ここから始めよう

 鈴のような声に意識が目覚める。覚醒して始めに感じたものは茜色の空を背景に絹糸のような艶を持つ長い髪だった。赤色をバックにしているのにも関わらず存在を主張できているのはその美しさゆえだろう。


「もー、こんな所で寝てるなんて、ずっと探してたんだからね」


「ロイーヌ……、どうして」


 そう、優しげな目で見下ろしているのはロイーヌだった。そして動き出した脳が今の状態を正しく判断した。

 後頭部に感じる柔らかい感触、見下ろされる構図、香りがわかるほどの距離感。そう膝枕をされていた。


「わ、悪い。すぐに起きるから」


 照れくささから頭を上げようとすると額に手が当てられ押される。手のひらの冷たさがほてった顔には心地よい。

 吸い込まれそうな瞳と目が合う。このまま見続けたら捕らわれてしまうのではないか、そんな錯覚から横を向き逃れようとする。


「どうして目を逸らすのよ」


 横を向こうとすると細長い指が顔に当たり動きを止められる。逃げ場をなくした視線は明確な意思を持ったロイーヌの目とぶつかり押し込まれる。


「心配したんだからね。なんでいなくなったりしたの? 」


 怒り、不安、悲壮それらがないまぜになった感情が目から伝わってくる。目は口ほどにものを言うというがそれは正しいな、こんなにも相手の気持ちがわかってしまうんだから。

 だからこそこんな思いをさせている罪悪感が出てくる。


「ごめん」


 立った三文字、それだけで謝罪になるとはおもえない。だけどそれ以上の言葉を持ってなくもどかしくなる。


「違う、私は理由を聞いてるの。謝ってほしいわけじゃない」


 謝罪はあっけなく一蹴され行動の動機を求めてくる。


 理由か……、そんなの言えるわけないだろ。負けたことが、君を守れなかったことが情けなくて、悔しくて、気まずさからロイーヌに顔向けできなかった。その後にもミゲルのあきらめない姿勢に心を折られ逃げ出した。結果こんな場所でふて寝していたなんて情けなさ過ぎて言えるわけがない。


「私って信用ないのかな」


 ポツリとつぶやく。声量に反比例するようにそこに含まれる悲壮はとても大きいことが伝わってくる。


「信用してるよ。でもこれは俺の問題だか――」


「それが信用してないって言ってるの! 」


 遮り、打って変わって悲鳴のような大声が上がる。突然の叫びに言おうとしていたことが喉の奥に落ちていく。


「私達パーティなんだよね。嬉しいことも、辛いことも一緒に分かち合って支えあうのが仲間なんじゃないの。私はマサトシとそんな関係でいたいの」



 ロイーヌの悲しみが俺を追い詰める。いっそ何もかもぶちまけて楽になってしまいたい。


「マサトシはなんでそんなに苦しそうな顔をしてるのか教えてよ」


 そんなことできるわけがない。それはつまり俺の本当の姿を、何ももっていない、空虚な自分を見せることに他ならない。見っとも無い姿を知ってほしくない。幻想を抱いていてほしい。


 称賛や他人からの肯定ってのは麻薬のようなものだ。それが原因で苦しんでいるのに捨てることができない。だからばれたくない、チートに頼っているだけの嘘つきものだって。


「どうしてよ。マサトシと比べたら何もできないかもしれないけど、支えることぐらいさせてよ。」


 違う、そうじゃない真逆なんだ。何もできないのは俺の方だ。助けてもらってばっかりで、いざという時役に立てないのは。


「無理だよ……、知ったら失望される」


 だからせいぜい言えることなんてこの程度、それ以上は無理だった。ロイーヌが俺に懐いてくれているのもチートを使って助けたからだ。結局は他のみんなと同じくチートを通してしか見ていない。本当の俺はそれに隠れて見えやしてない。


 ヒロインに惚れられるのはチートのおかげ

 万人から認められるのはチートのおかげ

 

 なんて馬鹿なんだ。異世界物での大前提をどうして今まで忘却していたのだろうか。


 ロイーヌみたいな美少女が一緒にいてくれるのもチートのおかげに決まっている。それがなくなって素のままの姿を見られたとき誰しもが離れていくんだろう。だから失うのは怖いし、自分の力だって信じていたい。

 嘘がばれそうになったら逃げたくもなる。


 ――もう一人で旅に出ることに決めたんだ。パーティは解散だ。


 明確な拒絶を口にしようとした瞬間に顔に雫が落ちてきた。


「失望するかなんてマサトシが決めることじゃないでしょ。なんで勝手に決めるのよ! 」


 それはロイーヌの目の端から垂れてきたものだった。涙顔になりながらも一向に美しさは損なわれない。


「お願いだから教えてよ。もしそれで私が失望するなら、マサトシは私を軽蔑していいから」


 点滴のように落ちていた涙は、勢いを増していき雨のように顔中を濡らす。彼女の慟哭が心を覆っている殻を叩き付ける。



 ――俺はいったい何をやっているのだろうか。



 守りたいと思った相手を泣かせることが正しいことなのか? 相手のために、巻き込まないために一人に出るとか言って、その実本当の姿がばれそうだからって逃げ出すのが正解なのか。そこにどんな誠意があるのだろうか。


 それが本当になりたかった自分の姿なのだろうか。


「聴いてくれるかい」


 これが最後になるのならせめて真っ向から向き合うべきじゃないのか。それで離れていくのなら、それは俺に与えられた罰だろう。甘んじて受け入れるしかない。


「だから聴かせてって言っている」


 涙はいまだに止まることはないが、それでも笑みを浮かべてくれる。

 その笑顔を見るとそれが失われるのが怖くなるが覚悟を決めよう。


「長くなるし、信じられない話だけど――」


 そこからすべてを打ち明けた。異世界から来たことも、本当は何のとりえもないただの人間であることも。いまさらそれに気が付いたことも。一つずつ、思いつくままに語る。

 ロイーヌはそのまとまりのない話を黙って、だけどまっすぐに目を向けながら聴いてくれる。



「――だからさそんな人間なんだよ。本当はこっちの世界に来てもっとカッコよくなれると思ったんだけどな。

 女の子に常に喜ぶ言葉を投げかけられ、仲間が窮地に陥ったら機転をきかせて助け出す。常に毅然とした態度で誰からも慕われる。間違えない、誤らない、いつも正しくみんなが認めてくれる。そんな人間になりたかったんだ」


 本音を語る。さらけ出す。すべてをありのままに。格好悪い部分を臆面もなく、嫌われるように。


「でもさ気が付いたんだ。別の世界に来たからって今までの経験、過去がリセットされるわけじゃないって。これまでの人生を歩んできた結果、今の俺があるんだって。力を手に入れたぐらいじゃ変わるわけがない

 最初は認めたくなかったよそんなこと、ひたすら褒めてくれる世界は心地が良かった。たとえそれが自分の力でつかみ取ったものではなくとも。

でも今日さ、元の世界よりも自分と向き合う機会を突き付けられたんだ。そんなことは望んでないのに」


 ふと気が付くと、ロイーヌのものではない涙が目じりから流れている。そんな俺の頭をロイーヌが優しくなでる。


 ……女の子の前で泣くなんてダサいな。それでも止めることができない。


 落ちてきたロイーヌの涙と俺の涙が交じり合い、頬に確かな熱を残しながら伝っていった。

 

 紡ぐ声が涙声になりながらも続ける。


「俺さ……、今まで期待されたことなんてなかったからわからなかったんだよ。それがどれくらいの重圧なのかも。応えるためには頑張らないといけないのも」


 期待、責任が人を作るって何かに書いてあった気がする。期待される人は応えるために必死になり、結果を出す。そしてさらに大きな期待をかけられ、さらに努力する。そうやって人間は能力的、精神的成長をしていくらしい。

 でも俺は努力の過程を飛ばして期待だけが与えられた。それは最初、嬉しくあったが、心が育っていない状態では受け入れるには重すぎた。耐えきれなくなり壊れるのは当たり前の話だ。

 だからミゲルから逃げ出した。あいつの純粋な目を受け止められるほどの懐を持っていなかったから。


 それを言いきり、腕で両目を覆い涙が尽きるまでしばらくの時間を要した。





 体に蓄えられた水分が抜けきり、顔に流れた水が乾ききるまでロイーヌは何も言わないでいてくれた。


「あのさ、パーティのことなんだけ――」


 ようやく落ち着きを取り戻し、最後になるかもしれない会話を始める。懺悔の時間は終わった。後は裁きが下されるのを粛然と受け入れよう。ロイーヌがどんな判断を下そうとそれは当然の報いなのだから。


 言葉をつづけようとした口に綺麗な人差し指が当てられる。たったそれだけの仕草に胸がときめき口を紡ぐ。


「マサトシはさ、私と一緒にいたくないのかな」


 泣き止まったが、悲哀を湛えた表情が俺を捉える。そんな顔をさせているのが自分なのだと思うと消えてしまいたくなる。


「そりゃ、いたいさ。でも――」


「だったらさ、それでいいじゃん」


 決定的なことを言おうとした瞬間またしても遮られる。


「難しい理屈よりもまずはどうしたいかだと思うの。心に沿った生き方をしていればどんな困難でも立ち向かっていけるし、逆に心に向き合わないでいたら逃げ続けるだけだよ」


 何かを言おうとしていたのに音にならず、口だけが動く。

 そんな都合のいい理屈があってたまるか。それじゃあ何も罰にもならないじゃないか。


「それにはマサトシは何か悪いことをしたと思ってるみたいだけど、ありもしない罪で苦しむなんておかしいよ」


 そんな訳あるか。みんなを、お前を騙していたのに。


「マサトシがした悪いことなんて心配かけたことと、せっかく作った料理が冷めちゃうまで帰ってこなかったぐらいかな」


 無理やりだと簡単にわかってしまうぐらい不器用な笑顔を作る。どこまでも俺のことを肯定してくれる。


「だからさ、それが悪いと思ってるならずっとパーティで力を貸してね」


 なんなんだこの娘は、訳が分からない。経験したことがない感情が芽生えてくる。




 ――いや違う、そうじゃない。




 理解してしまった。今この瞬間に芽生えてきている気持ちの正体を。経験したことがないなんて嘘だ、ずっと持っていた、だけど忘れてしまっていたものだ。この世界に来るまでは当たり前に持っていたはずなのに。


 そうか、そういうことだったんだな。


 ああ、だからロイーヌに対する気持ちがはっきりしなかったんだな。そりゃそうだ。なくなっていたものを感じられるはずがない。


 そして全ての点が繋がり、さらに恐ろしい事実に気が付いてしまった。俺が犯してしまった本当の罪科に。確証はないが確信はある。それは自分を偽るよりもずっと重い罪だ。


「なあ、ロイーヌ」


 だったらそれは贖罪をしないといけない。命を懸けても贖えるかわからないし、責任の取り方なんてわからないが償わないと。


「俺と一緒にあるべきあり方を探してくれるかい」


 今言えるのはこの程度だ。

 たったそれだけでロイーヌは一瞬驚き、次には夕焼けが霞むほどの笑みと目尻に先ほどとは別種の涙を浮かべてくれる。


「うん、もちろんだよ」


 ここから始めよう。なりたい俺になるために、そしてロイーヌのために。




◇◇◇

「難しい理屈よりもまずはどうしたいかだと思うの。心に沿った生き方をしていればどんな困難でも立ち向かっていけるし、逆に心に向き合わないでいたら逃げ続けるだけだよ」


 私は卑怯者だ。マサトシと一緒にいたいからって思ってもないことを口にする。自分の心すら定まっていない私がこんなことを言う資格がないのはわかっている。

 ネーションさんに言われて気が付いた。私が本当は何を求めて、何を望んでいるのかわかっていないって。

 ただあるのはマサトシと離れたくないっていう強迫観念にも似た感情だけだ。こんなものが願望なわけがない。明確な理由が存在しない本能的な部分が彼を求めているだけだ。ある種の依存って言ってもいいかもしれない。

 ただ離れて欲しくないから縋り付いて都合のいい人間を演じる。これじゃあ、ネーションさんに言われた通りだ。


「俺と一緒にあるべきあり方を探してくれるかい」




 ――っえ




 マサトシが私の心の不安を見抜いたように、一番かけて欲しかった言葉をくれる。その真意だとか、言ってくれた理由を聞くべきなのかもしれない。

 でも今はマサトシがくれたものが嬉しくて、胸の奥にあるマサトシに向けていた暖かな感情が身を焦がすような熱にかわり、でもそれが心地よくてたまらない。


「うん、もちろんだよ」


 なんて定義するのかわからないこの気持ちが赴くままに、万感の思いをこめて返事をするしかなかった。

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