第12話 嘲弄を含む言葉

 何もかも失って、気付けば世界に一人放り出されていた。

 だから憎むより他なくて、初めに欲しかったものが何だったのかも忘れてしまった。




「……双子の……妹……」


 水蓮寺 雲雀は、目の前の少女を見上げる。金の髪に、自分よりもずっと苛烈な黄金の瞳を持つ娘。

 驚いたかと問われれば、首を縦に振ることは出来そうになかった。どちらかと言えばすとんと腑に落ちるような、そんな感覚に支配される。

 道理で、と。抱いたのはそんな淡白な感想だ。彼女の言うように、赤の他人と言い張るには無理があった。それ故に、縁もゆかりもない人間だと言われるよりは余程信憑性がある。


 ここで、わざとらしく衝撃を受けて見せれば目の前の少女の溜飲も少しは下がったのだろうか?

 しかしわざわざ自身を欺いてまでそんな事をしてやる義理は水蓮寺にはない。故に、彼女は口を噤んでいた。

 それが彼女の目に一体どう映ったのか、光葉はすぐ側に倒れていた机をガンッ! と強く蹴り飛ばす。


「あの日、正確には何があってどうして母さん達が死ななくちゃいけなかったのかは知らねぇ。だけどあたしにとって重要だったのは、双子の片割れのせいで両親が死んだことだ。それ以外に興味なんて無かった」

「……、」

「さぞ、悔やんでるだろうと思ったさ。それこそ生きていけねぇくらいにな。なんせ何の罪も無い自分の親を殺したんだ。あたしだったら首を括るところだぜ?」


 少女は嘲るように笑う。戯けるように肩を竦めたが、しかしそれも一瞬のことだ。

 再び瞳に熱を灯し、彼女は「それなのに」と大きく舌打ちした。

 ギリィ、と響くのは歯軋りの音。


「全部忘れて、のうのうと生きてやがって……あたしが望んだもの全部手に入る位置にいながら、何も拾おうとしないで! あまつさえ、“家族なんてロクでもないものに決まってる”だと!? ……テメェが殺したんだろうが!!」


 机を、椅子を蹴り飛ばす。派手な音を立てて転がったそれらは倒れている少女達に直撃したが、光葉は気にも留めなかった。


「名前を変えて、盗みも、殺しも、生き延びる為なら何だってやった! 死ぬ訳にはいかなかった、テメェが憎かったからだ水蓮寺 雲雀!!」


 吐き出された言葉は呪い。

 憎悪と殺意を宿す金の瞳は、それでいて何かに縋る幼子のように揺れている。

 その不安定な金色を、水蓮寺は知っている。

 いつも鏡を通して見ているからだ。


 こんな所だけ似ているだなんて、どれほど皮肉な話だろうか。

 そしてそれ故に理解する。

 きっとこの少女とは、相容れる事はないだろうと。


「ああ……そういう事」


 は、と気の抜けたように水蓮寺は笑う。恐らくそれは目の前の少女にとっては馬鹿にされたかのように感じるものだっただろう。

 現に、嘲弄の意味は含まれていたのかもしれない。


 要するに、彼女の目的は復讐。

 だけどそれが何だと言うのか。水蓮寺にとって、目の前の少女が吐く言葉は何処までも他人事に過ぎなかった。

 実感が伴わなくては、何の情も浮かばない。

 絶望もしない、罪悪感などあるはずもない。


 だからこれは、無意味な問答だ。


「私を殺したかったんですか?」

「……あ?」

「その為に、わざわざ? 随分と回りくどいやり方で接触してきたんですね。殺したかったのならさっさと殺せば良かったのに」

「お前……舐めてんのか?」


 空気が凍り付く。

 懐に手を差し入れた光葉が取り出したのは、暗闇の中で刀身がギラつくダガーナイフだった。

 首筋に当てられた冷たい刃先に、水蓮寺は目を細める。

 光葉が僅かに腕を引くだけで頸動脈が掻き切られるにも関わらず、彼女の感情は動かない。


「聞こえなかったんですか。私を殺したかったんでしょう? だから今になって現れたんですよね? なら、こんなやり取りは無意味でしょう。……それとも、そうやって振りかざしたナイフはただの飾り?」


 きっと、八つ当たりにも似た感情はあった。

 自分はこんな事に構っていたって仕方がないのだ。


 だって、もう全部失ってしまったのだから。

 それも、自分の手で壊して。


 だからもう構わない。

 どうせこれから先、目標も生きる意味も何も無い──。


「……ああ、やっぱりクソつまんねぇ女」


 ダガーを握る少女の手に力が篭る。

 ……初めから、分かり合う事はないのだろうと分かっていた。

 当然だろう。手を取り合うには既に互いの関係は歪んでしまっていて、憎しみも捨てられず、何より空白の時間が長過ぎた。

 だからこそ、この澱んだ関係を断ち切りたくて腰を上げたのだ。


 憎かった。

 例え、微かな憎悪にだけ引き摺られて亡霊のように今まで生きてきた。


 だが目の前の女のなんと手応えのない事だろう。

 どれだけ激情をぶつけたところで、何一つ返ってこない。同じ金の瞳であれ、その目には何も映っていない。


 それに思い当たった時、少女の心の中で黒い炎が燃え上がった。


「もう付き合ってらんねぇわ、お前みたいな奴」


 手の中のダガーナイフは冷たく、そして重い。

 それでも、と。少女はそれを振り上げた。


「最初から、お前が死んでれば良かったのに──」

「困りますね。そこから先は独断専行ですよ光葉さん」


 振り下ろされようとしたダガーを止めたのは、滑るように割り込んできた声。

 穏やかに、それでいて鼓膜を這うように嫌悪感を伴うそれは光葉のものでも水蓮寺のものでもない。


「……兪鶴羽ゆづるはァ……テメェ……」


 低く、唸るような声を上げて光葉が振り返る。それに釣られて水蓮寺が彼女の背後を見遣ると、高級そうなスーツに身を包んだ若い男が立っていた。

 枯れ草色の髪と、黄褐色の瞳。わざとらしい笑みを浮かべる男は、視線だけで光葉にダガーを下ろすように指示を出す。

 反発するかと思いきや、舌打ちしつつも光葉はそれに従った。


「……何しに来やがった。今回はあたしに丸投げするっつったのはお前だろうが」

「可能な限り一任すると言ったんですよ。そしてあなたが予定とは逸脱した行動を取ろうとしていたようなので口を挟んだんですが……違いますか?」


 笑みを崩さずに男は、そこで水蓮寺へと意識を移す。

 彼の目に宿るのは光葉のような黒い感情ではない。そこに灯る色は好奇と選別。

 しかし水蓮寺にとっては突如現れたこの男の得体の知れなさが何よりも不気味だった。


「申し訳ありませんね、どうも彼女が失礼をしたようで……ですがあなたも少し気を付けた方が良い。この子は人の思考に干渉出来る──言わば能力者です。あまり余計な事を考えると神経を逆撫でしてしまう」


 お前こそ余計な事言ってんじゃねぇよ、と男の後ろに下がった光葉が毒づく。

 自分も能力者であるという旨の事は口にしていた光葉だが、時折奇妙なタイミングで過剰な反応を見せていたのはそういったカラクリがあったらしい。


「……だから何です? そもそも訳知り顔で現れる前に名乗ってはどうですか?」

「ああ、それは確かに。私は兪鶴羽ゆづるは ときと言います。何者であるかと問われれば、そうですねぇ……一先ずは光葉さんの上司である、とだけ」


 兪鶴羽と名乗った男は肩を竦め、辺りを見回す。


「思いの外被害が少なかったようですねぇ。それでも大方の予想は外れませんでしたか」

「……裏で手ぇ回して人払い済ませてたのはお前だろうが。何でこんなヌルい事しやがった? もっと騒ぎを大きくしちまえばこの女を社会的にも殺せたのによ」

「それだとほら、事件を揉み消すのが面倒でしょう。あなたはいつも後先を考えないのがいけない」


 聞かれた事以外に答える気が無いのか兪鶴羽も光葉も水蓮寺はそっちのけで話を続けていた。

 そもそも上司と言われても、一体何の上司であるかによって話は大きく変わってくる。恐らくは兪鶴羽という男もそれを分かった上で敢えて告げなかったのであろうが。そして話がここまできな臭くなった以上、ロクなものでもないのも事実だろう。


 光葉 湖鷺の目的は、水蓮寺 雲雀を殺すこと。そう考えていたものの、わざわざ光葉を制止する為に別の人間が出てきた以上はその線は潰える。

 だとすれば、未だ何がしたかったのかという問いに対する答えは開示されていない。

 無視を続けることも可能だが、相手の目的も真意も分からないまま話を押し進められる事ほど不愉快なものもないだろう。故に水蓮寺は嫌々ながらも口を開く。


「結局、あなた達の目的は?」


 見据えた先で微笑む男の手の上で、踊らされている事には勘付きながら。

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