第6話 探し物

 その日、光葉 湖鷺は雲ヶ丘学院の敷地内を一人で彷徨いていた。

 二つに結われた金色の髪が風に煽られて靡いている。紺色のマフラーに口元をうずめていた彼女は、顔を上げて息を吐く。


「さっむ……」


 まだ朝も早く、人の気配は無い。

 そうでなくとも休日は学外に羽を伸ばしに出掛ける生徒が多いのだ。これが昼間だとしてもあまり変わらないだろう。

 彼女は両手をポケットに突っ込んだまま、近くの木の幹に背を預けた。

 既に葉が落ちてしまっている枝はやけに寒々しい。本来ならば根元には落ち葉が積もっているのかもしれないが、掃除が行き届いているのかほとんど見られない。

 それが彼女には、何となく気に食わなかった。


「馬鹿みてぇな学校……」


 ここはまるで牢獄のようだ、と少女は思う。

 外見だけを取り繕って、その中がどれほど汚れていようと気に留めない。閉塞された空間で、誰もが自分の事だけを考えて生きている。

 そこから一歩外へ出るだけで自分を守ってくれるものは何もなくなるのに。


「まぁ、それを言うならあたしも──」


 その先の言葉が紡がれることはない。

 少女はもう一度白い息を吐き出すと、何事かを呑み込むように唇を引き結んだ。


 ──が今になって鈍ったわけではない。

 運命が覆ることがないのと同じように、これは決定事項なのだから。


「ん?」


 ぼんやりと思考に耽っていた光葉は、視界の端に奇妙な物が映り込んだことに気付く。

 意識をそちらへと切り替えてみると、それは蹲って辺りを忙しなく見回している少年だった。自室に戻る他にやる事も無かった為、静かに近寄って声を掛けることにする。


「こんなクソ寒い中、お前何やってんだ?」

「え?」


 黒髪の少年はそれに釣られて顔を上げる。

 彼は一瞬戸惑ったようだが、光葉の顔を見るなり目を見開いた。


「……水蓮寺?」

「あん?」


 ああ、成る程──と光葉は合点する。当然、“この顔”は転入して一週間足らずの自分よりは彼女の方が知名度が高いだろう。

 ともあれ、他人の名を騙るような悪癖があるわけでもないので彼女は訂正しようとする。しかし光葉が口を開くよりも、少年が眉をひそめる方が早かった。


「と思ったけど、水蓮寺じゃないな。あんた誰だ? もしかしてツバメが言ってた水蓮寺にそっくりだって言う……」 


 一目で一方的に“水蓮寺 雲雀ではない”と見破られた事もそうだが、聞き覚えのある名前が出たことに光葉は面食らう。

 全く想定していなかった分、突然横から殴られたような感覚である。


「お前、夕凪の知り合いかよ」

「ああ、幼馴染でさ。俺は鷹縞 宏人。あんたは……ええと、」

「光葉 湖鷺」

「そっか。光葉はこんな所で何やってんだ?」


 鷹縞はよいせ、と立ち上がると光葉と視線を合わせる。

 初対面とは思えない距離感の少年だが、光葉は気にしない事にした。幸いにも彼女もあまり他人との距離に頓着しないタイプである。


「散歩だ散歩。つーかそれはあたしが先に聞いたんだっての」

「俺? 俺はちょっと探し物。なんて名前だっけ……足に着けるブレスレットみたいなやつ」


 それは恐らくアンクレットのことだろう。

 しかしそれを聞いた光葉は顔を顰める羽目になった。失礼な話だが彼がそんな物を身に付けるようには見えないからだ。

 そんな彼女の様子に気付いたのか鷹縞は笑って首を横に振る。


「俺のじゃないよ。友達が落としたらしいんだけど、大事なもんだって言うからさ。探すの手伝ってるだけ」

「こんな朝っぱらから? よくやるなお前」

「そりゃ早い方が良いだろ。早いとこ探さないと見つけにくくなるし。そいつも片っ端から心当たりがある場所探してる頃だと思うよ」


 ふぅん、と光葉は適当に相槌を打つ。

 こうして話している今も少年はちらちらと足元に視線をやることは忘れない。アンクレットが近くに落ちていないか探しているのだろう。


 奇妙な少年だ、と少女は思った。少なくとも自分は他人の私物を探すのにこうやって時間を割こうとは考えない。何かのついでに探したり偶然見つけるような事があれば本人に渡しもするだろうが、そうでなければ気に留める事もないだろう。


「……時間の無駄だと思うけどな。すぐ出てこないならそれまでのもんだったって事だろ」


 光葉はそっぽを向いてそう吐き出した。


 どんなに探しても見つからない時の虚しさを知っている。

 どれほど駆けずり回っても戻ってこないものがある事を知っている。


 それなのに希望を持つことに、一体何の意味があるのだろう?


「違うよ」


 しかし、少年は即答した。

 強い意志を宿した目で、彼は光葉を捉えている。


「もしも見つからないんだとすれば、それは見つけてないだけだ。案外近くにあるのかもしれないし、ちょっとした隙間に入り込んで分かりにくいだけかもしれない。見方を変えるだけで簡単に見つかる事だってある」


 それに、と少年は言葉を続けた。


「簡単に諦められるくらいならさ、最初から探したりしないだろ」

「……やけに壮大だな」


 呆れたように光葉が呟くと少年はかもな、と笑う。

 たかだか失くし物一つの話だとは思えない。それでも少年の言葉には根拠の無い自信が込められている。

 だけど、光葉は自分の考えを変えられそうになかった。結局、彼が言うのは希望論だ。そしてそれは彼女が最も嫌うものでもある。


「まぁ気が済むまで探せば良いんじゃね? お前のダチもお前も、どうせ後から無駄な努力だったと嘆くだろうよ」


 どうしてか刺々しい物言いになってしまう事に、光葉自身も眉をひそめる。

 ──どうにも、自分はこの少年が苦手らしい。

 自分はとうに失くしてしまったものを持つ彼が眩しく見えるからかもしれない。八つ当たりも良いところだと気付き、彼女は自嘲した。

 鷹縞は気分を害した様子もなく一度大きく伸びをする。


「それがあんたの考えならそれで良いんじゃねぇの。俺の考えを押し付けるのは違うと思うし。……つってもほんと、何処に落ちてんだろうなぁ」


 少年はまたきょろきょろと辺りを見渡す。

 どうせ探すのならもっと人数を集めた方が効率は良いはずだ。詳しい話は聞かなかったが、こんな場所を探している以上その友人の“心当たり”とやらは屋外なのだろう。

 であれば、一人や二人でちまちま捜索したところで時間と体力を必要以上に浪費するだけである。

 だと言うのに目の前の少年はそんな事すら考えに及ばないらしい。自分は今のように誰かの為に動くくせに人に頼ることを知らないのだろうか。

 憐れなほどに真っ直ぐで、そしてあまりにも愚かだと思う。


「……変な奴」

「それよく言われるんだよな。なんか俺変な事言ったか?」

「知らね。自分で考えろよ」


 光葉はくるりと背を向けて、空を仰ぐ。

 少し物思いに耽るつもりだったのに、妙な人間に出くわしたせいで気が削がれてしまった。


「あたしもう行くわ。せいぜい頑張れや」

「おう。ツバメと水蓮寺によろしく」


 光葉は振り返らずにひらひらと手を振っている。

 風に靡く金の髪は、少年がよく知る少女と同じ色だ。それを見た鷹縞はふとした疑問が湧き上がって、去り際の彼女にこんな言葉を投げる。


「光葉はさ、何か大切な物を失くして見つからなかった事があるのか?」


 どうしてそう思ったのか、少年には分からない。

 声に釣られて少年の方を向いた彼女は、小さく口角を上げた。


「……さぁなァ」


 その笑顔の意味は、鷹縞には掴めそうにない。

 穏やかで、それなのに酷く影がある笑みに見えた。

 光葉は表情を変えずに、囁くような声色で告げる。


「もう、何を失くしたかも忘れちまったよ」

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