第26話 小さな覚悟



 ギルド医務室にて、盛大に 提灯ちょうちんを膨らませていたユラを叩き起こして職員に引き渡し、コルドはコノハに次第を説明した。


「か、回復魔法……!? そんな御伽噺おとぎばなしみたいなモノが……現実にあるんだから否定のしようがないですね……!?」

「そうだ。シオンは人間族だが胸に水晶があり、その原因は一切わからねぇ。さらに回復魔法という前例のない奇跡を持ってる。これが世間に広まればどうなるか……嬢ちゃんならわかんだろ」

「は、はい。まずは原因究明のために人都やら学術都市に引っ張りだこになりますし、無事に検査や調査が終わったとしても情報が回れば世界中から治療の依頼が殺到するはずです。最悪の可能性としては……犯罪組織に拉致されるかもしれません」


 眉をひそめ、神妙にコノハは回答する。コルドは重く頷いた。

 そして、拉致という二文字にシオンの体が強張る。幼少期のトラウマがもう一度、繰り返されるなどあってはならない。


 ……もしもそうなってしまった時、この心は耐えられるのだろうか。

 視界を塞がれ遠くへ攫われる瞬間。意味も理由もわからない最中、ひたすらに恐怖だけが積もり続ける。

 きっと周囲の人々は助けようと躍起になってくれるはずだ。でも、その結果がまたも『あれ』を招くなら。

 また誰かが犠牲になるなら、僕は生きる気力を保てるのか。

 名前も知らない悪に利用されるとわかった上で、尚も生にすがる事を僕は許せるのだろうか。


「……シオン?」


 リアが心配そうに顔を覗き込む。そこでようやくシオンは我に返った。


「ご、ごめんリア。考え事してて……どうかしたの?」

「ん。シオンが痛そうな顔してたから……」


 痛そう。

 なんと的を射た言葉だろう。シオンが無意識に自分をマイナスに追い込んでいく姿を、まるで自ら首を締め、肌を掻きむしっているようにリアのまなこは捉えたのだ。

 リアはシオンの手を握った。


「オレが守る。オレが助ける。だから、安心しろ」

「リア……ありがとう。本当、男女が逆だよね……ははっ」

「オレとシオンはこれでいーんだよ」


 リアは相棒の自嘲すら蹴っ飛ばして笑う。龍の少女らしい心の強さだ。


「……距離近くないですか?」

「良くも悪くも人との距離感がわからねぇ二人だからな。気にしねぇ方がいいぞ」

「了解です。それにしても胸に水晶……んー、何かそういう話を聞いた事があるような……?」


 曖昧な記憶を探るコノハに「それよりも」と前置きし、コルドは重苦しい空気を作り出す。


「俺に限らず、シオンの詳細を知る奴はみんなそれを隠してきた。だが、いつまでも隠し通せるとも思ってねぇ。今だから言うが、俺らの理想はシオンが立ち直って自己防衛できるぐらいの力をつける事。現状、そこにはまだまだ遠い……可能な限り引き延ばすし、それ無しにしても無為に広めるつもりはねぇ。その口縫えとは言わねぇが……わかったな?」

「もちろんです! 崖っぷちで手を貸してくれた恩人に仇なんて返しません!」


 言い切るコノハによどみはなく、本心からの言葉だとコルドは察知した。

 ヒノモトの人類は義理堅い、というのは付き合いもそれなりにあるナギの弁。手放しに信頼はできないが、一応は大丈夫だろうと判断できる。


「ところでだ嬢ちゃん。お前もしかして、一ツ橋の――」


 言葉の途中で医務室のドアに吊られた鐘がカラコロと鳴った。入ってきたのは巨漢、ルドマンだ。


「おう坊主。ちょいと怪我が――あん? 取り込み中か」

「別に何もねぇさ」

「ん……おっさん、血と……なんだこのくっせーの」

「怪我!? ルドマンさん、こちらへ!」


 急かすシオンに勧められた診察椅子に座ると、ルドマンは丸太のような腕を突き出す。手首から肘にかけて酸臭の強い紫色の液体がへばりついており、それが皮膚をどろりと溶かしていた。絶え間なく激痛が襲っているだろうに平気をよそおうのは、ルドマンの冒険者としての意地だ。


「これは……!」

「キラーリザードか」

「おう、毒液をモロにな。ったく、腕試しでも一人で行くもんじゃねぇなあんなトコ」


 シオンは薬品棚から数種の薬草を素早く選び取り、机に並べて陶器の中ですり潰し始める。少しずつ水と混ぜて練り、ペースト状にするのだ。作り置きのポーションや軟膏なんこうで対応できなくもないが、時間が許すのなら毒にはきちんと効能を絞った薬を作りたいというのがシオンの考えだ。


「えっと、その……」


 調合の間は患者との会話で繋ぐのだとユラに聞いていたため、シオンは手は止めずにおっかなびっくり言葉を選ぶ。


「……ご趣味は?」

「無理すんな坊主。別に気ぃ遣わず話せよ」

「は、はい……そ、そういえば、アレスさんは……」

「さっきも言ったが、腕試しのつもりだったから俺一人で森に行ってたんだ。あいつなら街でブラついてるか、自衛団にしごかれてるだろうよ」

「自衛団……そういえば、ルドマンさんはジーナさんと面識があるんですか?」

「団長か。あいつなら多少は、な」


 円滑に回り出した会話を聞きながら、コルドはよちよち歩きの息子が無事に歩け出せたような感慨深さに目を閉じて頷いた。

 そんな中、リアは不思議そうに首をひねって後方――自分の背中で縮こまって隠れるコノハを見下ろす。


「どしたコノハ?」

「あ、あの悪人面――んん、禿頭ハゲの御方、私が同行を頼んだらキツイ言葉で断ったんです……」

「聞こえてんぞクソガキ」

「ひぅ」


 さらに小さくなろうとするコノハを鼻で笑い、ルドマンは同行を断った理由を言い聞かせるように並べた。


「武器の心得無し、魔法も使えない、荷物持ちさせる体力も無い。そんな三拍子、連れて行かねぇのが当たり前だろうが。ただでさえローベルがいねぇのに、やかましいだけの荷物を増やせるかよ」

「言い過ぎだぞおっさん!」

「フン、事実だ。モンスターと戦う覚悟もねぇような奴がついてきても邪魔にしかならねぇ」


 あんまりな言いぐさだとしても、コノハは何も言い返せなかった。お荷物なのも戦えないのも事実。あちらが正論。ぐうの音も出ない。

 ルドマンは視線を落とす少女の矮小な心根を見透かし、その上で嗤う。


「特異点騒ぎの時、この坊主ですら人を守るために魔法で戦う気概を見せた。だが、お前にそれができるか?」


 図星を指され、無意識に身が震えた。


「何かひとつでもこいつらの利益になれたか?」


 なれていない。回復魔法を見てしまった事含め、迷惑と邪魔以外の何物でもなかったのだから。


 ――だってそうだ。私には、何の覚悟も……


「覚悟ならある!」


 叫んだのはリア。代弁や弁護というよりはただのムカつきからくる反論のようだった。


「たしかにコノハはモンスターが怖いって言ってた! それでも夢のためにがんばって行動してんだ! バカにすんなおっさん!」

「頑張ってる? あぁそりゃ立派だ。じゃあソイツは戦ったのか?」

「戦ってねー! けど、それがどうした?」

「だろうな…………なぁ嬢ちゃんよ。お前、モンスターに何かしら深い因縁があるだろ」


 コノハが矢で射られた鳥のように呼吸を飲んだ。掻き立てられた心のおりが少女の瞳を激しく揺さぶる。


「その目……俺は何百何千とそれを見てきた。名前だけで尻込みし、足が竦んで言葉も忘れちまう――恐怖に溺れた目だ」

「そ……れは……」

「お前がなんでモンスターを怖がるのか。それなのに何故モンスターに関わる――いや、こだわるのか。俺は訊くつもりもねぇし知るつもりもねぇ。ただ、己で剣を持つ覚悟もねぇんなら俺らに関わらねぇ方が身のためだ」


 続く言葉は、決してコノハ一人に向けられたものではなかった。重ねられた経験が紡ぐ警告が、低く響く。


傲慢ごうまんさと甘い考えが自分どころか周囲を巻き込んじまうのに時間はそうかからねぇ。お前らが思う以上にその一歩先は地獄だ。モンスター以外の方法もあるだろうさ。手遅れになる前に諦めな」


 少女二人が言葉を失い、立ち尽くす。

 重たく静まった空気の中、ぺちん、とルドマンの腕に布が貼られた。しっかりと消毒成分が抽出された薬液を染み込ませた湿布は、心なしか勢いよく患部に付けられる。


「ずぉ!? み……ッ!」

「毒液で皮膚が溶けかかってますから、痛いに決まってます。……ルドマンさんの言葉は正しいです。たしかに、僕らもコノハさん一人なら守り通せてモンスターも倒せるだろうっていう勘違いをしていました。でも、口調が意地悪過ぎます。それはダメだと思いますよ」

「っはははは! 言われたなルドマン!」

「黙れクソ野郎。わかった、坊主。次からは覚えてたら気を付ける」

「……エンカの絞り汁ってすっごく辛くて触るとピリピリするんです。知ってましたか?」

「わかった! 本当にわかったからやめろ!」


 治療モードのシオンは患者の改善点をきっちりと叱る。お節介だと思いつつも、この時だけは『嫌われてもいい』と割り切って言えるのだ。

 少し和んだ空気の中、不服そうにリアが切り出す。


「でもシオン。コノハをあんなに言われたら腹立つだろ!」

「うん……でも、ルドマンさんの言葉だって事実だよ。僕らはコノハさんを危険に晒し、結果は庇ったリアが負傷した。僕らは間違いなく身の丈に合ってない事をしてたんだ。このままじゃ、明日も同じことを繰り返すだけになる」

「なら、コノハがモンスター怖くなくなりゃいーだろ! オレだって龍だって言うのが怖かったけど、今は平気だぞ。コノハも――」

「自分ができたから他人もできるなんて、軽々しく言わないで。心の傷がどれだけ癒えなくて痛くて苦しいか……それだけは僕もわかってるから」


 碧の瞳をよぎるのは深く暗い色だった。

 陰惨いんさん静謐せいひつで苛烈な感情に触発され、リアにも恐怖が沸き立つ。あの、ローベルに殺意を向けられた瞬間、臓腑ぞうふが冷えて全てが暗くなっていく瞬間が。

 心の傷が、折り重なる長年の感情がどれほど根深いのかをリアは思い知った。

 シオンは語気が荒くなったことを「ごめん」と謝り、己の胸元に手を添える。


「リアはきっかけがあれば自分で打ち壊せた。元々、そういう芯の強さがあったから。僕は弱かったけど、リアのおかげで歩き出せた。でも、僕らができたからコノハさんも絶対そうできるなんて僕は言えないんだ」

「そう……なのか?」

「っ……」


 コノハは震える腕で自分を掻き抱き、無言で肯定した。


――ああ、終わりだ。

――大人しく帰ろう。諦めよう。

――無理な話だったんだ。私なんかがモンスターを克服しようだなんて。


――私なんて自分の力じゃどこにも行けない葉端このはなんだから。


 諦観は泡沫うたかたと消え去る。


「――だから、僕は手伝います」


 シオンの提案に驚いたがためだ。


「コノハさんが別の方法を取るならそれを手伝いますし、方法が見つからないなら一緒に考えます。……まだモンスターの写真を撮るのなら。もしも戦うのなら、それに精一杯応じます」

「ん、そっか。うん、それがいいな! さっきはごめんなコノハ。代わりに、オレにできる事ならなんでもするぞ!」


 誠心誠意で微笑むシオンと、己の間違いをすぐに認めて手を差し出すリア。

 軒下の陰に射す陽光のように思えた。

 こんなどうしようもなく意気地なしなコノハと共に歩いてくれる人が、ここにもいたのだ。

 二人も同じ。心に何か深い傷を抱えている。なのに、私の手を取ってくれようとしている。私は自分の事だけでいっぱいいっぱいなのに。


――ダメだ。


「わ、私……私っ、は……!」


 口の中がカラカラだった。上手く声が出せないのに言葉が腹の底から押し寄せて、呼吸も喉の動きもめちゃくちゃだ。

 落ち着いて。言うのはたったひとつ。たったひとつだけでいい。


「た――たたかい、ます……!」


 上擦って揺れた声で、それでも必死に拳を握りしめて。


 ――二人は私を真正面から見てくれてる。

 ――どうして写真にこだわるのか。なんでモンスターなのか。肝心な理由すらちっちゃい恥ずかしさのせいで話せない私を、だ。

 ――だから、ダメだ。


 ――この人達から目を背けちゃダメだ!


「かっ、考、えただけで怖いです……けど、そ、それでもっ! 私だって後に引けない理由があるんです!!」


 その声にはピンと一本の芯があった。頼りなくとも、小さな。まだ覚悟と呼べないほど細く小さな種火があった。

 ルドマンは震える少女を再び鼻で笑う。だが、そこに悪意は感じられない。むしろ、期待が薄くにじんでいるようだった。


「口じゃなんとでも言える。やってみな嬢ちゃん」

「あ、あったりまえです!」

「ん! 見せつけてやろーぜコノハ!」

「はいっ!」


 ここに少女の覚悟が定まり始める。


「…………」


 それを窓の外から監視する黒い影に、誰も気づく事はなかった。


 コノハの期限まで、あと三日。





「ねぇ、どうかしたの?」


 少女はフードの奥へ呼びかける。真っ赤な瞳が覗く深淵には、酷く物憂げな表情の青年がいた。彼は何も言わず、ただ閉じて開くだけの瞳の中で何かを考え続けている。

 少女は不満そうに彼の肩へ手を回した。

 森から戻ってきてから、ずっとこうだ。ただ不機嫌だというのならそれでもいい。しかし、少女は彼の感情が少なくとも単純ではないという事を読み取っている。故に、放っておけない。


「答えて。ねぇ、『おにーちゃん』」


 ピク、と指先が動く。瞳孔も揺らいだ。

 この言葉は呪い。彼を血の道へ落とした原因であり、彼の理性を繋ぐ最後の糸。少女はそれがどれほど惨酷な行いか理解して、幼子のように青年の膝へ座り、無邪気に振る舞う。


「寂しいの。『おにーちゃん』はいつもいないから――」

「やめろ。やめてくれ」

「……ええ、そうね」


 ようやく、と呆れたように声色を戻し、少女は彼の頬に触れる。


「ねぇ、ヴァント。私たちはパートナー。違うの?」

「……違わない」

「だったら教えなさい。遺物を探すにあたって別行動を選択したのはあなた。そして詳細を報告し合うと決めたのもあなた。約束を破るの?」

「…………わかった、話す」


 青年は重苦しく唇を動かす。その目は、感情という紅茶を飲み干したように無機質だった。


「水晶の少年と龍の少女。彼らの姿を見た」

「ああ、あの二人……どうかしたの?」

「……まだ、僕は信じられない。だからこそ、確証が欲しい」

「そんなものがあるの?」


 少女の疑問は当然だ。口ぶりからして何かしらの現場を目撃したであろう彼が物証を持っていないのなら、どこにそれがあるというのか。青年は極めて簡素に話した。


「写真だ。……彼らと行動を共にする、鳥人族ハーピーの少女が持っている」

「奪えばいいのね?」

「……ああ。だが、少女には秘密裏に監視がついている。かなりの手練れが」

「心配なんていらないわ。相手が人である限り、人でなしの私が負ける事はないもの」


 クスクスと笑い、少女は空を泳ぐ。空気を孕んだ服に隙間が生じ、胸元が露わになる。本来は生肌であるそこでキラキラと月光を反射する水晶が、少女の自称が酔狂ではないと語るのだ。


「言われなくても、見ているわ。【狩人】がいるのならいつかはその秘密も露呈するもの。そうなれば好機がすぐに来るでしょう?」

「……頼んだ」


 青年の姿が掻き消える。どこへ向かうのかは知らない。ただ、少女はいつでも青年の居場所を把握している。

 青年は、少女の居場所を何も知らないし、気に掛けない。


「……ねえ、ヴァン」


 ふわり、浮き上がる。今日は雲もない。いやなほどに月が美しい夜。

 手を伸ばせば、届きそう。もう少し近付けば、このまま小さな体を隠せてしまいそう。

 そんな夢想を抱きながら、少女は膝を抱え、体を丸めて声を殺す。


「寂しかったのは、本当なのよ」


 声は月にしか聴こえない。


「私はあなたにたくさんをあげてるのに、あなたが見ているのはいつだってあの子なんだもの」


 人々は少女を人でなしと呼んだ。


「わかっているわ。私なんかがそれを望んではいけないなんて」


 少女は己を人でなしと呼ぶ。


「それでも、悲しいの」


 それでも、この感情に、この揺らぎに名を与えるのなら――――嫉妬、なのだろう。


「私だって、あなたに――――」

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