identity

 「ねえ、あなたは自分が何者なのか知っているのかしら」


 ネーション・スタッグと名乗った女の子の囁きに意識の空白ができて、手を引かれるままにマサトシから離れちゃった。この人たちを見たマサトシの反応からして味方じゃないことはわかる。マサトシが危ない目にあうなんて嫌だ。絶対に離れるべきじゃなかった。なのに……


「私は私よ。それ以外の何物でもないわ」


 そう、私が何者かなんて曖昧でどうとでも応えられる質問なのに、それが棘のように心に刺さって気になる。表現することができない感情が渦巻いている。


「つまりあなたはこれまで生きてきた人生を基盤とした確固たる人格があるというのね? 」


「そうよ、当たり前じゃない! 」


 思わず声を荒げてしまう。怒ることの程じゃないはずなのに琴線に触れるのはなぜだろう。わからない、どうして、どうしてこんなにも不安になってるの。

 そんな私をネーションさんは拳を手に当て、笑みを隠しながら見ている。いつの間にか翠玉色瞳が赤く変わっている。

 その瞳を見ていると私でも知らない心の奥底まで見透かされている気分になってくる。


「あなた、あの男のこと好きでしょ? 」


「えっ」


 余りも脈絡のない質問に思わず間が抜けた声をあげちゃう。あの男ってマサトシのことだよね。私が何者であるかの話から、なんでマサトシが好きかなんて質問に変わるのよ。全然話が繋がってないし、そんなことを初対面な人間に聞くことじゃない。


「答えてくれないのね。だったら私はヨシトを手伝いに行こうかしら。忠告してあげるけどあなたは来ないほうがいいわよ。ヨシトの具現世界に入ったら魔法しか使えないあなたなんて足を引っ張るだけだから」


 ネーションさんが背を向け歩き出す。その向こうにはローブも剣もなくなったマサトシがもう一人の敵と向かい合っていた。ヨシトと呼ばれた男の人を中心に奇妙な空間が生み出されている。何かに満たされているわけじゃなく、魔力も何も感じない空っぽの空間だ。


 ここで私が引き留めないとマサトシが二人を相手にしないといけなくなる。それはダメだ。パーティーなんだから私が相棒の足を引っ張っちゃいけない。そのためには……


「そうよ、私はマサトシのことが好きよ! 」


 質問に答えるしかない。別に異性として好きと言ったわけじゃない。マサトシのことを考えると胸が暖かくなるのは事実だし、傷つくのを見るのは辛い。でもそれを恋心と自信をもって言うことはできない。


 私の言葉にネーションさんは幼い顔つきには合わない妖艶な笑みを顔には顔に張り付け振り返る。


「ふーん、どうして? 」


 小首をかしげながら疑問を口にする。かわいらしい仕草だけど、鳥肌がたつ。女の子にこんなことを思うなんて失礼だけど狂気じみたものを感じる。


「だってそれは……」


 強いから、優しいから、どれも違う気がする。マサトシの近くにいたい気持ちは本物のはずなのに理由がわからない。考えたこともなかったからすぐに答えが見つからないよ。


「あの男よりも強い男もいるし、優しい男もいる。お金を持ってる人だって、それこそカッコイイ男なんてたくさんいるわよ。あなたが確固たる自分があるというなら何に惹かれるかわかるんじゃないのかしら」


「……」


 答えられないの。本能に近い部分でマサトシに惹かれているのは間違いない。でも理性としてなぜ惹かれているのかを説明することができない。


「もー、なんで黙るのよ。初恋の人に似てたとか、今までに会ったことがないタイプだったから気になったとかいろいろあるんじゃないの? 」


 まるで女の子の友人と会話をするように軽い調子で質問をするけど、その微笑みに私の心情は崖の淵まで追いつめられ、あと一歩のところで背中を押されている気分だ。


「あなたかわいいわね。いや、かわいすぎるわ」


 赤い瞳と目が合い、目が離せなく。


「そんな子があんな冴えない男に惹かれるなんて理由があるんでしょ? これが答えられないってことは、何を大事にして、何を求めているかわからないってことなのよ。それは自分を持っていると言えるのかしら」


 明確に悪意が伝わる笑顔が心臓を掴みあげる。それでも私は否定しないといけないことがある。


「違う、わかってる。私はマサトシが大事なの。それは自信をもって言える」


 そんな私を見ながら口端をつりあげ続ける。


「あなたはあの男から何をもらったの。打算や下心のない優しさ? 自己満足でない思いやり? それとも心焦がすような愛? どれも違うわね。あの男はそんな人間じゃないわ」


 マサトシを否定されて一瞬恐怖が消える。でも言い返すことができない。


 ――なんで? 私はマサトシからたくさんもらっている。それは間違いなく確信している。それなのにそれが何なのかが出てこない。

 言葉を探している間にも糾弾は続く。


「あなたが一方的に好意を示して、受け身の男がそれを愉しむだけ。それってただの都合のいい女じゃない。いい女は男に追われるものよ。ハーレム要員みたいな頭の中空っぽな女の子は感心しないわ」


 頭にくる。いくら何でも言い過ぎだと思う。そんな馬鹿な人間になったつもりはないし、マサトシを貶していることも許せない。


「どうして初めてあった人に人格を否定されないのいけないのよ。私のことをよくも知りもしないで」


 この人が何をしたいのか、何を知りたいのかはわからないけどマサトシの敵ってことは間違いないんだから遠慮することはないよね。

 右手に意識を集中させ魔力を集める。殺すつもりはないけど、意識を奪うくらいはしてもいいよね。

 集めた魔力を凝縮させて放出する。弾がネーションさんに迫り、そのままぶつかると思ったのに……


「危ないわねー、そんなに私の言ったことが怖かったかしら」


 間延びした声には何一つ慌てた様子はない。水たまりで遊ぶ子供のように軽くステップを踏む。

 すると水が跳ねるように、地面から何本も人の胴体ほどの木の根が出てきてネーションさんを取り囲む。光弾は根の壁に当たり、傷一つけることなくはじかれた。


「ねぇ、普段は大人しい動物が攻めに転じるときってどんな時だと思う? 」


 根は蛇のようにのたうちながら土の中に戻る。そして何事もなかったかのようにネーションさんは出てきた。


「それはね、自身の存在の窮地に陥った時よ。今のあなたのようにね」


「やめて! もう聞きたくない」


 言葉の一つ一つが私の自我を蝕む。いや、それは違うかもしれない。元々自我なんてものは私には……


「やめないわよ。もう少し嵌っていてもらうわ」


 ネーションさんが私に歩み寄り、目と鼻の先まで顔近づける。


「根拠もなく男のことを好きになるなんてあなた女を舐めてるの? そんなの女を知らないモテない童貞が夢見るような都合のいい妄想上の存在と何が違うの」


 甘い息が顔にかかるほどの距離で、これまでとは全く違う冷たい声を浴びせられる。それに寒気を感じ、体が震える。


「私は、違う。そんなんじゃない、違うの、だって……」


 何を言いたいのかもう自分でもわからない。否定したいのにできない。カタカタって奥歯が音を立てる。 


「あなたはまるで記号じみてるのよ。背景も根拠もなくただ役割や要素だけを与えられてそれを演じているだけ。薄っぺらいのよ」


「いや、いや、もう聞きたくない」


 耳を塞ごうとした両腕を掴まれる。細い腕からは考えられないほどの力で拘束される。


「たしかヨシトの世界じゃこんなのを萌えキャラって言うんだったかしら。作り物じみてて現実にいると違和感があるのよ」


「そんなこと言われたって、私は私よ。違和感なんて知らない」


 駄々をこねる子供のように腕を振り回すとあっさりと拘束が外れた。


「まあいいわ、あっちも終わったようだし今日はここまでね」


 ネーションさんの肩越しに奥を見ると、地面に倒れたマサトシとそれを見下ろすように立っている男が目に入った。

 マサトシの元に駆けだしたい衝動に駆られるが全身に力が入らない。茫然と立ち尽くして見ていることしかできなくなる。


「じゃあね、今度会う時までに自分を探しておくのよ」


 先ほどまでの剣呑な雰囲気を霧散させ、ウィンクをしながらネーションさんが離れていくことに安堵を覚える自分がいる。



「ヨシトー、今日はここまでよ。撤収しましょ」


「まだ物足りねーが、気絶しちまったもんはしょうがねー。そっちはもういいのか? 」


「こっちもなかなかの収穫があったわよ。じゃあ行きましょか」


 二人の会話を聞きながら去っていくことを私は見ていることしかできなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る