第25話 万能薬の目撃者
「森ですね! もう全部が森ですね! うわっ、虫が! と思ったらチクチクする草がっ!?」
カラント森林へ入ってすぐ、コノハは森からの洗礼に四苦八苦していた。
「だいじょーぶかコノハ?」
「うぅー、すみません。どうにも自然と縁遠い生活が長くて……」
それでも平気を装うコノハだが、シオンの目には顔色がかなり悪く映った。慣れない環境や迫る期日の気苦労に加え、苦手だというモンスターへの緊張故だろう。
「そろそろ出る地帯ですけど……大丈夫ですか? 厳しそうなら、一旦戻って落ち着いてからでも」
「いっ、いえ! お二人に迷惑をかけるわけにはいきません! モンスターは怖いですが、お二人が一緒ならなんとか――――」
ガサリ、草むらが動く。葉の合間から現れたのはこの森の代表モンスター、カラントウルフ。
「ひッ――――」
「んっ。肩慣らしにはちょうどいっ!?」
短刀を抜こうとした瞬間、リアは背中に重みを感じて立ち止まった。首筋には腕が回され、腹は両脚でガッチリとホールド。首筋には荒い呼気が絶え間なく降ってくる。
「ひッ……!」
リアに抱き付いたコノハが唇――いや、歯をガタガタと震わせた。
「も、モンスター……こわいぃ……こわいですぅぅっ!!」
「コノハさん!?」
涙を浮かべ、目を回して怯えるコノハは錯乱状態に陥っている。
「お、落ち着けってコノハ!」
「まずは追い払わないと……!」
シオンは動けないリアに代わってモンスターの前に躍り出て、近距離から狙いを外さぬように
意識するのはただ当てる、そして先制のために素早く放つ。それだけ。
「フレアスフィア!」
「ぎゃぅッ!?」
魔力を抑えた小さな炎球を当てると、ウルフは毛を炙る炎に驚いて逃げて行く。
シオンは安堵して額の汗を拭い、リアが震えるコノハに安全を伝える。
「コノハ、モンスターいなくなったぞ」
「ふぇ? は、はいぃ……」
コノハはリアから降りると、ため息と同時に座り込んだ。自分が情けないと険しい瞳を下に向ける。
「さっそくお二人に迷惑を……ごめんなさい……」
「別にいいぞ。それより、だいじょーぶかコノハ?」
「やっぱり、戻った方が……」
「い、いえ! 次こそは大丈夫です! 次こそ……だって、あんなのあいつに比べれば……!」
シオンは歯を軋ませるその表情に悲壮な覚悟を見た。
「だっ、だからお願いです。まだ、見放さないでください! き、きっとお役に……やっ、役立たずじゃないって証明しますからっ!」
それは弁明というより懇願だった。声色は感情がそうであるように激しく揺らぎ、笑顔は一度剥がしたシールのようにグラついている。
まだ、捨てられるわけには。シオンには、その叫びが聴こえた気がした。
さっきの様相は苦手などという単語では片付けられない拒否反応だった。おそらくは印象をよくするために作っていたであろう愛想が一瞬で崩れ、修復し切れないほどに心が乱れている。
そうまでしても、真正面から向き合わなければならない理由がコノハにはあるのだろう。
リアはそれをわかった上で、吹き飛ばすように言う。
「よくわかんねーけど、モンスターが怖いんだろ? だったらオレが守ってやる!」
「僕も……微力ながら。怪我の際はお任せください」
曲がりなりにも特異点と戦った二人の励ましは、コノハにとって十二分に頼もしいものだった。目元をぐしぐしと袖で拭い「はい!」と勇んで立ち上がる。
「リアさんシオンさん……っ! 私、絶対お二人に恩返しします! モンスターなんて怖くありません!」
「キュイ?」
「あ、植物のがコノハの足に」
「ひぎゃァァァァァァァッ!!?」
今度は近くにいたシオンに飛び付き、飛び上がった。そう、翼をフル活用した飛翔である。リアの姿が点になるほどの上空へ。
「う――――うわぁぁぁぁっ!?」
「はッ! ご、ごめんなさいぃぃ!!」
すぐさまコノハは体勢を整え、シオンの胴を抱えて飛行を安定させた。バサッ、バサッと広げられた黒翼がはばたく。
誰もが幼少期に夢見る空中飛行。シオンもまたその口で、遥か上空から見下ろす森と遠くに見えるレノワールの街は雄大な世界を一望しているようで心が
「すごい……っ!」
「飛ぶのは初めてですか? 綺麗でしょうこういうの!」
「それにすごいスピードでした……」
「あはは、速さだけは折り紙付きでして……すみませんご迷惑を。
ミニチュアのようになった森を
「どうしま――――」
したか、とシオンが尋ねるより前に彼女は地上へ向かって急降下を始める。
シオンは何が起きたのかわからぬまま、ただ落ちているとだけ自覚して叫べぬほどの恐怖を身に刻んだ。
そして超特急は一本の木の上で急停止、滞空する。
「見つけました! ほらシオンさん、ウィンドイーグルの巣ですよ!」
「う……うぅ……」
青い羽が散乱する鳥の巣の発見に喜ぶコノハだが、シオンは高低差と緩急に目が回ってそれどころではない。
「急いでリアさんの元へ行きましょう!」
「ゆ、ゆっくりおねが――――」
言わずもがな、高速であった。
「リアさーん! 巣を見つけましたー!」
「マジか、やったな! つーかスゲーなコノハ!」
「降ろして……ください……」
「はッ、ごめんなさいっ!」
ようやく地に足を付けたシオンはおぼつかぬ足取りで、興奮しているリアに寄り掛かる。
「空飛ぶの、オレも後でやりてー!」
「やめた方が……うぅ……」
上空の昂揚から一転、声も出せない風圧と全身で感じる落下感と迫りくる緑の景色はシオンに多大な恐怖を与えた。しばらく、高所はごめんだ。シオンはぼさぼさになった髪を
「すみませんシオンさん……そ、それより早く行ってウィンドイーグルが来るのを待ちましょう!」
「ん、そうだな。シオン行けるか? おんぶするか?」
「だ、だいじょうぶ……うぅ」
リアの肩を借りながらコノハの案内についていき、背が高い木の手前で茂みに隠れる。
「この木です。ほら、あそこに巣が」
「ん。あそこか」
「すごいですね二人とも……僕にはどこにあるのかさっぱりです」
「鳥人族は視力が良い種族ですから。龍人族も高い身体能力があると聞きますし、おそらくは目が良いはずです」
「しッ、来たぞ」
リアが指差す方向から、影が飛来する。青い羽を有する鷹――ウィンドイーグルだ。
こちらに気付いた様子はなく、木の中の巣に戻って羽を休め始めた。
「っ……や、やっぱりホンモノは遠くても迫力が……」
「コノハさん、大丈夫ですか?」
「は、はい、平気です……!」
コノハは気を吐くが、カメラを持つ両手が小さく震えているのをシオンは見逃さない。リアも気付いているが、平気だと強がるコノハの気持ちを優先させた。
「よし、オレが木を登って……」
「気付かれたら一方的に攻撃されるからダメ。普通なら遠距離武器で先制するらしいけど……」
短刀しか持たないリアと非戦闘員のコノハ。シオンの魔法しか選択肢はない。
「でもシオンさんの魔法、火でしたよね? マナの火はすぐ消えるので火事にはならないと思いますけど、ウィンドイーグルが逃げてしまうのでは……」
森のモンスターは火とは無縁だ。故にモンスターを追い払うには火焔の魔法が有効だが、倒さなければならない場合はコノハの危惧する通り、逃げられてしまうため悪手となる。
「水晶だけの空弾を撃ち込みます。僕らを視認すれば逃げはしないはず……行くよ、リア」
「ん。いつでもいいぞ」
二人は示し合わせ、リアが草むらを飛び出すと同時にシオンが水晶の殻を飛ばす。それが巣の近くに直撃し、甲高い破音が戦闘の合図になった。
ウィンドイーグルが先陣を切るリアを視認して鳴き、鋭い
「よっ――らッ!」
リアが木の幹を駆け上り、翼めがけて短刀を振るう。しかし、上昇されてたやすく避けられる。空中は有翼の独壇場、攻撃を当てる事すら難しい。
「アァアア!」
「んぐっ!?」
羽ばたきによって巻き起こった突風にリアは揉まれ、地面へ叩き落される。
すかさずウィンドイーグルは矢の如く身を細め、急転直下。その威力と速度は
「っぶね!」
リアは身を転がし、紙一重で嘴を
「フレアスフィア!」
「うおっ!?」
同じくモンスターの攻撃直後を狙ってシオンの放った魔法がリアを直撃しかけた。シオンはハッとそれに気付いて謝罪を叫ぶ。
「ご、ごめん!」
「あああ、かめっ、カメラ、を……!」
その横では震える手がカメラを掴めないコノハ。草むらの二人が大わらわになる中でも、リアの戦いはすぐ再開された。
もう一度振り抜いた短刀は空を切り、上昇したモンスターは優位からの攻撃を押し付ける。風圧に足を止められ、巻き込まれた砂塵に視界を封じられるリアは圧倒的に不利だった。
「今度こそっ!」
シオンはリアから離れている状況に目を付け、ウィンドイーグルに魔法を放つ。だが水晶球もまた風に煽られ、あまつさえリアの方へと落下してしまう。
「また……!」
「ッ、ありがとなシオン!」
リアは水晶球を掴んで振りかぶり、ウィンドイーグルに向けて思い切り投擲した。逆風を突っ切り、水晶が右翼に命中。燃え広がった炎により、ウィンドイーグルは悲鳴と共に体勢を崩す。
「やった……よかった……」
「しゃ、シャッターチャンス!」
シオンの安堵も束の間、コノハはモンスターが弱った安心感と一枚も写真を撮れていない焦燥で草むらから飛び出してしまった。
その瞬間、ウィンドイーグルはコノハへ敵意を向けた。戦闘本能が眼前の
己への殺意をコノハは鋭敏に感受した。
「あ――――……!」
逃げようとした。
でも、足が
翼が
腕が折れる? 足がえぐれる? お腹に風穴?
嫌だ。怖い。痛いのは嫌だ。
――お母さんは、もっと痛かったのかな。
「コノハぁッ!」
黒羽と青羽の直線状に割り込んだのは、
コノハはぼやけた思考の中に二つの紅を見た。龍鱗と、鮮血の紅色だ。
痛みはない。衝撃も、脱力も。頭の回転が速い彼女はすぐさま理解した。
「ぐぶっ」
「――――リアさんッ!?」
昨日出会ったばかりの少女に、庇われたのだと。
ウィンドイーグルを見る。胴部を短刀に貫かれたモンスターは既に灰に還っており、目を瞑り倒れたリアの腹上には戦利品の青い羽と、腹の内から溢れた血だまりがあった。
「わ、私の……せい……あ、ああ――あ……!」
「ッ!」
立ち尽くすコノハを追い抜き、シオンがリアの首に触れる。体温と脈動が指先に伝わった。
「リアッ! 目を開けて!」
「ん……いてー……!」
「よかった……脈も安定してる。傷もそんなに深くはないみたい」
「へへ……強いからな、オレ」
一安心したシオンがポーションや包帯といった医療道具を取り出し、速やかに処置を済ませていく。強がるリアだが処置は拒まず、なすがままに委ねていた。
その邪魔をせぬようにと一歩離れ、コノハは激しく狼狽しながら大粒の涙とをこぼす。
「り、リアさっ……ごめ、ごめんなさいっ……私のせいで……!」
「このぐらい、へーきだ。コノハはケガねーか?」
「私なんてどうでもいいんです……私なんかのせいで迷惑ばかりかけて、ごめんなさい……!」
「いいんだよ、オレがやったんだから……コノハが無事なら、よかった……
染み入るポーションに呻くリアを心配げに見下ろすコノハに、シオンが鬱色の声で言う。
「コノハさんが気負う必要はありません。反省すべきは僕です。魔法がかえってリアの邪魔をし、コノハさんとの距離が近かったのは僕なのに何もできなかった……」
「そ、そんな事……」
コノハは違うと言いたかった。
一発目はそうかもしれないが、二発目は結果として逆転の一手となった。コノハの脳内にはシオンの魔法を、水晶の殻という特徴を生かす方法が何通りも浮かんでいる。
「っ、私……が……――」
その沈痛な背中を見ていると何も言えない。こらえきれず、嗚咽が喉を揺らした。そんな状況を作った自分をただ責めることしか、コノハにはできなかったのだ。
「…………ったく。見てらんねーな」
重く停滞した空気は、空から落ちてきた声に破られる。
足音もなく草地に降り立つのは痩躯の青年、コルド。
「反省会ならベリーのトコでやれ。俺が言うのもおかしな話だが、森でやってりゃ気が
「コルドさん、どうして……」
「探し物ついでに見かけたのさ。別に口出しもいらねぇと思ったが……まあいい。嬢ちゃんが
「は、はひ……こ、コルド・サッチャーさん……!?」
一級冒険者ともなればその界隈では有名人である。そんな彼の登場で頭がまっさらになったコノハは、シオンの身の上が現実だったという実感に驚愕しながらもコルドの後をついていく。
「シオンも処置が終わったら来い。俺らがいねぇ方が都合がいいだろ」
「っ、はい」
肩越しの言葉の意味を理解し、シオンは頷いた。
そのまま早足に森を進むコルドに、コノハは困惑しつつ話しかける。
「あの、サッチャーさん? 治療をしてもリアさんとシオンさんを放置は危ないんじゃ……」
「コルドでいい。あいつらなら平気だ。リアは言わずもがな、シオンも多少の体力はある。こっから安全地帯ぐらいなら余裕で走れるぞ」
「で、ですけど、リアさんはお腹に……」
「あー……
――ごめんな、シオン……またケガしちまった。
――謝らなくていいよリア。僕のせいみたいなものだし……今回は倒れないようにがんばるね。
木々を伝わる『声』にコルドは少し焦る。まだ距離が開いてない。話し声はともかく、光が見えるかもしれない。
(
頭を掻くコルドの挙動から、コノハは彼の
果たして悪か、善か。
コノハは頭を押さえて
一級冒険者が悪に染まっているとは考えにくい。でも、確実に後ろめたい何かがある。二人を私から隔離しなければならない理由が。
「でも……うぅ……」
そもそもの怪我の原因は自分にある。そうだ。元凶が何を疑っていい権利があるというのか。
私は発言権も行動権もない。己を押し殺すのが最適解。
――だとしても、知りたい。
「? どうした」
「ご……ごめんなさいっ!」
「っ!? 待てッ!」
背後の
――私のせい。わかっている。だからこそ、確かめずにはいられない。
二人が何をしているのか。何故、わざわざ隠すのか。リアの傷は治るのか。
そこに一体、何があるのか。
「リアさ――――ッ」
木漏れ日の射す二人の元へ辿り着いた瞬間、抱えていた不安は柔らかな光に包まれて消えた。
シオンの膝に頭を預けて目を閉じるリア。祈るように目を瞑るシオン。穏やかな二人を取り囲む
ふわり、輝いたのは少し開かれたローブの胸元。その時、疑問が氷解した。防具でもお守りでもなく――
「身体に水晶が……」
溢れ出す魔力。
コノハは言葉を失う。自らの
しかし、コノハは何が起こっているかをある程度理解していた。水晶の花が、リアの傷を癒しているのだと。
コノハは無意識にシャッターを切っていた。
数秒後、
「あ――――」
「っと。へーきか?」
くらりと倒れかけたシオンを、すかさず起き上がったリアが抱き留めた。構図はまるで演劇の山場、口づけ寸前の王子と姫のようだ。すかさずユラへの献上用としてシャッターが切られる。
コノハの飛行速度に置いて行かれたコルドが辿り着くなり現状を察知し、ガクンと
「やらかした……!」
「――はッ! というか何ですか今の!? 光が花になって、傷治りましたよね今!?」
「えっ、コノハさん!?」
「大声出すなバカッ! はぁ……後で説明するが、他言無用だ。話したら……わかるな?」
不機嫌そのものな声でカチャリと鳴らしたのはクロスボウの機構。既に
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