第4話 不穏な転入生
「き、起立」
担任教師が入室すると同時、クラス委員長の上擦った号令が教室に響く。腹の虫が収まらない香春ではあったが、大人しく自分の席へと戻った。権力という後ろ盾があるとは言え堂々と教師の前で事を荒立てるほど愚かになりきれないのが香春 日和だ。……意外と小心者、とも言えるのかもしれないが。
礼を終え一斉に着席した生徒達を見ながら、気怠げな男性教師は軽く手を叩いた。反射的に生徒達の視線が教卓へと集まる。
「えー、ホームルームの前にちょっとした連絡がある。……こんな時期に来るのは相当珍しいんだけどな。上ももっと早く伝えてくれよ……」
彼はそうぼやくとわざとらしく溜息を吐いた。その言葉の意味を図りかねて首を傾げる生徒達を無視して、最後方の席で興味が無さげに窓の外を眺めている水蓮寺に視線を投げる。その様子を見た彼は何故か眉間に皺を寄せた。不可解なものでも目にしたかのように、もう一度息を吐き出す。
「転入生……のはずだ、うん。まぁ世の中には同じ顔の奴が三人はいるって言うしな……」
妙な時期の転入生。普段であればその響きに色めき立つはずの生徒達は煮え切らない様子の担任に対して怪訝な目を向ける。
彼は観念したのか、廊下に向かって「入れ」と声を投げた。
しかし、ざわめいていた教室内は現れた女生徒の姿を見て静まり返ることとなる。
「……嘘、」
夕凪は意図せず口元を覆った。
黒板の前に立つ少女を見つめる目は理解出来ないものを捉えるかのように見開かれている。
白く、溶けてしまいそうな雪肌とそれを彩る紅色の唇。凛とした佇まいは勝ち気そうな目をした彼女によく似合う。
少女の長い髪は、朝日に照らされる小麦畑を思わせるほどの艶やかな黄金。そして真っ直ぐと正面に向けられた瞳の色もまた、金。計算されたかのように整った彼女の容姿を、ここにいる誰もが知っている。
それはあろうことか──水蓮寺 雲雀と瓜二つの少女だったのだ。
「……、」
誰もが弾かれたように水蓮寺を見遣ったが、他でもない彼女自身も困惑と驚愕で動きを止めていた。
謎の少女は教室の異様な空気に気付いているのかいないのか、不思議そうに首を傾げている。表情の柔らかさなどに違いはあれど、それでも他人の空似と言うには無理があるほど彼女と水蓮寺は生き写しだった。
赤の他人? まさかそんな。
そうざわつき始めたクラスの空気に、仕方ない事だと理解しつつも担任教師は咳払いで黙らせる。
「……転入生。自己紹介」
「おう」
軽い調子で応えた彼女に、うん? と教室中の動きが止まった。この場合、彼女に鏡写しである水蓮寺が敬語口調だというのも違和感を強くしたのだろう。見目は花を抱えている様が似合いそうな少女は、空気を置き去りにしたままこう告げる。
「あたしの名前は
ちなみにだが、水蓮寺 雲雀という少女に幼少の記憶が無いことを一部の者は知っている。よって、今になって身内か何かが現れたのではと密かに盛り上がっていた者は容姿以外が違い過ぎる彼女を前にただただ困惑した。
光葉と名乗った彼女は案内された席に着くと、大きく欠伸をしたのだった。
当然、簡潔に済まされたホームルームの後はちょっとした騒ぎになった。腫れ物扱いされている水蓮寺の周囲には誰も集まらないが、光葉の周りには自然と人溜まりが出来ることとなる。
誰しもが、同じ疑問を口にしたが……。
「あん? 知らねぇよ水蓮寺なんて奴。あの端っこにいる奴だろ? 言うほどあたしと似てねぇじゃん」
それだけ言って、彼女は長い金髪を二つに結ってしまった。
そう言われてみると騒ぐほど似ているように見えないのだから不思議である。
「勘繰りたくなる気持ちも分かるが、光葉と水蓮寺に接点は無い。俺がわざわざ調べたんだから確かだ。こんな時期に入ってきたのも理事会の口利きらしいし、あんまり騒ぐなよ。ややこしいから」
担任教師のそんな言葉を信じない訳ではなかったのだが、やはり本人の口から語られると重みが違う。故に、女生徒達が次に反応したのは“理事会の口利き”という点だった。
「光葉さん、貴女、理事会にお知り合いでも?」
こういった状況では先頭に立つのが当然とでも言うように香春が光葉に問う。光葉は一瞬胡散臭そうな目を彼女に向けたが、口籠る理由も無かったのか素直に答える。
「あたしっつーか、知り合いが顔きくらしいんだわ。ここ、中高一貫性だろ? 編入ってなるとそういう手段が手っ取り早いわけ」
「あら……そう。では特別、貴女自身に何かしらの権力がある訳ではないと」
「あん?」
「いえ、お気になさらず。ところで自己紹介がまだでしたね。
口元には微笑を称える香春だが、その目は選別するような色に満ちていた。大方、光葉が自身のテリトリーを侵す者であるか否かを見極めようとしていたのだろう。害が無いと判断したのか、彼女は握手を求めて片手を差し出す。
ところで、今回のちょっとした騒動で辟易していたのは水蓮寺も同じである。席に着いたままの彼女は突如現れた、自分と同じ容姿の少女に胡散臭げな目を向けていた。
「……、」
「あの子が気になる?」
そう言う夕凪も、関心があるのは事実だ。しかし話し掛けようにも光葉は香春とその取り巻き達が囲っている。
香春 日和は何事であれ自分が優先されないと気が済まない少女だ。下手に割って入ろうものならまず間違いなく反感を買う。
「流石に気にならないとは言えませんが……興味があると言うよりは、」
水蓮寺は言い淀むと、再び視線を光葉へと移した。
自分と同じ顔の少女が転校してきながら、気にならないというのは無茶な話だろう。しかし、必ずしもそれは好意的な感情だとは限らない。
どちらかと言えば、得体の知れないものを前にした時の畏怖と嫌悪を覚える。
「……お判りかしら? 光葉さん」
何を吹き込んだのか、香春は愉しそうに光葉に微笑みかけていた。自分のグループに引き入れるつもりなのだろうと水蓮寺は予想する。
一般生徒にとって“理事会の口利きによる編入”という肩書きはおまけのようなブランドに過ぎないが、香春にとっては自身を脅かす可能性を孕む。故に、いっそ自分の手元に置いておきたいのだろう。
だがそれに対して光葉の反応は淡白なものだった。
「やだね。あたしは派閥がどうこうみたいな餓鬼臭い真似嫌いなんだわ」
「なんっ、餓鬼臭い……?! 彼女と同じ事を言いますの!? どうなるか分かっていまして!?」
「うるせぇな。何の話か知らねぇけどあんまりキャンキャン吠えんなよ。人間の器小さいのがバレんぞ」
癇癪を起こす香春に背を向け彼女はその場を立ち去る。いっそ清々しいほど香春に喧嘩を売ったその姿に周囲は驚きを通り越して呆気に取られるが、それすらも光葉は気に留めない。
何を思ったのかそのまま水蓮寺と夕凪の方へと歩み寄ってきた。彼女は悪戯っぽく笑って腕を組む。
「あいつらにはああ言ったけど、お前ホントあたしと似てんなぁ。鏡見てるみてぇ。ま、あたしはこんなに無愛想じゃねぇけど。お前、名前は?」
これによって狼狽させられたのは水蓮寺と夕凪だ。水蓮寺のことなど興味が無いとでも言いたげに振る舞っていた彼女だが、やはり関心はあったらしい。
相変わらず彼女がクラス中の視線を集めている事には変わりないものの、そこは気付いていないのかそれとも気にならないだけか光葉は面白そうに笑みを作っている。
「……水蓮寺、雲雀です。ご用件は?」
素直に名乗った割には警戒を崩さない水蓮寺に夕凪は苦笑いする。全身から刺々しいオーラを発しているが、これが彼女の在り方なので仕方がない。
光葉は気を悪くした様子もなく楽しそうに目を細めた。
何がそんなに愉快なのだろう? と水蓮寺は考える。
目の前にいるのは自分と同じ顔をした赤の他人。
世の中にはドッペルゲンガーに会えば死ぬなどという話もあるくらいなのだ。少なくとも水蓮寺からすれば彼女の存在はあまり面白いものではない。
「へぇ、お前には用事がある時しか話し掛けらんねぇの?」
「……そういう訳では」
二人のそんな会話に肝を冷やしたのは夕凪である。
水蓮寺は一見すると大人しい少女だ。しかし、それは単に人と接するのが嫌いで口を開かないだけのこと。
実際には夕凪が心配になる程度には短気で、売られた喧嘩は買ってしまいがちだと言える。
本人に悪気は無いのかもしれないが光葉の態度は傍目から見ると少々挑発的だった。
「教室に入ってすぐ、お前が目に付いた。その時にも思ったけどよぉ、何がそんなに気に食わねぇんだ?」
「……は?」
挑むように、光葉は水蓮寺の顔を覗き込む。交差するのは金の瞳。底が知れない彼女の目には奇妙な光が宿っている。
明確な敵意などではない。例えるならそれは選定の色。
「お人形みたいに澄ましたツラして、でも周りを心底見下してる。……つまんねぇなぁ。あたしと同じ顔の奴がいるって聞かされた時はそれはそれは楽しみにしてたんだぜ? お前に会うのを」
「……それが、」
それが何だと言うのだろう。
眉を強く寄せた水蓮寺は、負の感情よりも先に疑問を抱いた。
そもそもそんな事情は知った事ではない。であれば、どうして突然現れただけの余所者に態度に関する不満を言われなくてはならないのか。
それを言うのであれば水蓮寺だって彼女には文句がある。自分と同じ顔をしながらそんな粗暴な言動は取るなと言ってやりたい。
そうして暫しの間、水蓮寺と光葉は互いに無言だった。
そんな二人の様子を見ながら夕凪はただただ居心地が悪そうに小さく縮こまっている。
「……成る程ねぇ」
今の会話で一体何を得られたと言うのか、光葉は満足げに頷いた。
その笑みは香春とは違い、悪意で歪められていることはない。かと言って彼女の意図が分からないのもまた事実だ。
水蓮寺 雲雀と鏡写しのような少女は、ややあって困惑したように視線を彷徨わせた。遅過ぎることに、凍り付いた空気にようやく気が付いたらしい。
彼女は溜息を吐くと、水蓮寺に片手を差し出した。
「あたしの態度が気に障ったなら、謝る。悪気はねぇんだわ。こういう状況って初めてだしな」
握手を求めるには直前の態度は喧嘩を売り過ぎな気もする水蓮寺だが、本当に困ったような顔をしていることから光葉は特に悪意があった訳ではないと納得する。
「……、」
悩んだ挙句、水蓮寺はその手を取った。言ってやりたい事がない訳ではないが、どうせこの先関わることはない。
ならばこの場だけでも丸く収まればそれで良いと、そう考えて。
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