交流

 女の準備には時間がかかる。よく聞く話だが、俺には縁がない話だと思っていた。姉も妹もいない、彼女もいたことがない。だから女性の支度にどれほどの時間が必要なのか知る機会がなかった。

 ロイーヌが準備のために部屋に戻ってから体感で二十分。その時間内で男なら起床してから家を出ることが可能だ。しかし、女の子はそうもいかないことを実感している。

 ただその時間が苦痛かと言えば否と言える。ロイーヌを待っている一刻、一刻、に鼓動が高まっていく。相手がどんな格好で現れるのかの期待感、しっかりとリードできるかの緊張感で頭がいっぱいになり、時間の流れなどが気にならなくなる。それに時間をかけて準備している何割かが、俺のためであると考えれば苦痛に思えるわけがない。


「遅くなってごめんね」


 玄関の前で待ってくると、ロイーヌがこちらへ小走りでやってきた。

 いつもの冒険者の装備ではなくロングスカートをはいて、頭には髪飾りを付けている。背景に花畑が見えるのは気のせいだろう。


「お洒落しようと思ったんだけど、かわいい服がなくて」


 目の前に来たロイーヌが上目づかいで見上げてくる。香水をつける必要性が感じないほどいい匂いが漂ってくる。


「そんなことないよ。よく似合ってるよ」


 待ち時間で考え、準備していた言葉をかける。脳内でずっとシミュレーションをしていたおかげもあり、自然に言うことができた。

 事実ロイーヌの姿は言い表せないほど魅力的だ。女の子を褒めるボキャブラリーが不足していることが悔やまれる。


「それじゃあ、行こうか」


 横に並んで歩き出す。人生で初めてのデートを成功させるべく、今日の予定を思い出しながら街へ繰り出した。



 ここは異世界だ。文明のレベルは平成日本と比べれば大きく後れを取っている。そのためにカラオケ、ボーリング、などの娯楽施設などあるわけがない。

 唯一あるのは劇場だ。そのため選択肢は必然的にそれに限定される。

 この街は演劇が名物であり、王都の貴族がわざわざ鑑賞に来るほどのものらしい。

 そうミゲルのパーティの女魔法使いのルイスが今朝教えてくれた。彼女は演劇鑑賞が趣味のようで、無口の彼女から考えられないほど饒舌に説明してくれた。普段は大人しいが、好きなものになると口数が増す、オタク気質の娘みたいだ。


「と言うことで、午前中は市場を見て回って、午後からは劇場に行こうと思ってるんだけど、どうかな? 」


 一緒に歩きながら今日の予定を説明する。急きょ決めた計画のため大まかな予定しか決まっていない。本当なら店の下見したかったんだけどな。


「うん、いいと思うよ」


 不満もないようなので、市場に足を向ける。女慣れしている男ならここで自然に手を握ったりするのだろうが、俺にはそんなスキルはない。もしかしたら想像で創れたりするのだろうが、そんなつもりは毛ほどもない。それは卑怯に思えてしまう。ありのままの自分で向き合いたいんだ。


 市場に向かう途中、見知った顔が向かいから歩いてきた。


「おはようマサトシ、ロイーヌさん」


「今日はいつもと違ってお洒落じゃないか。デートかい? 」


 こっちが声をかけるよりも早く、挨拶をしてきたのはヘルトだ。すぐ後ろには相方のメディさんもいる。


「これから一緒に出掛けるんです。可愛く見えますか? 」


 メディさんの前で一回転して、ロングスカートと腰まである髪がが軽く広がる。その姿に少しドキッとしたのには誰にも気づかれていないだろう。……いや、ヘルトがいつもとは違う笑みを俺に向けている。ばれているみたいだ。


「可愛いさね。アタイには縁がなさそうな格好だよ」


 メディさんが眩しそうにロイーヌを眺めている。確かにメディさんがスカートをはいている姿は想像できないな。この人には防具の姿が似合っている。


「ヘルトたちはどこか行くのか? 」


 尋ねると二人は微妙な表情になる。何かあったのだろうか。


「それがね、昨日の夜から危険な魔物の目撃情報が相次いで上がってきてね」


「おいおい、大丈夫なのかよ」


 そんな状況ならギルドから招集があってもおかしくないと思うんだが、そんな話は聞いてない。


「だけど妙なことに目撃者の証言が一致しないんだよ」


 俺とロイーヌはそろって首をかしげる。


「リビングデッドの大軍が行進していただとか、キマイラがいただとか、中にはドラゴンや魔狼を見たってのもあったね」


 メディさんが続きを引き継ぐ。だが説明を受けても全く理解ができない。そんな状況ならこの街は危ないんじゃないか。


「まっ大方、幻惑を使う魔物に騙されたんじゃないかってのがギルドの見解さ。ただ報告された以上、調査が必要ってことさ」


 肩をすくめる。二人の顔には不満が見て取れる。まあ、魔物が本当にいるならまだしも、幻術に騙された冒険者の尻拭いにやる気なんて出ないか。


「そういうわけで僕たちは二、三日は留守にするよ」


 すれ違う瞬間、ヘルトは俺の、メディさんはロイーヌの肩を叩く。


「頑張れ」

「頑張るんだよ」


 二人そろって同じ言葉をかけて去っていった。そのことに二人顔を見合わせて、気まずい空気が流れる。


「行こうか」

「う、うん」


 少しの照れを感じながらデートが始まった。



 市場と言えば食材のイメージが強かったが、実質はそうでもないようだ。食べ物以外にも、衣服、武具、魔道具さらに絵描きに大道芸人など多種多様な店と人がある。市場と言うより、活気のかる商店街といった感じだ。


「あれなんだろう? ちょっと見に行こう」


 異世界というだけあって、見るものすべてが目新しい。文明レベルの差など気にならなく、夢中になって見て回る。

 思い返してみれば異世界に来たのに観光をしてなかったな。


「みてみて、凄いよ」


 ロイーヌも楽しんでくれているようだ。今は大道芸人の芸を見ている。

 ピエロのような格好をした人が球を縦に四つ並べた上に乗り、いくつもの刃物をジャグリングしている。さらに片足立ちになり、リフティングをしだした。

 これほどの芸は見たことがないな。

 一通りのパフォーマンスを終えたピエロが置いた箱に客が銅貨を入れていく。俺もそれに倣い、気前よく銀貨を入れてやった。それくらいの価値はあると思ったからな。


 それからいろんな店を冷やかし、屋台で買った物を食べ歩きする。するとある露店の前でロイーヌが足を止めた。

 それはアクセサリーショップのようで、ござの上に商品を並べている。同じものは一つのなく、どれも手作りのように見える。


「なにか気になるものでもあるのか? 」


 女の子だからな、こういったものを欲しがるのも仕方のないことだ。ロイーヌが望むなら俺の金で全部買ってあげてもいい。


「これ、マサトシはどう思う? 」


 ロイーヌが手にしたのは四足の動物を象ったペンダントだった。動物の目には鈍い光を放つ赤い石がはめられている。


「いいと思うぞ。きっと似合うさ」


 この手の良し悪しはわからないが、気に入っているものをわざわざ否定する気もない。とりあえず無難に褒めておく。

 ロイーヌも俺の言葉に頷いているし、間違っていないはずだ。


「それに目を付けるたぁ、お嬢ちゃんなかなかお目が高いのー」


 店主が田舎訛りを感じさせる口調で話しかけてきた。


「その動物わぁジュウケンつってなー、どんな場所からでも飼い主んの所に帰ってくるもんだから、無事帰ってくるようつって戦場に向かう旦那に渡すんだ」


 由来を説明してくれるが、それじゃあ女の子がつける物じゃないってことか。


「これください」


 しかし、それを聞いた途端に購入の意思を示す。その表情に一切の迷いはなく、俺が出すよりも早く自分の財布を出して代金を支払う。

 スマートに贈り物をするってことは難しいな。


「じゃあかけてあげるね」


「えっ!? 」


 ペンダントを受け取り、そのまま俺の前で背伸びをして頭からかけてきた。 

 近距離で見下げる体勢なったので、服の間から鎖骨が見える。


「なんで? 」


 プレゼントをしようと思っていたらされていた。てっきり自分で着けるための物だと考えていた。


「今日のお礼だよ。それに、これでちゃんと帰ってきてくれるようになるでしょ」


 驚いた俺の顔を見て、イタズラっ子のように顔をほころばせる。

 鎖の冷たさを首で感じる。なんだか鎖でつながれた気分だ。でも不思議なことに嫌ではない。


「……ありがとう、大事にするよ」


 これを俺にくれたことの意味を考える。込められた願い通り、ちゃんとロイーヌの元に帰えってこよう。そんな気持ちにさせてくれる。


「あっ、そろそろ劇が始まる時間じゃない。いこう、マサトシ」


 手首をつかみ駆けだす。長い髪がたなびき頬をくすぐる。

 ちゃんと走れば簡単に彼女に横に並ぶことができるが、今は引かれることが心地よく、なすがままに任せて後姿を眺める。


 劇場は名物なだけあって、周囲の建造物よりも何倍も大きく、壁一面にレリーフが描かれている。中に入ると舞台を囲むように席が配置され、一階席から三階席まで存在する。全体的に薄暗く、舞台だけに魔法による明かりが当てられそこだけが光り輝いている。

 俺たちは最も値段が高い一階席の正面の席をとった。安い席と比較したら五倍以上差があったが、ここは金を惜しむべきじゃないと判断した。せっかくの初デートなのにけち臭いことはしたくないしな。

 席に座って待っていると、柔らかな音楽と共に幕がゆっくりと上がっていく。


「おっ、始まるみたいだな」


「ワクワクするね」


 俺はこの時なめていた。所詮は中世レベルの演劇、現代社会でのエンタメに慣れ親しんだ人間を満足させるには足りないだろうと。


 しかしその予想は大きく裏切られるにことになった。


 この世界にしかないもの、魔法を利用した舞台演出に瞬時に取り込まれた。

 時に過激に、時に穏やかに光の演出が背景を色鮮やかに染める。背景のセットが独りでに動き出し、宙を舞ったりもする。劇場全体の温度が場面に沿って変化し、まるでそこにいるような臨場感。戦闘シーンでは火柱が上がるなどの派手さもある。ときおり挟まれるオーケストラによる演奏と歌唱に合わせて光の粒子が席全体に降り注ぐ。

 そんな幻想的な演出にロイーヌも夢中になっている。食い入るように劇を鑑賞している。


 シナリオに関していえば悲恋の物語だった。

 お転婆な妖精のお姫様が姿を変えて、人の国に出向き一人の男に出会う。最初は粗暴な男に対して反発をするが、時おり見せる優しさに徐々に心開いていく。

 ある日、暴漢に襲われているところを命がけで助けられる。これをきっかけに互いの恋心を自覚し、想いを通じ合わせる。

 しかし、これを知った妖精の女王が激怒し、男を木に変えてしまう。それを嘆き悲しみ、女は男がなった木に寄り添いながら自ら命を絶つ。


 ありふれたと言えばその通りの内容だ。似たような話を探せばいくつも出てくるだろう。

 だが、演じる役者が良ければそれは唯一無二の物に変貌を遂げことを知った。

 役になり切り、一挙手一投足に全てを使って心情を表現している。

 それがありありと伝わってくる。妖精のお姫様の喜びも嘆きが心に直接響いてくる。


 ここまでのものを作ることができることに感動を覚える。

 演目が終わり幕が下りた後も茫然自失となり、しばらく動くことができなたった。




「いやー、すごかったな。特に最後のシーンは鳥肌物だったな」


 他の客と共に劇場から外に出る。予想超える出来につい口数が多くなる。


「ロイーヌはどうだった」


 いいものは他の人とも分かち合いたい。そんな気持ちから感想を尋ねる。あれを見て彼女はどんな気持ちを抱いたのだろうか。


「私はね、羨ましいって思ったかな」


 予想外な発言に首をかしげる。


「あのね、女の役者の人の感情が伝わってきて思ったの。苦しくて、切なくて、でも嬉しくて、暖かい。恋ってこんな気持ちなんだって」


 その発言に一瞬息をのむ。俺にはロイーヌの発言の本意が理解できてしまう。


「だからそんな気持ちを持つことができたら、幸せなんだろ、ってマサトシ」


 頭の上に手をのせて、くしゃくしゃと荒らす。細く、柔らかな感触に必要以上に撫でまわす。


「ロイーヌはさ、俺の嫌なところ言えるか? 」


 真実に気が付いてから、気になっていたことを質問する。彼女が本物の恋を知ることができるかを確かめるために。


「急にどうしたの? えっと、嫌なところでしょ。私に隠し事するとこでしょ、頼ってくれないとこに、褒めることしかしてくれないこと、それに――」


 乱れた髪を気にすることなく、指をおり数えていく。

 それを聞いて安心する。これでいい。


「それだけ言えるなら、いつか恋を知ることもできるよ」


「何それ。意味わからないよ」


 無条件に肯定するだけの存在でないことに喜びを感じる。こうして互いのことを理解していきたい。もしその果てに結ばれるなら……、いやそれは強欲だな。


「そろそろ日が暮れるね」


 空を見れば、日が傾き路地に沿うように夕日が射しこむ。いつだって楽しい時間は早く過ぎ去ってしまう。


「今日は来てよかったよ。マサトシの笑った顔、久しぶりに見た気がするし」


 軽くスキップして正面に回り込み、俺の顔をロイーヌが覗き込む。低い背の影が長く伸び、彼女は赤く照らされている。

 ロイーヌに言われて、顔に手を当てると口角が上がっているのが分かった。


「なんか追い詰められているみたいだから……」


 紅水晶を思わせる瞳が俺を捕らえる。こんなことを言われるほどロイーヌから見たら俺は思い詰めていたのだろうか。


「そ、それは」


 実際に追い詰められていた。力がなければ何も守れないと知り、それを手に入れようともがいている。それが今の俺だ。はたからは溺れているようにしか見えないのかもしれない。


「頑張ってるのはわかるけど、無理しちゃだめだからね」


 顔をほころばせながらも、咎めるような気配を漂わせている。


 どうやら心配をかけすぎてしまっていたらしい。おっさんの進言に従っていてよかった。今日のデートで不安をいくらか取り除くことができたといいな。


「大丈夫だよ。これからはちゃんと君の所に帰ってくるから」


「もー、またそんなこと言って。これからは一人で出かけさせないからね」


 互いに冗談に見せながら、本気だとわたる言葉を笑いながら交わす。

 もらったペンダントの重さを確かに感じながら、並んで歩き出した。




「そろそろ孤児院につくな」


 帰るとなると無意識に孤児院に足が向いてしまう。金はあるのだから宿をとれば、子供たちを気にすることなく二人っきりの時間が続くのだが、そんな気持ちにはなれない。

 あの場所の雰囲気が自宅にいるような安心感を与えてくれるからだ。これもおっさんの人徳が建物にまで染みついているおかげだろう。

 目の前の道を曲がればその家屋が見えてくる。そういえばみんなにお土産買ってくるのを忘れていたな。

 そんなことを考えながら曲がり角にさしかかると、進行方向から女の子が飛び出してきてぶつかった。


「大丈夫か。アンセン」


 ぶつかってきたのはミゲルのパーティの弓使いのアンセンだ。ずいぶんと急いでいたようで、全速力で走っていたようだ。

 倒れたので手を差し伸べる。すると俺の顔を見ると、何かを伝えようとして口をパクつかせている。普段なら間抜けに見える仕草だが、蒼白した顔でやられると切迫感が伝わってくる。


「どうしたんだ。何かあったのか」


 問いかけると、息を絶え絶えにしながら喋りだす。


「こ、子供たちが、ゆ、ゆう、誘拐されちゃった」


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