第3話 龍の少女


 ギルドに戻った時はユラに「何事ッ!?」と驚かれたが、さとい彼女は事情をある程度予測して、説明は後回しでいいと医務室へ通してくれた。

 少女をベッドに座らせると、シオンは即座に治療を開始。彼にとって切り傷と擦り傷の相手は慣れたものであり、ものの数分で処置は完了した。


「おおー……すげーな」


 真っ白な包帯だらけの腕や足を物珍しそうに眺める少女を後目に、シオンは救急箱を閉める。そして、深々と頭を下げた。


「ご……ごめんなさい」

「なにがだ?」

「そ、その……傷を見ると自制が利かなくて、いつも強引に……ごめんなさい」


 と、彼は何度も謝罪する。

 シオンに――――正確には彼の身内にとって、これは通例だった。

 自分の意志を貫き、強引にでも傷を処置する。のちに頭が冷えると、「またやっちゃった……」「迷惑だったでしょうか……」「強制したからそうに違いないですよね……」と落ち込む。

 一連はいわゆる条件反射のようなモノで防ぎようもなく、彼は毎回のように膝を抱えてしまうのだ。

 少女はあそこまで有無を言わせなかった様相とのギャップがおかしくて、噴き出すように笑う。


「ははっ、ヘンなヤツだなお前! ……それより、お前は大丈夫なのか?」


 シオンは一瞬だけキョトンとしたが、すぐに彼女が手の傷を心配してくれているのだとわかった。


「切れたのは薄皮でしたし、大丈夫ですよ。ご心配をかけてごめんなさい」


 うっせ、と少女は顔を逸らす。


「お前はオレを助けてくれたし、傷も治してくれた。感謝してるぞ。……鱗も、怖がらなかったし」


 少女は自身の腕に視線を落とした。

 処置に夢中で気づかなかったのだが、レノワールに入る頃には、紅い鱗が跡形もなく消えていたのだ。今は少女然とした瑞々しい――傷だらけの素肌があるのみ。


「……嫌じゃなかったら、話してくれませんか?」

「イヤなら話さなくていいのか。気になるだろ?」

「そうですけど……言いたくない事もあるって、わかりますから」


 シオンは自分の胸を押さえる。自分にも胸中に閉じ込めていたい仄暗いモノがある、というサインだった。


「でも、打ち明けると楽になる事もあるんです。だから……あなたがよければ」

「……話す。なんつーか……お前なら、言ってもいい気がする」


 少女は椅子にあぐらをかき、シオンと向かい合う。

 しばらく口元を開きかけてはもごもごとさせたり、ひっきりなしに視線を動かしたりした末に、ちゃんとシオンと目を合わせ、言葉を発した。


「オレは――っ、……龍人族レイア、なんだ」

「やはり……そうですか」

「で……でも、混血みたいで……不十分なんだ、オレ。尻尾も翼もないし、鱗と爪は怒ったりすると勝手に出ちまうから隠さなきゃなんねーし、息吹ブレスも……。ちゃんと継げたのは傷の治りが速いのと火に強い体質ぐらい……だから……」


 少女の言葉が止まった。視線が、外れる。


「オレ、みんなに捨てられて……街とかに行っても、龍だってわかったらいろんなとこで嫌われて…………いまも、龍って明かすのが怖かった」


 シオンは言葉が出なかった。

 龍族――龍人族とは、その名の通りドラゴンの特徴を受け継ぐ人類である。強靭な肉体に堅牢な鱗、龍の尾と翼。空を制し、地を制する最強格の種族。

 しかし、彼らは絶滅寸前の少数民族なのだと聞く。その理由は――――


「オレらは大昔、神さまを殺した……らしい。だから、世界中でオレらは嫌われ者だし、ただでさえ数が少ないのに純血じゃないオレは龍人族みんなにとっても邪魔者だったんだろう、って……」


 百年ほど昔、龍人族は神に仇なした。

 そこに如何なる事情があったのかは定かでないが、彼らは神を殺したらしい。その結果として多くの同胞を失い、今でも人口を回復できていないのだと聞く。

 ……その過去のせいで龍人族全体が蔑視べっしされる事も、多いそうだ。

 忌まれる種族――――その混血。

 仲間からも捨てられ、何もしていないのに世界中から忌まれる。いままでどれほど壮絶な過去を生きてきたのか、想像のしようがなかった。

 しかし、彼女の声色は決して悲嘆だけに染まってはいない。


「……絶対に、証明してやるんだ」


 少女は顔を上げた。想起された熱情が、夢を語る。


「混血でも、龍でも! 今に強くなって、世界に名をとどろかせて――――英雄って呼ばれて、オレは強いって! 龍は強いって証明してやる!!」


 英雄――それは、偉業を成した者に神さまから贈られる最高の栄誉。神さまから人類が享受できる、最大の名声である。


「オレを助けてくれた人は『追えない夢はない』って教えてくれた。だから、やる!」


 仮に成就したのなら、世界中に衝撃が走るだろう。

 同時に、その道は荊でも足りぬ獣道。雲を突く山脈をその身一つで登り切るも同義だというのに、少女は目を煌めかせて空を見上げている。

 絶対に実現すると信じている――そんな人だからこそ成し遂げるのかもしれない。

 日輪の眩しさに手をかざすような思いをシオンは抱いた。

 少女は少しして我に返ると、ぷいっとそっぽを向いてねたように言う。


「……どうせ、無理だって思ったろ?」

「いえ、まったく」


 ――――追えない夢はない。

 シオンはまぶたの裏に遠い面影を見た。


「僕の周りにも、途方もない夢を追いかける人がたくさんいますから」


 普通なら、荒唐無稽こうとうむけいと一蹴されて当然の壮大な旅路。

 理解し切れないほどの大きな夢を大真面目に「叶う」と断言し、追求する者が身近にいたからこそ――――諦めてしまったのだ。


 僕なんかじゃ、届かないと。


 シオンは少しの羨望を込め、


「僕には無理でも、あなたのような人ならできるのかもしれませんね」


 無理をして微笑んだ。


「――――リア、だ」

「え?」

「オレの名前だよ。さっきからあなたとか、くすぐってーし。お前は?」

「あ、えっと……シオンです」

「シオン、な。――――おい、シオン!」


 リアは、シオンの鼻先に指を突きつけた。


「お前も、できる!」

「お前もって……」

「どんな夢かは知らねーけど、無理なんて言うな! お前は龍でも関係ねーって、オレを助けてくれた。そんなスゲー奴に追えない夢なんてねー!」


 オレが保証する! と断言し、リアは瞳で返答を求める。

 出会ったばかりで、交わした言葉は少ない。何の説得力もない筈なのに、シオンは不思議と嬉しくなって笑顔が溢れた。


「ありがとうございます、リア」

「ん。わかりゃいい」


 リアはくしゃりと笑う。

 戦闘時の雄雄しさはすっかり鳴りを潜め、そこには爽快な笑顔の少女がいる。声色といい表情といい、太陽のようだ。元々の心根がそうなのだろう。

 誰一人として味方はおらず、苦しみは理解されず、夢はわらわれる。追い詰められた自我を守るには、とげだらけの虚栄を張り、半端な慈悲を突っぱねるしかなかった。

 それでも、孤独はつらかったのだ。

 あの攻撃的な性格は、疑心暗鬼と自己防衛が生んだ仮面のようなモノ。それを取った先には、ただの前向きで明るい少女がいた。


「他にも聞きたい事があるんですが、いいですか?」

「いいぞ」

「リアはどうして、あんな無茶を? 強くなるためにしても、この傷の量はウェアウルフ一匹だけではありませんよね」

「おう。狼は何匹も狩ったし、植物みてーなのとかデケー虫も。ウェアウルフも他のをブッ倒した。いつもならそんぐらいで帰るけど……今日はイラつく事があったから、ずっと森にいたんだ。そんで、何かヘンな匂いがするウェアウルフがいた」


 アイツ強かったから、シオンがいなかったらやられてたけどな。と、リア。

 間一髪の記憶を思い出し、シオンは今更ながら総毛そうけ立った。一歩遅ければリアは死んでいたかもしれないのだから。


「なんつーか……ずっとイヤなことばっかだったから、ヤケになってた。レノワールはいいトコって言われて来たけど、どんだけ戦っても強くなった気がしなくて……いっそ死にかけるぐらいになれば、何か起きるかもってな」

「そんな……」

「でも、いいことあったぞ。シオンに会えたからな! あそこで戦ってなかったら、シオンを知らないままだった!」

「そう……かもしれませんけど、気を付けてください! 本当に危なかったんですから!」

「ん。そうだな!」


 まったくもう。と口では言うものの、ケラケラと笑い飛ばすリアを見ていると、どうもシオンはこれ以上怒る気になれなかった。むしろリアにつられて笑ってしまいそうになる。

 そんな朗らかな空気が流れる部屋へ、コンコンコンと急ぎ足なノックが飛び込んだ。


「シオンくん……あっ、その子もいるなら丁度良かった!」


 ユラが部屋に入るや否や、リアがクッと目を見開き、警戒心を剥き出しにする。 蛇ににらまれたならぬ、龍に睨まれた猫は飛び上がった。


「ひょえぇ! なんで睨まれてんのあたし!?」

「う゛ー……テメェは何だ……!」

「リア、落ち着いて。ユラさんは……多分いい人だから」

「何その微妙な間! だいじょぶだいじょぶ、あたしは怖くないよー、るーるるるー」

「おちょくってんのか!」

「ひぇぇ猛獣だぁぁ」


 寸劇のようなやり取りをする両名だが、シオンはユラが純白の筒を持っていることに気付く。


「ユラさん、それは?」

「はっ! そーだった!」


 ユラは手に持つ筒をぽんッと開け、中の真っ白な紙を取り出した。


「どうされたんですか?」

「いや、理由はわからないんだけどね……」


 ユラは丸められた紙の上下をつまみ、パンッと紙を広げる。


『シオンくんと赤髪の少女コンビはボクの所へ来るよーにっ☆』


 やけに達筆で茶目っ気に書かれた共通語だった。


「シオンくんときみ……神さまに呼ばれてるよ」

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