第4話 神さま

 レノワールは円形の都市であり、北と南に門がある。

 北は商人の声が飛び交う貿易区、南にはギルドを中心とした冒険者街と酒場が広がる。また、西側はシオンの住む居住区があり、東側は無数の商店が軒を連ねる繁華街だ。

 その最奥、つまりはレノワール東端にあるのが、神さまの住まう神殿。

 通称、『神さまの家』――という畏敬いけいとは程遠い通称ではあるが、街を見渡せるようにと高く作られた白い石材の建造物は神殿や家屋というよりは城または塔であり、レノワールの象徴たる役割も果たしている。


「スッゲー……デッケーな!」

「そう……だね……」


 リアは『神さまの家』を見上げて楽しそうに言うが、シオンは対照的だった。

 たった独り、戦い以外を考える余暇もなかったリアにとって、華やかな東や北は未開の地である。ここまでの道中でも至る所に興味を示し、到着にかなりの時間を要した。

 ただでさえ人混みが苦手なシオンは居住区の数倍はある人口密度にくらみ、目を離せば迷子になりそうなリアに振り回されて疲れ切っている。

 行こうぜ! とリアに腕を引かれて中に入ると、


「お待ちしておりました」


 と、衛兵の案内で応接間へ通される。濃紫色の果実を象った紋章の鎧を着こんだ衛兵が退出するのと入れ替わりに、部屋の奥の扉が開いた。


「おお、シオンか。久しいな」


 明らかに一般兵と異なる白銀の甲冑を纏う麗人がドアを閉め、恭しく一礼。シオンはお辞儀を返す。


「こんにちは、ジーナさん」

「うむ、健勝そうだな」


 ピンと背筋の伸びた、流麗な立ち振る舞い。中性的で端整な顔立ちに、戦闘の邪魔にならぬようにと編み込まれた銀の長髪が相俟あいまって、美しいの一言に限る容姿である。

 彼女はジーナ・エルノート。

 神さまの秘書とレノワール自衛団団長を兼任する強者つわものの騎士だ。


「きみが赤髪の少女、という者か……我が主、神は名を教えてくれなくてな。よければ――――」

「う゛ー……」

「……どうやら、警戒されているようだな」

「リア、ジーナさんは大丈夫。強い人だけど、とっても優しい人だから」

「ん……わかった」


 シオンの言葉で渋々と警戒を解いたリアは、軽く頭を下げた。


「名前はリア。腹立ったならあやまる」

「ふふ、素直なのは良い事だ。私は怒っていないが、街には血の気の多い輩もいるから気を付けるんだぞ、リア」


 大人の余裕を感じさせる微笑みをたたえ、ジーナは踵を返して奥の扉に手を掛ける。


「こちらへどうぞ。我らがあるじの元へ案内しよう」


 扉を開けると、そこは執務室のような部屋だった。両サイドの壁は本棚で、奥は壁の代わりにガラス戸とバルコニーがある。

 一見すると何の変哲もないが、リアは窓の外に広がる青空から、この部屋がかなり高い位置にあると気付いた。今の今まで一階の応接間だったのに、だ。


「――――はッ、えぇ!? だって、今んトコは一階で……はぁ!?」

「神さまは大概、なんでもできるから……ここは最上階の神さまの部屋だよ」


 シオンが耳打ちし、リアはようやく落ち着きを取り戻す。

 扉の向かいにあるデスクには、無邪気でありながらも不敵に笑う少年がいた。


「ふっふっふー、驚いてくれると空間繋げた甲斐があるよネ☆」

「神さまはこれをやらんと気が済まんのでな……許してくれ」


 椅子に座り、友好的な笑みを浮かべる橙髪の少年が『神さま』こと、レノワールの主、カシス。

 神さまと銘打っては仰々しい印象もあるが、実際はそれほどの威厳は感じさせない。

 人智を超えた存在である事は確かだが、人類を見下す事は決してない。むしろ人の上に立つ者としては不適合な程に温厚であり、自由が過ぎる。基本的に何もかもをしとし、己の赴くままに行動しているため、統治は自衛団を筆頭とする自治体に任せきりなのだ。

 当神曰く「どの種族にも平等に、ひとつの生命として接する自由の主君だよ☆」らしいが、そのスタンスは『君臨すれども統治せず』を体現している。


「やあやあ、ボクはカシス。自由の都、レノワールの主だよ☆ よろしくねリアちゃん」

「なんでオレの名前知ってんだお前」

「り、リア。神さまにお前って言っちゃダメ!」

「大丈夫だよシオンくん。ボクはそんなに偉くないからネ☆ きみのお名前は神さま的パワーで知ってたんだけど、リアちゃんと言って通じるのはシオンくんかギルド支部長のナカトくんぐらいだからね。あだ名っぽくしちゃってゴメンよ」

「ん。別にいいぞ」

「わぁ優しい! キミのような子ならシオンくんを任せられぁいたっ!」

「すまない、幼子のたわむれと思ってくれ」


 誰かをおちょくってはジーナに脳天を叩かれる、という神々しさの欠片もない姿は彼が神であるという事実を失念させそうにする。

 リアはいぶかしげに首を傾げ、ジーナに訊く。


「なぁ、こんな変なのがホントに神さまってヤツなのか?」

「気持ちはわかるが、残念な事にそうなのだ」

辛辣しんらつだネ。ボクの味方ってシオンくんだけみたい☆」

「え、えっと……」

「そうでもないみたい☆」


 カシスは相好そうごうを崩さず、本題に移る。


「さってと。キミたち、森でおかしなモノに遭遇したでしょ?」


 おかしなモノ? と二人は顔を見合わせた。リアが目の鼻の先に居ると気付いて、シオンは紅潮した顔をサッと逸らす。


「ほーら、キミたちが出会った時の」

「あぁ――――って、なんでお前が知ってんだ?」

「ボクは神さまだからネ☆ ほら、考えて思い出して~」

「ん……あのウェアウルフだろ? やけに強くて、黒毛の……」

「そうそう。シオンくんならわかるでしょ?」


 カシスに水を向けられ、シオンは小さく頷く。


「はい……カラントのウェアウルフは体毛が灰色ですし、ましてや炎なんてありえない筈です」


 炎と聞いたジーナが目を見張り、神さまは「そう」と頷いた。

 カラント森林のウェアウルフは、カラントウルフから成長して誕生する種だ。順当に進化したのなら、体毛は灰色のままである。

 加えて、森の進化体系では生まれる由もない火という特性。つまり、アレは――――


「特異点だ」


 リアは息を飲んだ。


「特異点……ってなんだ?」


 緊迫からの落差でシオンがつんのめる。

 カシスはクスクスと笑んで、説明を始めた。


「名前の通り、特殊なモンスターの総称だよ。地域によって呼び名が違うらしいけど、ギルドがそう名付けたからボクもそう呼んでるよ。……どうやってモンスターが発生するか云々は省くけど、彼らは本来、生態系に与するモノじゃないんだ」


 生活を営まず、食物連鎖の歯車でもない。殺し、喰らう事が本領の化物――それがモンスター。

 生命じゃないけど本能ならあるとでも考えてくれればいい、と神さまは付け加えた。ジーナが言葉を継ぐ。


「奴らにもまた、我ら人類と同じ現象が起こる。生まれて育ち、地に還り、また生まれる。即ち、個の成長と種の進化。そして、全ての種に共通し、奇跡と言う他ない存在が生まれる事がある」


 その結果が、特異点。


「特異点とは、要約すれば掛け値なしのバケモノだ。リアが遭遇したのはおそらく、自分でも力の使い方をわかっていなかった未熟な個体だったのだろう。火焔を吐くウェアウルフなど、成長したらどうなっていたか……私個人としては興味を惹くが、被害を想定すると考えたくないものだ」

「で、さっき言った通りモンスターは生態系の外側だから、放っておくとガンガン殺してドンドン強くなってバンバン侵略して、最終的には自分たちで滅ぼし合っちゃうワケ。そんなのを野放しにしとけないから、ボクらはキミたちに加護を与えた。成長と進化の起爆剤さ」


 カシスの言う通り、加護を賜った後の文明開化はめぐるましい。人類は日々進歩する文明を築き続け、生活を守るために自分たちを脅かすモンスターと戦っているのだ。


「ボクの目標は生態系の安定だからネ。ボクは加護を与えてモンスターを倒してもらう。キミたち――――冒険者はモンスターと戦って、強さとお金を手に入れる。対等な取引でしょ?」


 ボク的にはキミたちの成果や武勇が見れるし聞けるしで、とってもお得な気分なんだけどね。と嬉々として語るカシス。

 彼は三度の飯――神さまに食事が必須なのかは知らないが――より冒険者の武勇伝が好きだと有名だ。毎月、仕事ぶりが優秀な冒険者には特別報酬を出すし、目に留まる活躍を魅せた者には恩賞まで弾む。

 レノワールが栄える理由のひとつは、カシスの厚遇っぷりとカラント森林の安全性が相乗して、新人冒険者が山ほど来訪する点にあるのだと聞く。

 リアは首を傾げた。


「加護ってなんだ?」

「無知を恥じずに尋ねられる精神性ってとぉっても素晴らしい! ご教授してしんぜよう」


 カシスはどこからともなく取り出したボードに絵を描き、手際よく説明していく。


「まず前提としてだけど、加護ってそんなにスゴいモノでもないんだ。キミたちは本来みーんな、とてつもない力を秘めてるのさ。魔法も使えるし、空だって飛べる。ボクらの加護は、キミたちがそれを発現しやすいように火種を灯してあげるだけ」

「火種……」

「もらっておいて損はないよ☆ もらう神さまでの違いなんてあんまりないし。事実、レノワールの人々にはボクの加護をあげてるし。それに……強く望むのなら、すぐに火種はキミの力を教えてくれるからネ」

「……なー、神さま。オレに加護はないのか?」


 レノワールの人々が下賜かしされるように、自分にもどこかの神さまの加護があるのか、という問いだ。

 国によっては、レノワールと同じく生まれたと同時に加護を受ける場所もある。当人が与り知らない内に、という事例も少なくない。


「んー……リアちゃんは、無いみたい」

「ん、そっか……そりゃ、そっか……」


 リアは悲しげに陰を落とした。龍族なうえに捨てられた自分なんだから当然だ、と反芻はんすうする事で認めさせようとしているようにも見えて、痛々しい。

 シオンが視線を送ると、カシスは任せといてよ、と頷いた。

 

「リアちゃんさえよければ、ボクの加護をあげてもいーよ?」

「ホントか!?」

「そんなにスゴいモノでもないって言ったでしょ? プライスレスであげちゃう☆」

「ぷらいすれす? ……でも、いいのか?」


 喜んでいるようで、それでもリアは少し迷っている。何が気がかりなのか、神さまはお見通しなのだ。


「リアちゃん。レノワールがなんて呼ばれてるか、知ってる?」

「あ? えっと……神さまの都?」

「そう。でも、もういっこあるんだよ」

「ん…………あっ、自由の都ってヤツか?」

「そう!」


 カシスは立ち上がり、バルコニーへおどり出る。

 開け放たれたガラス戸から風が吹き込み、神はそれを全身で感じんと両腕を目いっぱい広げた。眼下には、無数の息吹が生命を謳歌おうかする世界がある。


「ここはボクが治める自由の都、レノワール! 性別も年齢も職業も国籍も種族も関係無く、誰もが自由に過ごしていられる場所なのさ。ヒトの差別意識を無くすのは難しいケド、キミが他人とわかり合おうともがくのならば、ボクは決して差別も区別もしない」


 たとえキミが忌まれる種族だとしてもね。とカシスは慈愛の笑みを浮かべる。

 そこには、やはり彼が人類の上に在るのだと自覚させる、全てを見透かした上での鷹揚おうような佇まいがあった。


「ボクにとって人類キミは美しくて愛おしい、守るべき存在なんだ。だから、キミが望むのならボクは惜しみなく加護を与えよう」


 それに、と神はおとぎ話に憧れる子供のように純真な瞳を輝かせる。


「ボクができるのは小さな火種をあげること。そこからキミたちが何を見て、どう成長して、どんな物語を紡ぐのか――――ボクはそれが見たくてたまらないのさ」

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