第18話 魔獣


 リアがって一時間。ポーションを作るシオンの手は重たいままだった。

 返答を考える。突き詰めれば『はい』と『いいえ』の単純な二択なのに、選んだその先を想像しては、あたかもそれが現実のように思えて頭を痛めてしまう。いつまでたっても思考が堂々巡りをしては鉛のようなため息を吐き出すばかりで、慣れた調合もはかどらない。


――どうして、僕のような弱虫に選ぶ権利があるんだろう。

――選択を任されるから、迷い、苦しむ。だったらいっそ、問答無用で連れ出してくれればよかったのに。


「……それは、性別が逆だよ」


 連れ出すのは英雄で、腕を引かれるのはお姫様。誰でも知ってる英雄譚の王道だ。

 ……いや、お姫様も英雄と結ばれる未来を願っていたのだから、ただ悩むだけで選択を放棄しようとしている僕はそれ以下だ。


「……嫌だな、こんな僕」


 いつだってそう。

 大切な事は怖いから他人任せ。シャボン玉のように流され続け、頼れるモノがなくなった土壇場で惑い、致命的に間違える。

 始めも終わりもマイナスでしか行動できない。


「これ以上考え込む前に、やめよう……」


 リアが戻ったら伝えよう。やっぱり、立ち止まるばかりの僕はリアにふさわしくない。


『楽しみにしとくな!』


 声がチラつき、水晶がキリキリ痛んだ。

 これが正しさ故の苦痛なのか、間違えの兆候なのか。それすら判断したくなかった。


「どったのシオンくん」

「っ!?」

「あっ、ビックリさせてゴメンね!? ノックしても返事がないから、大丈夫かなーって」


 音に気付けないほど思い詰めていたのか、とシオンは自分に呆れる。その暗い表情を察知して、ユラがシオンの両頬を軽く引っ張った。


「お金ない時のあたしみたいな顔してるよー? ほらほら、スマイル! あー、ほっぺたもっちもちしてるー!」

「ふぁ、ふぁい」

「……リアちゃんの悩みでしょ? あたし、普段はテキトーだけどやるときはやる子だからさ。抱え込む前に吐き出しちゃいなさい」


 頬を揉みしだいたユラは行動と裏腹に真剣なまなざしを向ける。興味本位などではないとうかがえた。

 こんな話を聞いても気が滅入るだけだ、と話す気はなかったが、自然と口から言葉がこぼれる。


「リアに……仲間になってほしいって、言われたんです」

「ほほう」

「僕みたいな弱い人じゃなくて他にもいい人がって言ったんですけど、オレはシオンがいい、って…………その気持ちは嬉しいんです。でも、申し訳なくて……」

「申し訳ない? シオンくんがいいってリアちゃんが言ってるのに?」

「……僕はきっと、リアを騙してしまったんです」


 一言ごとに、自分の周りに殻ができていくのを感じた。薄くて不恰好なくせに、色だけは濁って黒い水晶の殻が。


「窮地を救ったのが僕だったから……それに、リアは人と触れ合った事があまりないんだと思います。恩義や状況のせいで僕を過大評価しているんです…………本当の僕は、立ち止まってばかりのグズなのに――」

「あたしは違うと思うな」


 ユラはそんな黒さを微笑みひとつで砕いた。


「たしかに出会いってのは大事。鮮烈に、ズバーって記憶に残るからね。でも、シオンくんと出会う前のリアちゃんがたったそれだけで心を許すと思う?」


 そう言われると、助けた直後もリアはこちらに刃を向けるほどの敵意があった。治療へ踏み切れたのはシオンの行動力あってこそと言える。


「それに二人が出会うのは偶然じゃなかったと思うな。リアちゃんの事だから……シオンくんに助けられてなくてもギリギリでモンスターに勝って、でも大怪我してて、ギルドに来たらあたしが医務室に放り込んで――ってなりそうじゃない? ほら、結局出会った!」

「そうなったとしても、僕なんかが――」

「まったく、変な所で意固地だよねシオンくん。じゃあ質問だけど、以前のリアちゃんが助けてもらったってだけでなつくと思う?」

「それは……」


 リアは感受性が豊かだ。

 無知である故に純粋で、何事にも興味津々であり、直感に優れている。繕った表層の奥に悪意が潜むなら、気づいてしまうのではないだろうか。


「リアちゃんとの付き合いが浅くても、なんとなくわかるでしょ?」

「は、はい……だったら、尚更わかりません。どうして、うじうじ悩んでばかりの僕なんでしょう……」

「そこはちょっとわかるかも。言葉なら、いくらでも口から出まかせが利くけど、咄嗟の行動や言葉っていうのは心の底からぶわって熱く湧きあがるモノでしょ? 最初もだけど、路地裏で助けた時とか……いろんな場所でシオンくんの思いが伝わったんだと思うよ」

「そんな……怪我人を心配するのは当然で……」

「倫理的にはそうなんだけど、万人に求めるには難しい事なんだよね。それに、リアちゃんみたく龍人族レイアで荒々しい性格の子だとやっぱり敬遠されちゃうだろうし」


 ユラは悩ましげに尻尾を揺らす。


「龍人族の差別ってね、世界の認識以上に苛烈な地域もあるの。それこそ殺害もいとわなかった歴史も残されてる。……リアちゃんも、自分が龍人族だからって気にするぐらいの壮絶な過去があったんだよ。だから、身を挺して助けようとしてくれたシオンくんを信じたんじゃないかな」


 とにかく、とユラは空気を切り替えるスイッチとしてシオンの背中を軽く叩いた。


「僕なんか、とか考える前にしっかり自分に訊いてみること! ちょっとでも心が揺れてるのは前向きな証拠だもん。何せ、やりたくない事なら全然悩んだりしないからね!」

「自分に……」

「そうだよ。大事なのはこれからでしょ! 始まりは偶然でも、これからの未来はいつだって自分が選んだ先にあるんだからさ」


 未来はいつも選んだ先にある……だとしたら、僕は何を選んで来たんだろう。

 本当に、僕は何も選ばずここまで来たのかな。

 シオンが水晶こころに手を重ねた、その時。


「――ひっ、はっ、し、シオンくん!」


 息を切らせた南門の守衛が、倒れるように医務室へ飛び込んだ。


「どうしたの門番さん、そんな慌てて? 森で怪我人出た?」

「そ、その通りです! し、至急、南門へ!」

「マジで!?」


 怪我、と聞いた途端にシオンは鞄を手に駆け出していた。驚くユラ、壁に手をつく門番、エントランスと街路ですれ違う人々の全てを置き去りに、人だかりのできた門へ駆け込む。


「ギルド医務室です! 通してッ!!」


 普段のおっかなびっくりからは想像もできない凛とした声で叫び、人混みを掻き分けて進み、最前列から一歩前へ。

 そこにいたのは、呼吸と声を荒げながら衛兵にすがりつくバンダナの冒険者――アレスと、血を流す腕を押さえてぶつぶつと怯えたように何かを呟くローベル。

 シオンは怪我人へ駆け寄る。


「大丈夫ですか!?」

「う、うう……畜生……俺が、俺の……」

「あ、少年! ローベルの手当をお願いするっす! と、特異点が! ヤバすぎるのが出たっす!!」

「そんな……!」

「またぁ!?」


 到着したユラが反応し、即座にポケットから紙とペンを出した。


「場所と敵の情報詳しく! 衛兵さんはいますぐ冒険者を募って! 緊急時マニュアルに基づいて討伐隊を組みます!」


 討伐の話をユラに任せ、シオンはローベルの治療に取り掛かる。森へ向かったリアが心配だが、優先すべきは目の前の負傷者だ。

 傷痕は鋭爪によるもので、深く抉れた傷からは出血が続いている。命に別状はないが、放置すれば腕に支障が残るかもしれない。


――この傷、見覚えが……いや、今はダメだ。


 思い出すのは後回し、とシオンはかがんでローベルに話しかける。


「腕の他に傷はありませんか?」

「俺のせいだ……俺の……」


 目は焦点が合わず、かなりの混乱状態。処置を躊躇ためらっていたら手遅れになりかねない。シオンは怪我の少し上を包帯で縛って止血、ポーションでの消毒を始める。


「ダメっす! あんなの、並みの冒険者じゃ敵わねぇっす! 早く自衛団の強ぇ人を! 急がないと親分たちがッ!」

「取り残されてるの!?」

「アイツから俺らを逃がすために、戦ってるっす! 親分と、龍の嬢ちゃんが!!」


 患部に包帯を巻く手が動きを止めた。


「リア、が……?」


 消え入りそうな声が風に攫われる。穏やかなカラント森林が不気味にざわめいた気がした。



 ◆



 時間は少しさかのぼる。

 カラント森林に入ったばかりのリアもまた、シオンの事を考えていた。


(シオンは……仲間になってくれるのか?)


 仲間になってほしいと勢いで言ってしまった時、返答が怖かったのだ。シオンが頷いてくれるかわからなかったから。

 ずっと、憧れていた。一緒に笑って泣いて、背中を預け合う特別なきずな

 リアは決して独りぼっちではなかった。悲しくすさんだ心を解きほぐした冒険者と共に過ごした時間がある。だが、冒険者は強すぎた。常に先を往く彼女は道を示す人であっても、隣を歩いてくれる人ではなかったのだ。

 シオンはその冒険者と心が似ている。どこまでも優しく、困っている人を助けずにはいられない。初対面の龍人族のために刃へ手を差し出し、昨日出会った人のために路地裏へ飛び込み、目の前の人のために足枷を壊して過去トラウマを乗り越えられる――そんな強い人。

 けれど、シオンなら歩いてくれる。龍のつがいのように、寄り添ってくれると思うのだ。

 彼の答えは今日、ギルドに戻ったらある。待ち遠しくもあり、同じぐらい怖い。でも――


「シオンがちゃんと考えてくれたんだもんな」


 そして、リアはひとつの結論に辿り着く。


「じゃあ、オレはどんな答えでも受け止める!」


 よっし、と手を合わせ『誓い』を作る。どんな結果でも納得する、と。

 リアは大きく息を吸い、


「無茶しねーぞーッ!」


 小鳥が逃げ出すほどの大声で自分に約束した。

 改めて気合が入り、「うっしゃー!」と意気揚々に森を進む。しかし、最初に遭遇したのはモンスターではない。


「ローベルー! いねぇんすかー!?」

「何してんだお前ら」

「うおぁ!?」

「るせぇ」


 ルドマンとアレス。二人は採取や討伐そっちのけで仲間を探していた。


「まぁた嬢ちゃんっすか! あっち行くっす!」

「言われなくてもそうするっての! ……仲間、見つからないのか?」


 ローベル――リアを恫喝どうかつした金髪の男。

 もちろん好ましくないが、同時に『仲間の居場所がわからない』という状況をリアは気にしていた。もしもシオンが行方不明だったら、と置き換えて考えたのだ。

 きっとそこら中を走り回って探すだろうし、相手が誰であっても見ていないかと尋ねてしまうだろう。


「そ、そうっす……多分、路地裏のゴミ箱とかで寝てると思うんすけど、万が一ってのが怖くて……」

「……お前には関係ねぇ話だ。さっさと行きな」

「ん……無事に見つかるといいな」

「お、おう、ありがとっす。あ、そういやあの大人しい少年にポーションのお礼言っといてくれっす」


 シオンを褒められたのが我が事のように嬉しくて、パァっとリアの表情が明るくなる。


「スゲーだろ、シオンのポーション!」

「スゲーっすよ、飲んだだけなのに痛かった脚がソッコー治ったっす! 親分もいい品だって喜んでたっす!」

「……フン、市場の雑なポーションよりはマシだって話だ。さっさと行くぞアレス」

「は、はいっす! じゃな!」


 二人がリアに背を向けようとした、その時。


『助けてくれぇぇぇッ!!』


 遠方から、反響を伴った絶叫が届く。疲弊の先に絞り出した断末魔のようですらあった。


「ッ! くそッ、最悪だ!」

「ロ、ローベルッ!?」


 声の方角へ向かう二人に、リアも追従する。この状況で背を向けるという選択肢はリアの心になかった。

 ルドマンが巨体に似合わぬ健脚で走り、アレスはそれをも上回る韋駄天いだてんで先行する。太い木の根に足を取られつつ、必死の思いで喰らいつくリアが目にしたのは、二つの影。


「ひっ!?」


 片や、木陰にへたり込むローベル。

 顔は涙と恐怖でぐしゃぐしゃになって、腰の得物を抜く気配もない――いや、もう戦う事ができない状態だった。右腕が防具ごと引き裂かれており、血に染まる三条の爪痕は見ているだけでズキズキとした疼痛とうつうを思い起こさせる。あれでは動かす事もままならないはずだ。

 そのローベルが追われていたモノに、三人は――誰よりも、リアは目を疑った。


「ヴ、ォォ……」


 ゆらり、ゆらりと歩く度に身体を不自然に揺らす、死神のような相貌の黒いウェアウルフ。


「く、黒ォ!?」

「ホントにいたってのか、特異点が!」

「あいつ、昨日の……!」


 声を耳にしたウェアウルフが、リアを見た。

 昨日はリアと同じ程度しかなかった体躯が、リアより頭一つ大きい。だが、立ち込める鉄臭い刺激臭は変わらぬ毒性を示し、鉤爪は折れ欠けているが凶悪さの面影を残している。

 何より、リアを両目に収めたソレが、嗤った。殺意を込めて、歪んだ。

 腕が鱗に包まれ、確信に変わる。自分が戦ったあの特異点だと。


「クソが! 離れろ!」


 ルドマンが背負った得物を抜く。刃の面だけでモンスターを潰せるほど広く分厚い大戦斧だ。

 横薙ぎの大斧が走るが、特異点は蝋燭の火のように揺らめき、身体を反らしてかわした。


「いただきっす!」


 すかさず、特異点よりも身体を低くしたアレスの突撃が刺さる。剣鉈けんなたが横腹を打つが、漆黒の体毛が邪魔をして出血には至らない。


「硬ぇっす……でもッ!」


 攻撃の勢いそのままに離脱するアレスと入れ替わりで、戦斧を目いっぱい振り上げたルドマンが踏み込む。短く野太い気合と共に振り下ろされた大重量の刃が毛皮ごと特異点の右腕を斬り落とした。


「ヴぉ……」

コレは効くだろ」

「っす! このまま行くっすよ!」

「スゲー……!」


 リアは見事な連携に感嘆する。が、違和感に気付いた。ルドマンも異常に気付いて口元を結び、ただ一人勝った気のアレスはローベルに声を掛ける。


「待ってるっすよ! 今になんな雑魚、ブッ倒してやるっすから!」

「だ、ダメだ……」

「なァーにがダメなんすかローベル! 親分と俺が来たんすよ!」

「ダメなんだよ……あいつは攻撃しても……!!」


 三人は怯えるローベルの意味をすぐに思い知らされた。

 特異点の肩口から血が噴き出している。だというのに、嗤った。声こそないが、ひたすら不気味に笑んでいるのだ。そして、


「俺だって最初はあいつと戦った……でもダメだ…………あいつは傷の再生と同時に……!」

「ヴォォォォ……!」


 肯定するように、獣が叫ぶ。ボコリと傷口が泡立つように膨らみ――


「だったら――」

「治る前に倒し切るッ!」


 飛び出したのはルドマンとリア。リアの短剣が滑るように胴体へ斜め一線を刻む。それの垂直をなぞり、戦斧の袈裟けさ斬。背後に回ったリアは迷わず頭部を狙い、正面で構えるルドマンは下半身を見定めた。


「しッ!」

「ッらァ!!」


 うなじに短刀を突き立て、全体重を掛けて斬り裂く。全身で回転した斧が両脚を斬り飛ばす。


「やるなー、おっさん!」

「おっさ……まぁいい。その鱗、お前まさか龍人族レイアか」

「す、すっげー! レイアなんて初めて見たっす! つーか強いっすね龍の嬢ちゃん!」


 彼らは龍人族と気付いても珍しいと驚くだけで、アレスに至っては賞賛している。

 シオンとかコルドの言ってたコト、本当なんだな……とリアは溢れる嬉しさに「へへっ」と破顔した。

 特異点はというと機動力である四肢の三つを失い、背筋から血を噴いて崩れ落ちる。もはや再起不能。誰もが勝利を見た。


「ヴ……ァ、オオオオオ……!」


 だが、絶命していない。


「んなっ!?」

「ウソっすよね!?」

「こんだけやって生きてやがんのか……!」


 切り離された腕脚が灰と消える。血の海で横たわる特異点は、禍々しくも生誕を待つ胎児のようだった。

 ぶくり、と肉が内側から溢れ、全体の輪郭が拍動と同時に大きくなり続ける。至る所が変形を繰り返し、骨格すらも変わっていく。この異常な光景に、リアたちは追撃も忘れて立ち尽くした。


「ウソっすよ、こんなの……」


 成長を。破裂を。再生を。破滅を。進化を、繰り返す。


「でけー……!!」

「ヴ……ァア゛……ヴゥ……!」


 膨れ上がる体。止まらぬ殺意。

 遂に、人狼は二足歩行を捨てた。

 肥大化した全身を支えるために。発達した牙と爪を最大限に活用するために。黒々と燃え盛る狩猟本能を遺憾なく発揮し続けるために。

 ただ眼前を殺すために、二足歩行知性を棄て、四足歩行野生を選択した。その姿は『特異点』というより直接『魔獣』と呼ぶにふさわしい威容だ。


「構えろッ!」


 リアとルドマンは戦闘態勢を維持する。リアの龍としての直感が、ルドマンの琢磨たくまされた冒険者の直感が、けたたましく警鐘を鳴らしていた。

 しかし、残る二名には戦意など微塵も残されていない。

 漆黒の体毛が覆う筋肉は今もなお、胎動しながら肥大化する。人の腕よりも太い牙から滴る涎は足元に咲く草花を凶悪な腐臭と共に溶かしつくす。

 睥睨へいげいする双眸そうぼうに宿った歪んだ業火ごうかの正体は、喰らうためでなく殺すために牙をく、特異なる殺意。

 井の中でさえ虎の威を借りていた二人にとって、ソレは叫ぶ事も逃げる事も許されず、ただ喰い散らかされるのを待つしかない掛け値なしの化物なのだ。

 空気が、激震する。


「ヴゥ……るヴ……ア゛ォォオオオオオオオッ!!」

「ひッ」


 ベルトの留め金から外れた剣が後退るローベルに置いていかれた。咆哮を終えた獣は、最大の憎悪の対象――自分を死の間際に追い詰め、その報酬で買った高価な剣すらも忘れて震え上がるローベルに狙いを定める。


「逃げろォ!」


 次の動作を察知したルドマンの叫びは、魔獣の呼吸と錯乱した脳に打ち消されてしまう。

 獣の前脚がたわみ、大地の表皮が弾ける。気付くと、脈打つ牙という死が眼前に迫っていた。


「――――――――」


 ローベルは何一つ、考える事すらできず――硬いモノがかち合い、鉄が溶かされる音を耳にした。


「ヴゥ……」


 特異点が喰らったのは、リアが身代わりとして口に放り込んだローベルの剣。リアは間一髪でローベルを助け出していた。


「あ、ああ! ローベルゥー! ありがとッス嬢ちゃぁん!」

「剣を噛み砕いてる……ヤベーなアイツ!」

「な、なんで……助けた……?」


 涙目でへたり込む男は、うら若き少女を見上げてそう尋ねる。何故、危険を冒してまでお前を傷付けた相手を救ったんだ、と。


「ん……」


 ――実は、一瞬迷った。

  前にオレやシオンをバカにした連中だ……けど。

  見捨てるのは、簡単だ…………でも。

  本当に、それでいいのか?

  それがオレの望む事か?


 ――――そんなオレで、シオンに胸を張れるのか?


 その自問が成立した瞬間には、答えを得ていた。


「誰かを助けるのに理由はいらねー」


 リアの言葉に、三人は現状も忘れて息を飲む。

 深く息を吐いたルドマンが放心するローベルを無理矢理立たせ、


殿しんがりは俺がやる。逃げろ!」

「ん!」


 返事をしたのは短刀を構えるリアだ。


「――って、お前もだ! さっさと街へ行け!」

「コイツはオレが倒す。お前らが逃げろ!」

「バカか!? こんなのに敵うワケがねぇだろ! ガキのクセに命を無駄にすんな!」

「オレらの誰よりモンスターの方が速いのに、逃げ切れると思ってんのか? アイツの相手は図体のデケーおっさんより、アイツの毒に耐性があって小回りの利くオレの方が向いてんだよ。冒険者のクセに命を無駄にすんな!」

「ッ……これだからガキの冒険者は嫌いなんだよ……!」


 ルドマンはまなじりが裂けるほど震えた。

 蛮勇を好む若い冒険者が嫌いだ。

 手前テメェ一人で死ぬならいいが、そいつが持っていた武器がモンスターに無駄な強さを与える。そいつの死骸がモンスターに無駄な糧を与える。そいつの死が、周囲に無駄な悲しみを与える。

 無為に死んで、残すものが邪魔にしかならないのなら、自分を冒険者と勘違いした若輩じゃくはいなんて潰してしまえばいい。そんなのは冒険から離れ、世界の歯車として真っ当な職をこなせばいいんだ。冒険者なんて、夢も知らないロクでなしと夢しか知らない狂人だけがなってればいい。

 だというのに、今はどうだ。潰そうとした年端もいかぬ少女に正論を諭され、それに従う他ないという破裂寸前の苛立ち。ダンと地面を踏みしめ、爆発のような声が放出される。


「アァレスッ!!」

「へ、へいっすぅッ!?」

「全速力で助けを呼べ! テメェの逃げ足はホラでも飾りでもねぇと証明しろォ!!」

「りょ、了解っすぅぅぅ!」

「テメェもだローベル! 後でブン殴るまで死ぬんじゃねぇぞ!!」

「はいィィィ!!」


 駆け出した二人に反応し、魔獣が跳んだ。ルドマンを飛び越え、ローベルの背を目がけて凶爪が――


「ずォらァアッ!」


 振り抜かれた斧とぶつかり合う。


「おっさん!?」

「ンがァァァ――ッ!!」


 ルドマン自身を優に超える巨体と直線的な殺意に圧されるが、長年の冒険者生活で培った筋力と胆力が勝り、魔獣を吹き飛ばした。が、クルクルと空中で回転し、静かに降り立つ。本体にダメージはなく、爪先に小さな欠けがあるだけだ。

 しかし、ソレはルドマンに特段鋭い害意を向けた。以前の自分を殺したリアは元より、両名を敵と認めたのだろう。


「やっと俺を眼中に入れやがったか」

「いーけど、助けらんねーからな?」


 そしてリアもまた、ルドマンの強さを認めた。


「バカ言え。俺だって一応加護を持つ冒険者だ。……俺が斧をブチ込む。お前はアイツの意識を分散させろ」

「ん。わかった」


 両名が身構えたと同時に、漆黒の獣が開戦の証として再度吼ゆる。


「ア゛オォォオオオオオオ!!」

「行くぜ、おっさん!」

「あァ。死ぬなよルーキー!」

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