第2話 続く日常
雲ヶ丘学院中等部三年。
それが水蓮寺 雲雀と夕凪 ツバメの肩書きである。
全寮制であり、数点さえ除けば普通の私立校であるそこの生徒である二人は現在校舎裏に足を運んでいた。
雲ヶ丘学院について特筆することがあるとすれば、それは男女共学だとは思えないその在り方であろうか。表向きは共学として扱われている私立校だが、実際には後者の北館と南館で完全に男女が分断されており行事や催し物以外では交わらない。
広大な敷地内に存在する男子寮と女子寮もそれぞれが最東端と最西端に位置しており、校内であれど彼らが顔を合わせる確率はあまりにも低い。低いのだが……別段、交友を禁止されているわけではないのが不思議な話だ。
故に、授業が無い日は仲睦まじげに話をしている男子生徒と女子生徒の姿が寮の付近ではちらほらと目に入る。
例に漏れず、水蓮寺と夕凪も似たような理由からだった。
付け加えておくとすれば彼女らには交際中の異性はいないので疚しい思いは微塵も無いが。
「休日とは言え、いいえ、休日だからこそどうして昼間からこんな……」
「あはは……まぁ、大した用事でもないだろうけど」
やや引きこもり気質の水蓮寺のぼやきに苦笑しつつ、夕凪は眩しそうに空を仰ぐ。十二月の中旬だが、いっそ清々しいほどの青空だ。頬を撫でる冷気だけが全力で冬を主張している。
「んー、まだ来てないね」
約束の場所まで辿り着くが、目当ての人物の姿は無い。すっかり待ち合わせ場所と化している大木の幹をペタペタと叩く夕凪は慣れているのか楽しそうですらあった。
ちなみに水蓮寺の方は朝からすっかりご機嫌斜めである。
件の待ち人から、場所と時間を指定する旨の連絡を夕凪が受けたは昨夜。
朝に弱い水蓮寺を気遣った彼女が待ち合わせ時間を昼過ぎにするよう頼んだ結果が今なのだが、基本的に水蓮寺 雲雀という少女は極端に他人を忌避する傾向にある。
唯一の例外である夕凪の仲介があるからこそ待ち人とは何とも言えない関係が続いているが、本音を言えば夕凪以外とは関わりたくないのだ。
時間の経過と共に苛立ちが募るのが見て取れる水蓮寺を横目で見ながら夕凪は“もう一人の幼馴染”が早急に訪れることを密かに祈る。
時間にルーズな人間ではないはずだが、だとすればいつもの悪い癖だろう。控えるように何度言っても聞く耳を持たないのが本当に困ったものだ。
「悪い、遅くなった!」
慌てた様子でこちらへ駆け寄ってくる少年が視界に入り、夕凪は小さく息をついた。
余程焦っていたのか、学校指定の学ランはボタンが全開になってしまっており深い紺色のシャツがやけに存在を主張している。ただ、制服の前を開けて中のTシャツを見せるファッションは男子達の間で流行っているようなので今日もそれを貫いているだけなのかもしれない。
以前、「それかっこ良くないから辞めたら?」と思わず言ってしまった夕凪だが、次見た時の彼はシャツを毒々しい赤色に変えてきた。違う、そうじゃない。
黒い髪に黒い瞳、凡庸な顔立ちの少年は二人の前に来るなり勢いよく頭を下げる。
「悪い! ちょっとゴタゴタしてて」
「……またいつものご病気ですか、
白い目で彼を見る水蓮寺は露骨に溜息を吐く。普段はその態度を窘める側に回る夕凪だがあえて擁護はしなかった。
名前を呼ばれた彼はバツが悪そうに目を逸らす。
その態度で図星であることを知った夕凪は、水蓮寺に負けず劣らずの呆れた表情を作った。誰に対しても人当たりが良い彼女としては珍しいことでもある。
「今日は何? 誰かの落とし物でも探してあげたの? それとも迷い猫でも保護した? まさかこの前みたいに変質者に追われてた女の子助けようとしたとか言わないよね?」
「いや、寮で殴り合いの喧嘩始めた奴がいて」
「……どうせ全く関係無いのに間に入ったんでしょ」
「関係無くはないだろ。同じ寮にいるんだから」
はぁ、と夕凪は重い溜息をつく。
こういう少年なのだ。
目の前で揉め事が起きると躊躇なくそこへ飛び込んでしまう。一般的にそういったいざこざに第三者が間に入るとロクな事にはならないとはよく言うものだが、何故か彼は上手い事解決してしまうのだから驚きだ。当事者達が受けるはずの痛みを全て引き受けて、との注釈は付くが。
よく見ると今の鷹縞も顎の下に湿布を貼っていた。殴り合いの喧嘩だったと言うし、恐らく仲裁に入った時に殴られるなり何なりとしたのだろう。
弱きを助け、悪を挫く。
一般論としてよく唱えられる決まり文句だが、それを正真正銘の素で行っているのが鷹縞 宏人だ。
確かに、人としてこの上なく正しい在り方なのかもしれない。だが現実はそう優しくないのだ。
まして彼はスーパーヒーローでも何でもなく、ただの中学生。
友達同士の喧嘩を止める程度ならまだ良いものの……彼がその程度で済まないことを夕凪は知っている。
先も触れた通り、不審な者に追われていたとかいう見ず知らずの少女の為に体を張ったことまであるのだ。その不審人物の正体はストーカーであり、結果としては丸く収まったもののその騒動が原因で鷹縞は入院までしたのである。
力無き者が唱える勇気は、ただの無謀だと。
周囲のその言葉を理解していないのか──いや、理解してはいるのだと思う。
少なくとも夕凪は彼が自分よりはずっと聡い少年である事を知っている。
そして、だからこそ彼が止まらないのだということも。
「ツバメ? どうした?」
自分を覗き込む鷹縞の様子に、夕凪は眉を顰める。
夕凪 ツバメにとって、誰よりも大切な親友が水蓮寺 雲雀だ。それだけは断言出来る。
だが目の前の少年も大事な幼馴染である事には変わりないのだ。
故にしつこく苦言を呈するのは心配だからなのだが、彼は今の生き方を変えないのだろうなと思う。
「ひろとは、もう少し身の振り方を考えてほしいよね」
「不本意ながら同感です」
「お前ら、俺が遅れて来たのそんなに怒ってんの? 弱ったな………悪かったってば」
思わぬ事に水蓮寺から同意の声が飛んだのは夕凪も驚いたが、意図が全く伝わっていない鷹縞は苦い表情で頭を掻く。
いつまでも文句を言ったところで仕方がないので夕凪も諦める事にした。
「それで、用事って?」
「ああ、そうだったな。いやほら、来週クリスマスだろ?」
そういえば……と呟いたのは水蓮寺だ。あまりそういった事に関心が無い彼女はすっかり忘れていたとでも言いたげに眉間に皺を寄せる。別に怒っているわけではないのだが、人前であまり笑わない彼女はどうしても難しい顔付きになってしまうのだ。
「三人でどっか行かないか? 費用は俺持ちで良いし」
「えっ、クリスマスなのに?」
「は? クリスマスだからだろ?」
夕凪としては“クリスマスなのに別に彼女でもない女子二人と遊びに行くの?”という意味の言葉だったのだが、心底不思議そうに返されて何も言えなくなる。
夕凪の困惑が伝わったらしい水蓮寺が「……クラスメイトの男子生徒は良いのですか?」とやんわり男友達と遊ぶものじゃないのかとの旨を問い掛けたが、これまた何で? と返された。ちなみに幼い頃から彼を見てきた夕凪は知っているが、彼は同性の友達は多い方だ。
「ひろとが良いならそれで良いけど……」
「じゃあ決まりだな。水蓮寺も良いか?」
「……ツバメがいるなら」
ふい、と顔を背けてしまう水蓮寺に夕凪は困った子供を見るような目で微笑む。
少し前まで会話すらしようとしなかった事を思うと良い傾向だ。
「それにしても、まさか用件はそれだけですか?」
「うん? そうだけど何で?」
「昨日の電話でその旨を伝えて頂ければ良かったと思うのですが」
水蓮寺の言葉に夕凪も言われてみれば、と首を捻る。
そうしてくれたのなら少なくとも待たされる必要は無かったはずだ。
だが鷹縞は何を当たり前のことを、とでも言うようにあっけらかんと告げる。
「久しぶりにちゃんと顔見たかったんだよ。同じ学校にいるのに全然会わないままってのも変な話だろ」
一瞬動きを止めた水蓮寺と夕凪は顔を見合わせると同時に溜息を吐いた。
「そうだよねぇ、ひろとに深い理由なんて無いよねぇ……」
「あれ? 俺何で呆れられてんの?」
そういうところだぞ、と言いたくなるのをぐっと堪える。
彼の言うことは恐ろしいほどに正論だ。そしてその正論を彼は行動で指し示す。
だからこそ、人は誰しも打算で動くと考えて接するとこちらの毒気が抜かれてしまう。
「……ふふ、」
呆れつつ、それでも、少しクリスマスが楽しみだなと夕凪は思った。
「クリスマス、雪降ると良いね!」
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