第19話 それは、小さな
南門前。
アレスから事情を聞き、ユラは青ざめた。
「そんな――――ッ、今すぐ自衛団を! あと、コルドを呼んで!!」
「こ、コルドさんなら昨晩から街を出ています!」
「はぁ!? こんな肝心な時に何やってんのよ、森はあんたのフィールドでしょ……っ!」
焦燥から、髪を掻き乱す。かわいい妹分が命の危機なのに、頼りになる存在は行方知れず。ユラは必死に最善策を探していた。
――なのに、シオンは思考が立ち止まったままだ。
「リア……そんな……っ」
助けに――いや、僕が行ったとして何ができる?
助けるどころか足を引っ張るだけだ。それどころか、森の中じゃリアの元へ辿り着けるかすらわからない。
だったら、大人しく誰かが向かうのを待って――――
『他の誰かって、誰だよ』
リアの言葉が胸に蘇る。
冒険者が逃げ出さなければならないような未知の特異点を倒せる人が、レノワールに何人いるだろう。数少ない一級冒険者はみんな出払っている。心当たりがあるとすれば、自衛団団長のジーナのみ。しかし彼女を呼びに行き、向かわせるほどの時間が残されているのか?
「リアは今も戦って……」
『やっぱスゲーなシオンは!』
また、間違うのか?
目の前にある笑顔すら守れず、一生を後悔という暗夜の中で歩むのか?
そうやって、失った全てから目を背け続けるのか?
「そんなの、嫌だ……!」
『楽しみにしとくな!』
心に響いた声で、荒れ狂う感情がふっと静まった。
胸に手を置く。呼吸を整え、乱雑な感情を意識の海に沈める。落ち着けと何度も言い聞かせた心の水面に、ひとつの言葉を落とした。
――僕は、何をしたいんだ。
波紋の先に映ったのは、赤髪の少女。傷だらけでも前を向く、まだ小さな龍の英雄。
――僕は。
シオンは初めて、自分の意志を自覚した。
数年前から病気のように唱えていた、治したいという言葉。それはいつかシオンの唯一無二の信条となった。それは今も変わらない。
だが、最初は違った。本当の言葉を口にするのが怖くて、代わりに治したいと言ったのだ。心に湧き起こるそれを塗り潰すために、呪いのように積み重ねていただけ。
本当の、思いは。
「救いたい」
胸の中心がカッと熱くなった。
心拍に水晶が揺れる。身体の奥が激しく
シオンは今までにない神速でローベルの処置を完璧に済ませ、
「ユラさん、後の事はお願いします」
森へ駆け出した。
「シオンくん!?」
驚愕の声も、制止の警告も、抑止の黒い靄も視界の端に。
少年は覚悟を形にする。
「今度こそ、助けるんだ――!」
一陣の風が如く、地を蹴った。
◆
叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。
魔獣の意識を少しでも分散させるために。
「ゴァアアアアアア!!」
「がァァァッ!!」
何より、即死圏内に踏み込む自分を鼓舞するために。
「こっち向けェ!!」
フェイント、カウンター、ギリギリまで引きつけて回避――そんな駆け引き、一切許されない。
裂死の牙から、斬死の爪から、飛散する
高い運動能力で回避にのみ専心したのが功を奏し、リアは目立った攻撃を受けていない。特異点はちょこまかと逃げ回るリアに業を煮やし、
「ッはァ!!」
そうして生まれた隙を縫って胴体にルドマンの強烈な一撃が打ち込まれる。だが、
「さっきより硬ぇ……!!」
幾層にも重なり合う太い体毛と下手な金属よりも硬い筋肉は戦斧すらも通さない。渾身が何度重なっても目立ったダメージが与えられず、リアは焦り始めていた。
「もっとデカい攻撃できねーのかおっさん!」
「無茶言うな! ギリギリなんだよこっちも……!」
少しの
いくらリアが陽動するとはいえ、即死圏内に踏み込むのは変わりない。ルドマンも幾分か精神を削られていた。
「どうする? このままじゃ二人揃ってあいつのエサだぞ」
「……いっぺん、オレに任せてくれ」
「……正気か?」
「ん!」
ルドマンは舌打ち混じりに「しっかり決めろよ!」と囮役を替わる。
「おォらァ!!」
「ヴォォアァァア!!」
戦斧を地面に向けてスイング、地表を抉って特異点へと飛ばす。ルドマンの数少ない遠距離攻撃の方法だ。特異点も少し驚いたようだが、しっかりと飛んでくる土塊を爪で叩き落した。
リアは巻き上がる土煙に紛れて素早く特異点の背後に回り込み、高く跳躍。木の幹を床にして、更に跳んだ。
外部からの攻撃が効かないなら、狙うべきはその鎧がない箇所――つまりは目玉や口腔。えてしてそういう弱点は敵の懐にあり、重要となるのはそこへどれほど安全に接近できるのかという点。
リアが選んだのは、コルドに教わった高所からの奇襲だった。ルドマンが大立回りを演じる
(このまま頭に乗って、目をブッ刺して――――)
という考えが、横殴りの衝撃によって消し飛ぶ。
「ぶ――――ッ!?」
身体がくの字に曲がり、粉々にされそうな一撃で思い出す。
相手は獣――得物の位置把握は、嗅覚が容易に果たしている。そして、四肢を使わずとも振るえる武器がもうひとつあった。
リアを迎えたのは尻尾。鋼鉄の体毛に、蛇のような筋力としなやかさを併せ持つそれは、特大の鞭に等しい。リアは木っ端のように吹き飛ばされ、大樹の幹に叩きつけられる。樹皮とリアの身体が同じようにひしゃげた。
「ぐぁッ……!!」
「ルーキー!」
嫌というほど嗅いだ毒の――死の香りが鼻先に充満する。
――ここで死んじまったら……約束、守れねーな。
「ごめん……シオン…………」
リアは死への恐怖や英雄の夢が終わる無念よりも、ただひとつ、シオンへの謝罪を想った。
――今度は、助けてくれねーよな。
故に、淡い想いを秘めた。また
「フレア――――」
しかしてそれは、決して『偶然』『奇跡』『運命』などではない。
少年が少女に手を差し伸べた結果である。少女の言葉が少年の心を動かした結果である。少年が迷いながらも決断し、自らの脚で駆けた結果である。
彼らが選択し、積み重ねた未来の結実である。
少年は魔獣の横面を殴りつけるように、炎の水晶玉を叩きつけた。
「スフィアァァッ!!」
「ガアアアアアアアアアアアアッ!?」
炸裂する炎を背に、シオンがリアの手を取って安全圏まで離れる。
「シオン、なんで?!」
「ギルドに駆け込んだ二人に聴いたんです!」
シオンがここへ辿り着けたのは、魔獣から逃げた二人のおかげだった。彼らが必死で走った足跡をさかのぼった場所に、リアがいたのだ。
なんでこんな場所にシオンが、と夢か
「よかった……」
今度こそ。正真正銘。
「間に合って、よかった……!」
シオンは温かいリアの手を大切に包み込んだ。
「シオン……ありがとな」
「おいガキ」
二人の空気はお構いなしにルドマンは詰め寄り、
「なんで来やがった。今の魔法はいい仕事だが、これでテメェも標的になる。逃げも隠れもできねぇ状況だってのに、お前みたいな細いガキがいたら足手まといになんだよ」
ルドマンの言葉は正しかった。
たかが少しばかり魔法が使える子供が来ても、有用な戦力には到底数えられない。支援にしても、機動力に優れたこの魔獣相手では盾も持たない
「たしかに、僕は弱いです……でも」
理性ではわかっていた。こんな自分じゃ何もできないかもしれない。それでも――
「リアが危ないのに、じっとしているなんてできません」
ようやく湧きあがった勇気を止める
「ッ――チッ、こういう場面で無茶やらかすのはテメェもか! 二人揃ってバカだ!」
「ケンカの前にアレ見ろ!」
リアが指差したのは魔獣であり「すぐにでも復帰してくる――」とルドマンが斧を構え……
「炎が効いてる……?」
「ヴ、ヴヴッ! ヴォァアアアアアアアア!!」
木々に身体を打ち付け、のたうち回る巨大な
物理攻撃をものともしなかった漆黒の体毛が顔面から脇腹へと延焼しており、魔獣がその身にまとわりつく炎を振り払わんと暴れているのは明白だ。
「炎に弱いのか、アイツ!」
「たしかに、あり得ねぇ話じゃねぇ。凶悪なモンスターに弱点があるってのはよくある話だ」
どれほど強力なモンスターでも、その多くは一つや二つの弱点を内包している。特定の部位への攻撃や魔法による属性攻撃、毒や麻痺などの状態異常は時として決定打と成り得るのだ。
「オイ坊主。さっきぐらいの威力をあと何発撃てる?」
「……多分、一発です」
ルドマンが「嘘だろ……」と頭を抱える。
昨日の
「チッ。だったら逃げるぞ!」
「で、でもここで特異点を
「襲われるだろうな。知った事か! こんな時に顔も知らねぇ他人を気にすんじゃねぇ!」
冒険者に限らず、人の本能としてルドマンが正しい。
昨日は逃走して退路を失ったが、今回は撤退できる状況が作れるのだ。ならば、大人しく離れて討伐されるのを待つ方がいいに決まっている。
だが同時に、ここで魔獣を見逃せば確実に別の冒険者を襲うのも確実。
青天の今日、カラント森林は日常のままだ。シオンたちが直面する異常事態は
「お前があの火力を連発できるなら力押しができたろうさ! だがチャンスが一回しかねぇなら、逃げに徹するべきだ! ここはまだ浅い! レノワールに辿り着けるかもしれねぇ!」
「勝ち目があるんだぞ! だったら倒しにかかった方がいいだろ!」
「そういう功名心とのぼせ上がりで死んだ連中が何百といる! 無茶な戦いに挑むんじゃねぇ!」
「勝てるッ!!」
リアは面と向かって言い切った。
「オレとおっさんだけじゃねー、シオンがいるんだ! 勝てる方法がある!」
「確証もねぇのにほざくなッ!」
「話聞けって! 方法があるんだよ!!」
顔を突き合わせて言い争う両者は平行線を走っている。『経験も知恵も少ない龍の少女が考える作戦など、やぶれかぶれに決まっている』とルドマンは決めつけているのだ。
――誰かが争う姿は嫌いだ。まるで、自分が怒鳴られているような気分になるから。
いつもなら、その剣幕に圧されて尻込みするだけだった。だが、シオンは
「シオン?」
「……僕も、残ります」
「ッ、テメェもか坊主! お前らやっぱ二人揃って死にたがりか!?」
「……正直、怖いです。きっと、ルドマンさんの言うように逃げるのが正解なんだと思います……でも、リアが言うのなら。倒せるという作戦に僕が必要ならば――」
それは、水晶のように
「僕はリアを信じます」
「テメェ……――ッ!」
ルドマンが言葉を切って斧を盾のように押し出す。そこへ魔獣の唾液が飛散し、鋼鉄の表皮をじゅわじゅわと音を立てて融かしていく。
「クソがッ! どっちにしろ時間切れだ!」
消火を終えた魔獣は頭部を大きく振って毒を飛ばしてきたのだ。ルドマンの地面を抉り飛ばす攻撃法を
「おっさんがいてくれねーと無理だ! 頼む、聞いてくれ!」
「ッ~~……あーわかった! クソみてぇな話だったらあいつのエサにするからな!」
地面を叩き割り、ルドマンは砂の煙幕を作り出す。そのまま二人の首根っこを掴んで茂みに飛び込み、声を潜めて作戦会議が始まった。
「言ってみろ!」
「火に弱いんだろ。だったら、身体の中まで焼いちまえば倒せる!」
「た、たしかにそうかもしれませんけど……」
「ああ、坊主。俺も同じ気持ちだ。どうやってあんなデカブツを内側まで焼く? 坊主の魔法は一発限りだぞ」
「ん! 喰わせるんだよ!」
まさか、と嫌な予感は的中する。
「シオンの魔法をあいつの口にブチ込むんだ!」
倒すには、致命傷を負わせなければならない。自分たちにとって最大の障害となる毛皮は無視し、死の山脈たる牙を乗り越えて体内から燃やしてしまおうとリアは言うのだ。
「ホントにそんな事を考えるバカがいるとは……」
「さっきと同じようにオレがアイツを引きつけるから、おっさんがアイツの口をこじ開けてくれ。そしたらシオンが魔法を撃つ! オレが口を閉じさせる! どうだ!」
ルドマンは粗雑の過ぎる作戦に渋い顔をしたが「お前らに逃げる気はねぇんだ。じわじわ負けるよりマシか」と頷く。
「シオン、行けるか?」
「……はい。絶対、決めてみせます!」
「男に二言は無しだ。決めろよ坊主!」
「うっしゃ! 行くぞ!」
早速リアが飛び出し、作戦通り突進した。ルドマンも続き、シオンは残る魔力を腕に収束させ始める。
「胸の水晶を解放したら意識が保てない……今ある僕の全てを……!」
「らァァアアア!!」
リアは叫ぶ。今度は己でなく、背中で守るシオンを勇気づけるために。お前に危険は迫らせないと示すために。
「しァッ!」
「ガァ……ッ!」
リアは自覚していないが、動きが格段に違った。速く、鋭く、的確。シオンの存在が、彼女の恐怖とそれを打ち消すための蛮勇を
「どォォォらァッ!!」
「ガゥッ――――!?」
チクチクと刺さる短剣に苛立つ魔獣の横ッ面に、ルドマンの斧が炸裂。魔獣の意識が白に染まった。
「来ォいッ!」
逃さず、ルドマンは戦斧を牙の隙間に押し込み、口を無理矢理開かせる。じゅうじゅうと鋼の戦斧が融けゆく中で呼んだのはリアではなく、シオン。
「はいッ!」
従来の倍ほどの大きさにまで形成された水晶玉を手に、肘を後ろへ引き絞った。師の言葉を思い出す。
――魔法ってのは、全部が想像だ! お前の
(クロスボウの矢が射られるように――ッ!)
不恰好ながらも地を踏みしめ、全身で水晶を押し出す。
掌から加速し、矢のように魔法が飛来する。戦斧と入れ替わりに、大口いっぱいに巨大な水晶玉が詰められた。鍛冶師が丹精した鋼すらも融解する魔獣の唾液だが、魔力で生成された水晶に対しては表層を灼く事すらできない。
ルドマンがそれを吐き出させぬように蹴りで押し込み、シオンが呼ぶ。
「リア!」
「ん!」
もう一度、木を直上に駆け上がって、しなる枝から跳躍。背筋から頭部へと一直線に飛び下りる。すかさず振るわれた尻尾を身体をひねる事でいなし、
「二度目は喰らわねーよッ!」
鼻先に全体重を乗せた
当然、水晶は砕け――焔の小龍が魔獣の
「――――――――!!」
腹の底を揺るがすような
気力体力魔力の限界で座り込んだシオンとリアは「倒した!」と
しかし――――
「ヴぅァアア……!!」
己の死を否定するように、魔獣は四肢を地面に突き立てる。
外も内も焼かれ、焦げた血を流し、それで尚も
「嘘……ここまでやって、まだ……」
「弱ってるぞ! 今なら……勝てる!」
「よく考えろルーキー……坊主は魔力切れで、俺もお前も体力の限界だ。体がデカくて体そのものが武器のあっちに分がある……」
ルドマンは斧を杖替わりにして立ち上がる。
「どう転ぼうが、こうなるんだよ……お前らは逃げろ。俺が引き受ける」
「ッ、ふざけんな! そんなの許さねーぞ!」
「そうです……まだ、手が……!」
「他人を巻き込みたくねぇんだろ。なら、犠牲は少ない方がいいだろうが……ったく、だから女子供なんか冒険者にするもんじゃねぇんだ。邪魔臭ぇ」
ふらつきながらも、魔獣が体勢を低くする。突進して
でも、と引き下がる二人をルドマンが放り投げてでも遠ざけようとした時だった。
「そういうの、アンタには似合わねぇぞ」
ピュン、と風切りの音がルドマンの耳元を過ぎ去り、魔獣の右眼に突き刺さる。魔獣は予想外の痛みに身体を持ち上げた。
「ガァアアア!?」
「ふぅ……ったく、無茶しやがる。だが、安心した」
疲れた様子で木陰から降り立つ影がある。
何故か傷だらけで少し煤けている【狩人】は、いつものように口角を吊った。
「今回は、間に合ったみてぇだな」
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