第5話 ノーライン

「神さまってスゲーな。他の神さまもあんな感じなのか?」


『神さまの家』から出ると、リアは自分の手の甲を見つめながらそう訊いた。


「僕は会った事がないですが、厳しい神さまもいると手紙で見た事があります」


 中には加護を決して与えない神さまもいるとか、と付け足すと、リアは眉をひそめた。


「ケチな神さまだな。レノワールに来てよかった」

「そういえば、リアはどうしてレノワールに? 他にも冒険者を厚遇する国はあるのに……」

「……オレ、そーいうのよくわからなくてさ。最初に入ったところじゃ龍って事で迫害されて、次もその次も龍人族レイアは嫌われてた。そんで全部嫌になって行く宛てもなく生きてたら、冒険者に助けられたんだ。その人に、レノワールならオレでも受け入れてくれるからって言われて……」


 まあ、やっぱり怖いから隠してたんだけどな。と笑うリアは、過去の辛さの中に少しの光を見出していた。


「ちょっと怖いけど……シオンが普通に接してくれたから、大丈夫な奴もいるかなって思うんだ」

「はい。ここの全員がそうとは言えませんけど、気にしない人も多くいます」


 シオンは確信をもってそう答える。


「龍の鱗ぐらい、笑って流してくれますよ」

「ん。経験があるみてーな言い方だな。シオンは人間だからオレみてーな差別はないだろうし……共感性きょーかんせーってヤツか!」

「……そう、ですね」

「やっぱそうか! オレは人の気持ちとかあんまりわかんねーから、スゲーなシオンは!」

「……ああ、そういえば加護を貰ってみて、どうですか?」


 リアが手の甲をしきりに見ているのは、カシスがそこに紋章を描く事で加護を与えたためだ。今は身体に浸透して、影も形もない。

 リアは「んー」とうなって、ぴょんぴょんとその場で跳んだり、腕を振ったりして「イマイチわからねー!」と、あっけらかんと言い切った。


「でも、大事なのはこっからだ。ガンガン戦って強くなるからな!」


 そう意気込むと、リアの腹がぐるる……と狼のように唸る。リアは恥ずかしがる様子もなく、「腹ぁ減った」と気の抜ける声を出した。


「もうすぐ夕飯の時間ですからね……リアはどうするんですか?」

「金がねぇから何も食わねーぞ?」

「え……その、昨日は何を?」

「森で採った茸と前に仕留めた猪の肉。茸はビリビリして不味かったし、肉は底ついた」


 そんな状態で戦闘を……とシオンは眩んで倒れそうになる。冒険者が栄養失調なんてもっての外。裸一貫で砂漠に飛び込むようなものだ。


懇意こんいにしてくださっているお店があるので、そこに行きましょう」

「だーかーらー、金がないんだって」

「僕が出します」

「いいのか!?」

「これでも、持ち合わせはありますから」

「オレ、なんも返せないぞ……?」

「見返りなんていりませんよ。困ってる人に手を差し出すのは当たり前ですし、もうリアとは他人ではありませんから」


 リアはパッと爛漫らんまんな笑顔になり、シオンに抱き付く。そのまま、懐いた犬のようにぐりぐりと頭を頬に擦りつけてくる。


「シオン、何から何までほんっとーにありがとな!」

「……?!」


 シオンは思考が停止した。ただでさえコミュニケーションが苦手な年頃の少年が同年代の異性と密着したとなれば、衝撃で頭は真っ白、顔は真っ赤になってしまうのは当然の事だ。


「ん、顔熱いぞ。大丈夫か?」

「う、うん……大丈夫、うん」


 しばらくは紅潮する頬をしずめようと努めていたのだが、周囲の微笑ましそうな視線に気付くといたたまれなくなって、シオンはリアを率いて早足にその場を離れた。





 残されている所用を済ませるためにギルドへおもむき、ユラに事情を説明すると、


「なるほどなるほど……後処理云々はあたしがやっといて、責任は支部長ナカトさんに押し付けるから行っていいよ!」


 と、気前よく送り出してくれた。

 夕陽が雲をいろどる時分は、最も大通りが人に溢れ返る時刻。

 一般人は家に帰り、その他は宴の支度を始める。街の四割が眠り、六割が夜通し騒ぐのがこの街のつねだ。

 仕事を終えて帰路に就く大工に、喧嘩の仲裁をする衛兵。身入りが良かったのか豪快に笑う冒険者と、成果が実らなかったのか肩を落とした冒険者。

 喜怒哀楽もそれ以外も入り乱れる往来を後目に、二人はかなり繁盛している酒場に入店した。

 扉を開けた瞬間、遠慮のない話し声と濃厚な料理の香りが津波のように二人を飲み込む。リアが圧巻されていると、シオンは控えめながらも慣れた様子で足を踏み入れる。


「おや、いらっしゃいませで御座います。シオン殿」


 伝票片手に深々とこうべを垂れたのは、艶のある黒髪をたなびかせる店員のひとりだった。

 ひらひらフリルのエプロンの下には遠国、ヒノクニの『着物』を纏う独特な出で立ちだが、凛然とした顔立ちと立ち振る舞いが違和感を相殺し、唯一無二の雰囲気をかもしている。


「そちらの方は初めましてで御座います。いらっしゃいませ。ようこそ酒場『ノーライン』へ」

「お、おう」

「こんばんは、ナギさん。……あれ、ベリーさんは?」

「店長殿でしたら、この通りの盛況で厨房に。もうすぐ手隙てすきになる頃で御座います」

「ああいえ、食事に来ただけで、特に用事もないので忙しそうなら……」

「いえいえ滅相もない。シオン殿が来店されたと聞けば店長殿も喜ばれます故、カウンター席でお待ちくださいませ」


 ナギについて行くと、道すがらの酔っ払いたちが「おっ!」と、目を光らせた。


「シオンじゃねぇか!」「晩にも給仕すんのかい?」「この際、お前さんでいいからおしゃくを!」「女に飢えててもそりゃねぇぞお前」

「えっと……今日は夕飯です……」

「う゛ぅ……」


 行きつけとあって、当然のように顔見知りばかりだ。絶え間なく投げかけられる酔っ払いの声にシオンは困り顔で対処し、リアは不安そうにシオンのすそを掴んでいる。

 人の少ないカウンター席へ通され、リアはすぐさま壁際の席に滑り込む。シオンが隣に腰かけると、リアは膝を抱えて唸り始めた。


「ん゛ぅー……なーんか落ち着かねー……」

「人が多い場所は僕も苦手ですが……ここなら大丈夫ですよ。店長は種族差別を許さない方ですし、常連さんはその考えをよく理解して通ってますから。料理も一級品で、有名どころ……例えば『熱狂一座』なんかもご愛顧あいこされているんです」

「おぉー、どんぐらいスゲーのかはよくわからねーけど、スゲーんだな!」


 合いの手のように、ぐぅと腹の虫が鳴く。猛烈な空腹感に襲われたのか、リアはへろへろとカウンターに突っ伏した。


「ふふっ。何を頼みますか? どれも美味しいんですよ」

「んー……? 名前じゃよくわかんねー」

「じゃあ、肉と魚ならどっちがいいですか?」

「どっちも!」


 これは、あれは、とリアが子供のように目をキラキラさせて質問をするので、シオンは知っている限りを丁寧に説明していく。しばらく会話に花を咲かせ、注文が定まろうかという時だった。

 リアは急に言葉を切り、店の入口を睨みつける。


「どうしたの?」

「嫌な匂いがした……あいつらだ……」


 言葉の意味はすぐにわかった。

 入店してきたのは、あの禿頭の大男。取り巻き二人も一緒だ。森で見かけた様子から察するに羽振りがいいのだろうか、上機嫌である。

 冒険者も多いこの店では彼らの粗暴な態度も目立つものではないが、とりわけリアとシオンには嫌悪と悪寒を抱かせた。

 何せ、夕暮れとはいえ酒場には圧倒的に大人の客が多い。その中で未成年の連れ合い。更に客の少ないカウンターとなれば、目立つのはシオンたちの方なのだ。


「絡まれないといいけど……」

「ゲッ、嘘だろ……?」


 ついてない。としか言いようがなくて、リアもシオンも顔をしかめる。彼らが通されたのは、二人のすぐ背後にあるテーブルだったのだ。

 そして、案の定。


「よォ。今朝のガキじゃねぇか。貧しいクセに酒場でメシとは驚いた」

「……テメェらに関係ねー」

「おぉ? そこのお前はコイツのツレか。ははァ、なるほどな」


 大男が顔を歪める。


「身体――――それか、同情でも売ったか?」


 吐き出されたのは、悪意そのものだった。バンダナの男にそれが伝播でんぱんする。


「女っ気のない奴にすり寄って、傷だの包帯だのを見せて『こんなにがんばってるのにご飯も食べられない~』って金とメシをたかってんすか?」

「そこいらの嗅覚はいいらしいですね。その幸薄そうな女々しい野郎を見つけただけのことはある」

「ヘヘッ、親分のアドバイス通りっすね!」

「ま、騙された女々しいお前も気を付けるこった。こんな女、どうせ身体もキズモノで汚れてるからよ」


 三人そろった嘲笑は、酔っ払いの戯言などでは済まされない。

 シオンは動けなかった。憤りに任せて感情をぶつけてしまえばいいのに、反撃と報復を恐れてしまう。心でリアに謝罪しながら唇を噛み、ローブの内側で拳を握りしめるしかなかった。


「――――オイ」


 リアが椅子から降り、禿頭の大男の正面に立つ。シオンは止めようとしたが、彼女の口から出たのは予想外の言葉だった。


「今なら、オレへの悪口は我慢できた。でもオレの恩人への侮辱は許さねー!」


 啖呵が切られ、空気が張り詰める。

 周囲の酔っ払いは「なんだなんだシオンのツレじゃないか」と野次馬のようにたかり始め、店員は悠々と大皿料理を配膳するナギを除いて大わらわ。混沌とした中、火蓋が切られる――――その時。

 人々の言葉の隙間に刺すように、ガンッ、とジョッキをテーブルに叩きつける音が響いた。喧噪けんそうが一転、水を打ったように静まり返り、視線がひとりに注がれる。


「随分と気が大きいじゃねぇか。ルドマン」


 人だかりを裂いて現れたのは、痩躯そうくの青年。

 一見爽やかな顔立ちには不相応なまでの落ち着きがあり、腰には獲物であるクロスボウが折りたたまれて装着されている。


「そいつらは俺のツレなんだが、何か用でもあったか?」

「……何もねぇさ、コルド」

「その割にはえらく気が短いじゃねぇか」


 見た目の年齢は、圧倒的に青年が若い。だというのに、両名は対等――むしろ、青年が上位にあるようだった。

 コルドと呼ばれた青年はシニカルに口角を吊った。


「夢を追う青臭さが鼻につくか? アレコレと理由をつけて、若輩じゃくはいわらうためだけに夢を早々と諦めたアンタにゃ眩しいだろう」

「黙れ臆病者。安全地帯に隠れて罠に嵌めるしか能のねぇ玉ナシ野郎が」

「その臆病者に追い抜かれたのがアンタだってことを忘れたか? 図体だけの脳ナシ野郎が」


 先ほどとは次元の違う緊迫感が覆う。取り巻きまでもが口をつぐみ、店員たちはどうしようどうしようと右往左往。ナギだけがマイペースにテーブルを拭いている。

 挑発気味に笑うコルドと眉間に深い縦皺たてじわを刻んだルドマンが、己の得物に手を掛け――


「ちょっとォ?」


 二度目に空気を壊したのは音ではなく、気の抜けてしまう笛のような声だった。

 店の奥、厨房からひょこっと顔を見せたのは、顔に化粧を施したこれまた巨体の男性。エプロンの胸元には『てんちょー』のネームプレートが光る。


「コルドちゃん。帰って早々まァーたウチでやらかしたのォ?」

「ちげーよベリー。シオンが絡まれてたから助けたんだっての」

「えー? あらヤダ、ホントにシオンちゃんじゃない! そっちの子はお友達? あらあらあらあらァー」


 一触即発はどこへやら、ベリーの登場で張り詰めた糸は緩み切ってしまう。

 大男ことルドマンは、周囲に聞こえるように舌打ちした。


「チッ、店変えんぞお前ら」


 ズカズカと出て行ったルドマンに取り巻き二名が「はいっす」「こんな店、二度と来ねぇよ」と追従し、店内にはシオン、リア、コルドを取り囲む人垣だけが残る。

 パン、パンと手を打つのはベリー。


「なァーに静まり返ってんのよアンタたち」


 息を吸ったベリーの胸板が、鯨の如く膨み――


「バカ騒ぎなさァーーーいッ!!」

「「「「「おォォォォッシャァァァァ!!!」」」」」


 すぐさま店内は席も区切りも消え、飲めや歌えやの大宴会に昇華した。

 シオンはリアの手を取って席に座らせる。自分たちが立っていた位置は、波のように押し寄せる酔客すいきゃくの通り道になっていた。

 一転した店内の様子に、リアは驚愕の息を吐く。


「スゲー……」

「ウチじゃ毎晩こんなだから、そのウチ慣れるわよォ」

「うおっ!? お前でけーな!」

「でけーでしょォ? うっふっふ」

「お、そっちか」


 カウンターのベリーを目印にコルドは宴の中から軽い足取りで抜け出し、よっこいしょとシオンの隣に腰かけ、


「よぉ、一週間ぐらい振りだなシオン!」


 と、さっきのすくむような剣呑けんのんさからは想像もつかない大らかな笑顔を見せた。シオンも嬉しそうに笑う。


「はい! 帰ってきてたんですね!」

「あらァ、聞き忘れてたけど、三人は?」

「リーダーとバカ二匹はそれぞれ別件に駆り出された。俺は神さまやらギルド支部やらに諸々の報告で先に帰ってきたってワケだ。あ、ナカトのおっさんからシオンに伝言頼まれてんだった」


 コルドがポーチから手紙を取り出す。きちんと封をされたもので、差出人は『ギルド・レノワール支部長 ナカト・リーズベル』とある。


「あらァ、ナカトちゃんから? 本部出向の直前まで死にそうな顔してたから、心配なのよねェ」

「あいつの顔が死んでんのはいつもの事だろ。あ、テキトーに料理作ってくれ。俺とこいつらの分な」

「いいわよォ。リアちゃん、好きな食べものは?」

「肉!」

「とびっきりを用意するわねェ!」


 スキップで厨房に戻る後ろ姿を見て「高ぇ肉使って俺からふんだくるつもりじゃねぇだろうなアイツ」とコルドがこぼした。

 封を切ると、羊皮紙には達筆な公用語が狭く並んでいる。文字の大きさが揃っている文面はナカトの几帳面さがうかがえた。


『拝啓、シオン・ウォーカー。

 まずは非礼を詫びさせてほしい。すまなかった。

 この手紙が届く頃には、ギルド医務室の執務に就いていることだろう。

 本来、簡単な指示を出すだけに留めるつもりで頼んだ仕事が、運悪く私が本部に呼び出された事できみに放り投げるような形になってしまった。

 しかも、緊急の招集で慌てたにしても、私はよりによってレノワール支部で最も信用ならない職員であるユラにシオンの件を任せてしまった。仕事はきっちりとこなすが、如何いかんせんふざけすぎる嫌いがある。シオンは気を遣って何も言わないと思うが、非礼や粗相があったら私に告げてくれ。安心しろ、私の日課である説教の時間が延びるだけだ。

 苦労をさせてしまってすまない。この埋め合わせはきみの要求を呑むようにしよう。それから――――』


 ここから先は仕事への注釈が少しあり、シオンを心配するのが五割、『読み飛ばしてくれ』というただし書き付きでの本部への毒吐きが四割を占めている。

 流し読みしたコルドは「らしさ全開だな」と大笑いし、リアは「はい、けい、キ……いや。シ、オン……シオンってこう書くのか」と公用語の解読に四苦八苦。

 シオンが指で追いながら音読してリアに教えていると、コルドが頬杖をついて尋ねた。


「ところで、そちらの嬢ちゃんは?」

「ん。オレはリアだ! 冒険者やってる。お前は?」

「コルド。コルド・サッチャー。お前にとって先輩冒険者にあたる野郎さ」

「そうなのか? 武器がねーのに」

「クロスボウ、見た事ねぇか?」


 腰から取り出し、数秒とかからずクロスボウを組み立てられると、リアは手際の良さと初めて見る武器にときめく。


「なんだコレ!」

「ここに矢を装填そうてんして撃つのさ。慣れりゃ便利だぜ?」

「スゲー!」

「斬った張っただけが冒険者じゃねぇからな。俺みたく矢を射るのも罠を張るのも重要だし、本当に武器を持たずに研究やら採取に従事する奴もいる」

「へー……オレだと弓は狙ったトコにいかねーから、コルドはスゲーんだな! あの嫌な奴ともやり合ってたし」

「さっきのは営業スマイルさ。ああでもしねぇと、ガタイのいい奴にナメられるんでね」


 大事なのは肝の太さと冷静な表情カオだ。と、コルドはいつの間にか受け取っていたジョッキをあおった。


「オレもあの顔できたら、あいつらにナメられないのか!」

「リアには難しいと思いますよ……」

「ん、そっか? こうだろ。んぐぐぐ……」

「おぉ? なんだ面白ぇ嬢ちゃんだなシオン」


 指で口角を吊り上げるリアがツボに入ったのか、コルドはケラケラと笑った。

 コルドが別席に居た知り合いに絡みに行くと、シオンは運ばれてきた料理を美味い美味いと頬張るリアを見て、控えめに微笑んだ。


「リア、さっきはありがとう」

「ん、何がだ?」

「ほら、オレの恩人に――って」

「おう。オレにとってシオンはいろんな意味で恩人だからな! 傷を治してもらったし、神さまの所へも行けたし、メシにも連れてきてくれた。返せるモンも今はねーし、いくら感謝しても足りねー。それに……」


 リアは顔を逸らし、ぽりぽりと頬を掻く。


「は、初めて……その……秘密を教えた相手だし」

「ほっほーう?」


 目敏めざとく、地獄耳のコルドがシオンに詰め寄る。


「俺らが留守の間に女子――それも同年代の友達作って、ここまで信頼を置かれるたァお前もあなどれねぇなシオンよ」

「ち、違います! リアは今日出会って、その……」

「初日で初めての秘密だぁ? こりゃメリアが聞いたら失神モンだぜ」

「そういう秘密じゃないんです!」


 じゃあどういうのだよ。とコルドは椅子に座った。嫌が応でも聞く態勢だ。

 言うべきか否か、と悩むリアにシオンはささやく。


(話して大丈夫。でも、つらいなら言わなくていいよ)


 もしも嫌だと言えば、シオンはなんとかしてごまかしてくれるだろう。……でも、それじゃ昨日までと何も変わらない。

 リアは少し躊躇ちゅうちょしたが、シオンの言葉を信じて頷く。その様子から、コルドもふざけ半分な気持ちを改めた。


「おっ、オレ、は……」


 息が詰まった。背後に、過去に浴びせられた罵詈雑言ばりぞうごんが粘液のようにまとわりつく。たった少しの言葉が、喉まで来てつっかえる。

 それを取り払ったのは、真面目な顔で急かしもせず待ってくれる二人の姿であり――最初に受け入れてくれた、シオンの存在だった。


「――――龍人族レイア、なんだ……」


 まるで、自分は大罪人ですと自白したような気分。リアは吐きそうなほどの不安に押し潰されるが、唯一の味方であるシオンが隣にいることで辛うじて耐えている。


「ふーん。龍人族ねぇ」


 リアは唇をきつく結ぶ。一秒が無数に刻まれ、そのひとつが過ぎる毎に背筋が冷たくなっていく。怯えたように下を向いていると、コルドの声が降ってきた。


「別に。どうってことねぇ話だ」


 ヘッ、と笑う声が。

 想像だにしなかった返答で、リアは呆気にとられる。


「ベリー。リアは龍人なんだとさ」

「あらまァ、珍しいわねェ! 龍人の故郷の味って何かしらァー?」

「やはりここは肉かと。調理しますね」

「アンタは焼けば食えるバカ舌だから座ってなさァいナギ」


 リアにとって一世一代の告白だったそれは、会話の一環として流れていく。今の会話で他の客にも聞こえただろうに、いままで向けられた害意の視線などここにはひとつもなかった。


「龍人だと!? マジか! 初めて見た! 超ッ絶カワイイ娘じゃねーかッ!」「龍の嬢ちゃん、俺と一夜のアバンチュールを」「シオンの彼女に手ェ出すんじゃねぇよ腐れ外道がァー!!」「引っ込み思案なシオンくんにも……うぅ、よかったぁ……」「門番のにィちゃんが泣くのもわかるぜ。なんせコルドはシオンにも出し抜かれちまったからな!」

「やかましいんだよアホ共! 最後の奴名乗り出ろブッ飛ばすッ!」

「逃げろォォォ!」


 この場所は、自分が龍だと知ったうえで「それがどうした」とお構いなしに酒をんで騒ぎ倒している。言うまでもなく、リアという少女を輪の内に含めて。

 ぽかんとしているリアに、シオンが「お、お付き合いしてませんからね」と訴えた後、笑いかける。


「言ったでしょ? 笑って流してくれるって」

「……ん」


 リアは俯いたまま、シオンの肩を小突いた。真っ赤な顔は、嬉しさをにじませている。


「あらあらあらァ、シオンちゃんがリアちゃんを泣かせたわァー。罪なオトコになったわねェ」

「ホントにここ何日かで成長しやがって」

「へっ!? あの、えっ!?」

「なっ、泣いてねー! オレは泣いてねーぞ!」

「いえ、目じりに涙が」

「うるせー!!」


 リアの拳をナギがいなす。それを皮切りに、リアも大宴会に巻き込まれる。

 いつの間にか龍の鱗が浮き出ていたが、リアは気にも留めずに笑っていた。何せ、誰も気にする者などいないのだから。





「リアちゃん、どう思う?」


 夜半の月を見上げ、ペンをクルクルと回しながらカシスはジーナにそう尋ねた。


「ふむ……まだ未熟ですが、加護をたまわったのですから加速的に強くなるはずです。シオンという優秀なマネージメントもついていますから、これからが楽しみですね」

「ふふーん。そうだねそうだねぇ。やっぱりジーナはボクのコトわかってるネ☆」


 引き続きペンをもてあそびながら、自分も椅子を使って回り出す。当人は平気なのだろうが、見ている方が眩みそうなほど、回り回る。


「いつになく上機嫌ですね。我が主」

「まぁ、そうだネ。とっても喜ばしいコトさ」


 キュ、と止まり、街を見下ろす。

 視線の先には、何の変哲もなく宴会をしている酒場があった。誰もが魂を輝かせ、心の底から今を生きている。

 楽しんでいる魂の色がカシスは大好きなのだ。

 故に、少しだけ透明が過ぎる魂を気に掛けていた。清廉せいれんで優しく、正しく――とても脆い。


「シオンくん次第だけど……彼なら――――彼らなら、きっと大丈夫だろうし」


 月を見上げる。雲に隠されていく月光を追うように、カシスもゆっくりと目を閉じた。


「……寝逃げは許しません」

「ぅあいたっ!? ここは意味深げな言葉による不思議な雰囲気でお流れになるべきでしょ。まったくもぅ」

「知りません。さっさと書類を終わらせてください」

「はーい☆」


 おふざけのように流したこの会話も、さっきの瞬間までは本音だったのだ。ジーナもそこは理解している。

 だが、一体どんな感情が込められていたのかは神のみぞ知る、だ。

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