第9話 変化と謀略
突き刺さるような寒さの中、月明かりに照らされて仄かに煌めくのは黄金。
金の髪を二つに結った少女は雲ヶ丘学院の校区内にある公園で一人、ベンチに腰掛けていた。
夜間に寮を抜け出すことは校則違反だが、そんな事を気にするような人間でもない。
彼女が思い返すのは昼間の出来事だ。
揺れる鳶色の瞳が脳裏に浮かび、無意識の内に口角を上げる。
……決定打と呼べるような手はあえて打たなかった。それでも、恐らく充分だ。
退路を断つ必要もない。それに遅かれ早かれ、自分が手を出さずとも瓦解するだろう。
そうして携帯電話を耳に当てる彼女は、つまらなさそうに息を吐く。
「……あん? 今更何のつもりだよ。怖気付いてねぇかって? んな訳ねぇだろ」
ハン、と少女は鼻で笑う。そこに宿るのは紛れも無い嘲弄と侮蔑。
だが、それは相手も同じ事だろうと少女は思う。
いけ好かないあいつの事だ、自分よりも遥かに意地の悪い表情を浮かべているに違いない。こうやってわざわざ連絡を寄越したのも、“計画”の再確認の為などではなくただの嫌がらせだろう。
「むしろこの程度ならあたしが出張る必要も無かったんじゃねぇの? ……あたしを出したのは単なるお前の悪趣味だろ、総裁」
通話口の向こうの相手はそれを聞いて苦笑した。否定しないという事は肯定と同義だ。
つくづく食えない男である。付き合いが長いからとは言え、そんな底意地の悪さを看破出来るようになってしまったのも苛立つ要因ではあるのだが。
ともあれ、少女はわざと相手に聞かせるように舌打ちして話を続ける。
「まぁ、良いさ。そんな事より本当にあいつはお前が思うような器なのか? あたしにはとてもそんな風には見えねぇんだけど」
吐き捨てるような物言いに返されたのはくつくつとした笑い声だった。
多くを語るつもりはないのだろう。そして、彼が光葉が懸念するようなミスを仕出かさない事を不本意ながら彼女はよく知っている。
これがこの男の描いたシナリオだ。
だとすれば、従うより他ない。
「……学生生活? 悪くなかっただろうって? 馬鹿言うなよ、あたしには向いてねぇよ。お前が好きにさせとけって言ってた……そう、香春だ。あいつにも初日から喧嘩吹っ掛けちまったしな。──分かってた、だぁ? 舐めてんのかお前。じゃあ手ぇ回しとけよめんどくせぇな」
もう重要な話は済んだと判断したのか、世間話を始めた相手に少女はもう一度舌打ちする。
果たしてただの道楽なのかそれとも本心からこちらを気にかけているのか、少女には分からない。そして後者だったとして、自分が何か不満を訴えたところでそれは受け流されるだろう。
「何にせよ、タイムリミットだって言うんだろう? 分かってるよそんな事。魔法はもう解ける時間だ」
金の髪の少女は、
愉悦で両の目を細める彼女は、静かにこう宣言した。
「お前が言う
*
水蓮寺 雲雀という少女は、いっそ致命的なまでに他人の感情の機微に疎い。
しかし、それは夕凪 ツバメ以外を相手取る時の話である。元々、夕凪が隠し事を不得手とするのも理由の一つだ。だがそれでも彼女以外が対象であれば、水蓮寺は関心を持つことすらないだろう。
何処か挙動不審な彼女は水蓮寺が話し掛けても曖昧な返事しかせず、何事かを考え込んでいるだけ。
結局その日、授業が終わり寮の自室に戻った後も夕凪はほとんど口を開かなかった。
それでも水蓮寺 雲雀という少女が踏み込もうとしなかったのは、性分ゆえか。
或いは、何か言葉にしてしまう事で壊れるものがあるかもしれないと悟っていたのかもしれない。
口にしないが故に掌から零れ落ちてしまうものがある事には最後まで気付かずに。
そして更に時間は進み翌日のこと。
夜が明け、共に寮を出て、二人で教室まで辿り着き、それでもまだ目すらほとんど合わせようとしない夕凪に、ようやく水蓮寺は危機感にも似た感情を抱いた。
普段であれば、授業外の時間は夕凪の方から水蓮寺の席へと近寄ってくる。それなのに今日の彼女はぼんやりと自分の席に着いたままだった。
朝はたまたまそうだった。
昼休みになれば何か変わるかもしれない。
そう考えていた水蓮寺だが、昼休みが半分以上終わった今も夕凪が動く気配は無かった。
だから教卓の側の彼女の席にまで足を向け、恐る恐るといった調子で夕凪の顔を覗き込む。
「ツバメ? 昨日から様子がおかしいと思うんですが……何かあったんですか?」
「……ううん、何でもない」
夕凪は首を小さく振って顔を伏せた。彼女の鳶色の目に宿るのは悲しげな色。水蓮寺が眉を寄せるともう一度彼女は何でもないの、と繰り返した。
「でもツバメ、」
「ねぇひばり」
詰問しようと口を開きかけた水蓮寺の言葉を夕凪が遮る。彼女は水蓮寺の手を取ると、揺れる瞳を水蓮寺へと向けた。幼子が縋り付くような、そんな目を。
その手は細く、それでいて弱々しい。震える彼女の指先は氷のように冷たかった。
いつも温かな彼女の手が今のように強張っているのは初めてで、水蓮寺は無意識の内に強く握り返す。
「私ね、ひばりのことが一番大事。大好きだし、ずっと一緒にいられたら良いなって思う」
「何の、話をしているんですか?」
「だけどきっとこのままじゃいけないの。私もあなたも……ずっと、子供のままではいられない」
青白い顔が水蓮寺へと向けられている。彼女が紡ぐ言葉の意味を、水蓮寺はほとんど理解していなかった。
それでも、ただ一つ分かる事がある。
この言葉を、受け入れてはいけない。
本能が忌避していた。意識の何処かずっと深いところが、夕凪が吐いた懇願を恐怖していた。
彼女は何を言っているのだろう? と少女は思う。まるで、暴かれたくない部分を無理にこじ開けられてナイフを突き付けられているかのような悍ましさ。
その時、理由こそ分からないが水蓮寺の瞼の裏にとある少女の姿が過った。
金の髪に、金の瞳。己と同じものを持ちながら、全く異なる様相を示す彼女が。
今日は欠席しているらしく、生徒達で賑わいでいる教室内に彼女の姿は見えない。
永遠にも思えた刹那、刺すような痛みが胸を侵す。
どうして突然、目の前の幼馴染がこんな事を言い始めたのか?
答えは、あの女が現れたからだ。
あの少女が望んでいた日常を侵食している。ゆっくりと、指先から蝕む毒のように。
焼け付く胸の痛みは怒りだったのかもしれない。
足元から切り崩されるような恐怖も、そして手の中にあるはずのものが奪われるかもしれないことへの憎しみも、何もかも。
あの娘が、現れたことに起因するのだとすれば──。
「……、……、」
水蓮寺は何か言葉を紡ごうとした。だけど吐息のように漏れたそれは音にならなくて、ただ唇が震えただけ。
その様子が夕凪の目にはどう映ったのか水蓮寺には理解すら及ばない。それでも、夕凪は酷く悲しそうに……今にも泣き出しそうな顔で柔らかく微笑んだ。
「そう……やっぱり、そうなんだね」
全てを諦めたかのような、到底歩み寄れないものを見たかのような、そんな表情で。
語る言葉を持たない者に、掛けられる言の葉は存在しない。きっと、少女はそれを知っていた。ならばもう、行動で示す他ないのだろうと。
「ごめんなさいひばり。自分一人の力ではどうにも出来ない私を、どうか許して」
小さくそう呟いた夕凪が水蓮寺の手を離したのと、午後の授業が始まるチャイムが鳴り響いたのはほぼ同時だった。
そして──そんな二人の様子に、香春 日和が目を付けなかったはずもない。
ストーカーの如く執拗に水蓮寺に執着している彼女は、夕凪が水蓮寺に酷く余所余所しい態度を取っていることに誰よりも早く気が付いていた。
そして、それはずっと前から彼女が望んでいた展開でもある。
もうじきクリスマス。だとすれば、これはもしかすると神様とやらからの少し早いプレゼントかもしれない。
そう考えるだけで人知れず口元が緩む。
いつだってあの女が気に食わなかった。それがいつから、一体どうして始まった感情なのかはすっかり忘れてしまったけど、あの澄まし顔を滅茶苦茶にしてやりたかった。
そうした結果、得られるものがあるのかどうかなんて香春 日和には分からない。
だけどそれでも構わなかったのだ。目的と手段がとうの昔に入れ替わってしまっている事になんて、気付いてすらいないのだから。
だから、その日の放課後。
ホームルームが終わるなり、担任は教室から出て行った。ほとんどの生徒も早々に下校してしまっている。
そんな中で、香春は帰り支度を整えている水蓮寺へと数人の取り巻きと共に近寄った。
とは言っても、彼女の目当ては珍しく水蓮寺ではない。水蓮寺の隣で学生鞄を胸に抱いて立っている夕凪 ツバメだ。
今日一日、挙動がおかしかった夕凪だが寮へは二人で戻るつもりなのか水蓮寺の側で居心地が悪そうにしている。
可哀想な少女だ。きっと、ようやく、自分が間違っている事に気付けたのだろう。あんな女ではなく、この自分にこそ付き従うべきなのだと。しかし彼女のことだ、自分からそれを水蓮寺に言い出すことは出来ないに違いない。
だとすれば、こちらからきっちりと手を差し伸べてやるべきだろう。
「御機嫌よう、夕凪さん。今日は随分とお顔の色が優れなかったみたいですわね」
香春の言葉に表情を変えたのは水蓮寺の方だ。香春が夕凪に危害を加えるのではと危惧してのことだろう。全く、思い違いも甚だしい。
何か言おうと口を開きかけた水蓮寺を遮るように、香春は話を続ける。
「何か気に病むような事でもあったのかしら……? 例えば、ご友人を選ぶ自由が欲しくなったとか。それも当然かもしれませんが」
大きく溜息を吐き、香春は横目で水蓮寺を見る。金の瞳がほんの一瞬とは言え不自然に揺らいだのを彼女は見逃さなかった。
一方で夕凪は縋るような視線を香春へと向けている。普段のような恐怖は混ぜられていない。
ならば、と。香春は夕凪へと右手を差し出した。
「そんな人は放っておいて、
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