村中喜人

 ムラナカぎ咆哮ともとれる叫び声をあげる。


『我、世々の道にそむくことなし』


 続いて口から放たれたのは激烈な怒りの込められた呪詛じみた呪文だだ。


『身に愉しみをたたくまず。よろづに依枯(えこ)の心なし。身にあさく、世をふかく思う』


 聞いているだけで立ちくらみがおきる。ただの音のはずなのに一言一句が明確な意思を持ち、世界を軋ませる。


『我事において後悔せず。善悪の他に妬む心なし。自他ともに恨みかこつ心なし』


「なっ!  」


 それが目に見える変化となって現れたのは体からだ。いや、正確に言うなら体を包んでいるローブから煙が立ち登り消えていく。

 さらに腰に佩いている刀も同様な現象が起こる。


『道においては死をいとはず』


 口から紡がれるたびに崩壊が加速していく。

 そして下に着ていた質素な麻の服のみが残った。

 何が起きている?武装解除の魔法か。


『身を捨てても名利はすてず』


 次に強烈な倦怠感に見舞われる。重石を背負っているように体が重く、酸素が薄い。

異常であるはずなのにどこか慣れ親しんだ感覚は……


「スキルの補助が消えてる……」


 そう、この感じは元々の俺の体のものだ。

 体が重くなったのではなく、身体強化などのスキルの効果がなくなったことで感覚にズレが生じている。


『神仏信じて、神仏たのまず』


 この世界で手に入れたものが剥がれ落ち、転移してくる前の自分がむき出しになった。平凡で何も持たないつまらないありのままの姿がここにある。


『具現しろ! 天地無明!! 』


 ひときわ大きな声と共に、ムラナカを中心として何でもない何かが広がり半球状のドームを形成した。

 何でもない何かがなんて頭の悪そうな言い方だがそれ以外思い浮かばない。穢れを浄化する神聖さも、生気を吸い取るような禍々しさも一切ない、ただの何も感じない、それだけの空間だ。


「さて、こっぱずかしい中二タイムも終わったし始めっか」


 肩を回しながら近づいてくる。

 あからさまな殴る前の予備動作を見せつけてくる相手に、俺は腕を突き出し魔法を行使しようと意識する。……ある種の予感めいた不安を抱きながら。


「ふっとびやがれ」


 使うのは風の魔法。手のひらから放出されたそれは風圧で敵を吹き飛ばす、はずだった。


「ちっ、やっぱりか」


 嫌な予感が的中してしまった。いつものように体から魔力が抜けていく感触はなく、魔法も発動しない。

 想像で創りあげた装備とスキル補助が消えたことから考えてこいつの能力は。


「魔法の無効化か! 」


「ご名答。チートっていうんだったか。こういうのマジでつまんねえよな」


 魔法を打ち消されている間に迫っていたムラナカが駆け出し、肉薄する。


「でもお前みたいな根性のねじ曲がった奴を相手にするにゃちょうどいいわ」


 右腕を大きく後ろに振りかぶってから一直線に放つ。


「あぐっ! 」


 拳が的確に頬にぶつかり転倒する。口の中が切れて生温い液体と鉄の味が口いっぱいに広がる。


「おら立てよ。こんなもんか? 超能力がなくちゃなにもできねーのか? 」


 挑発的が浴びせられる。だが自分を奮い立たせるためにあえて煽られてやる。


「ペッ、なめんなー」


 溜まった血を吐く出し、立ち上がる勢いを使って殴りつける。

 魔法的な肉体の補助がない状態、つまり素のまま俺はこれまでと比べて鈍い。喧嘩なんてしたこともないからどこを狙えばよいかもわからない。


「おらよっと」


 そんな不格好な攻撃はあっさりと回避され、カウンターを鼻に叩きこまれる。今度は嗅覚が血の香りで満たされる。


「なあ、お前はなんでこんな事態を平然と受け入れているんだ? 」


 鼻血を垂れ流して倒れている俺に向かって先ほどと似た疑問を投げかけるムラナカ。その表情は理解不能な生物を見ているようだ。


「あぁ、何言ってやがる。与えられた状況を楽しむのが悪いってのかよ」


 異世界に来て、チートを得る。それを使って望み道理に生きる。面白いに決まっている。大多数の人間が賛同してくれるだろうことをわざわざ質問してくる意味がわからない。


「だからなんで楽しめんだよ! いきなり訳の分からない世界に連れてこられて、戻る手

段はない。今まで築いてきたものをいきなり奪われて怒りを感じねーのかよ! 」


 言葉と同時に飛んで来る蹴りがこめかみにぶつかり脳が揺さぶられる。


「いがっ」


 軽い脳震盪が起きたのか視界がぼやける。立ち上がろうとしても腕に力が入らない。


「オレは感じるぞ。今まで努力して手にしてきたものも、人間関係も奪われて憤りの一つも感じないほどお前の人生は薄っぺらいのかよ」


 立ち上がれない俺に踵が落とされる。一度でなく、何度も何度もため込んだ鬱憤をぶつけるように。


「ふざけんなっ! 俺は全力で生きてきたんだ。苦しんで、努力して何かを達成した時は最高に嬉しくて。それを、それを何の権限があって取り上げるんだ」


 もはやムラナカは俺を見ていない。ただこの世界に連れてきた何者かへの恨みをぶつけてくる。


「いきなり変な世界に連れてこられたと思ったら神を殺すのに協力しろだとか、呼び出したくせに返す方法はないから神から奪った力を使うしかないとかふざけてやがる」


 頭を踏みつけられながら投げかけられる言葉は、揺れている脳で理解することはできない。ただ苛烈な怒気だけは伝わってくる。


「呼び出した理由も異世界の人間は魔法に対して鈍感だから、魔法なんてインチキ

な力を認めない気持ちが強ければ神の力も否定できるとか。そんなのオレじゃなくてもいいじゃねーか」


 いっそう力強く踏みつけたところでムラナカが止まる。

 幾度となく踏みつけられ、鼻の骨は折れて激痛が走っているし、唇は切れて血が止まらない。瞼も腫れ上がっているのか視界が狭まっている。俺の顔は酷いことになっているに違いない。

 超回復のスキルも封じられているからすぐに治ったりしない。ただの人間に成り下がった今ではこんなケガをしたら立ち上がる気力も湧かない。

 だけれども諦観の念よりも大きく心を占めている感情がある。それは何かを守りたいとか、絶対に負けたくないとかそんなかっこいい気持ちではない。


「さっきから聞いてりゃ好き放題言いやがって」


 その気持ちを支えに立ち上がる。このままで終わらせたくない。こいつの顔に一発叩き込まないと気が済まない。俺はただ、俺はこいつのことが……


「気に入らねーんだよ。こっちに来てもお前みたいな奴が俺に関わってくるんじゃねーー! 」


「なんだとっ」


 俺はこいつみたいな人種が大っ嫌いだ。どうやっても受け入れられないし、受け入れるつもりもない。


「家に帰れなくて泣きそうなのか。慣れない世界に馴染めなくて元の世界が恋しくてたまらないのか」


 今までの一方的な会話で分かった。こいつとは絶対に相容れない。


「てめぇ、何言ってやがる。こんなふざけた世界なんて俺には必要ないんだよ」


 ほらな、やっぱりこんな返しをしてくる。だからこっちもムラカナがしてきたように思いの丈をぶつけよう。


「お前の主義も主張も何一つ気に入らない。イラつくし、ムカつくし、鬱陶しい。俺はこの世界でなりたい自分になるんだよ。お前なんか引っ込んでろよ」


 ふらつきながら不格好に殴りかかる。鋭さも重さもなく、脅威がないそれをムラナカは体を半回転させるだけでかわす。

 交わされた俺はそのまま倒れこむが、すぐさま立ち上がりムラナカを見据える。


「まだだ。次こそぶっ飛ばしてやる」


 相手のことが気に入らない。たったそれだけのシンプルさが限界寸前の肉体を支えている。これを本気の想いっていうのだろうな。こいつのおかげで理解した。理解はしたが今それを得たところで魔法が使えないこの空間では意味はない。


 そんな俺をムラナカはどこか憐れむ顔で見る。


「勘違いもここまでこじらせちゃたいしたもんだな。根が腐ってるからそんなことが言えるんだな」


 それは挑発でなく侮蔑だ。なぜ初対面の人間にそんなこと言われないといけないんだ。


「うるせーー! お前なんかが俺の物語に出てくるな。お呼びじゃないんだよ」


 倒れこみながら腕を振る。

 目の前の相手を否定したくてたまらない。こいつを認めたら何かが崩れてしまう気がする。叩きのめしてひれ伏せさせたい。


 万感の思いを込めた拳をムラナカは避ける動作をせずに真正面から受け止めた。


「オレもよ、お前みたいな人間に関わりたくはないんだよ。視界にさえ入れたくないんだが、お前が盗ったものを返してもらわないといけなーんだ」


 拳は顔面に届くことなく、寸前でムラナカの手につかまれた。


「それによ……」


 区切り、大きく息を吸うムラナカ。


「物語を語りたかったら、自分の力だけで語って見せろやーー! 」


 怒号と共に脇腹に蹴りが叩き込まれた。

 倒れこみそうになるのを気力で持ちこたえる。こんなので折れてたまるか。


「お前はオレが気に入らないらしいが、俺だってそうだ。お前みたいな奴を見てると虫唾が走る。努力もせず手に入れたものが自分の物のはずがねーだろ。それとも何か、実はすごい才能が眠ってて、こっちに来たら覚醒したとか痛々しい妄想を信じてんのか! 」


「信じてるぞ、悪いかよ。使えて操れる。俺の中にあるから俺の力だ。何が違う」


 今までの人生で最も感情的になっているかもしれない。しかし、それをぶつけようとするもどれも躱され、いなされる。


「ちくしょーー、どうして当たらないんだよ」


 どれも直撃することもなく、鬱憤だけが心の中に積もる。


「これがお前の等身大の力の差だからだよ。こっちは血反吐を吐きながら鍛えたんだ。頭の中だけ最強野郎とは違って現実で努力してんだよ」


 一方でムラナカは的確に俺をとらえていた。言葉通りどの打撃も洗練されており鍛えられているのが分かる。


 でも、だからどうした。こっちはチート主人公なんだぞ。それなのに負けるなんてありえないし、誰もそんなのは期待してない。だから最後は勝つに決まってる。だからまだ折れるわけにはいかない。


 もはや根拠としてはなりなっていないような理屈を支えに立つ。こんな脇役なんかにやられてたまるか。


「なあ、苦労もせずに手に入れた力がそんなに誇らしいか。ただ偶然手に入れた力振るって称賛されるのがそんなに気持ちいいかよ。己の力で成し遂げるから尊いんだよ」


「黙れ、時代遅れの熱血野郎! そんな古臭い理屈知るか。今時そんなもん流行らねーんだよ。爺の説教なんて年取ってからしろや。

 努力なんて圧倒的な力の前じゃ無意味だって思い知らせてやる。」


「何が時代遅れだ。男の王道はいつだって一つなんだよ。借り物の力で無双する最強様なんかが主役になれるか! 」


 右ストレートに合わせてクロスカウンターが合わさり、俺だけがダメージを負う。それでも殴り合いを続行する。維持はまだ張れている。


「中身も見ずにスゲー、スゲー、言われたいんならオウムでも相手してろや」


「引き立て役がほざくな。さっさとやられろや。お前こそ努力すればどんな才能だって超えられるとかガキ以下の妄想を信じてるのか!? 」


 そう、これが一番気に入らない理由だ。努力や苦労が尊いとか、頑張り続ければ夢は叶うとか、親や教師が誰もが言っているくせに誰もが心の底では信じてない類のことを臆面なく言うのが聞いていて腹が立つ。


「信じてるぞ、悪いかよ。人間の意志の力なめんな」」


 しかし、ムラナカは心の底から信じている。そんな所が鬱陶しい。


「頑張りが必ず報われるなんてゲームの中でしかありえないんだよ」


 現実は常に理不尽だ。努力よりも才能が幅を利かせ心を打ち砕く。そんな世界じゃ必死になれないのはしかたないだろ。


「それはお前が成功ってやつをゲームの中でしか体験したことがない負け犬だからだろ。どんな苦しくても努力し続ければ夢は叶うようにできてるんだよ」


 今時小学生でも嘘だと分かる理屈を臆面なく口にしながら蹴りが放たれる。倒れた俺の上にマウントをとりさらに続くける。


「現状に不服があるのにそれを変えようと能動的に動いたりしない。不満だけをくすぶらせて、あれこれ欲しがる。女々しいにもほどがあるぞ」


 ムラナカが胸ぐらを掴み引きよせ、逆の手は後方に引き絞られる。強力な一撃が来ると分かる。


「第一よ、なりたい自分になるとか言ってたけどよ……、そのために自分が変わるわけじゃなく、世界が変わればいいとか思ってる性質なんだろ。それの何がなりたい自分だ、ふざけんな! ちったぁ真剣に生きてみろやーー!! 」


 顔のど真ん中に拳が叩き込まれる。今までくらった中でも一段と威力があるそれについに俺の肉体が耐えられなくなった。

 全身の力が一気に抜け、受け身も取れずに倒れる。結局一撃も入れることもできずに俺の意識は闇に落ちていった。

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