第7話 燃ゆる水晶


 シオンが扉の脇で干している包帯を眺めていると、ノックの音が聞こえた。


「よっ」


 開かれたのは扉ではなく窓だ。驚いて振り向くと、コルドが窓枠に腰かけている。


「こ、こんにちは……何で窓から?」

「ギルドの連中に見つかると仕事押し付けられるからな。アホ共もいねぇし、久々の休業だ」

「そうなんですか……でも、それならどうしてここに? 休暇なら市場や別の都市に行く方がいいんじゃ……」

「そりゃお前、世間話をたしなみに来てんだよ。酒は夜に吞むし、出かけるよか与太話してる方が性に合う」


 どうせやる事済ませて時間持て余してるだろ、というコルドの予想は大当たりであり、シオンは本日三度目となる救急箱の点検を慣行しようとしていた。

 何せやる事が少ない。書類仕事は臨時職員ということで免除――という名目で実は出張中の支部長ナカトに丸投げされている――であり、ポーションの調合や器具の片付けなど片手間でも可能なほど手馴れている。

 ユラにやる事はないかと尋ねても「大丈夫だから休んでていいよ。それはそれとして、今から休日ピークのデスマーチだから表に出る場合は気を付けてね!」と死んだ目で親指を立てられた。

 唯一の医療職員が軽率に留守にしては不味いだろうということで外出はせず、棚にある備品を自発的にチェックし、部屋を掃除し……と、とっくに執務が尽きて、手持ち無沙汰ぶさたなのだ。


「ここは滅多に人も来ねぇだろうし、まだ会話してる方が建設的だぜ?」


 そう言われて思い返すと、ほとんど森に出ていた昨日はともかく、今日半日でここを訪れたのはユラとリアとコルドだけ。負傷者としての来客はひとりもいない。

 聞く話では、冒険者が多い街のギルドは一日に数百人の冒険者が出入りするという。レノワールもそれに当て嵌まるのに、誰も来ないというのは奇妙だ。


「どうして誰も来ないんでしょうか……」

「冒険者連中には『医務室の世話になる内は半人前』って暗黙の了解ルールがあるのさ。元々はモンスターから攻撃喰らうんじゃねぇぞって戒めだったんだが、今じゃ『医務室に掛かる奴は弱い』ってニュアンスに転換されてる。是が非でもどっかのチームやらクランに入りたい新人にとって、『弱いヤツ』って認定されんのは死活問題だろ? つーわけで新人は医務室に来ないし、他の連中も示しがつかねぇってワケで行かない」


 来るのは風評を気にしねぇ奴か、瀕死で倒れた奴ぐらいだ。ともコルドは教えてくれた。


「それにモンスターも弱いからな。小さい傷を甘く見てる連中が多い」


 シオンにとって、それは忌むべき風潮である。見栄や意地のために死んでしまうなんて、愚の骨頂だ。


「……ま、こういうのを広めてんのは大概がルドマンみてーな輩なんだけどな」

「昨日の方ですか……」

「悪漢ってヤツさ。犯罪やってるワケじゃねぇが、口は悪いし高圧的で傲慢。そんで新人に突っ掛かると。まぁ、基本的に嫌な連中だ。ああいう手合いは相手しねぇ方が得だぜ」

「はい……でも、リアが心配で」

「だろうな」


 コルドはため息を吐き、指折りで数える。


「素直で、希望に満ちてて、伸びしろがあり、臆さず、歯に衣着せぬ物言い。そんで女とくれば、ルドマンに限らず落ちぶれたベテランが嫌う要素のフルコースだ」

「突っ掛かられてないといいんですけど……」

「そこは安心しろ。あいつら、今日は路端ろばたで潰れてたからよ」

「あ、あはは……」

「むしろ、邪魔者ルドマンがいねぇから戦い過ぎて……みてーなのが心配だ。あの感じは無理無茶しまくりのタイプだろ」

「そう、でした……昨日、出会った時もボロボロの状態でモンスター……それも特異点と戦ってたんです」

「ふーん…………今日はどうなるだろうな」

「ポーションを渡してあるので大丈夫だと思うんですが……」


 不安に駆られたシオンをなだてやろうとコルドが言葉を探していると――――ギルドにユラの絶叫が響き渡った。


「シオンくーーーん!!!」

「ユラさん!?」


 ドタバタという大慌ての足音で部屋に飛び込んだのは真っ青なユラと、かすれた血で全身真っ赤なリアだった。戦闘の余韻で昂揚しているのか鱗が出たままだが、それが隠されてしまうほどに血痕でまみれていた。


「リアちゃんが大変なこ……と、に……」

「戻ったぜシオン……ん……?」


 二人の声が同時に失速していく。

 コルドが「あーあー……」と憐憫れんびんを込め、肩をすくめた。


「シオンのこの顔は、何年振りだったかな」


 幼少期から見守って来たコルドがそうこぼすほどに、シオンが鬼気迫る形相で叫ぶ。


「いますぐ治療ッ!!」





「あぁっ、やっぱりここにも! 傷を隠さないでください!」

「だって怒るじゃねーか!」

「隠してるからですっ!」


 リアが帰って来て十分経過。二人は止まることなく声を荒げ、治療を続けていた。


「はえー……ケンカしてるのに処置の手がちょー速い」

「経験の賜物たまものってヤツだな」


 リアが執拗しつように傷を隠そうとするが、シオンはつぶさな挙動からそれを見破って処置を続ける。ヒートアップしていくのに治療が停滞しないのは、シオンの意地だろう。


「というかシオンくんがあんな顔して怒るのが以外過ぎて……」

「アイツが子供の頃から、怪我して帰ると大体こうなってたな」

「怪我をするとって……じゃあ、冒険者なんてやってたら毎回怒られるんじゃ……」

「言い方が悪かった。無茶して怪我をすると、だ。何故だかわからねぇが、アイツは昔からそういう傷を見分ける能力があるらしい」


 あの様子じゃリアもよっぽどやったんだろうな、とコルドは他人事として笑う。


「……ホントにそういうトコだよ」

「放っとけ。……でも、たしかに今回は珍しいな。シオンがここまで感情を出すなんて……」


 苛烈の一途を辿る口論を見やり、「リアの影響かねぇ」と頬杖をついた。


「無理をし過ぎてます! 明日明後日は休んでください!」

「嫌だ! あのポーション飲んだら治ったんだから、アレひとつでいいんだよ!」

「そ、それはダメです!」

「なんでだ!!」

「だって……僕なんかのポーションに頼るようになったら……」

「あぁ? シオンのポーションは充分スゲーだろ」


 シオンは一瞬目を見開き、すぐにうつむいて服の裾をきつく掴む。


「ダメ、なんです……僕なんかじゃ、いつか取り返しのつかない事に……!」

「あーもう! なんでシオンは自分を悪く言うんだよ! お前はスゲーし、オレはお前がいいんだよ!」

「でも……っ!」


 リアからの信頼と自身の過去がせめぎ、複雑に葛藤した。シオンは目をきつく閉じて頭を抱える。

 それがリアには、別の意味に映った。


「…………やっぱ、オレじゃダメなんだな」


 え、とシオンは顔を上げる。リアは大きな瞳を震わせ、再び龍の鱗を現していた。

 リアには頭をもたげて震えるその姿が、リアを拒絶しているように見えたのだ。


「オレが……龍が言う事だから、信じらんねーんだろ?」

「ち、ちが……僕は、心配、で……」

「っ……!」


 立ち上がり、リアはおぼつかない足取りで逃げ出すように部屋から飛び出す。すぐさまコルドとユラが追い、出てすぐの廊下で引き留めた。


「リアちゃん!」

「……リア。シオンは――」


 振り向いた顔を見て、コルドは思わず言葉を飲み込んだ。


「オレは大丈夫だからさ」


 リアは暗い感情を必死に隠していた。

 よろよろと走り去る。追おうとするユラを手で抑え、コルドは深いため息を吐いた。


「バカが……誰よりつらい思いしてんのはお前だろうが」

「――――僕、は……どうすれば……」


 廊下へ出たものの、壁に手をついてようやく立っているようなシオンに、ユラは掛ける言葉が見つからない。コルドが静かに進み出る。


「シオン」

「はい……」

「お前がどう思ってるかはわかってる」


 リアが無茶を繰り返すのが心配なのも、自分の全てに自信が持てないのも、今はどうすればよかったのか、という後悔で一杯なのも、全て本心。

 そして、


「リアが龍人族レイアだから信じられねぇのか?」

「違います……違い、ます……っ!」


 龍人族だから、などという意識は欠片もないのだ。

 シオンは息を詰まらせながら何度も否定する。


「僕はただ……また、失うのが……!」

「わかってるよ」


 コルドはシオンの髪をぐしゃぐしゃと掻き乱した。


「シオン、少しは信じろ。お前を信じたリアの事も、お前自身の事もな」

「……はい」

「あー……あたしの想像なんだけどね?」


 ユラは出発前と帰った直後の様子からなんとなく汲み取れたリアの心情を話す。


「きっとリアちゃんは、シオンくんに褒めてほしかっただけじゃないかな」

「僕に……?」

「うん、多分そう。朝もやる気に満ち溢れてたから、モンスターいっぱい倒したぞーって言いたかったんだよ」

「初めて夢を共有できた相手に――――心の許せる相手に『すごい』って言われたい、見栄っ張りな子供みてぇなモンさ」

「うん。いっぱい『すごいね』って言ってほしかったのに、まず叱られちゃったから怒っちゃって、自分の言葉でシオンくんが追い詰められたって思ったから余計につらくなった……んだと思うな」


 シオンの瞳が揺れる。

 自分の身勝手な心配と、いつまでも打たれ弱い心のせいで、リアは……。


「どうしましょう……僕、怪我だけを見て、リア自身を何一つ見てあげなかったんだ……リアを、傷つけて……」

「バーカ」


 軽い手刀がシオンの頭頂部に置かれた。


「最初っから完璧なコミュニケーションなんざ土台無理なんだよ。会って二日であそこまで信頼できてりゃ上出来もいいとこだ。ホラ、うだうだ悩むぐらいなら、さっさと追っかけて仲直りしろ」


 思考の沼に沈む前に、コルドがスッパリと断ち切る。


「それがいいよ。リアちゃんは言葉で言わないとわかんないタイプだと思うし!」

「ああ。つーかそもそも、どんな気持ちでも想うだけじゃ意味がねぇ」


 コルドが笑う。ルドマンを煽った口角ではなく、子供を導く大人のように。


「他人の事を考え過ぎなんだよお前は。人の気持ちなんざ理解できねぇモンなんだから、お節介ぐらいでちょうどいい。いっそ、お前がリアを支えてやるって気概で行ってこい」


 シオンは顔を上げた。


「――――はいっ!」


 シオンが鞄も持たずに駆け出す。

 見送るコルドに、ユラはジトっと視線を投げつけて唇を尖らす。


「やーい、カッコつけ」

「言ってろバーカ。あいつはあのぐらい焚き付けねぇと自分の気持ちを理解できねぇからな」


 コルドは部屋に戻り、窓枠に足を掛けた。


「あれ、シオンくんを追っかけるんじゃ……」

「ちょっと野暮用が、な」

「本ッ当に変なトコで薄情だよね。そういうのがダメなんだってのに!」

「俺だって気がかりだ。だが、報告がある」

「誰に?」

「ちょっと言えねぇトコに」


 そう言い残し、コルドの姿は外の街並みへと消える。


「フン。カッコつけめが!」


 キザったらしい横顔を見て『言えねぇトコ』が何たるかを確信するも、ユラは口に出さず、当てつけに窓を強く閉めるのだった。





 ギルドを飛び出したリアは、行く当てもなく路地裏をうろついていた。未だかつてないほどに散らかった心を落ち着けるため、静かな場所にいたかったのだ。

 とはいえ、森に向かってもこの包帯だらけの有様では門番に止められるだろうし、大通りの雑踏は耐えられない。残る選択肢は、閑散とした埃臭い路地裏だけだった。


「ふんッ、なんだよシオンの奴」


 小石を蹴りながら口先で強がっても、心は憂き目になる一方だ。自分がシオンに言い放った言葉を思い返すたびに、答えのない自問が繰り返される。


――龍人族レイアだから、信じてくれない?

 違う。シオンは別の理由で苦しんでた……なのになんで、シオンが傷つくってわかってる言葉を言っちまったんだろう。

 悲しい顔は嫌だって知ってたはずなのに、なんで。


 褒めてほしかったわけでも、撫でてほしかったわけでもない。……実際は少し、そういう下心もあったけど。

 ただ、話を聞いてほしかった。

 大袈裟おおげさな武勇伝を聞かせて、はいはいと微笑むシオンを見たかっただけなのだ。

 少しでも英雄譚を本当にしたい一心で無理を通した。痛みも流血も無視した――だから、シオンは怒ったのだろう。もっと自分を大切にしろ、と。


「……ポーションのお礼も、言い損ねちまったな」


 リアは幼稚な自分が心底嫌になり、重苦しい息を吐き出す。

 わかっている。こういう時は謝るべきだ。でも、勝手に怒って出て行ったのにどんな顔をして戻ればいい?

 吐き捨てたあんな棘だらけの言葉を、どんな言葉で拭えばいい?

 謝ろうと思う事自体が初めてのリアには見当もつかなかった。


「どうすりゃいいんだろ、俺…………ん?」


 話し声が耳に入り、嫌な予感がして、止まる。

 曲がり角から慎重に覗き込むと、冒険者と漆黒のローブを纏う人物が会話していた。

 冒険者には見覚えがある。禿頭ルドマンの取り巻きの片割れ、金髪の男だ。


「ホントにバレる心配はねぇんだな?」


 質問に対し、黒いローブは頷いた。目元まで深く被られたフードの陰で、顔立ちはおろか表情すらうかがえないのが不気味さをあおる。

 ぼそぼそ、とくぐもった声の黒ローブ。リアは聞き取れなかったが、男の返答で何となく内容を察する。


「……続ける。こんな楽な仕事、放っとく必要がねぇからな」

(あいつら、何を……)


 無言のまま、ローブの内側から何かを取り出す。男に受け渡されたソレはガラスの細い管に入ったあおい液体で――――とても、嫌な匂いがした。


(ッ! なんだ、この匂い!?)


 鼻をつまんで思わず後退ると、踵が木箱に当たって物音が鳴る。


(やば……ッ)

「あん?」


 男が振り向く。しかし、ここらは野良猫が多いということもあって物音一つではわざわざ確認にくるほど警戒はしていないようだ。


「猫か何かが……って、もういねぇ」


 どうやら今の物音でローブの方が退散したらしく、彼はそちらに気を取られてうだうだと独り言を言いながら、ここを立ち去ろうとしている。

 ローブの気配は消えており、背後や空を見回してもその姿は無い。つまり、このままならやりすごせる。


(このままどっか行け!)


 自分の手で口を塞いだリアは無言でそう叫んだ。しかし――


「にゃぁ」


 野良猫が一匹。

 それも、リアの背後にある木箱の上に。今しがたリアが足をぶつけたせいで、木箱たちはギリギリのバランスで成り立っていた。

 ぶち模様の猫は首を傾げ、くっと足を曲げる。


「にー?」

(バッ――――)


 その均衡きんこうは猫を含めたものだったらしい。

 猫が飛び下りたせいでガラガラと盛大に崩れ、男は飛び上がってこちらに駆け込んできた。二人はバッチリ目が合う。


「げッ」

「て、テメェあの時のガキ――――」


 リアは一直線に逃げ出した。

 龍人族レイアの身体能力で、距離はグングン離れていく。だが、狡賢ずるがしこい冒険者は走って後を追うという蛮行ばんこうを犯さなかった。


「逃がすか!」


 崩された木箱の中身は浮浪者が集めたガラクタの入れ物だったようで、地面に散らばる鉄くずの中から手ごろな大きさのモノを手にし、リアの背に思い切り投げつける。


「づッ!?」


 鉄クズはリアの背を捉えた。叩きつけられた衝撃は呼吸を忘れさせ、転ぶように崩れ落ちる。

 軋む背骨に悶えるリアへ男は早足で近づき、髪を掴んで乱雑に起き上がらせた。


「テメェ、見てやがったな!? クソッ、よりにもよってコルドと繋がりのある奴に……!」

「ぐぁっ!」


 リアを放り投げ、金髪を激しく掻き毟る。

 尻餅をついたリアは、未だかつて見たことのないほど激昂した人間の姿を目の当たりにして、不安を覚えた。不機嫌そうに何度も地団駄を踏み、それでも腹の虫がおさまらないとばかりに、リアを睥睨へいげいする。真黒な瞳孔が少女の身体を射た。


――なんだ、アレ……?


 今まで、幾度となく向けられてきた敵意や害意――――そのどれにも当て嵌まらない、異質なモノ。

 モンスターにすら怯えず挑む少女に、恐怖が芽吹く。


「口止めは意味がねぇし口封じなんて……いやこの街じゃ意味がねぇしそもそも殺すなんて……!」

「ッ…………!?」

「あァッ、クソがッ!!」


 答えが見つからず、壁を蹴った。

 続けてリアへにじり寄り、胸倉を掴んで壁に叩きつける。普段のリアならすぐさま反撃して逃げおおせるのだが、彼女は酷く混乱していた。


――龍は敵である。


 それは言わば世界的な認識。

『理由は知らないが、皆がそうしているからそうしよう』という本意に気付けぬほど浸透した悪評に過ぎない。

 言い換えれば、敵意ソレ少女リアだけに向けられているわけではなく、大きな大きな矢印の中で偶然彼女が目に見える範疇はんちゅうにいた、というだけの話なのだ。

 ならば、現状いまは。

 冒険者は後ろめたい現場を目撃された。少女がそれの真意や善悪を知らずとも、怒りの矛先はひとつしかいない。

 自分だけに直接向けられる苛立ち、暴力――怨嗟えんさ

 少女リアは生まれて初めて、個人リアを恨まれているのだ。

 そんな事実を無知な少女が気付ける筈もなく、ただ怯えていた。


「ああァ! テメェのせいだ! テメェがいなければ、こんな……!」

「オレ、の……せい?」


 シオンと喧嘩別れしたのも相乗し、リアの心は急速に負の色へと染まり始める。シオンとの出会いで大いに上向きだった分、その振り幅は激しい。心が、どこかほの暗い場所へ転げ落ちていく。

 自分たちに口答えするほど強気だった少女がしおらしいのが余計 しゃくさわったらしい男は、噴きこぼれた怒りに任せて拳を握りしめた。


「そうだ……テメェの――」


 振り上げられた拳が鉤爪や牙よりも恐ろしく見えて、目をつむる。

 リアの心象は、泥沼のように停滞した時間を送っていた。

 閉ざした視界と同じく、心は暗いまま、自身を四方から追い立てる。自覚したが故に、今までの悪意が明確に自分へ向けられた。

 文字としてすら認識できぬ遠い国の言葉。母音が潰れるほど重ねられた滝のような怒号。豪雨の濁流にも似た感情の嵐。

 その全てがリアを捕らえ、縛り付ける。


――嫌だ。

――怖い。来ないで。

――助けて。

――誰か。


 うずくまり、目を閉じて耳を塞いだ少女には何も届かない。


――誰か、なんて……


 誰も、いない。

 知り合いなんて――仲間なんて、誰もいない。英雄譚みたいに窮地きゅうちを救ってくれる仲間なんて、『悪い存在』にはいない。

 たった一人の繋がりは、自身でったじゃないか。

 龍の手を握ってくれた優しい少年を降って湧いた懐疑心かいぎしんで傷つけ、失ったと自覚するのが怖くて逃げたのは自分だろう。

 ……それでも。


――それでもすがるだけなら、ゆるしてくれるかな。


「――――シオン……ッ」


 か細い声が、あふれた。


「フレア――――」


 遠くから、声が聞こえる。

 目を、開く――――をこちらへ向けた、少年の姿。


「スフィアァッ!」


 初めて聴く、炎のような熱量の声。火焔を孕んだ水晶が一条の軌跡を描く。

 魔法は未だ状況を把握していない男へ接近し――――水晶の殻を破った焔の龍がリアを守るように男の顔面へ喰らいついた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る