覚醒と喪失
「どこに行くつもりだ。敵前逃亡なぞ認めんぞ」
俺たちにありえな声がかけられる。
心臓が口から飛び出したと思うほど脈動する。
えっ、嘘だろ死んでいるか確認はしていないが、でもあれをくらって生きているわけが……。
嫌な汗を全身から出しながら、現実を認識するのを遅らせるためにゆっくりと振り返る。
そこにはを構えたままのフレイヤの姿があった。立っている場所も先ほどと同じ、でも明確に変化しているものがある。フレイヤの全身が鎧の色、碧いオーラに包まれ、剣は蒼炎を纏っている。
「なんで……、効いてないの……」
耳元でロイーヌが呟く。ショックを受けているみたいだ。
俺もこの事実に驚かずにはいられない。あれは雷にも等しい破壊力をだったはずだぞ。落雷が直撃して無事な人間なんているはずがない。
「どうしてか。騎士は主の剣であり盾だ。主の命令なく折れることなどあるものか」
毅然と答えになってない返答をする。
実際はそんな根性論でなく、おそらく全身を覆っているあのオーラが結界の役目をしたのだろう。
ようやく現状を受け止め冷静になった脳がそう結論付ける。
「まさか、ここまで手の内を見せることになるとは予想外だったぞ」
オーラと炎を揺らめかしながらどこか嬉しそうな声を上げる。
「仕切り直しと行こうか少年。その女はもう戦えぬようだしな」
圧倒的な力の差を自覚しているのか、先ほどの高圧的な態度が消え去り落ち着いている。
――勝てるのか?こんな奴に――
これからは心を強く持とうと決めたばかりなのに、それが早くも崩れ始める。
剣が纏っている蒼炎の前ではどんな決意だろうが無慈悲に燃やし尽くされ、灰も残らない。そう確信できるほどの実力差を肌で感じ取る。
全身の毛孔から汗が吹き出し、小刻みに全身が震える。危機感知のスキルを発動させるまでもなく、人間が忘れかけた生物としての本能が叫ぶ。
あの炎はまずい、ダメだ。
「クッ」
動物は己よりも強いもの、例えば捕食者に出くわしたとしたどうするだろうか。その答えは考えるまでもなく逃走だ。
その本能に従い、ロイーヌを背負ったまま脚に力を込めた瞬間、
「言ったはずだ! 逃亡など認めん! 」
俺に向けていた剣を地面に突き刺す。
すると地面から円を描くように火が空高く湧き出す。それが幾重にも重なり、炎以外のものが視界から消失する。
チクショウ、囲まれた。
もしこれがただの火ならば突っ切ることはできたかもしれない。でもいま周囲にあるのはフレイヤの剣に付与されているのと同様なものだ。触れるわけにはいかない。
「本来は外からのものを防ぐものだが、使いようだな」
炎壁を前に立ちすくむ俺にフレイヤが歩み寄る。寄られた分以上に距離を取りたいが壁に阻まれる。
「そちらが来ないのならば、こちらから行かせてもらおう」
一足飛びにこちらに詰め寄り、柄頭を鳩尾に叩き込まれる。
「ブファッ」
「キャッ! 」
的確に急所に叩き込まれ蹲る。背負っていたロイーヌを落としてしまい、短い悲鳴が聞こえた。
「私が怖いか少年。だがこの程度で折れてもらっては困るぞ」
刃のついていない剣の側面で無防備に晒されている背中を打ち付けてくる。防御力は強化しているはずなのに高熱の焔を纏った打撃はたやすく打ち破る。
「ウガァァアア――」
鉄の棒で殴られ全身に痺れがはしり、同時に炎で焼かれる痛みに絶叫する。
「まだだ、立ち上がってかかってこい」
悶える俺にフレイヤは追撃をしてこない。待ちわびるような佇んでいるだけだ。
なんなんだよ、こいつ。何がしたい。いたぶるだけいたぶってとどめを刺さず観察するだけ。まるでどこまで苦痛に耐えられるか実験を受けているみたいだ。
そんな考えがよぎり鳥肌が立つ。
「恐怖に支配されてはどんな相手にも勝てぬぞ。先ほども言ったであろう。少年の能力は想いを具現するものだ。勝ちたいのならそれだけを考えろ」
「ぶざけんなっ。俺はなお前のことなんてどうでもいいんだよ」
なんでこうも一方的に言われなきゃいけないんだ。いきなり喧嘩を売ってきたと思ったら本気になれとか、想いがたりないとか。そんなことを言われる筋合いはないんだよ。
「なるほど、甘いな。動機がなければ戦わぬと言いたいわけか」
フレイヤの視線が俺から外れ横にずれる。その先にいるのは……
「だったら、動機とやらを私が作ってやろう」
冷たい笑みを浮かべながら、魔力不足で動けないロイーヌに体を向ける。
「やめろーー」
フレイヤがこれからすることを察し、出したこともない大声を張り上げる。だけど俺の声は止める力を持たなかった。
一切の躊躇いなくロイーヌの太腿に剣をつきたてる。
「キャアアーーーー」
甲高い悲鳴が鼓膜を通り、俺の脳に突き刺さる。頭の中が茹ったように熱くなり心が一色に染まる。
――殺してやる――
恐怖や混乱を怒りが塗りつぶし、混じり気ない純粋な感情が止めどなくあふれ出してくる。今までの人生で最も強い感情が心を覆い尽くし、思考を支配する。
「ほぉ、やはりこういうやり方のほうが効果的だったみたいだな」
様子の変化に気が付いたようだ。フレイヤが何かを言っている。だけど、そんなのは関係ない。今すべきなのはこいつを殺す、その一点だ。
そのための武器を創りだそう。存在もろとも切り裂くような強力無比な物がほしい。
その願いに応えるかのごとく右手に光が宿る。俺の意思を反映するかのように赤く、朱く、真紅に輝きながら伸びて一振りの剣となる。
「ロイーヌから離れろ、この野郎」
詰め寄る。排除すべき敵に向かってかつてないほど速く。距離は一瞬でなくなり、思いのままに武器を振るう。
「悪くないな。先ほどの玩具とは比べ物にならんな」
盾で受け止められたが関係ない。力に任せ押し込み、ロイーヌから距離をとる。
「そうだ。それでこそ勇者というものだ」
盾をずらされ体勢を崩される。上から斬撃が落ちてくるが、不格好ながらなんとか受け止める。
蒼炎と真紅の二つがぶつかり合い、互いに相手を飲み込もうといっそう強烈に煌めく。
「女を傷つけられただけでこれほどとは。よっぽど大事とみえる」
「だけだと? ふざけんな! 」
鍔迫り合いをしながら言葉をぶつけ合う。相手が憎くてたまらない。冷静にこちらを観察するような目が、通り抜けるような声が、全てが気にさわる。
「甘い! 」
押し込むことに集中していたせいで脇腹に蹴りをくらい吹き飛ばされる。痛みはあるはずだが、脳内麻薬でも出ているのだろうか全く痛苦がない。
「うおぉぉおーー」
腹の底から声を出し再び迫る。縦に横にと縦横無尽に、型など一切に考えずただ殺したい衝動の赴くままに振るう。
「いいぞ、もっとみせてみろ」
腹立たしいことにフレイヤは攻撃を最小限の動きで防ぎ、的確なタイミングで反撃してくる。本能的な俺とは対極の理知的で効率的な剣戟だ。
「余裕こいてんじゃねー」
さらに速度を上げる。気持ちの高揚と共にどこまでも上がっていく。
限界を超えた加速にフレイヤも表情を徐々に硬くしていく。
「驚いたな。まるで別人ではないか」
それでもまだ口をきける余力があることが腹立たしい。もっと速く、もっと重くだ。
「そこまで奮い立たせるものなんだ。愛か? 友情か? 少年にとってこの女はどんな存在だ? 」
いっそう激しくなる攻防の中、何気ない質問が一色に染まっていた心に染みをつけ広がっていく。
「ロイーヌはなぁ、俺の大事な……」
ロイーヌは俺の大事な、大事な……。それ以上が出てこない。俺の彼女、親友、仲間、恋人、後に続く言葉のピースのどれを当てはめても違和感が消えない。
ロイーヌが傷つけられたことに怒りを覚えたのは間違いない。でもその根本にあるものが分からない。
何かが引っ掛かる。今まで無意識化で考えないように、気が付かないようしていた物に目を向けてしまったかのような。
霞がかかりその実態を認識することはできない。わかることは
――以上は考えないほうがいい――
俺でない俺が頭の中で囁く。
途端、紅い光が空気を断たれた炎のように急速に小さくなり、感情も冷水をかけられたみたいに冷え、悪寒が走る。
「哀れだな。己の心の拠り所さえ曖昧だとはな! 」
心を見透かしたようフレイヤが怒鳴り、渾身の力を込め一撃を打ち込んでくる。
「がはっ」
音も立てずに光剣が折れ、その使用者である俺の体にも一線の傷が走り、血が噴き出す。
「ちく、しょう」
全身を血に染めながら仰向けに倒れる。人間ってこんなにも出血することができるんだ。冷めた思考がとりとめのないことを考える。
「奥の手を使うまでもなかったか。」
忘れていたはずの痛みを思い出し意識を吹き飛ばそうとする。回復魔法で傷を塞ごうとするが意思に応えず発動しない。
意識が薄れていく。あと数十秒で気を失ってしまうだろう。そんな俺に残酷
なセリフがかかる。
「先が思いやられるな。仕方ない、まずは我らと同じ土俵に立ってもらおうか」
「な、何を言っている……」
どこか憐れみを込めた穏やかな声を投げかける。
「知っているか少年。古今、勇者物語や英雄譚の多くは主人公が何かを喪失することから始まる」
俺を無視して訳の分からない言葉を続ける。いや、わかっている。これからあいつが何をしようとしているのか。
「少年も失ってみるか。それでこそ主役を名乗れる。我らと並べる。身を焦がすような渇望を宿すことができる」
「や、やめろ。やめてくれ」
フレイヤの意識はもう俺にはない。あいつが見ているのは足を貫かれ動けなくなっているロイーヌだ。
「マサトシ、待って今助けるから」
ロイーヌは涙を瞳に浮かべている。片足の力だけでこちらに近づいて来ようとするがバランスがとれずに転倒する。
「気を失うなよ。括目しろ少年は今から失うのだ。他ならぬ己の無力さゆえに」
「きゃっ」
倒れたロイーヌを片足で踏みつける。
逃げろ、逃げてくれ。
叫びたい。でも血を失いすぎて口を動かす体力さえもない。できることは今から起こることを前に茫然とすることだけだ。
「美しき少女よ。謝りはせぬ、呪いたくば呪え。我らの物語の礎となってもらうぞ」
剣を手にした腕を下す。たったそれだけの行動でロイーヌの胸に刺さり、心臓があるだろう場所を貫く。
「マサ、トシ……」
囁きにも等しい声を出しながら、俺に手を伸ばす。しかしそれも僅かな時間だけだった。伸ばしていた手は落ち、動かなくなる。
死んだ? ロイーヌが、嘘だろ。なんでだよ。なんで殺されなきゃいけないんだよ。これで終わりなのか。
もう俺の歩む先にロイーヌが出てくることはないのか。いやだ、そんなことは認めたくない、認められない。そんな物語なんているもんか。
「今回はここまでにしといてやろう。死なないよう応急処置だけはしといてやる」
誰かが何かを言っている。耳には入るが脳には届かない。こんな奴どうでもいい。
それよりロイーヌだ。またあの花が咲くような笑顔をむけてほしい。風になびく桜色の髪眺めたい。吸い込まれそうな瞳にみつめられたい。
「ん、なんだそれは」
◇◇◇
彼の心を支配しているのは激烈な悔恨と慚愧の念だった。これから共に歩んでいくはずだった少女が眼前で命を落とし、自分は何もできなかった。思い描いていた未来は意味も分からず奪われる。
こんなのはおかしい、間違っている。あまりのショックに現実を正しく認識することを拒否した。
違う、違う、そうじゃない。
どこまでも後ろ向きで否定的な思考、感情。しかし、思いの強さは本物だ
った。そう彼はこのとき初めて本気になれたのだ。
その負の炎は能力に火を灯し、どこまでも広がっていく。そして後悔に応えるがごとく一つの現象を発動させる。
ここに一つの奇跡が具現する。
物理現象という万物を支配するルールを打消し上書きする。想像の本質である理不尽、不条理の体現、それが起こった。
淡い光が彼を包み隠す。完全に覆われ姿が見えなくなると次は光の粒子となって天に昇っていく。
すべての光が粒子となり消えた後には誰の姿もなかった。
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