第14話 それは、祈りの

「ようやく片付いた……」


 クロスボウをたたみ、コルドは肩を回した。足元には灰に還る特異点カエルが横たわっている。遠近織り交ぜた戦闘により、戦いは終始コルドが圧倒していた。しかし、顔面を蹴られても心臓部を爆破されてもよたよたと立ち上がる異様な耐久力によって、決着にはそれなりの時間を要したのだ。


「相変わらず火力が出ねぇな、俺は。これがジルかメリアなら早く済むんだろうが。ディナクは…………下手すりゃ森が焼け野原になっちまうか」


 今は別の依頼に就いている仲間を思い浮かべ、コルドは自虐的に言う。


「これじゃ二人にも偉い顔できね――ッ!?」

『ヴォォォォァァア――――』


 聞いたのは、獣の叫び。水底に積もった砂塵を掻き立てるような不快感。不穏な影が背筋を冷やかに撫でる。


「――まさか」


 すぐさま地を蹴り、木の枝に乗る。幹に手を置き、精神を集中。すると、樹木を通して森の中の音全てがなだれ込む。そして、コルドは疾風のように流れる森の声のひとつを捉えた。


――ガラスが割れ、炎が吹き上がる。


 こんな特殊な組み合わせを、コルドはたったひとつだけ知っている。

 仲間の元に弟子入りしたシオンが幾度となく練習していた魔法――【フレアスフィア】


「ッ! 二人が戦ってんのか! しかも相手は……!」


 口をついて出た最悪の予想を裏付けるように、再び獣の絶叫が耳朶じだに叩きつけられた。虫の知らせが確信的な危機に変わる。


「畜生ッ!」


 獣道など無視し、可能な限りの全速力で木々の腕を足場に駆ける。しかし、音の位置は遠い。


「無事でいてくれ……!」





「シオンッ!」


 リアが肩を掴んで、シオンを森側へ突き飛ばす。

 ひるがえったシオンは煙を突き破って飛び出す特異点を見た。


――リアは、自分ぼくを庇って。


 影が――――記憶の残滓が、重なる。

 伸ばされた腕。胸への衝撃。じぶんの名を呼ぶ少女。

 よかった、と綻ぶ顔。


「――――あ」


 碧の瞳が、虚ろに染まる。声にも、音にもならない心象の悲鳴が轟く。


――――僕は、また。


 リアの身体から、花が咲く。ボロボロな剣の茎に、血潮の花びらが広がる。次の瞬間、傷痕が焼けるような音と共に白く染まった。刃にも毒が塗布とふされていたのだろう。

 痛みに歪むリアと、嘲笑うようなけだものの顔が、脳裡のうりに焼き付く。その瞬間、シオンは肉体も思考も、全てが停滞する不可思議な感覚に襲われた。

 粘液の中に沈んでいるような心象の最中、自らの記憶が心を蹂躙じゅうりんする。

 鮮明な数秒間。雑音ノイズに隠される声。守られただけの子供は、泣き叫ぶだけで彼女に何もしてやれなかった。


――また、失う。

――僕のせい。

――誰かが大切なモノを失う。


 頬に飛散したリアの血も、乱れる動悸どうきも、自分の存在さえも、一切が遠い。


「――――――ッッッ!!」


 リアが何かを叫びながら体を貫く刀身を掴んだ。龍の爪が血錆の付いた剣を飴細工のように砕き、串刺しから抜け出す。そして、振り向きざまにウェアウルフの胸を全力で蹴飛ばした。

 特異点は勝ち誇ったように叫びながら背後の崖に転げ落ち、リアは血塊を吐いてシオンの眼前に崩れ落ちる。胸に空いた裂け目から、どくどくと命が流れ落ちていた。


「げほッ……よ、かった……ケガ、してな……い……」

「リ……ア?」


 血の海に沈みながらも、リアは笑った。


「やく、そく……一個は……まもれた、ぞ……」


――モンスターから守ってやるからな!


 シオンを庇えた事に、ただ安堵している。

 瞬間、消え入りそうだった意識がトラウマという泥沼から引き上げられた。停滞していた思考が急激に加速する。


「リアッ!!」


 血溜まりの中に飛び込んで龍の少女を抱き留めた時、シオンの心を、たったひとつの感情が支配した。


――――絶対に、救う。


 治療は困難を極める。

 迅速にローブを脱いで止血に使い、もう片手で鞄から万が一にと数種持ってきていた解毒ポーションを引き抜き、慎重に判断を重ねた。ポーションとは万能薬エリクシルではない。用法や分量を間違えれば毒ともなり得るのだ。

 急ぎながらも冷静に心を保ち、ゆっくりとリアに飲ませる。しかし、飲み下すより前に吐き出してしまう。


「う……ぐ、ぅ……!」

「くっ、手が足りない……!」


 飲ませる補助をしたくても、止血の圧迫を緩めてはならない。もう一人誰かがいたのなら。そう願わずにはいられなかった。

 相手は胸の貫通した裂け目と委細いさい不明の毒。龍人族リアの耐性があっても、一刻の猶予ゆうよも無い。

 せめて、と回復用の碧のポーションを飲ませる。しかし、


「ぐ……ぅぇ……!」

「……ッ!」


 リアが好きな蜂蜜のポーションですら、延命にならない。

 シオンは顔を歪めて髪を掻く。リアの血で前髪が紅く掠れた。自分一人では解決の手立ては見つからず、八方塞がりだ。


「意識を保って! リア! リアッ!」


 手を掴んで声をかけ、懸命にできる処置を続ける。

 その最中にも事実という影が心を蝕む。細い手首の消えそうな温度が、一向に応答しない唇が、浅く儚く途絶え始めた呼吸が、命の終わりを指し示す。


「――――なお、せない」


 翡翠の瞳孔が揺らぐ。


間に合わない……!」


 遂に、手が止まってしまった。

 腹部の止血に使った衣服から、許容量を超えた血が滴る。紅に染まった両手を見つめる思考はめぐるましく空廻った。

 詰み、じゃない。手はある。ただ、成功するかどうかわからない――――成功するはずがない。


「は――――ッぁ……ぎぅ、ぁはッ……」


 乱れる呼吸。心が無形の如くうねり、何一つとして安定しない。

 黒い靄がかたどった手に喉笛を抓まれ、視界を緩く覆われる。うるさいほど早鐘を打っているくせに、心臓が溶け落ちていくような錯覚にすら襲われた。

 視界の焦点がブレて、蓋をしていた呪縛が幻影を見せる。擦れた映像を伴い、間に合わなかったあの瞬間を、慟哭どうこくを、後悔を、懺悔ざんげの全てを想起させた。

 無理だ。お前には不可能だ。お前はゆるされていない。そうささやいて、身体の自由を奪い去る。


――ああ、やっぱり、僕なんかじゃ……


「――――う……」


 ふわり、手を握り返す小さな熱と息にも満たない小さな呼吸が、シオンの世界に色を取り戻させる。


「リア……」


 手の先には愚鈍ぐどんな弱者を庇った代償として猛毒と致命傷に苦しむ少女がいた。激痛はやがて眠気に変わる。痛みのない永久の泥濘に引き込もうと誘うのだ。

 だが、少女は生きようと抗っている。生きたいともがく命が目の前にある。

 ならば、ひとりの人として。

 救われた命として、恩を返さなければならない。


――――僕は、リアのどんな痛みも治すと約束しますから。


 約束を果たさなければならない。


「――――ッ!」


 シオンはリアの手を握り返す。

 そして、


「やるんだ……ッ!」


 覚悟と共に握りしめた左手を振り上げ――己の胸に叩きつけた。


――――パキン


 繊細な破砕はさい音――――刹那、シオンの身体に魔力が満ちる。

 涸れた水瓶が満たされるどころか臨界を超え、青白い粒子が可視化するほどの魔力が雷に打たれたように身体中を駆け巡った。力と激痛が混ざり合った光輝こうきほとばしる。飛び散ったスパークに触れた木の皮が焦げ、それを見た小動物は慌てて逃げ惑った。

 光の中心にいるシオンは、魔力の制御に全神経を注ぐ。とめどなく内側から放出される魔力は奔流ほんりゅうと化し、シオンを飲み下そうとなだれ込んだ。

 今にも押し潰されそうな小さく弱い意識シオンを、ただひとつの願いが支えていた。


――――リアを、救いたい。


 声が――祈りが届いたように、波紋が静まる。

 行き先を知らずに漂う魔力粒子が淡くも優しい碧色を帯びた。攻撃的な雷電は消え、代わりに癒しの新緑が夜半に踊る蛍光けいこうのように二人を染める。

 シオンは瞑目めいもくし、天空にこうべを垂れた。まるで、神さまに祈る旅人のように。


「どうか――――願いを」


――――リリーフ・エリクシル


 繋がれた手から、魔力が血液のようにリアへと送られる。碧の光はリアの傷へと集束し、形を成していく。

 リアの胸に、水晶のように澄んだ一輪の花が咲いた。





 立ち昇る優しい光に、反応を示した者がいる。


「ッ――使ったのか!?」


 一人は、森の声を聴いたコルド。

 もう一人は――――


「――――あぁ」


 小さく感動に震え、穏やかに両手を合わせた。


「あぁ、本当に……本当によかった」


 遠く、遠くの空を見上げる。


「やっと、キミは歩き出せたね」


 オレンジ色の髪がそよ風に揺れ、神は微笑んだ。





 リアに祈りの花が咲く。

 翡翠の花弁を揺らす、水晶のような花だった。

 淡く花弁が揺れると、シオンの魔力が根を張るように広がってリアを潤す。時間を巻き戻すように胸の裂傷が塞がり、失われた血も、骨にまで達した咬み痕も、毒による浸食も、積み重なった疲労すらも吸収し、治癒する。

 無理を通し続けた龍の少女から全ての『苦痛』を吸い上げていく。


「お願い……っ!」


 やがて花はヒビ割れ、全ての『苦痛』を掬い上げた瞬間に甲高くも清らかな音響と、淡い破片を遺して砕け散った。

 入れ替わりに、繋いでいたリアの手が動く。

 血液と共に、炎のような温もりが戻ってくる。木漏れ日のような吐息が漏れて、少女はゆっくりと息を吸い込んだ。


「ん…………」


 まるで、ベッドで眠るように穏やかな表情。

 シオンはまなじりに感じる熱を、震える息吹と共に零した。


「っ……、よかった……本当に……」


 声は詰まって、ぽたぽたと涙は溢れ続けるのに、安堵で口元は緩む。

 シオンは濡れた瞳を閉じ、リアに寄り添うように倒れる。意識が暗転した彼の身体には、欠片ほどの魔力も通ってはいなかった。

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