Marine Blue⑦


「イルカとのコンビネーション演技だぁ!? しかも練習時間はたったの三十分とか、無理に決まってんだろ! なぁ!?」


 胴間声でわめいたのは蒼衣を除けば唯一となってしまった男性受験者、。彼は同意を求めるように蒼衣たち全員を見回した。

 現在、ここまで残った受験者四名は海原の指示で、先ほど蒼衣も着替えた更衣室の机を囲んで頭を突き合わせていた。束の間の休憩時間と、最終試験の演技順を話し合う時間を兼ねている。


「そもそも、イルカと同じプールに入ることさえ初めてだっつの! 普通みんなそうだよな!?」


 戸部の言葉に、女性陣はしどろもどろにうなずいた。


「は、はい。てっきりそういうのは、採用されてから訓練するものだと思ってました。ほかではそんな試験一度も受けたことないです。面接もやけにあっさりしてたし、海鳴ここ、なんかおかしい気が……」


「あたしもこんな試験聞いたことない。だって普通、イルカと演技なんて練習する場所も機会もないじゃん……例えば、海洋動物専門学校のドルフィントレーナー専攻出身の人がこの中にいれば、別だけど」


 そう言って、女性の一人がちらりと蒼衣を見た。戸部ともう一人もつられて蒼衣に注目する。期待と疑心の入り混じったような視線が、ひどく居心地悪かった。


「潮蒼衣君、だったよね。君は、その、大学はどこを出たの?」


「やっぱり海洋学系? もしかしてイルカとの経験もバンバンありますって感じ?」


「それとも海上自衛隊出身とか!?」


 女の子二人が好き勝手めちゃくちゃな経歴をでっち上げようとしてくる。蒼衣は泡を食った。


「いや、俺は……普通に地元の国立です、ほらすぐそこの。ただの文学部だし」


「うっそぉー!? てか頭もいいんだ! すっごーい!」


「じゃあ部活は? 水泳とかすごかったんじゃない?」


「ま、まぁ別に……」


 二人で盛り上がる彼女たちに、もうとても帰宅部でしたとは言えなかった。


「おい、本題に戻ろうぜ」


 戸部の不機嫌な声で女性陣が沈黙する。


「まあつまり、この中の全員イルカは初めてってことだな。ちょっと安心したわ。ならうまくできなくて当たり前。技術の是非で落とされるようなことはねえだろ」


「そ、そうですねっ。きっとイルカを怖がらないかとか、ものじしないで演技ができるかとか、そういうところを見られるんだと思います」


「そっか、後半は精神的な適性も見ていくって海原さん言ってたもんね!」


 三人の言葉に頷きつつも、本当にそうだろうか、と蒼衣は思った。

 もしそうなら、この試験は終始、網目の粗いふるいと言わざるをえない。現に五人中四人が、最終試験まで生き残っているのだから。


 最終試験がよほどの難関だと考えなければ、すぐにでも人手がほしい切迫した状況の中、今日まで二十人以上受けて一人も採用されていないという事実が不可解になる。戸部たちの話を聞いていても、イルカと演技というのが他の水族館と比較してかなり異質で、乱暴な試験内容であるのは確かだった。

 イルカとの親和度を見たいならただ触れ合わせるだけで済む。事故の可能性も否定できないのに、大事なイルカとド素人をいきなり対面させて演技をさせる。この強引な採用試験には、間違いなく裏がある。


 ──ひどいな。


 海原たちの思惑に見当がついた瞬間、蒼衣はこの水族館に、心の底から失望した。

 海鳴水族館は今回の求人で、〝即戦力〟を獲得しようとしている。

 新人の育成に費やす時間・労力・資金は、少なければ少ないほどいいに決まっている……こんな考え方をする組織にろくなものはないが、実際は多くの企業に当てはまることだろう。

 ここはその典型だ。

 今は六月下旬。一か月もすれば水族館は繁忙期に突入する。そんなタイミングでスタッフの一人が怪我をしてしまった。今海鳴水族館イルカチームが欲しいのは、すぐにでも代役を担えるだけの地力の持ち主であり、むしろ半端な新人は採るだけ邪魔になりかねない。

 分かる。しかしひどい。あまりにひどすぎる。そんな都合のいい人材なんて、先ほど彼女が言ったようにドルフィントレーナー育成カリキュラムを専門的に受けてきた者や、既に他の水族館でキャリアを積んでいる者など、ほんの一部のエリートに限定されるだろう。当然、それほどの優良物件がこんな半端な時期の急な募集に、都合よく飛びついてくるとは思えない。

 集まったのは戸部たちのように、競争率の高いこの世界にまだ滑り込めずにいる雑草組。それでもちゃんと育成すれば、数年で立派なトレーナーになれる卵であるのは確かなはずだ。熱心な志願者が多い業界であることをいいことに、足元を見て志願者を落とし続ける。腐っていると思った。


 不意に、蒼衣は、いいことを思いついた。


 苦手な手加減でわざと試験に落ちるよりも、簡単で最高にそうかいな方法。一転して愉快な気分になる。我ながら悪くない思いつきだと、蒼衣はひとりほくそ笑んだ。

 それは、この理不尽な試験に、合格すること。

 そしてド素人の自分をそれでも欲しいと海原たちに言わせてから、その手を払いのけてやるのだ。


 これまで二十人以上が受けて全滅の試験に素人が合格をかっさらっていくのも爽快だし、そういう前人未到の領域は大好物だ。深海と同じ。蒼衣を強く、たぎらせる。仮に落ちたら落ちたで、蒼衣が失うものはなにもない。そうと決まれば楽しくなってきた。もう、本気を出していいのだ。なんだか肩の荷がおりた気分で、蒼衣は笑顔で手を挙げた。


「順番なんですけど、俺最後でいいですか?」


「え?」


 三人が同時に目を丸くした。


「えっと……逆に、最後でいいの?」


「はい。あっ、もちろん他にやりたい人がいたら譲りますよ」


 三人は顔を見合わせてげんそうにしていたが、蒼衣の他に立候補者が出ることはなかった。蒼衣の思惑通りである。

 この四人の中でも一番イルカショーの知識がない蒼衣にとって、必要なのはイメージする〝時間〟と〝材料〟だ。

 本来なら忌避されるトリという順番も、蒼衣にとっては都合がいい。どんなことをするのかさえイメージできていない蒼衣には、前三人の演技が参考になることだろうし、繰り返しイメージを頭に刷り込む時間も稼げる。

 そしてトリを希望するのは、人気であろう二番目と三番目が埋まってからでは遅かった。なぜならトリ以上に、全員トップバッターだけは御免に決まっているから。

 イルカとの演技が初めてなのは全員同じだ。トップかトリの二択になってしまったら、とてもすんなり蒼衣にトリを譲ってくれる者はいなかっただろう。


「じゃあ俺、ちょっとストレッチしてきます」


 残りの順番ぎめで控えめにめていた三人にそれだけ告げて、蒼衣はさっさと退室した。


 ──もうこの場所に用はない。次は、パートナーであるイルカの選定だ。

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