第2話 カラント森林


 ギルドを出て南へ向けば、すぐ目の前に関所を兼ねた門がたたずんでいる。

 元は子供たちが森に迷い込むのを防ぐ為に設置してくれという要望で造られたのだが、現在ではギルドと提携し、森へ向かう者の安否確認も行われているのだ。


「あれ、シオンくん。この前も行ってなかったっけ?」

「ギルドで入用になったので……行ってきますね」

「そっかぁ。頑張ってね。危なくなったらすぐ逃げるんだよ」


 顔見知りの門番に心配されつつ門を通ると、整地された道が伸びていく。

 歩いて行けば段々と草の背が高くなり、木々が増え、やがて到着する樹木の集合地帯がカラント森林。世界でも指折りの、モンスター発生地帯である。

 とはいえ、探索済みイコール安全という公式は勿論成り立たない。奥地に踏み込めば踏み込むほどモンスターも強くなっていくし、不測の事態など山ほどある。

 危険をおかす気などさらさらなく、シオンはシラツユを探して、付近を歩いた。シラツユはどこにでも自生しており、見分けるのに慣れれば面白いほどに収穫できる。

 時折、別の薬草を収穫しつつも散策していると、話し声が聞こえた。


「今回も楽勝だな」

「あたりまえっす!」

「この辺のモンスター程度、一撃ですよ」


 シオンは咄嗟とっさに身を隠す。

 のしのしと歩いていたのは、さっきの大男と取り巻きだった。


「あぁ。三人いりゃ、ここらのモンスターは楽に討伐できる」

「っすね! ……そういや朝のあいつは独りで冒険者してるんすかね」


 太鼓持ちなバンダナの男がそう言うと、大男はフンと鼻を鳴らす。


「傷が多いってのは冒険者として未熟な証拠だ。短絡的で猪突猛進の命知らずなんて輩と組んだらロクな事にならねぇ。ああいうのは同業者も離れるし、そのまま避けられてずっと単独ソロのままなんだよ」

「物知りっすね親分!」

「貧民の女は、どうせ野垂れ死ぬか娼婦になるかの二択ですからね。男に生まれてよかった」


 もう一人の金髪の男を皮切りに、底意地の悪い哄笑こうしょうが森に響く。

 三人が遠く過ぎ去ってようやく、シオンは沈痛な顔を上げた。


「あんな、人が……っ」


 あんな人が冒険者だなんて、信じたくはなかった。

 清濁せいだくあわせ持たない人はいない。だとしても、他人を傷つけて己を痛めぬ悪漢が『冒険者』であると名乗っている現実を直視したくはなかった。

 ローブのすそをきつく握りしめ――やがてふっと放す。

 どうせ弱い僕じゃ何もできない、と唇を噛んだ。


「……行こう」


 シラツユは瓶の半分ほど溜まっている。シオンは心に巣食う憂き目を晴らすように、採取だけに集中した。

 どんな道をいかほど歩いたか、気が付けば瓶は満杯。太陽は真上近くまで昇っていた。


「いつもより、奥まで来ちゃったかな……」


 木々は入口周辺よりも青々しく密生しており、草花には踏まれた跡が少ない。それはつまり、人があまり立ち入らない場所という事だ。


「出くわす前に戻らないと……」


 早々に引き返そうとした、その時。

 背後の茂みから、ガサガサと聞こえる。


――――まさか。


 恐る恐る振り向くと、灰色の毛並を持つ狼が茂みから飛び出してきた。

 カラントウルフ。カラント森林に生息する、列記としたモンスターである。


「ヴォァア!!」


 視線が絡み、カラントウルフは威嚇で牙を剥いた。

 慌てて、シオンは掌を突き出す。


「ふ、フレアスフィア!」


 魔力が腕に満ち、シオンは目を瞑る。放たれたのは、中身のない透明な球体だった。


「キャゥン!?」


 および腰で射出されたそれは偶然にも狼の鼻先に命中。パリンッと甲高く割れた音にも驚き、モンスターは文字通り尻尾を巻いて逃げていった。

 シオンは緊張を解いて、安堵と失意が混じり合ったため息を落とす。


「まただ……」


 パキパキと魔力へ分解されていく破片を見つめる。

 人でもモンスターでも、生き物に魔法を放つ時に目を閉じてしまう癖があった。しかし、シオンにはもっと由々しき問題がある。

 彼の放つ魔法は、必ず透明な殻を形成してしまうのだ。

 先程のように慌てれば硬いだけのシャボン玉になってしまうし、落ち着いて構成しても火や水を内包した水晶球になってしまうのに変わりない。

 魔法の師匠に理由を尋ねても「知らん!」と断言されたため、未だ原因不明のままだ。

 今回は、運よくモンスターが逃げてくれた。でも、このままではいつか本当に襲われてしまうのではないか、とシオンは頭を抱える。

 自分の貧弱さに悩みながら来た道を戻っていると、シオンは不意に胸騒ぎを感じて立ち止まった。


「何か、聞こえた気が……」


――グルルァァアアアアア!!

――らァァあああああああ!!


 シオンは、逃げ飛ぶ小鳥と同じように身を震わせる。モンスターと人――――それも少女の咆哮ほうこうとどろいた。


「戦ってる……?」


 シオンは半ば無意識に駆け出した。誰かがモンスターと戦い、傷ついていると考えると、居ても立ってもいられなくなったのだ。

 木の根を飛び越え、息を切らせて声の出所に辿り着く。森の中に点在する平地では、二つの影が戦っていた。

 片方は漆黒の体毛を持つ二足歩行の狼――ウェアウルフ。

 その相手はなんと、今朝の赤髪少女だ。

 通常なら加勢するか逃げ出すかの二択だが、シオンの視線は少女の腕にそそがれる。


「――龍の、鱗?」


 驚くべき事に、包帯の外れた少女の腕は紅い鱗で覆われていたのだ。

 蛇人族ラミア蜥蜴族リザードか、とも思ったが、刺々しくも堅牢なそれは爬虫類よりも龍を想起させた。

 少女の雄雄しき戦いぶりが、自らの出血に濡れて恐ろしいほどなまめかしい鱗が、荒ぶる龍のイメージを加速させる。

 鋭い鉤爪かぎづめを振りかざすウェアウルフに対し、少女は刃こぼれした短刀一本で対抗していた。しかし、鱗を盾に爪を受け止めてはいるが、すでに全身生傷だらけで気を吐く少女が劣勢なのは明らかだ。


「ヴぉァ!!」


 ウェアウルフが大口を開き、口腔こうくうに火の粉が散る――瞬間、少女の頭部が嵐のような炎に包み込まれた。


「そんなッ!?」


 炎を吐くウェアウルフなど聞いたことがない。あんな至近距離で爆炎を喰らってしまえば、ただでは――


「うおらァあ!!」

「!?」


 ところが少女は火焔の幕を突き破り、驚愕するウェアウルフに肉薄した。爪と短刀が何度か交差し、火花が踊る。


「ンな火が効くか! オレは龍なんだからなッ!」


 シオンはすっかり彼女に魅入っていた。痛みをものともせず命を燃やす少女が、英雄譚のように美しく見えたのだ。

 炎を打ち破った事で形勢が徐々に少女へと傾く。調子付く少女は真上に跳び、ウェアウルフの頭を割らんと短刀を叩きつける。


「うらァ!」

「ッ……がァ!!」


 ウェアウルフは腕を振り上げる事で短刀ごと少女を弾き飛ばす。そして、着地した直後の少女に力任せの一撃を叩きつけた。少女はすんでの所で防御するも、獣の膂力りょりょくから繰り出される強打にたたらを踏んでしまう。


「やばッ――!」


 表情が焦りに染まる。ウェアウルフは勝利を確信し、咆哮と共に少女を貫かんと凶爪を振るう。


――シオンは、誰よりも早く反応していた。


「させないッ!」


 叫ぶと同時に魔法が放たれる。ロクに魔力も注げず、本当にシャボン玉のようだが――完全な死角からの、パリンッという甲高い破砕音が虚をいた。


「ヴォッ!?」

「いまですっ!」


 意を解し、少女は一歩踏み込んで短刀を振り抜く。鋭い斬撃は喉笛を引き裂いた。勢いを殺さず回転し、左胸――心臓に刃を刺し込む。


「がッ――――ァア……!!」


 ウェアウルフは絶叫し、パラパラと崩れ始めた。

 モンスターは生命を失うと灰になり、遺留品として牙や爪、毛皮等を落とす。冒険者の稼ぎとはコレを換金する事で発生する金銭である。

 しかし、膝を地についた少女はそれを拾う余裕すらもない。


「ぐぉ……ッ」

「大丈夫ですか!?」


 急いで駆け寄ると、少女は短刀を力なくこちらに向けた。伸ばしきれていない肘から血液が滴る。


「くんな……殺す、ぞ……」

「でも、怪我が! ポーションがあるので、せめてこれを……」

「いら、ねー……おまえ、なに、が……目的だ……」


 痛みに震える少女は、両腕を身に寄せて必死に鱗を隠そうとしていた。声が絶え絶えでも、鋭い双眸そうぼうに宿る敵愾心てきがいしんは消えない。


――誰も信じない。全員敵だ。


 そう、目が訴える。溢れ出す怒りと己の不甲斐なさに涙を流していた瞳が、哀しいほど独りでえていた。

 シオンは一瞬だけ逡巡しゅんじゅんし――少女の短刀を自ら掴んだ。


「な……っ」


 驚愕し、少女は短刀を落とす。

 すぐにシオンは手に刻まれた赤い真一文字にポーションを塗った。染み入る痛みに目を瞑り、ゆっくりと開いた両目で少女を見つめる。


「毒はありません。僕はあなたを治したいだけです」


 少女は混乱した。

 刃に自ら手を差し出す行為も。

 そうまでしてポーションが無害だと証明する意味も。

 今の言葉が心からの真実であるのも。

 全てが理解不能で、少女は目が回って熱が出そうになった。


「う、ウソだ! なんかあるに決まってる!」

「怪我をしているから治したい。それだけです」

「たったそんだけで自分の手を切ったりするワケがねーだろ! それ以上なんかするなら……ブッ飛ばすぞ!」


 少女は無防備なシオンの首を掴んだ。

 腕の鱗が逆立ち、漆黒の爪が露わになる。

 炎を固形化したかのように艶やかな鱗、首筋に感じる冷やかな尖爪……これは紛れもなく龍の所有物。少し力を込めれば、シオンの細首など枯れ枝のようにへし折ってしまうだろう。


「お、オレは龍だ! お前を簡単に殺せるんだ! 怖いだろ!? ほら言えよ、バケモノって! オレを怖がって逃げろよ! なぁ!!」


 少女が泣き喚くように叫んでも、シオンは驚くほど冷静だった。

 生傷の痛みにうめきながら「どっか行け!」と叫ぶ少女の瞳を真正面から受け止めるのは、不動にしてまっすぐな気持ちに満ちた眼差し。


「僕はどこにも行きません。あなたを治すまでは、何をされても」

「で、でも、だって……オレは――――」

「人も神さまも龍も関係ありません。誰かを助けるのに理由なんていらないんですから」


 怪我人がいる。

 それこそが、シオンが誰に対しても手を差し伸べる唯一の理由だ。

 純真な碧色に見つめられ、少女は遂に項垂うなだれる。


「……好きに、しろよ」


 ぶっきらぼうに晒された少女の腕を、シオンはすぐさま手に取って診察する。鱗でも爪でもなく、傷の具合を確かめるために。

 龍の姿に対する興味も躊躇ちゅうちょもない行為に、少女の方が戸惑った。


「お前、ホントに怖くねーのか……?」

「怖いって、何がですか?」

「だ、だからその……鱗とか……気持ち悪い、んだろ」

「そんな事ありません。綺麗なあかですし」


 事も無げにそう言うと、シオンは鞄から包帯を取り出してポーションと共に特別酷い傷を処置していく。

 一方、少女は消毒される痛みも忘れていた。

 綺麗な紅、と言われた瞬間、少女の真ん中から、かぁっと熱が生まれた。

 思い返せば、鱗を見られたら嫌悪を示されるか、変質的な好意を注がれるかの二択。どちらにしろ、いい記憶はない。

 だから、そんなものなんでもないと。

 犬人族シアンスロープに尻尾があり、鳥人族ハーピーに翼があるように、身体の一部として当たり前に扱ってくれる人物は、少女の人生でシオンが二人目だった。


「とりあえず、酷い傷だけはなんとか」

「ん…………じゃーな」

「どこに行くんですか」


 少女の手を掴んで引き留める。少女は無言で腕を払うが、シオンは一歩も怯まずに腕を掴み直し、少女の目を射抜く。

――普段のシオンは気弱で大人しく、お人好しな少年である。

 しかし、こと医療に関しては、一切容赦しない。

 少しの傷だからと渋る者は鶴の一声で黙らせ、拒否しようものなら少しの油断が生む危険性をこれでもかと説教する。患者に有無を言わせぬ立ち振る舞いは、熟練冒険者ベテランすら従わせる凄味があると有名なのだ。


「しっかりと治療します。ギルドの医務室へ行きましょう」

「い、いらねーよ! 金だってねーし……」

「ギルドでの治療は無償ですよ」

「いや、でも……」


 言い訳を探してたじろいでいる少女が、まっすぐな意志に勝てる事があろうか。

 結局、少女はシオンに肩を貸されてギルドに帰還する破目になった。

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