ヒロインは魔物に襲われる

 異世界に転移してきて、いざ旅立とうとした時に森の中に響く悲鳴。まるでこちらの準備が整うのを伺っていたようなタイミングだ。これは異世界転移モノの序盤で一番ありふれた、あのイベントに違いない。


「世界が俺に主役として動けと命じている……」


 中二病じみたセリフが出てくるぐらい、都合の良い展開だ。これが世界の意志ってやつか……。うん、いまの俺、気持ち悪いな。

 こんな馬鹿な考え事をしている場合じゃないだろ。悲鳴を上げるぐらいなのだから、声の主はいま危機的な状況に置かれている違いない。早く駆けつけて、助けてやるのが主人公としてのあり方だろ。

 後ろを振り返り、悲鳴が聞こえた方向に向かって、全速力で駆け出した。

身体強化によって大幅に高まった筋力が、かつて経験したことのない速度で足を動かす。自動車に乗っているときよりも早く景色が後ろに流れていく。柔らかな土をつかみ、枝を弾き飛ばしながら森を疾走する。

 かつてない経験に体は疲労を感じていないのに心拍数が跳ね上がる。こんなに心躍ることなんて今まであったかな。


「異世界って最高だぜー」


 テンションがとともに、スピードも上げていく。森の中を失踪していくと、強化された視力は森の切れ目を捉えた。


 そこには木を切り倒してつくったのであろう道があった。道の幅は狭く、馬車が一台ギリギリ通れるぐらいかな。

 その道を二箇所塞ぐように、緑色の生物が並んでいる。小さな背、獣の毛皮を腰に巻き、太い枝を申し訳程度に加工した棍棒を持つ異形。そう、ファンタジーの雑魚代表、ゴブリンである。

 ゴブリンに挟まれるように人間が一人、足を抱えて倒れ込んでいる。顔はこちらを向いていないのでわからないが、長い髪と華奢な体から女性だとわかる。よく見ると足首から血を流している。どうやら足をやられて動けなくなってしまったようだ。

 そして女性のすぐ隣には、周りのゴブリンと体躯が異なる個体がいる。腹は大きく出て、身の丈は一・五倍程度ある。そいつの手には錆びついたナイフが握られており、刃先が血の赤に染まっている。あいつにやられたようだ。走りながら鑑定を使い敵の情報を調べる。


【名前】ホブゴブリン

【種族】ゴブリン族

【スキル】棍棒、短剣術、指揮


 どうやら、あいつが群れのリーダーのようだ。

 目標を定め、さらに速度を上げ、一直線にゴブリン達に向かっていく。しかし、女性までの距離は圧倒的にホブゴブリンの方が近い。奴は動けなくなった女性に近づき、手を伸ばす。

 女性はその手から逃れようと負傷した右足を引きずりながら、這うように動く。だけれども、そのような緩慢な動きで逃げきれるわけもなく、ホブゴブリンに衣服の襟首を掴まれてしまう。


「イヤ、イヤだ。やめて」


 女性のか細い呟きが鼓膜に響き、さらに足を加速させる。まずい、これはまずいぞ。考えていた場面通りの状況だか、思っていた以上に状況が進んでいる。これから仲良くなるはずの女の子に、汚らしいゴブリンの手が触れてしまっているではないか。あの緑野郎、ただじゃ置かないぞ。

 駆けつけるのが遅れたのは、悲鳴が聞こえてから直ぐに動かなかったからだ。だが、そんなことは棚に上げて緑ハゲへの怒りを募らせる。

 そんな憤りなど知ったことかとでも言うように、緑デブは下卑た笑いを浮かべて両手を衣服にかける。


「やめろーー」

「キャアァァーー」


 二つの叫びと共にホブゴブリンは両腕を引っ張り、衣服を引き裂いた。


「あのやろーー」


 忿怒の炎は心を燃焼させ、肉体という内燃機関に膨大なエネルギーをもたらす。激しく湧いてくる燃料を燃やし尽くしながら、アクセルを全開にして走る。地面に深く抉りながら、障害物をへし折り、踏み潰していく。

 体の限界を無視した超加速に時間をも置き去りにしているのではないかと錯覚してしまう。いや、ひょっとしたら本当に置き去りにしてしまったのかもしれない。

 現にホブゴブリンはもう目の前に迫っているのに、ホブゴブリンは女性の衣服を破った姿勢から変化してなかった。

 本来ならこの出来事に驚愕し、自分のチート具合に呆れるところなのだが、今はそんなことはどうでもいい。


「てめー、その娘は俺のもんだー」


 体を少し横に向け肩を前方に出し、ホブゴブリンに体当たりをかました。

タックルをくらい吹っ飛ぶと予想していたのだか、実際はその程度では済まなかった。肩をぶつけられた上半身は大砲で撃ち抜かれたように吹き飛び、残った下半身も走り抜けた足に踏み散らされた。

 それを瞬時に確認し、勢いそのままに道の反対側の森へ駆け抜け、五、六本の木を折ることでやっと止まることができた。

 一方的な蹂躙をもたらし、走った通り道の木々は消え轍のみが残っている。そんな破壊をもたらしたのにも関わらず、体には傷1つ付いていなかった。これも身体強化のおかげだ。急いで向きを変え、自分が作った損壊の痕跡を辿り道に戻った。


 道に戻ると静寂が辺りを包んでいた。ゴブリン達は今しがた起こった出来事が理解できないようだ。それも仕方のないことだろうな。ゴブリン達からしたら、いきなり自分達のボスが弾け飛んだ事しか認識できなかっただろう。それほど常識外れの速度で突撃したからな。


「さて、お前らも俺の物語に散ってもらおうか」


 腰に佩いていた刀を抜き、構える。もちろんこれは想像で作り出したものだ。折れず、曲がらず、よく切れる日本刀をイメージして創り上げた。試し切りでは片手で振って、木を豆腐のように切ることが出来た反則級のものだ。

 僅かにしか重量を感じさせず、されども手にはよく馴染み、握っている感覚がしっかりと伝わってくる。刀が自分と一体化しているみたいだ。


 武器を向けられて、我に帰ったゴブリン達がギャアギャアと喚きながら近づいてくる。前後に挟み撃ちされている状態だが、そんなもの関係ない。


 一足でゴブリンを間合いに入れると、斜めに一振りする。刃物など包丁以外に握った経験などない。だが今の俺には剣術のスキルを所持している。

 敵を打ち取る。そんな意思をもって振るわれた刀は何千、何万と鍛錬を繰り返してきたような流麗たる軌跡を描く。

 何の抵抗もなく振り抜くことができた。一見ただの素振りをしただけだが、それは驚愕たる成果をもたらした。

 1匹は首から、もう1匹は胴から体が切断される。体から切り離された部位がずり落ち、壊れた水道管のように赤い液体が溢れだす。

 吹き出す血液を避けるようにすり足で横にずれ、さらに二匹のゴブリンと正対する。

 流れるような動きを目で追い切れていない二匹の視線はこちらを捉えてない。今度は二回振り、それぞれ縦と横に等分する。

 これで前面の敵は片付いた。バックステップで元の位置に戻る。後方の敵も刀で倒してもいいのだが、それだと芸がないな。それにせっかく魔法も手に入れたのだから使ってみたいな。

 空に腕を突き出し、紫電の雷撃を思い浮かべる。神話の神が怒りとともに愚かな人間に罰を下すために落とすような苛烈な雷だ。


「くらいやがれ、雷魔法」


 短く唱えると、天から稲妻が無数に落とされる。視界が紫の光一色に染まり、轟音が響き、地面をも揺らす。

 あまりの大きな音に耳が痛くなり、音を拾うことができなくなる。視覚と聴覚を奪われ、ゴブリン達がどうなったのか判別できなくない。耳目を塞ぐことしかできず、その状態のまま雷の雨が収まるのを待つことにする。

 しばらくして雷魔法が終了したようだ。耳から手を放し、目を少しずつ開けていく。そしてゴブリンがいたはずの場所に目を向けると、そこには物言わない黒い物質がいくつかあった。

 視覚情報に遅れて、嗅覚が焦げた匂いが立ち込めていることを察知する。どうやらあの黒い物質がゴブリンだったもののようだ。


「これは、オーバーキルが過ぎたな」


 この魔法は雑魚相手に使うものじゃなかったな。初めてだったから思いつく限りで一番強そうな魔法をイメージしたが、次からはもっと控えめな魔法を使おう。




「他の魔法も要確認だな。でも、そんなことよりこっちのほうが重要だ」


 倒れている女性に近づき声をかけようとする。困ったな、こんな時なんて言えばいいんだ。今までの人生で襲われている女性を助けたことなんてないからわからないぞ。小説だとどうだったっけ。読み込んだ異世界物の序盤を思い返し、ふさわしい言葉を選ぶ。


「お嬢さん、大丈夫ですか」


 少しキザっぽく言ってみたが、絶対これは違うと思う。だって、足首が切られ、服を破られているんだ。大丈夫なわけがないだろう。それにこんなセリフは俺のキャラに合わないと、皮膚に鳥肌が浮かぶのを感じながら思った。


「あれ、ゴブリンは……。それに、あなたは」


 声に恐怖で下を向いていた女性が顔を上げ、キョロキョロと可愛らしく周りを見渡す。俺の言った痛いセリフは気にしてはいないようだ。


「あっ……」


 この時、始めてこの女性の顔を認識した。無意識の内に驚愕の呟きが口から漏れてしまう。

 その女性はまだ女の子と言って差し支えない幼さの残る顔立ちだった。淡い赤色の髪を腰まで携え、桜のような儚さを思わせる。その朧ろげな髪の枝垂れの奥にある容貌を見たとたんに、心に何かが突き刺さった。

 俺は彼女がいたことはないが好きになった人はいるし、テレビで見るアイドルを可愛いと思ったこともある。

 彼女はそんな美少女達の存在を消し去るほどに惹きつけた。こんな娘と付き合いたいなと羅列した妄想のすべてを具現化したかのような理想がそこにいた。

 美しい容姿、少し気の弱そうな保護欲そそる雰囲気、軽く持ち上げられそうな小柄で細身な体躯。雪のように白い肌。

 そして胸には手にちょうど収まり切るような双丘。その山頂には薄いピン……って、まじまじ見ている場合じゃないだろ。


 彼女は服を破られ、ただの布の切れ端をまとっているに過ぎない。端的にいってすごくエロい。その官能的な姿に血流が激しくなってしまう。

 マズイ、マズイぞ。このままでは俺もゴブリンになってしまう。そんな話も好きなのだが、大好きなのだが……、さすがにそれは展開が早すぎるってもんだろう。


「こっ、これを、早く着てください」


 急いで着用していたローブを脱ぎ、顔を横に向けながら差し出す。こんなにドキドキしながら女の子と話すなんて初恋以来だ。


「あ、ありがとう。ひょっとしてあなたが助けてくれたんですか」


 女の子がローブを受け取る。細い指がローブを掴むのを視界の端で捉える。その伸ばした腕の先を再び見たい衝動に駆られるが、理性を過労死寸前まで働かせることによって耐える。

 紳士であろうと心に決め、シュルシュルと衣擦れの音を楽しむだけに留める。


「あの、着替えましたから、こっちを見ても大丈夫ですよ」


 鈴を鳴らすような声に勢いよく向き直り、改めて彼女と向き合う。

 俺の着ていたローブは大きすぎたようで体をすっぽりと覆い、手は半分隠れている。肌を晒していた恥ずかしさに上気した頬をみて、心から湧き上がってくる感情こそが萌なんだろう。ひとつの真理にいたった。


「えっと、名前を教えてくれるかな」


 異性と仲良くなるためにはまず名前を知るところから始めるのは基本中の基本だ。


「ロイーヌ・ロイヒンっていいます。あなたの名前も教えてくれますか」


 日本人とはかけ離れた名前だし、ロイーヌが名前でロイヒンが家名かな。

 彼女が名前を聞いてくれかことに喜びを感じながら、自己紹介をする。


「俺は久保 匡俊。マサトシって呼んでくれ、ロイーヌ」 


 今までなら初対面の女の子に下の名前で呼ばせ、あまつさえ名前を呼ぶなんてできなかっただろう。だけど異世界に来たのだから少しくらい積極的になってもいいだろう。


「マサトシさん、助けてくれてありがとうございます。私、魔術師で魔法は得意なんですけど、接近戦は苦手で。もし、マサトシが助けてくれなかったらどうなっていたか……」


 目の端に液体を貯めている。やっぱりゴブリンに襲われた女の人って、そうゆうことされるんだよな。本当に助けられてよかった。


「じゃあさ、お礼に人がいる場所まで案内してくれないかな。実は旅の途中で道に迷っちゃって」


 転移したときのお決まりの言い訳を行ってみる。


「はい、私もちょうど街まで行くところだったんです。一緒に、イタッ」


 立ち上がろうとしたが足首を抑えてうずくまる。


「そういえば、足を怪我していたんだったな」


 横にしゃがみ、傷の具合を見る。ホブゴブリンがもっていたナイフは錆び付いていて、切れ味が悪そうだったから深い傷なわけじゃない。それでも血がにじみ痛そうだ。


「ちょっと見せてみろ」


 ロイーヌの手を足首から外し、自分の手を患部に当てる。傷と痛みが消えることを願い、手に意識を集中させる。

 意識を集中させると血液とは異なる暖かな流れが手に集まってくる。そして、溜まりきると決壊したかのように溢れ、手が光輝く。

 その光を浴びた傷は巻き戻しのように塞がり、傷跡も残さずに消えた。


「すごい。こんな短時間で魔法を構築するなんて」


 目を見開き、俺の顔をまじまじと見る。何かすごいことをやったようだ。無意識にやらかしてしまうのもあるあるだ。

 それにしても呪文を唱えなくてもイメージと意識だけで魔法は発動するんだな。これからはこのやり方で魔法を使っていこう。


「それじゃあ、行こうか」


 手を差し出す。俺たちの旅はここから始まるんだ。

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