巣を見つけても戻ってくる確率は決して高くない。コノハの慣らしに時間をかけ続けては、本来の目的が果たせなくなってしまう。


「ですが、まだコノハさんは……」

「……い、いきます。こうなったら荒療治ですよっ。二人には迷惑をかけるかもしれませんけど……そ、そうなったら見捨てて結構! 絶対、昨日みたいな失態はしませんからっ!」


 心配もあるが(当人が言うのなら……)とシオンはリアを見る。するとリアもこちらを向いて、二人で確認し合うように頷いた。


「よっしゃ、行くか!」

「あっ、でも待ってください! 私、お二人に提案があるんです!」


 コノハは「素人の意見なので邪魔かもしれませんけど……」と前置きし、鞄から一枚の紙を取り出した。それを広げると、鉛筆で描かれた数個の図形を取り囲むように細かな文字が並んでいる。そして、こう切り出した。


「シオンさんの魔法の活かし方、思いつきました!」





「……いたぞ」


 草陰で声と身をひそめる三人が見る先には、巣で羽休めをしているウィンドイーグルの姿がある。


「シオン、届くか?」

「うん。この距離なら大丈夫。コノハさんは……」

「っ……だい、じょうぶですとも。シャッターチャンスは逃しません……!」


 引き攣ったから笑いと震えながらも立てられた親指を合図に、シオンが殻だけの水晶を生成する。


「大丈夫。コノハさんの作戦なら安全に倒せます」

「!」

「ん。コノハはしゃったーちゃんすを待ってろ!」

「――はいっ!」


 コノハの目は相変わらず怖がっているが、その中に小さな光が同居するようになった。

 シオンが右腕を弓弦ゆみづるのように背後へ引き絞り、狙いを定める。


「行くよ……っ!」


 草葉の間から飛び出した水晶球が木の幹で破砕音を響かせた。瞬間、臨戦態勢になったウィンドイーグルが最前線に飛び出したリアと向き合う。


「来やがれ青クチバシ!」

「アァアアアッ!」


 叫喚きょうかんと共にはばたきによる暴風が巻き起こる。その余波がシオンたちの元へも至り、目を開けるのがつらいほどの強風を押し付けた。

 この風の真っ只中で踏みとどまるリアの膂力に敬服しつつ、シオンは『作戦』の準備を始める。

 コノハはというと、まばたきもせずにウィンドイーグルを凝視。激しく砂ぼこりや落ち葉が舞う最中さなか、目が乾くのもお構いなし――もはや風など存在しないかと思わせるほどの集中でウィンドイーグルの一挙一動を観察していた。

 やがて、コノハの瞳は翼が一区切りをつけるように強く振られた瞬間を目視する。


――くちばしが来る!


「リアさんッ!」


 まず叫びに呼応したのは名を呼ばれたリアではなくシオンだった。あらかじめ作っていた、手頃なサイズに凝縮された【フレアスフィア】をリアに向けて撃ち出す。サイズを小さくした事で水晶球は風の壁を突破し、リアはそれをしっかりと受け取った。

 リアが水晶を持った腕を振りかぶるのと、ウィンドイーグルが羽を畳むのはほぼ同時。


「間に合ってください……!」


 手に汗を握って祈るコノハの脳裏に、自分が立案した『作戦』が再生される。


――まず、狙うのは前回と同じく巣に戻ってきた、または既に休憩しているパターンです。

 シオンさんの水晶で威嚇いかくすれば十中八九、喰いつきます。問題はそこから。おそらく、最初は風を起こして動きを止めてくるはずです。そして、ある程度したらあの急転直下で攻撃……その兆候があったら合図します。そうしたら――


「っらァ!」


――突っ込んでくる嘴めがけてシオンさんの魔法を思いっ切り投げつけてください!


 一瞬だ。

 一秒に満たず地上へ到達する嘴とリアの全力で一擲いってきされた水晶球。リアの手を離れた瞬間に双方が正面衝突し、ウィンドイーグルはまさに火矢と呼ぶにふさわしい容貌ようぼうになって墜落した。


「グギャァアア!?」

「や――やった! やりましたよシオンさぁぁん!」

「本当に……僕の魔法が……!」


 シオンは、己の魔法を扱いづらい枷だと思い込んでいた。必ず付きまとう水晶の殻……それが弱く脆い自分自身のように思えて、プラスに思考を転換できなかったのだ。

 故に、コノハが提案したのは「なんでいままで思いつかなかったんでしょう……」とシオン自身が呆れてしまうほどに単純な使い道だった。

 なにせ、思い返せば特異点との戦闘時、二人はそれを実行していたのだから。

――通常、魔法とは『現象』である。

 炎や氷といった自然現象を魔力を基に作成する他、いかなる魔法であってもそれは『現象』の再現。発動した術者のみが操作できる存在だ。

 しかし、シオンの魔法は違う。

 魔力を基に生成されるのは炎と水晶であり、ここは魔法の本質と何も変わらない。着目すべきは魔法が――水晶球が完成してから。

 内側の炎を閉じ込める透明の殻はシオン以外の人物でも触れる事ができる。更に、シオンの手を離れても水晶の殻は消えない。内側の炎も水晶の中で今か今かと開放の瞬間を待ちわび続ける。

 つまり、作り出してしまえば他人に譲渡できる魔法。

 即席で作れる魔法入りの爆弾だ。

 もちろん、モンスターが想定外の行動をする可能性も大いにあったが、運命が味方するように理想通りに運んだ。さらに言えば、モンスターの行動が違っていてもコノハなら予測して対応ができていただろう……それを上手くリアに伝達できるかは別として。


「ギァアアアアッ!」


 甲高い鳥の悲鳴が炎をつんざく。青い翼が炎に焼かれる中、ウィンドイーグルは炎熱から逃げ出すためにもう一度舞い上がった。そして、焦げた羽で誰もいない方向へ一気に飛び立つ。


「あっ、逃げるぞ!」

「深追いは禁物です。ここはもう逃して次を――――」

「ハッ、とっ――取れ高ぁぁ!!」


 シオンの言葉を置き去り、カメラを構えたコノハが翔ぶ。黒翼が一度はばたく度にグングンと加速し、モンスターを上回る速度と精度で木々の隙間を飛び抜き、ウィンドイーグルの前に回り込んでしまった。


「アァ゛ッ?!」

「ひぎゃぁはぁぁあああ近いぃぃいいい!!」

「コノハッ!」


 すかさずリアが追い付き、コノハに驚いて止まったウィンドイーグル目がけて跳躍する。


「らぁッ!」


 一閃がモンスターを真っ二つに斬り裂いた。コノハはブレないようにしっかりと両手でカメラを持ち、リアの凛々しさをカメラに収める。

 冒険者リアとモンスターが画角から見切れず、被写体との距離がかなり至近。モンスターは灰となりつつも形を保ったギリギリの状態で、陽光を反射する龍の鱗が美しい――コノハは、いままでの人生で最高の一枚と確信できた。


「やった――ベストショットですっ!」

「ッしゃ――――あ」

「え?」


 その一音はリアを追い掛けていたシオンか、はたまた一部始終を目にして尚も首を傾げたコノハだったか。

 とにかく、シオンの方は理解ができなかった。

 リアが気が抜けるような声を出したかと思えば、消えた。否、落ちた。

 サァァと青ざめたコノハが叫ぶ。


「こっ、ここ崖になってます!!」

「言うの遅いですッ!」


 進むと、茂みの先は地面がプツンと消え、まるで地層を袈裟けさ斬りにしたような急斜面が続いていた。コノハがはばたいて滞空しているのは完全に空中。当たり前に浮遊できる鳥人族だからこその伝達ミスと言える。

 薄暗い下方がよく見えるようにしゃがみ込み、シオンは大きく息を吸う。


「リアー!」

「おー!」


 崖下を見下ろすと、リアの姿が視認できる。転げ落ちたはずだが、遠目には元気そうだ。

 シオンは居ても立っても居られず、足を崖に放り出して滑り降りようとした。


「いま行くから!」

「あわわわわシオンさん落ち着いて! 私が降ろしますからっ!」


 コノハに背中を抱えられて崖を下り、着地するや否やシオンは土まみれのリアに駆け寄る。


「大丈夫!?」

「ん。へーきだ!」


 それなりの高低差を転げ落ちたはずだが、リアには傷一つ無い。度重なる怪我により、加護の恩恵で身体が丈夫になったのだろう。

 そんな事は露知らずのコノハは自分のせいだと血色の悪い顔でリアに頭を下げようとした。


「またもご迷惑を――」

「それよりもシャシン、撮れたか?」

「えっ、あっ……もちろんです!」

「だったらいーじゃねーか」


 空中で掴み取った戦利品の青い羽をコノハに渡すと、リアは明るく笑って立ち上がる。


「戻ろうぜ。腹減った!」

「っ――はい! 御馳走します!」

「ん!」


 依頼も目的も達成。コノハも当面は安心できる事だろう。

 だが、シオンたちの目の前にはもっと現実的で直接的な別の問題があった。眼前の崖である。


「これ、登るしかありませんよね……」

「私が運びますよ。一人ずつになりますけど、そこまで時間はかからないかと」

「ん。オレは自力でなんとかやってみるから、シオンを――」


 リアの鼻先がヒク、と動き――刹那、嗅覚が警鐘を鳴らす。薄らいでいた鱗が再度湧き起こり、空色の双眸そうぼうは崖の反対側にある密生した木々の奥を睨みつける。


「シオン、コノハ。先行け」


 声色の意味を聞かずとも、危険が迫っていると二人は理解した。

 木々の間に気配が動く。現れたのはウェアウルフ一匹だった。


「ウェアウルフっ……怖いですけど、そんなに警戒しなくても――」

「違う、あいつじゃねー。この匂いはやべー……昨日のおっさんのやつだ……!」

「ッ、まさか……」


 おっさんことルドマンが昨日、医務室を訪れた理由。それはとあるモンスターの吐き出す毒を受けたためだ。

 ウェアウルフが吼えようと口を開く。しかし、声が誰かの耳に届くことはない。一度大きく身を震わせたかと思えば、そのまま倒れたのだ。うつ伏せになった背中には、べっとりと紫色の液体が付着している。


「フシュルルルル……」


 それは木の幹に貼り付き、闇を這うように現れた。毒々しいという言葉を体現するような紫色の鱗が密集する体色は、その身に溜め込んだ毒が侵食しているのだと聞く。いざなうように長い舌と尻尾を揺らし、獲物を前にした獰猛な笑みを浮かべる姿に、コノハは心臓を鷲掴みされたように震え上がった。

 カラント森林のモンスター、キラーリザード。体長は成人した人間種ヒューマンにも迫り、殺人者キラーの名が示す通り、身に宿す猛毒で自分より大きな動物すら殺し捕食するモンスターである。


「ひッ……で、でも一匹なら……」


 リアもシオンも首を横に振る。リアは匂いで、シオンは文献ぶんけんで知っていた。キラーリザードは十数匹単位の群れで行動するのだと。

 木々の陰から次々にキラーリザードが這い出てくると、コノハが声にならない悲鳴を押し殺す。叫べば、それが戦闘開始の鐘となるからだ。


「早く逃げろ。オレもちょっと引きつけたらそっち行く」

「……ごめん、リア。手遅れみたい」


 シオンが空を指差す。晴天の中に黒い影がうごめいていた。動体視力に優れるリアはそれが無数のモンスターだと気付く。


「虫か……!?」

「フロックファレーナ……本当に、まずい……!」


 フロックファレーナ。こちらも群れで行動する習性を持つ、巨大な蛾である。巨大な芋虫、フロックワームの成虫であり、動物の死骸に卵を植え付けるために他のモンスターの上空を舞っている事が多い。幸いな事にこのモンスターはかなり脆く弱いが、この状況で厄介な点は別にあった。


「フロックファレーナの鱗粉は即効性の麻痺毒です……いま上空へ行こうものなら身動きが取れなくなって墜落……モンスターの餌食です」

「ぜ、絶体絶命です……!?」

「ん。なら簡単だな」


 リアが短刀を対面のキラーリザードに向ける。数匹のフロックファレーナが高度を下げ、戦いに参戦した。蜥蜴トカゲは鋭い眼を向け、蛾は挑発するようにゆらゆらと空中を遊ぶ。


「全員、ブッ倒す!」


 リアが火蓋を切り落とし、正面から切り込んだ。


「キラーリザードは毒を口から噴射するから注意して!」


 シオンが警告したまさにその瞬間、真正面の一匹が細い口先から毒液を水鉄砲のように撃ち出す。リアは一歩だけ右に跳び、最低限の動きでそれを避けて再突進、一番近いキラーリザードの頭部に短刀を突き刺した。


「まず一匹――」

かがんでっ!」


 コノハの声で反射的に足を広げ、身を伏せたリアの上を毒液が走る。立っていたら間違いなく顔面に浴びていた。

 すかさず猫のような体勢から地表を滑るように駆け、樹木の低い位置に貼り付くキラーリザードを下から上へ斬り裂き、振り上げた短刀を降ろす動作でフロックファレーナの羽を砕く。多対一でも見劣りしない、素晴らしい戦いぶりだ。


「きっ、危険を私が見切ります! お二人は戦いに集中を!」


 コノハはキラーリザードの観察に全神経を注いでいた。残りは十二匹。内、リアの直接脅威になるのは五匹。もちろん、倒せばそれが入れ替わり補充されるし、時間が経てば経つほど脅威になる個体が増える。

 それへの対処は既に始まっていた。


「シオンさん、右から二番目を!」

「はいッ――フレアスフィアッ!」


 コノハの指示した個体に向けて魔法を放つ。リアに向けて飛びかからんと身を溜めた所に水晶が直撃する。


「すごい……!」

「魔法の準備ができる三秒前に合図ください! リアさんッ右から!」


 コノハはリアとモンスターの挙動はもちろん、魔法の速度までも計算に入れて指示を行っていた。

 近接リア支援シオンという普遍にして優秀な組み合わせが、指示コノハのおかげで完璧に機能する。戦闘の歯車が廻り出したのだ。

 視界の外を恐れなくていい。自在に動き回ってもコノハがシオンと繋いでくれる。これまでにない戦いやすさに、リアは自然と笑っていた。


「いけるッ!」


 首を裂いて三匹目のトカゲを仕留めたリアが勝利を確信する。


――今は、自分一人じゃない。


 その自覚がリアに無自覚な焦りを生み出させた。

 後ろの二人が自分を手助けしてくれている。だから、倒れてはならない。二人の為に、倒さなければならない。


――シオンとコノハを守るために、もっと早く脅威モンスターを倒さないと。


 そんな蛮勇によって加速した加護に強化された身体能力が、キラーリザードたちを僅かに上回っていた。

 しかし、忘れていたのだ。


「……?」


 不測の事態はあって然るべき、という戦闘の常識を。

 コノハは微妙な違和感を見逃さなかった。リアの動きが最初より微妙に遅いような気がしたのだ。


「気のせい……いや、でも……ッ」


 見逃さない。リアの踏み出しが一瞬、遅れた。まるで正座で痺れた足を無理に動かしたように。

 リアの異変を本人よりも早く察知し、その原因を導き出した。


「フロックファレーナ……!」

「えっ、上にいるだけですけど……」

「ッ! そうです、攻撃がノロいからって考えから除外したのが間違いでした……!」


 リアは何度もフロックファレーナを倒した。砕かれた羽から散る鱗粉を、確実に吸う距離で。

 その時、リアが五匹目にトドメを刺し――膝をついた。疲労で折り曲げたのではなく、突如力が抜けたように、カクンと。


「ちくしょう、――ッ!」


 動かない脚を見たその一瞬、横殴りの一撃。体内の空気が全て押し出され、脇腹を腕ごと、尻尾で叩かれたのだと理解する。

 吹き飛ばされたリアはシオンたちの元まで転がり、大きく咳き込んだ。


「リアッ!?」

「リアさん、大丈夫で――」

「ッ……!」


 その時、リアだけがモンスターを見ていた。

 痺れる身体を無理矢理に投げ出し、二人の前に立ちふさがる。シオンは何があったのかわからずに呆然とリアの背中を見ていたが、鼻を突く異臭で事態を飲み込む。

 リアは腕の鱗を盾に、噴射された毒液から二人を守ったのだ。


「っ……ぁ、……」


 倒れたリアは酷い有様だった。液状の毒が飛び散り、顔と腕をじくじくと侵している。意識はあるものの、もう一度戦えとこのリアを送り出す残酷さを二人は許容できなかった。


「リアッ!」

いてえ……うご、けねー……」

「麻痺毒です! フロックファレーナを倒した際に、きっと……!」


 リアの容態に目を向けたのは、自分たちを囲む地獄を少しでも忘れたかったのだろう。背後は壁、前にはモンスターの群れ、上空は痺れ粉の包囲網。展望は潰えた。

 にじり寄るキラーリザードたちが口先を向ける。まずは毒液漬けにしてゆっくりと確実に仕留める腹積もりなのだろう。

 コノハは怯えていた。心の表皮から中核まで一切合切に刻み込まれていた死への恐怖が、形を持ってすぐそこに迫っている。

 死ぬ。あと数秒後には毒の海で苦しみ抜いて死ぬんだ。恐怖に溺れる者に判断力など許されない。

 呼吸と共に乱れる視界に、記憶が重なる。

 あの時も森だった。赤く染まる木々を見下ろす真っ赤な鳥居。私の前に立つのは知る中で最も強く、最も優しい人。

 逆光で黒く染まりながらも、なおあかい背中を忘れた事はない。


「あ――――」


 偶然か否か、その影が現実にも重なる。

 そこには震えを奥歯に噛み潰しながらも立ち向かう少年がいた。

 シオンは掌をモンスターに向け、リアとコノハを背に隠す。


――僕に守れるほどの力があればよかったのに。


 そんな諦めにも似た願いを隠し、塩粒ほどの勇気を手に握り込んだのだ。

 時間稼ぎにもならない。結果は変わらない。全てが無駄なあがきかもしれない。


 それでもいい。


「死なせたくない……ッ!」


 狂気じみた、恐怖を孕む一心が少年を動かす。リアを、コノハを生かすためならこの身を溶かしても構わないという悲壮な決意があった。


 なんで。

 そう言いかけて、言葉を止めた。


――非合理だ。道理に合わない。

 リアさんはともかく、関係の薄い自分まで守ろうとする意味がわからない。ここに連れてきてしまった元凶の私を羽交い締めにして盾にしてしまえばいいのに。

 ……でも、仕方がないとわかった。

 この人はそういう人。こんな状況でも自分より『誰か』を優先してしまう紛れもない勇者なのだろう。リアさんもそう。泣き喚き、逃げてばかりの私なんかとは比べ物にならない、立派な『人』だ。

 九匹並んだキラーリザードの喉元が流動する。毒液の前兆――死へのカウントダウン。


「いや……」


 シオンが魔力を充填させる。だが【フレアスフィア】では仕留められても一匹。残る八射を防ぐ術は肉体の盾以外にない。

 だからこそ、強く願った。

 もう誰も死なせたくない、と。


「やめてぇっ!!」


 輝いたのは、加護の紋章か反射した日光か。


「これは……!?」


 浴びるはずだった毒液がシオンに届く事はなかった。無論、リアにもコノハにも。

 三人を――コノハを中心として、逆巻く突風が吹き荒れる。それが都合のいい自然現象ではなく、唇を結んで必死に両手をかざすコノハの加護であるのは明白だった。

 しかし、風の遮幕しゃまくは繭のように心許こころもとなく、そう長くは保たない。ウィンドイーグルがそうであったように、動力源が途絶とだえれば風はすぐに消え去ってしまう。

 数秒と経たず弱まり始めた幕の向こう、毒液を溜めて待ち受けるモンスターたちが垣間見えた。


「ごめ、なさい……ッ、巫術、久し振りすぎて……制御が……!」


 ヒュル、と糸がほどけるようにほころびが現れる。

 万事休す、とコノハが涙を落とす――


「……? いま、何か……」


 風の具合による空耳だと思った。


『――――ぁ――――』


 または、あまりの恐怖で死神的な何かの幻聴が聞こえたかと。


『――ぁぁはははははははははははッ!!」


 着弾。

 凄まじい地響きと爆笑。ただでさえ異常な笑い声には大空を舞ったリアと同じ、楽しくて仕方がないといった明るさがある。

 コノハでさえ、それが何なのか欠片も理解できなかった。当然だ。人が狂ったように笑いながら降ってきて、今は地面に槍が如く頭から突き刺さっているのだから。

 シオンもコノハも、モンスターすらも目を丸くして思考を停止する。そして、謎の存在が作った空白を斬り裂くように、声が挿し込まれる。またもや、上空から。


「伏せてッ!」


 強気な女性の声に従った瞬間、シオンたちの頭上を一閃が走る。

 残像も残さぬスピードで振り抜かれた一撃が破裂音にも近い快音と共にキラーリザードの半数を吹き飛ばす。降り立った人影の手許てもとへ踊るように舞い戻るそれがむちであると気付き、シオンは驚きに息を飲んだ。


「メリアさん!?」


 メリア・クランド。種族は犬人族シアンスロープ

 シオンを幼少期から知る一人であり、一級冒険者にも名を連ねる鞭の名手。

 コルドの仲間、冒険者チーム【ウィーザー】の切り込み隊長である。

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