第6話 変わる世界

『おはよー、みんなのカシスだよ☆ 今日も晴れだから洗濯物がいい匂いになるね。干物もいい感じに乾くから、お魚も薬草もジャンジャン干しちゃってね☆』



 太陽が顔を見せ始めた頃、神さまの声が響く。シオンは自宅ではなく医務室にいた。

 それというのも、シオンは昨日の酒場で疲れて寝てしまったリアを店長ベリーに任せた後、そのままギルドへ向かったのだ。生真面目な気質上、やはり任された仕事が気にかかってしょうがなかったのである。

 少しの睡眠をってから、昨日こなせなかったポーション作成にいそしむ。最初こそ器具の違いに戸惑ったが、現在はかなり慣れてテキパキとこなせていた。

 しばらくして扉が勢いよく開かれ、元気な挨拶が飛び込む。


「おっはよーシオンくん! ちょーう早起きだね!」

「あ、おはようございます」


 ユラはするすると寄って、シオンの机を覗き込んだ。


「あれ? ポーションの作り方……」

「えっ」

「なんかマニュアル的なのがあるって聞いたんだけど……あれぇ?」

「あっ、それでしたら……」


 シオンは昨晩のナカトの手紙を開いた。とある一文に『ポーションはマニュアルもあるが、シオンの好きにしてくれて構わない』とある。


「ほほう、ナカトさんが言うなら間違いないね! というかシオンくん、好きにできちゃうの?」

「は、はい……ポーションの作成は趣味というか、仕事というか……」


 ユラは「ほっへー!」と手を叩いて感嘆した。


「スゴイねシオンくん! あたしなんかマニュアル見たけど、何一つわっかんなかったもん!」

「マニュアルは仔細しさいに書かれていたので、知識がないと難しいんです。僕はもう、身体が覚えてる状態なので……」

「そんなレベルまで達してるんだ! まだ若いのに、頭上がんないなー」

「頭が上がらないのは僕ですよ……昨日はご迷惑を……」

「いーのいーのホントに! あ、そんで昨日の子とは仲良くいった?」

「リアの事ですか?」


 リアちゃんリアちゃん……とてのひらになぞりながら、ユラは「教えて教えて」と目をきらめかせる。

 シオンは酒場の一件を簡潔に説明した。昨日の禿頭の大男はルドマンというらしい事や、コルドに助けられた事は話したが、リアが龍族であるというのは本人がいないので伏せておく。

 一通り話すと、ユラはうむうむと頷いていた。


「絡まれたのは災難だったね。けど、テンチョーさん知り合いでコルドも常連でしょ? なら、そのまま二人で通っちゃえばいいよ! 仲良くなってご飯美味しくていざって時も安心安全なら良いことづくめじゃん。一粒で何回美味しいんだってね!」

「しばらくはそうするつもりです。ノーライン以外のお店もあまり知らないので……そういえば、ユラさんもノーラインをご存知なんですか?」

「割と通ってるかな。ランチタイムに休憩取れたら毎回行ってるかも」

「そうなんですか? 僕、昼間のお客さんが少ない時間帯だけお手伝いでウェイトレスをしているので、会った事があるかもしれませんね」

「ふぁっ!? えーでもシオンくんみたいな中性的美人がいたら気付くと……いや待てよもしかしてあのフリフリエプロンにだいたい困り顔で薄笑みの美少女(?)はもしや……!」


 ユラが真実に辿り着く寸前で、受付のベルが響く。


「タイミングぅ! もー、行ってくるね。やる事終わったら休憩しまくっていいからねー!」

「がんばってくださいね」

「うーん!」


 駆け足で戻っていくユラを見送って、シオンは机の横に目を向けた。

 実は既にノルマは満たされ、机の上の数本で材料が打ち止めなのだ。木箱いっぱいに用意していた空瓶の全てが、緑色の液体に満たされている。


「……むしろ、作り過ぎてるかも」


 どうしよう、ユラさんに対処を聞いておけばよかったと、シオンは困り顔で額に手を当てた。





 はたはたと駆け、ユラは頬を軽く叩いて営業スマイルに切り替える。テキトーにやっていると見られがちだが、実は仕事をキッチリするイイ女なのだ、と自分に言い聞かせ、受付に入った。


「お待たせしまし――た?」


 ユラは「あら」とに巻き戻る。受付窓の向こうには、居心地悪そうに視線を泳がせる赤髪の少女がいたからだ。

 リアを発見して十数日。絶対に受付に来ることがなかったあの子が、という喜びを惜しみなく放出した。


「おっはよーリアちゃんっ!」

「!? ……なんでオレの名前知ってんだ」

「実はあたしはエスパーなのだ」

「マジか! スゲーな!」

「うっはー、からかうのに良心が痛むぜぃ」


 だが、同時に(この反応は間違いなく純粋ないい子だ)と確信する。

 リアはしきりに同じ場所を見ていたため、彼女の用件はすぐにわかった。


「それで、今日どうかしたの?」

「ん、えっと……その、えっと……」

「医務室なら、いまはお医者さんしかいないよ」

「?」

「その包帯を巻いてくれた人のコト、だよ」


 ぱっ、と両目が開かれ、リアは大きく首肯しゅこうする。


「案内しよっか?」

「ん。いい。シオンの匂いがある」


 犬人族ワンコみたいだね、と言ってる内に、リアはスンスンと鼻を鳴らしてよどみなくシオンの方へと向かって行く。

 顔は幸せをこらえきれずに少しほころんで、後ろ姿は友達に会いに行く子供のようだ。嬉しさが伝わって、キラキラとした光すら見える。


「あのトゲトゲしてた子が……すごいなぁシオンくん」





「よ、よー」


 廊下を走った勢いはドアを開けると同時に失速し、リアは顔を逸らしながらそう言った。揚々と入室したはいいものの、いざシオンを前にすると気恥ずかしさからぶっきらぼうに挨拶してしまったのだ。

 小さく笑って、シオンは頭を下げた。


「おはようございます、リア。どうかされましたか?」

「ん……別にどうかされてはないんだけど、その、ついでだから会いたくて……」


 後半はほぼ口籠くちごもって聞こえていないのだが、シオンは昨日処置した包帯が薄く汚れているのに気づいて「包帯、取り替えましょうか」とリアを手招きする。会話のキッカケになるため、リアは何度も頷く。


「あれ? もう傷が……」


 包帯を解いて、シオンは目を疑った。昨日の負傷が、ほぼ完治しているのだ。腕の肉をさらっていた深い傷すら、影も形もない。


「龍は治りが早いんだ。軽い傷ならすぐに治るし、毒もあんま効かねーぞ」


 それぞれ種族が宿す耐性や能力。龍人族レイアは龍としての特徴に加え、極めて高い再生力を持つと聞く。混血のリアですら裂傷が一日で完治するのだから、純血の龍族はどれほどの再生力を持っているのだろうか……。

 血がにじんだ包帯を外していて、ふとリアの言葉を思い出した。


――いいって! 金も持ってねーし……


 ギルドの医務室は治療代を請求しない。それどころか、毎日無償でポーションを配給しているほど冒険者に対して良心的な施設なのだ。それを知らないということは……。


「……もしかして、昨日までずっと医務室を利用していなかったんですか?」

「ん……鱗がバレたら、って思うとな」


 みんな平気だって知ってたら使ってたけどな。と苦笑い。

 たしかに、処置には素肌をさらす必要がある。以前のリアの心情では入室はおろか、考える事すらはばかられる場所だったのだろう。

 外した包帯を洗浄用のカゴに入れていると、リアがグルグルと肩を回す。


「スゲー、全然痛くねーや。シオンが治してくれたおかげだな」

「僕……ですか?」

「ん。ポーション塗って寝てたら治るけど、いままでは塞がってても微妙にジクジクしてた。オレがやったんじゃこうはいかねー」

「なんて無茶を……応急処置を教えましょうか?」

「また今度な。今日は加護を試したくてウズウズしてんだ!」

「それなら……」


 今にも飛び出しそうな勢いのリアへ、シオンは緑の液体がそそがれた瓶を差し出した。ほのかに花と蜂蜜の芳香ほうこうが漂う。木箱に積まれているものとは明らかに品質が違った。


「僕が作ったポーションです。飲用なので、塗らないように気を付けてくださいね」

「いい匂いがすんぞ! コレ、ホントにポーションか!?」

「知り合いの冒険者さんの要望で作っているんです。薬草をすり潰したり煮詰めたりしたら苦味が強くなるので、長期間漬けたり蜂蜜と混ぜたりして調合してるんですよ」

「スッゲーなシオン!」


 あまりにも純然とした称賛に、シオンは恥ずかしくて頬を掻く。

 小さい頃から真面目で大人しい性分だったため、褒められることは多かったが、リアの無邪気さはむず痒い温かさを感じさせる。


「ありがとうございます。無事に帰って来てくださいね」

「ん!」


 リアは小さいポーチにポーションを大事そうにしまう。

 廊下まで見送りに来てくれたシオンに振り向いて手を振ると、控えめに手を振り返してくれるのが嬉しくて、エントランスに出た時にはすっかり舞い上がるほどの上機嫌になっていた。

 ユラが「ありゃ」と声を掛ける。


「もういいの?」

「なんか元気出た!」

「青春してて羨ましいねぇ。いってらっしゃーい!」

「ん!」


 駆け出す背中には爛漫らんまんという言葉が似合う。神さまの加護とシオンのポーションを引っ提げて、リアは森へ飛び込んだ。





「ゔっ……呑みすぎなんだよ畜生……」


 男は路端ろばたで眠る仲間を後目に、ゆらゆらとかぶりを振りながら南の門へ向かった。

 ルドマンの取り巻き、金髪の男。名をローベルという。

 もう一人の太鼓持ち、アレスとは違ってルドマンへの敬意は薄い。前にいたパーティに捨てられ、荒れていた所を拾われたので恩義はあるが、二人の居ない場所では、やれ分け前が少ないだの、あのハゲだのと文句を垂れている。

 そんな彼がどこに行くのかというと、カラント森林だ。しかし、修行や任務というではなく――あえて言うのなら、だった。


「……コイツでいいか」

「げご?」


 森に入ってしばらく歩き、カラントフロッグと遭遇。特筆するほどの注意点もない、いわゆるザコ相手に得物の剣を抜く。

 すっかり見慣れたモンスターに苦戦などあり得ず、順当に蛙が追い込まれていく。四肢を傷付け、自慢の舌を切り飛ばし――そして、ローベルはあえてソレを瀕死ひんしに留めた。


「へへッ」


 醜い笑みを浮かべ、力なく開かれたままの口へ何かを放り込む。蛙が飲み込んだモノは、青い光を纏っていた。


「げ……ぐぉ、が――ッ!?」


 変わらず苦しそうな様子のカラントフロッグだったが――突然、吐血。

 身体の何もかもを吐き出すが如く暴れ、ひしゃげたような叫声きょうせいを何度か繰り返す。まるで、身体の内側から殺されているように。


「ぐぇご――――ッ」


 やがて断末魔を上げ、灰化の始まった蛙を見て、ローベルは眉間みけんに皺を寄せた。


「うげ……見なけりゃよかった」


 二度目となる依頼。

 一度目はカラントウルフに行い、今のような反応が気色悪くてすぐ離れたのだが、結局気になって見てみればこれだ。狼もきっと、のたうち回って死んだに違いない。

 ローベルはしばらく樹木に寄り掛かって気を落ち着け、蛙の倒れた場所を見た。灰の痕すらなく、残っているのは空っぽの試験管のみ。


「『モンスターを瀕死にして摂取させろ』って……毒か何かなのか、アレ?」


 顔すらちゃんと見せない依頼主への疑問は尽きない。だが、大金が貰えるのは前回で実証されたため、変に詮索して打ち切られる方が損だ。

 ローベルはそれ以上考えないように、街へ戻ることにした。


『――ぉらァ!』


 遠くから、威勢のいい声が聞こえる。挫折や社会の闇など知らないような、青く澄んだ声。

 ローベルは懐かしさと腹立たしさが両立した複雑な心象を見なくて済むように、舌打ちをして名前も顔も知らぬ声の主に悪態をつく。


「どうせあんなのは特異点にでも挑んで殺されんのがオチなんだよ」





「ぜりゃァ!!」

「ギぃ!?」


 斬る――というより叩き割ったのは、カラントアントの甲殻。

 1m程度の身体を虫系統特有の堅い表皮で覆う蟻のモンスターだ。普通なら剣でも弾かれてしまうほど堅牢な外皮だが、龍の血を継ぐリアの筋力なら数発重ねて、なんとか破壊できた。

 殻の下は水風船のようなもので、砕けた外皮が体内に突き刺さり、カラントアントは息絶える。


「はァ……はァ……」


 灰に還る蟻に見向きもせず、リアは頬の血を拭う。

 モンスターを倒しては戦利品も拾わずに走り、次の獲物を狩り――――と、この二時間近く駆け続けた。積み重なった疲労で息が切れ、ようやくリアは腰を下ろす。


「すげー……強くなってる」


 最初に遭遇したカラントウルフを倒した瞬間、リアは驚愕した。

 力がみなぎったのだ。咬みつかれた腕の痛さが掻き消えるほどの活力が体の芯から湧き上がり、心のどこかが衝動を叫ぶ。


――まだ、足りない。


 そこから、止まれなかった。止まろうと思えなかった。

 蛙と、猪と、植物と、蛇と、人狼ウェアウルフと――――闘争心が捉えたモンスターと、対峙し続ける。既知には経験で、未知には直感で挑み、傷を負いながらも勝利を重ねた。

 その数、十連戦。新人ルーキーが単独で行ったとなれば耳を疑う所業である。


「んっ、ぅ……」


 無論、傷は多い。

 猪の突進をモロに受け、カラントシードというつぼみのようなモンスターからは毒液を浴びた。蛇の噛み痕は深く、蛙の舌に突かれた腹部も鈍痛を訴えている。

 何より、ウェアウルフとの戦闘は熾烈しれつを極めた。昨日の黒毛ほどではないにしろ、傷だらけの辛勝――――同時に、最も強さの実感を覚えた一戦である。

 とはいえ全身の痛覚にうんざりしていると、ふわりと鼻を撫でる匂いがあった。蜂蜜の香りだ。


「そっか、ポーション……」


 ポーチからシオンにもらった瓶を取り出す。

 ギルドの不健康そうな職員に一度だけ押し付けられたポーションは患部に塗るモノだったのだが、それを知らずに舐めてしまい、とんでもない苦味に飛び上がった体験がある。更に塗布してももだえるほどみたため、リアにはポーションに対して拭いきれない不信感があった。

 でも、シオンが作ってくれたし……と蓋を開けると、そんな疑念は吹き飛ぶ。

 鼻腔を包んだ芳香ほうこうと濁りのない碧色に心を奪われ、自然と口を付けていた。


「う、うめー……!」


 薬草の効能と蜂蜜の甘さが疲弊した身体に染みわたっていく。リアは一息にポーションを飲み干し、すぐさま立ち上がった。


「まだ行ける!」


 活力とシオンへの感謝で胸をいっぱいにして、リアはまた走り出す。

 無邪気な少女は、強くなれる事が嬉しくて仕方がなかった。

 そこへ加え、シオンの存在はあまりに大きい。

 昨日まで無条件に警戒していた住民たちの多くが安全だと教え、きちんとした食事にありつかせてくれた。何より、龍の鱗に何も言わず、傷の手当てを施してくれた。

 リアの中でシオンは頼れる存在という精神的な支柱となっている。

 少女にとって、今日の朝日ほど目映まばゆかったものはない。

 故に、少女の目標にひとつの追記が成された。


『シオンに恩を返したい』


 夢に一直線な少女はその内容を少し深く考えて、『少年の行為は正しかったと証明する事』が、恩返しだと思い至る。

 即ち、治療した少女が成長し、ゆくゆくは英雄となる事。

 それが栄誉になるのでは、と少女は手を打ち、森を駆けた。

 強く在れば、彼が困った時に助けてやれると。夢へ邁進まいしんすればシオンも喜んでくれると、信じて止まなかったのだ。

 傷は癒えていく。その倍の傷を刻み、英雄という憧憬しょうけいを追うために。

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