第15話 水晶の少年


 無意識だった。

 シオンに迫る死の剣を目にした瞬間。何を思うまでもなく、リアはシオンの肩に手を伸ばし、入れ替わる。

 庇ったという淡い安堵と同時に、胸を貫かれた。傷口が毒に焼かれ、細かな感覚なんて感じる余裕もない。


――今倒れたら、シオンを守れねー。


 途絶えかけた意識を叫びで繋いだ。でも、それは数瞬のごまかしに過ぎない。渾身の前蹴りでモンスターを崖に落とすと、役目を終えたとばかりに緩やかな暗転が始まる。


――オレ、死ぬんだな。

――でも、守れた。


 二つの確信を抱きながら、リアは目を閉じた。なのに。


「ん……」


 起きて数秒、なんで空を見てるんだ、と疑問を抱く。

 思い出すのはモンスターとの死闘。その勝利。その結末。

 故に思う。


「なんでオレ、生きてんだ……?」


 上身を起こして、身体に痛みがないと気付いた。無数の傷は痕すらなく、服は破れて血に染まっているのに胸の刺し傷がない。疲労感すらも湯煙のように消え去っている。

 夢だったのかとも思った。しかし、周囲は森の中にポツンとあった崖であり、目の届く範囲にあのくぼみがしっかりと残されている。

 そして、隣にシオンが倒れていた。


「シオン……?」


 脱ぎ捨てられた血みどろのローブ、地面に転がるこぼれたポーション。

 意識を失った間に何があったのかはわからない。たしかなのは、シオンに何かがあったという事。

 漠然と不安になり、彼に触れる。その身体は、まるで水晶のような無機質な冷たさを持っていた。揺すっても、起きない。


「シオン――シオンッ!?」

「リアッ!」


 木々が揺れ、コルドがリアの前に滑り込む。リアは泣きそうな声で叫んだ。


「コルドッ、シオンが起きねー! どうしよう、オレっ、オレ……!」

「魔力がれてるだけだ!」


 コルドは事情を理解しており、シオンを軽々と担ぐと、


「リア、走れるか?」

「行ける!」

「ギルドへ急ぐ! 全力でついてこいッ!」


 二人は全力で森を駆け抜けた。

 ギルドに到着するや否や事情も話さず医務室に駆け込み、シオンをベッドに寝かせる。コルドはシオンに碧のポーションを飲ませて念のためと身体に傷がないか診察し、ようやく一息ついた。

 ベッド横の椅子に座ったリアが心細そうにシオンを見下ろす。


「シオン……」

「もう安定した。今は寝てるだけだ……リア。何があったか教えてくれ」


 リアはつたない言葉でコルドに顛末てんまつを話す。黒いウェアウルフ。手に持っていたボロボロの一刀。シオンとの共闘。そして、殺意をともなった獣の笑み。

 コルドは毒について掘り下げた。


「毒……もしかして、物を溶かすようなタイプか?」

「なんでわかったんだ!? オレの鱗がドロドロにされちまうぐらい強い毒だったぞ」

「……わかった、ありがとな。そいつは特異点と見て間違いない」


――特異点。

 最初はシオンの手助けで倒し、今回はシオンと協力しても敗北。

 何故か治っている傷も、本来は完治に一週間は要するであろう酷い有様だった。自分が情けない、とリアは歯噛みする。


「ちくしょう……!」

「……倒せたんだ。大手柄だぜ」

「ん…………」


 理由はわからずとも、自分を助けるためにシオンは倒れたのだ。手柄でも白星でも、喜べるはずがない。

 リアはシオンの手を握った。すると、唇が軽く動いてゆっくりと目が開く。


「ッ、シオン、起きたぞ!」

「リア…………? あ――――」

「ここはギルドの医務室で、全員無事だ。……すまねぇ、シオン、リア」


 上身を起こしたシオンに、コルドは沈痛な面持ちで頭を深く下げた。


「俺が判断を誤った」

「い、いえ、そんな。コルドさんのせいじゃ……」

「俺の責任だよ。子供二人守れねぇなんて一級冒険者――お前らの先輩としてあるまじき失態だ。あまつさえ、お前に『リリーフ』を使わせちまった……!」

「それは……」


 シオンは視線を落とす。リアは「りりーふって何だ?」とコルドに訊いたが、彼はすぐには答えず、


「どうする? 俺が話すか?」

「……いえ、僕が……言います」

「わかった」


 コルドはおもむろに席を外し「ギルドに報告してくる」と部屋を出る。

 二人きりの部屋で、暫しの沈黙。やがて、シオンが意を決して口を開いた。


「……リア。僕に、夢はないんです。


 シオンが服の留め具に触れ、一思いにそれを外した。


「!?」


 服がはだけ、リアはまず驚愕に目を疑う。

 露わになった白い肌の胸板に、水晶があった。アクセサリなどではなく、胸の中央にみどりがかった水晶が埋め込まれているのだ。まるで心臓が水晶で、それが表面に浮き出ているように。


「シオン、それ……!?」

「気持ち悪い、ですよね」


 碧の瞳が自己嫌悪に曇る。


「これは魔水晶――魔力の塊そのものです」


 シオンは水晶に手を添え、グッとし潰すように握る。ピキリと水晶がヒビ割れると、一瞬だけ魔力が青い光として可視化し、霧散した。

 世界には二種の魔力がある。空気中に存在するマナと体内で生成、貯蔵されるオド。人類に限らず生命はマナを取り込み、同時に排出して生命の循環に利用している。無論、これには個人差がある。


「魔導士は加護と鍛錬により、常人の数倍近い魔力の吸収や総量を誇るそうです。でも、師匠曰く僕の吸収と総量はそんな魔導士すら大幅に凌駕している、と」


 水晶のヒビがパキパキ音を立てて消えると、青白い肌から汗が噴き出す。


「はぁ……は……っ、僕の魔力は毎日、水晶に溜め込まれていて……こうすると、魔力を解放、できるんです……いまはもう、空っぽ、ですけど……」

「大丈夫か!?」

「ちょっと、疲れただけです……あと、リリーフ、ですね……」


 シオンはゆっくり息を吸い、深く呼吸する。体と同時に心も落ち着かせた。丁度、リアが己の種族を明かす時のように。


「あれはなんです。ディナクさん――魔法の師匠は【救済の万能薬リリーフ・エリクシル】と名付けてくれました」

「回復魔法!? ホントにあるのか!?」

「はい。原理は師匠にすらよくわからないそうですが、僕は……僕だけが持てる莫大な魔力と引き換えに回復魔法を行使できるんです」


 時間を巻き戻すように全ての痛みを吸い取る水晶の花。

 それが回復魔法【救済の万能薬リリーフ・エリクシル

 名前の通り、一見すると万能だが、ほぼ全ての魔力を使うため使用後は気を失ってしまうのが最大の欠点。

 それを差し引いても十全に価値のある魔法である。何せ、瀕死であっても状況次第では全快にまで持っていける。幼少期に出会った高名な冒険者を以て「見たことがない魔法――いや、加護だ」と言わしめたのだ。


――――故に、シオンの全てを隠匿する必要があった。


「小さい僕はあたりまえのように回復魔法を使っていました。傷ついたものを見るたび、自分なら助けられるって思ったんです。でも同時に、母さん――母に、水晶も魔法も人に見せてはいけない、と……言い聞かされていました」


 シオンは罪を告白するように、言葉を紡ぐ。


「でも、傷ついた人を見るとどうしようもなくて……僕は小さい頃、ここじゃない街で魔法を使って……誘拐されました」

「さ、さらわれたのか!?」

「幸い、母の知り合いの方が現場を目撃してくれたので、連れ込まれた洞窟で助け出してくれました。でも……僕を庇ったせいで、その人は脚を失ったんです。まだ若い、冒険者だったのに」


 冒険者が機動力である脚を不自由にすれば、それはもうガラクタも同義。冒険者を諦める以外の選択肢はなかっただろう。

 シオンは己の顔を両手で覆う。震える指先がくしゃりと髪を乱した。


「魔力は涸れて回復魔法も使えず、錯乱した子供ぼくは何もできなくて……翌日に回復魔法を使っても、間に合わなかった…………僕は、あの人を救えなかった。あんな大切な時に、人を治す事ができなかった……! 気にしないで、と笑い飛ばしてくれました。水晶身体水晶魔法水晶シオンも悪くないから、と…………」

「そ、そうだ。悪いのはお前を攫った奴だろ?」

「それでも僕は、あの人を治せなかった……気安く魔法を使ったばっかりに、事件が起こった……これは、僕の罪です」


 幼子おさなごの僕を恨んでも、詮無い事ですが。と自嘲じちょうした。


「……あの日から、身を隠すような服を着るようにしました。背中にも水晶があるんじゃないか、という恐怖で髪を伸ばして背を隠しました。何より……魔法に頼らず誰かを助けられるように、と医学を学びました」

「シオンはオレを治療と魔法で二回も助けてくれたぞ。それで充分じゃねーか!」

「次に同じ事があったとして、助けられるとは限らない…………僕はいつまでも自分を信じられないんです」


 胸の水晶に触れる。魔力が尽きた水晶は中枢ちゅうすうからくすんでいる気がした。


「面倒でしょう? 僕はもう、自分がどこにいるのかすらわからないんです。こんな心に他人を……ましてや夢に進む冒険者を巻き込んではいけない。…………これでも、リアのおかげで少しだけ前に進めたんですよ? 笑ったのも怒ったのも、悲しんだのも久し振りで……楽しかった」


 でも、それは許されない。僕が許せない。


「……レノワールなら、みんなが龍人族リアを受け入れてくれます。だから、前に進んでください。最初に出会っただけの僕なんて……水晶異物なんて忘れて構いませんから」


 そこまで言って、シオンは取り繕うように、


「こんな醜い身体を見せてごめんなさい。お目汚しでしたね」


 と、無理な笑顔を作る。


「……別に、綺麗だろ」

「えっ?」

「ポーションみたいな色だし、なんかシオンっぽい」

「あっ、ありがとう……って違います! 身体に水晶があるなんて、異常で――」

「オレだって鱗も爪もある。お前の水晶だって、そういうモンなんだろ?」


 水晶を匿う理由が『誰かに知られたくない』ではなく『誰かに心配や苦労をかけたくない』という極めて利他的なモノだと、リアはわかっていた。

 罪悪感も懺悔も自責も限界まで抱えて、ずっと長い間、諦めているのだと。

 そんな心を、自分リアは動かせたのだと。


「シオンもずっとつらかったんだろ? どう言えばいいかわかんねーけど、無理して笑うなよ。オレはお前の水晶、好きだぞ!」


 リアは水晶を当然のものとして扱った。それはシオンへの恩返しという想いこそあれど、決して心にないお世辞ではなかった。

 かげりを含んだシオンの顔に少し陽がす。


「……ありがとうございます。リア」

「ん、気にすんな! ……へへっ、こーいうの――みてーだ」

「? 何みたいなんですか?」

「おう!? え、っとな……その……」


 リアは頬を赤くして、ぶっきらぼうに言う。


「な、仲間みてーだなーって」

「仲間……ですか」

「ん。オレ、独りだったからそういうの憧れでさ。ここ何日かで本当に仲間できるんじゃねーかって……」

「ええ、きっとリアなら――」


 閉じられた目は善意であり、あるいは染みついた諦念だったのかもしれない。再び、黒いもやが首筋を柔らかに締め付ける。


「……僕なんかより強くて優しい仲間を見つけられますよ」

「何言ってんだよ」


 しかし、リアにはそんなもの関係ない。よしんば気持ちを汲み取っていたとしても、リアは同じ答えを返しただろう。


「オレは誰よりもシオンを仲間にしてーんだ」

「だ、ダメですよそんなの! 僕みたいな弱い人間じゃ荷物持ちにすらなれないのに……」

「ダメじゃねーよ! そりゃ一緒に冒険してーけど、それだけが仲間の形じゃねーだろ」


 リアは己の両手を重ねる。昨夜の『誓い』の形だ。


「オレが冒険者で、シオンが治療する奴。それも助け合う仲間じゃねーのか?」

「そ、それはそうかもしれませんけど……」

「シオンが一緒に冒険したいってんならもちろんいいぞ! ……それか、オレの……龍人族レイアの仲間になるのが、やっぱ嫌なのか?」


 それは否。断じて否である。

 声にしてしまえばいいのに、弱い水晶こころが拒む。何をするのも怖いと喚く。過去が心臓を掴んで離さない。

 それでも、沈黙の肯定だけはならないとシオンは辛うじて声を絞り出した。


「で、でも、僕なんかより他の誰かが……」

「他の誰かって誰だよ」


 また言い訳をしていたと気付き、ハッと顔を上げる。シオンはようやく、リアと正面から向き合えた。


「オレはお前がいいんだよ」


 惑う翡翠ひすいに、曇りひとつない空色が語り掛ける。

 第一に、どんな返答であってもいい、という相手への思慮しりょがある。だが、何よりもオレはお前と冒険したい、という強い想いがあった。


「なんかあっても、お前ならどうにかしてくれるって信じてるしな」


――僕には、遠い。


 断ろうとした。でも、それすらリアを傷付けてしまうようで怖い。

 違うんだと。僕にあなたの隣を歩く価値はないんだと伝えたい。

 だというのに、頷こうとしている自分がいる。

 ああ、人を助けるために手を差し出せたのに、ために手を取るのはこんなにも苦しいのか。


 じゃあ、自分の行いは――人を助ける行為は間違いだったのか?

 リアを見れば、答えは一目瞭然だった。

 最初はリアも怖かったのだ。名前も知らぬ誰かの施しを受けるのは、どんなに勇気が要るのだろう。でも、リアは手を伸ばした。シオンが強引だったとしても、結果的にリアは自らの意志で縁を結んだ。


――なら、僕も手を取らないと……


 もたついた挙動を笑いもせずに待ってくれているリアに、シオンは眩しさを覚えた。

 たったの三日で、僕はどれだけ彼女に助けられているのだろう。どれだけ、教えられているんだろう。僕は何を返せたのだろう。


 ……どうして、リアを助けたのが僕だったんだろう。


 気付けば、シオンはわけもわからず頬を濡らしていた。


「!?」

「ああ、もう……昨日の夜から、泣いてばっかりです……」

「ど、どっか痛いかシオン!? こ、コルドー! ユラー!!」

「だ、大丈夫で――」

「だぁぁいじょうぶかシオンくーん!!」

「大丈夫ですっ!」


 ドア前で待機していたユラがなだれ込んだ事で、返事はうやむやになる。話すタイミングをいっしたまま、二人だけで話せる時間は終わりを迎えた。



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