第11話 北の市場

『元気? 神さまでーす☆ 昨日の夜はちょっと曇ってたケド、今朝はもう風に流されちゃってるみたい。暗い気持ちも雲と一緒に流して、今日はゆっくり行こうか。じゃ、みんながんばろうねー☆』



「ん……ここか」


 まだ日が上がり出したばかりの早朝。リアはとある民家の前に立っていた。表札には『ウォーカー』とある。


「ここが、シオンの家」


 さかのぼること一時間前。

 普段のサイクルでかなりの早朝に目覚めたユラにつられ、リアも寝ぼけまなこを擦りながら体を起こした。「起こした? ごめんねー」「んー……」などという緩やかな会話を交わしながら着替えていると、ユラが思いついたように言う。


「せっかくだし、朝ご飯買いがてらシオンくん行ってみよっか!」

「ん!」


 リアはすぐさま眠気から覚醒し、首肯した。

 そして現在。中央広場の出店での腹ごしらえよりもシオン宅へ出向く事を優先し、ここにいる。


「さーっそくノック!」

「そーいやユラ、シゴトって大丈夫なのか?」

「隣室の奴に押し付けたから問題ナッシング」


 大問題である。支部長がいたなら大目玉を喰らっていただろう。

 そんな現実を亡きものとし、ユラは木扉を三度叩いた。はーい、という控えめな返答が扉越しに聞こえ、足音が近づいてくる。


「はい――ってユラさんにリア。どうされたんですか?」


 顔を見せたシオンは既に出かける準備が済んでおり、来客にもあまり慌てていない様子だ。


「朝ご飯がてら伺った所存! 朝ご飯買ってないけど!」

「本末転倒では……とりあえず、中にどうぞ」


 家主がドアを開き、二人は敷居を跨ぐ。しかし、リアはシオンの前で立ち止まり、彼の顔をじーっと見つめた。


「ど、どうかした……?」

「ん……シオン、元気ないか?」


 ギクッと身体が強張るが、シオンは「そんなことないよ?」と返す。

 しかし、リアにはその顔が憔悴しょうすいしているように見えた。そこからも、本当のことを言え、と言わんばかりにシオンを凝視していたが、


「何で見つめ合ってるの?」


 というユラの一言で終息を迎えた。


「な、なんでもねーよ! ……つらい事、言えよな」

「……はい。ありがとうございます、リア」

「ん」


 釈然としないながらもリアはシオンへの追究を止め、家に上がる。


「おっじゃまー――ってふぉあ!?」


 ユラが仰け反った理由は、あまりにも内装が綺麗だったからだ。リビングの木製で揃えられたテーブルに椅子。整然としたキッチン。どこを見ても掃除が行き届いており、少年の一人暮らしとは到底思えない。

 リアは「シオンの匂いだな」と落ち着いた様子だ。


「ユラの部屋より綺麗だな」

「しーッッッ!」

「?」


 何より動揺したのがそこである。運よくシオンには聞こえていなかったらしいが、少年の一人暮らし――それも一軒家に清潔さで負けているというのはユラの中では女性の沽券こけんに関わる問題だった。


「朝食がまだでしたら、余りがありますけど……どうですか?」

「オレ食いてー!」

「そっか、ノーラインでウェイトレスさんやってるって言ってたもんね」


 椅子に座り、テーブルに出されたのは色とりどりなサンドイッチだ。形がそろっており、ユラは思わず「おおー」と声を上げた。


「これってお店の?」

「いえ、僕が作りました。沢山作って、今日のお昼ご飯でリアにあげようと思って……」

「おふぅ…………」

「いっただきまーす!」


 もはや沽券もへったくれもない。とても美味しい朝食を咥えながら「シオンくんにお世話してもらいたいー」と机に突っ伏して開き直る始末だ。

 少しして、ユラがちらりと横を見てみると、リアは相変わらず次から次へとサンドイッチに手を伸ばし、シオンはそんなリアの様子を微笑ましそうに見ている。口から出かけた「親子みたい」という一言をパンと一緒に飲み込んだ。


「親子みてぇだな」

「お前が言うのかーい――ってコルド!?」


 おう、といつの間にか居たコルドが椅子に腰かける。


「なんでこ――」

「昨日集合場所決めてねぇから、面倒だしって事で朝っぱらからここに来てた」

「ん。ずっといたぞ。匂いしたし」

「教えてよリアちゃん! あーもう心身に悪い!」

「散々な言いようだなテメェ」

「ぎにゃぁぁぁぁぁ」


 ユラの耳をきつくつねり、猫人族の悲鳴を無視してコルドは二人に声を掛けた。


「お前ら、メシ終わったら行くぞ」

「ん! 森だな!」

「いや。その前にちょいと買い物だ」


 指差す先は窓で、開け放たれた先にはレノワールの街並みが広がっている。コルドが示す方角はレノワールの中でも特に騒がしさに彩られた区域。


北区市場、行くぞ」





「俺はちょいと買い物してくるから、シオンはリアを案内してやれ。そうだな……一時間後に中央広場で集合だ。あぁ、買いたいモンあったら買っとけ。後で俺が出してやるからさ」


 とだけ言い、コルドは往来に姿を消す。ちなみにユラは中央広場で同僚に発見され、捕獲された。「あたしも買い物いきたいぃぃぃ」と手を伸ばすも、仕事ではしょうがないと三人で合掌。至極落ち込んだ様子でギルドへと連行された。


「リアは何が見たい?」

「全部!」


 とのことで、散策が始まったが、リアがあちらこちらへと走り回るのでシオンはてんてこ舞いだ。手を繋げば済む話なのだが、シオンにそんな勇気はない。


「あら――あらあらあらァ!」


 かなり前方から、陽気な声が響いた。人混みでも頭一つ大きいベリーが大手を振って歩いてくる。その片腕には大きめの木箱が抱えられており、事も無げに持つその中身は大量の食材や調味料だ。重量は軽くシオンを凌駕りょうがしている。


「シオンちゃんにリアちゃんじゃない! 朝から仲良しねェ。リアちゃんリンゴ食べる?」

「ん! いただきまがぶッ!!」

「ベリーさん、おはようございます」

「たしか今日はシオンちゃんも森に出るのよね。無理しちゃダメよォ?」


 どうしてベリーさんがそれを、と訊くと、ベリーは「コルドちゃんよ」と返す。


「昨日は珍しく夜更けまでいたのよォ。『シオンが成長してて嬉しい』ってずーっとくだ巻いてたんだからァ」

「コルドさんが……僕を……?」

「そうよォ。『二人に教える俺は力不足だけどな』って自虐しまくってて面倒ったらなかったわァ」

「そ、そんな事ないです! コルドさんはすごい人ですから!」

「んっふふふ、それはコルドちゃんに言ってやんなさァい。照れまくると思うわよォ」


 お料理の仕込みがあるから、また来てねェ、とベリーは小さく手を振って歩いていく。

 リアは、シオンの顔が少しだけ明るくなった気がした。


「シオン、コルドがいると元気だな」

「そ、そう……ですか?」


 シオンは頬を掻く。


「コルドさんは僕の憧れなんです」

「んー……あんま強い感じしねーぞ?」

「あはは……たしかに、単純な強さならもっと上の方がたくさんいると思います。でも、コルドさんは僕に夢を教えてくれたんです。……英雄に――冒険者になれる人は選ばれた人だけだ、という諦めを幼い頃から持っていました。冒険者が多いレノワールでは、幼い僕から見たら無敵に思えるような強い人が冒険者を諦めるなんて日常茶飯事でしたから。だから、加護が身体強化や魔法の類じゃないと無理だって思ったんです」


 そんな子供を励ました一人が、まだ青い冒険者だった。


――証明してやるよ! 俺みたいなザコでも一人前になれるって事を!


「そう言って一年後、コルドさんは本当に一級冒険者になりました。当時、腕っぷしの強さがほとんど基準となる冒険者では、コルドさんのように身体能力が高くない人が一級に到達するなんて異例でした。コルドさんは『加護が戦闘向けじゃなくても神さまに認められる』と僕だけじゃなく世界中の冒険者に証明したんです」

「へー、スゲーんだなコルド!」

「はい!」


 コルドの事を語るシオンは、今までになく明るい笑顔だ。コルドも以前、シオンを褒められて我が事のように笑顔を見せていた。お互いに長年の深い信頼があるのだろう。

 リアは後頭部で腕を組み、羨ましそうに空を仰ぐ。


「いいなー、シオンはそういう奴がいて」


 シオンはどう返答すべきか迷った。リアの過去を詳しくは知らないが、決して順風満帆ではなかったとは想像に難くない。どんな言葉がリアを傷付けてしまうか、わからなかった。

 しかし、心配とは裏腹にリアはそのまま続ける。


「オレにとってスゲー人は、いまどこにいるかわかんねーからな」

「そういえば、助けてくれた人がいると前に……」

「ん。いろんな所で嫌われて、さまよって……森で死にそうだった時に助けてくれたんだ」


 リアは昨日の事のように語り出す。


「その人は人間の女でさ。でも、スッゲー強かった。素手でも強いけど、短剣使うともっと強かった!」

「リアはその人に憧れて短剣に?」

「ん! コイツはその人がくれたんだ!」


 と、鞘に入った短剣を掲げる。つかさやも飾りっ気のない短剣だが、綺麗に保たれている事からリアが大切にしているのが伝わった。


「名前も教えてくれなかったし、『るろーのたみ』だからいつ会えるかわからないって言われてさ……だから、コイツだけがオレとあの人の繋がりだ」

「流浪の民……未開の地や自分の知らない場所を求めて旅をする人って、冒険者に多いんですよ。ある意味、本来の意味での『冒険者』ですし」

「ん。そんな事も言ってた。『私はいろんなモノが見たいんだ』って」


 大人っぽくモノマネをした台詞を聞き、シオンはクスクスと笑った。


「ふふっ、やっぱり似ていますね」

「誰に?」

「僕の母も『世界中を見たい』と言って世界を旅しているんです。同じ事をする人間の女性だから、考え方も似ているんだなって」

「シオンのかーちゃんも冒険者なのか!?」

「そう……ですね。今は旅に夢中ですけど、僕が幼い頃はよく依頼を受けては、いろんな場所へ僕やコルドさんたちを引っ張り回していました」

「元気なかーちゃんだな!」

「嵐のような人ですよ……はは」


 軽い頭痛を感じるシオン。思えば、リアはそんな母に似ている気がする。


(夢を追いかける人って考えとか立ち振る舞いが似るのかな……)


 そういえば母さんも短剣使いだったな、と考えていると、リアが鼻を鳴らす。


「シオンのポーションの匂いだ!」

「僕の……あっ、蜂蜜ですね」

「ほあー……!」


 露店のひとつに蜂蜜を売っている店があった。購入したい所だが、森に向かうのならかさばる荷物になってしまう。リアがビン詰めにされた蜂蜜を涎を垂らして見ていると、


「なんだ、お前らもこっちにいたのか」

「コルドも蜂蜜か?」

「いや、俺は雑貨屋こっちに用がある」


 それは、露店が多く並ぶ市場では珍しい、しっかり居を構えた店だった。

 店内に入ると武器防具を始め、異様に安いポーションや知らない言語の分厚い本、用途がまったくわからない謎の装飾品まで無数の商品が並んでいる。最奥の安楽椅子に揺れる店主の老人がしゃがれ声で「いらっしゃい」と言った。


「おおコルド。後ろのは趣味かのぅ?」

「ちげぇよ耄碌もうろく。シオンだよ。シオン。わかんだろ?」

「んー? おぉ、フーリエのせがれか! なんじゃぁ、女子おなごのような顔立ちになったのぅ」

「女子……」

「触れちゃイカンかったか。スマヌスマヌ」


 割と言われ慣れているシオンは気を取り直し、店内を見て回る。


「ポーションだけじゃなくて薬草まで……こんなお店があったんですね」

「すっげー、いっぱいあるな」

「北じゃこんな店目立たねぇからな。いろいろと便利なんだが、爺さんが客多いと面倒だからって、一部の奴しかロクに取りあってくれねぇんだ」

「コルドの紹介なら別に構わんかのぅ。お嬢ちゃん、冒険者のたぐいは右の列。ポーションの薬草ならこっちの棚じゃよ」


 二人は同時に店主の方を振り向いた。リアが冒険者でシオンがポーションを作っていると、どうやって知り得たというのか。店主はくつくつと喉を鳴らす。


「伊達に長生きしとらんよ」

「シオン、オレ、あいつ苦手だ」

「り、リア! そんな事言っちゃダメです!」

「ウヒヒヒ、嫌われたのぅ」

「どの口が言ってんだか……ん?」


 コルドが壁を見て首を傾げた。煤けた壁に剣を飾っていた形跡が残っている。


「おい爺さん。あの剣売れたのか」

「おう。今朝方な。ボロ儲けじゃよウヒヒヒ」

「すげー剣なのか?」

「いや、装飾が無駄に付いた見掛け倒しだ。一応は鍛えられてるから使い物にはなるが、値段がバカでな……ほぼ壁飾りだった」

「見栄を張りそうなみてくれじゃったのぅあの若造は。目利きもできんようじゃからふんだくってやったわい」

「ふんだくられるような金持ちが冒険者の若造ねぇ……珍しい奴もいたもんだ。っと、無駄話してもしょうがねぇ。爺さん、いつもの奴をくれ」

「へいへい構わんよ」


 コルドに掌に乗るサイズの袋を手渡した。カチャカチャと小さく硬いモノが複数入っているようだ。


「なんだソレ?」

「後で見せてやるよ。そら、そろそろ行くぞ。ぐだついてたら森に冒険者が多くなって面倒だ」


 コルドとリアが店を出る。シオンもついていこうとしたが、意味ありげに笑う店主と目が合い、思い切って話しかけた。


「あの……」

「どうしたかのシオン」

「僕、ここに来たことがあるんですか? えっと……」

「爺さんで構わんよ。そりゃもう小さい頃じゃったが、手を繋いで何度かの。いやぁ、フーリエの子とは思えぬほど大人しい子に育ったのぅ」

「あはは……母の知り合いにはよく言われます」

「ウヒヒヒ。まあ懇意にしてくれぃ。フーリエの倅に龍の子となれば、割引もやぶさかではないでの」

「えっ、なんでリアのこと……」

「伊達に長生きしとらんからの。立ち振る舞いでわかるわい」

「すごい……!」


 シオンが感嘆すると、店主は愉快そうに笑う。


清廉せいれんな子じゃのう。物に困ったらいつでもおいで。ウチは薬草でも毒草でも爆薬でも、大概の物は用意できるでのぅ。ウヒヒヒ」


 店の外からリアに名を呼ばれ、シオンは一礼してから店を出た。

 古びた木扉が閉まるのを見届け、店主は椅子を揺らす。


「ええ子に育っておる。皆の努力が無駄ではなかった証拠じゃの」


 くつくつと肩が揺れ、同調するように床がキィと音を立てた。

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