第11話 答え合わせ

 水蓮寺 雲雀が我に返った時、日はすっかり落ち教室は闇が支配していた。

 ガラス片や机等が散乱する中で蹲っていた彼女は、ぼんやりと辺りを見回す。

 倒れているのは数人の少女達だ。血を流している者も少なくなく、その中には香春の姿もある。無論、最愛と称した幼馴染も。


 こんな騒ぎが起きたのに、どうして人が来ないのだろう? と。

 彼女が考えたのはそんな事だった。もう随分と時間が過ぎているのは感覚で分かる。割れた窓から吹き荒ぶ冬の冷気は容赦無く体温を奪っていく。


「こんな事も……出来たの、私」


 白い息と共に吐き出された言葉は自分のものとは思えない程に冷たい。

 ほんの一瞬の感情の爆発。感情の揺らぎが、ポルターガイストにも似た現象を引き起こすのは分かっていた。それがよもや──人を傷付ける為に使えるとは思っていなかったのだ。

 心の奥底が酷く冷えて、もう怒りすら感じない。ただ漠然と、“終わりだろうな”というのは理解していた。

 冷静になった今だからこそ分かる。こんな事が出来てしまう自分は普通ではない。初めからこんな化け物は、平穏など望んではいけなかったのだ。


「私、一体……何がしたかったんだろう……」


 それはもう彼女自身にすら分からない事だった。だけどもうここにはいられない。何も望めない。何かを願うことなど許されるはずがない。

 だからもう何処かへ消えてしまおうと思った。何処かへ逃げ出そうと思った。

 そうして緩慢な動きで立ち上がろうとしたその時。


「はは、ひっでぇ有様。思った通りで笑えるねぇ」


 カツン、と。靴音と共に教室へ足を踏み入れる影があった。

 二つに結われた金の髪。暗がりに浮かぶ金の双眸。

 まるで鏡写しのようだ、と称した声もあったらしい。それでもこうやって対峙してなお、水蓮寺にはが自分と似ているだなんて思えなかった。

 悪意で歪んだ笑みを浮かべ、金の少女は膝をつく水蓮寺を見下ろしている。


「光葉、湖鷺……どうしてここに……」

「……理由が必要か? って問答は……まぁ流石に飽きたわな。あたしだって暇じゃねぇんだ。答え合わせを始めようぜ」


 嘲笑を貼り付けた少女はそう嘯く。

 この惨状に驚いた様子もなく、辺りを見渡した光葉は目を細めた。


「可哀想になぁ。夕凪はお前の為にお前の手を離してやっただけだったのに、勝手にキレて一方的に痛め付けて。いやもうここまでくると笑えるぜ。ほんと最悪な女だなお前」

「何を、」

「何をって、決まってんだろ? あたしがお前の大事な夕凪を唆したんだよ。お前の為にも今のままじゃいけねぇだろってさ」


 悪意だけが込められた表情で光葉は笑う。上機嫌に見える少女はしかし、水蓮寺が顔色を変えないのを見て途端につまらなさそうな顔をした。


「……ああ、お前──あたしが裏にいるって何となく気付いてたわけ」


 まるで心を読んだかのように確信めいた調子で光葉は告げる。同時に、彼女は苛立ったように舌打ちした。


「やっぱお前最低だな。それ分かってて、その上でキレたのかよ。よくもまぁ……」


 光葉はつま先で床に散乱しているガラス片を軽く小突く。ガラスが擦れ合う不快な音に眉を顰めた光葉は、一度大きく息を吐いた。

 それは相変わらず周囲に関心を向けない水蓮寺に対する苛立ちから来る行動だったのだろう。

 水蓮寺としては誰が後ろにいたとかいないとか、もうそんな些細な事はどうでも良かった。重要なのは夕凪 ツバメが自身に背を向けたと、それだけのこと。

 だから目の前の少女が今更どれほど悪意に満ちた言葉を吐いたところで興味すらない。初めから光葉の動きが不審である事には気付いていた。そして彼女自身、それを隠すつもりもないことも。

 だから本来なら、続く光葉の独り言も聞き流してしまえるはずだったのだ。


「やっぱどいつもこいつもロクでもねぇわ──能力者ってのは」


 吐き捨てるように呟かれた、その単語を耳にするまでは。

 汚いものでも見るかのように水蓮寺を見下ろす光葉は、少なくともこの状況に疑問を抱いていないのは明白である。水蓮寺自身が引き起こした不可思議な現象。それを驚くでもなく否定するでもなく、ただ当たり前のものとして受け入れているのだ。

 故に水蓮寺は確信した。光葉 湖鷺は、この異様な力に対する答えを持っている。

 そして、だからこその“答え合わせ”なのだと。


 水蓮寺が明確な反応を見せないからか、光葉は勝手に話し始める。元より水蓮寺の思考が追い付くまで待つつもりもないのだろう。


「……世の中にはよぉ。普通じゃ考えられないような現象や事柄ってもんは案外幾らでも転がってるもんだ。それを自らの意思で引き起こせる人間もな。──はそれを“能力者”って呼んでる」


 長い髪を指先でくるくると弄びながら少女は嘯く。闇の中で仄かに煌めく黄金が宿すのは、月よりも妖しい魔性。

 光葉は昏い瞳で笑い、


「何も無いところから火を起こし、人間を操り人形にして、時間を操り、動物と意思を通わせる……そんな超能力、即ち異能を宿した人間。結論から言えばお前もだ、水蓮寺 雲雀」


 何かの夢物語か、悪い冗談のような話だった。何故なら水蓮寺にとって、“自分は普通の人間ではない”と裏付ける証拠を突き付けられたに等しいのだから。故に、目眩がする程に悍ましい話ですらあった。

 この歳でまだそんな御伽噺のような事を信じているのかと、出来れば一笑に付してしまいたい程度には。しかしそれを自分をからかう為の光葉の作り話だと拒絶出来るほど水蓮寺は愚かではない。


 唯一希望を持てるとすれば、正体不明だった己の力に名称が与えられたことと光葉の口振りにより似たような人間が他にも存在すると確信出来たことだろうか。

 だが、だとすれば疑問が残る。


「そんな事を私に教えて、どうしようと言うんです……あなたは、そんな親切な人間には思えませんけど?」


 光葉に何か確固たる目的が存在するのは彼女の言動が証明していた。

 先程彼女は夕凪を焚き付けたのは自分だと言った。何かと水蓮寺が気に食わない素振りを見せていた光葉だが、彼女がそれだけの理由で策を巡らせる人間だとは思えない。

 放っておけば破滅する……否、既に破滅が確定している人間の前にわざわざこうして姿を現したのだ。そこに何らかの意図が潜んでいないとすれば何だと言うのだろう?


 笑みが貼り付いていた光葉の顔に影が落ちる。訝しむ水蓮寺を余所に、少女は静かに口を開いた。


「……家族がいたんだ」

「は?」

「四人家族だった。父さんも母さんも馬鹿みたいに甘くて……当時のあたしは甘ったれで。いつも家族の誰かの後をついて歩いてた。人目を避けて暮らすしかなかったけど、あたしはそれでも幸せだった」


 囁くような声色で彼女は語る。呆気に取られる水蓮寺には目もくれずに。


「あの頃は信じてたんだろうな。あの平穏はずっと続くんだって。壊れるはずなんてないと思ってた。無邪気に、盲目的に、そんな有り得ない幸福を確信してた。ああ、だけど──」

「……、」

「一人の能力者が、それを全部ぶっ壊した」


 感情が伴わなかった言葉に、一瞬だけ苛烈な熱が灯る。それは憎しみの色だ。抑え切れないほどの怒気と憎悪を孕み、紡がれるのは怨嗟の言葉。


「能力ってのは、使用者の精神状態に依存する。精神が不安定になれば、引き金を引くよりも簡単に異能は暴走する。……あの日、暴走した異能が……父さんと母さんを殺した」


 丁度こんな風に。そう呟いて光葉は教室をぐるりと見回した。

 人が倒れている。物が壊されている。

 そしてそれは紛れもなく、水蓮寺が引き起こした事だ。

 だから。だからこそ直感で分かる。血の気が引くと同時に、その先を言わせてはいけないと。


 だって、あまりにも状況が全てを物語り過ぎているのだから。


「あの日、何もかも失ったんだ。異能の暴走を“仕方ない”で済ませるほどあたしは出来た人間じゃねぇ。両親を奪った能力者を──あの日から消息を絶ったもう一人の家族を、ただ憎みながら生きてきた」


 違う。自分には関係無い事だ。

 覚えていない。だから自分は何も知らない。

 目の前の少女が憎しみを込めた目で自分を見据える理由も、その敵意が今だけのものでなく初めからずっとこちらに向いていたことも、知る必要すら無い。


 意図的に思い出さないようにしているわけではなかった。初めから“その記憶”だけ存在しなかったかのように、ぽっかりと穴が空いていたのだから。

 それは罪ではない。意識にすら浮上しないような思い出なら、その価値すら無いほどに些細なものであるはずだ。


 だから。


 だから。


 だけど。

 そんな淡い願望を、少女はいとも容易く捻り潰す。


「言っただろう? 答え合わせだって。あの日、あたしの両親を殺したのはあたしの双子の片割れだった。……まさかこんだけ面構えが似てて、本当に赤の他人だって思ってたわけじゃねぇよなぁ?なぁ──

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