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Marine Blue④
翌日、午前七時半。蒼衣は父の運転する車の助手席に乗って、猛スピードで視界を横切る白いガードレール越しの海を眺めていた。
いつ見ても思う。朝の海はまるで一晩ぐっすり休んでリフレッシュしたように、
だが蒼衣の気分は、一向に盛り上がらなかった。ただでさえ大吉経由で面接を依頼したのは昨日なのに、今日の朝っぱらからいきなり面接をするというのである。
眠い。
蒼衣にとって今朝は、普段より三時間も早起きであった。
「おら、見えたぞ」
豪快な声を上げる運転席の大吉に、どうしてこいつは朝からこんなに元気なんだと、蒼衣は返事代わりに
大吉の言う通り、まっすぐ広い道路の伸びた先、左側に接するように大きな空色の建物が見えてくる。そのすぐ隣は海だ。海を埋め立てて建っているので、海に浮かんでいるとも言える。
蒼衣の家から車で三十分と少し。小学生のときに、遠足で来た覚えがあった。
「蒼衣が二歳のときにも、家族三人で来てるんだぜ」
「母さんが言ってたな。写真も見せられた。全然覚えてなかったけど」
楽しげな大吉に気のない返事をする。蒼衣は海は好きだが、海の生物は別に好きというほどではない。
結局ドルフィントレーナーの詳細について、大吉からはろくな情報が得られなかった。分かったのはそれが水族館のスタッフとしてイルカの世話をし、そしてイルカショーにイルカとともに出演する仕事であるということぐらい。
泳ぐ仕事というからどんなものかと思ったら、動物の世話係である。そのうえ人前でショーも披露しなければならない。蒼衣はそこになにも魅力を見出せなかった。あるのは漠然とした抵抗感だけ。
──イルカショーってどんなのだったっけ。
蒼衣は古い記憶をたどったが、ほとんど思い出せなかった。
大吉に「泳げる仕事」とだけ聞いたときほどの期待感はなくなってしまったが、ピザ屋に戻るよりはマシだろうしやってみるか──今はそのぐらいのモチベーションだった。
二人は間もなく目的地に到着した。開館前の駐車場は当然ガラ空きだったが、大吉はそこを素通りして建物を
「お、あいつだ」
ちょうど車を停めたとき、館の裏口から職員風の男が出てきた。車から降りて男のもとに駆け寄る大吉に、蒼衣も慌てて続く。
「大吉さん! お久しぶりです!」
髪を短く刈り上げた男が蒼衣たちを出迎えた。顔を上げた男と近距離で対面して、蒼衣は思わず彼の若々しさに惹きつけられた。大吉の話では既にアラフォーと呼ばれる年齢に差し掛かっているはずだが、とてもそうは見えない。
浅黒い肌、逆三角形の長身、真っ白な歯。発光するような笑顔で真っすぐ大吉の目を見つめ、ハキハキと、よく響く高めの声で話す。住む世界が違うと感じるほど、眩しい男だった。
「よう
「大吉さんこそ変わらずお元気そうで! あ、そちらが蒼衣君ですか?」
海原と呼ばれた男と目が合い、蒼衣は反射的に会釈する。
「よ……よろしくお願いします」
「こちらこそ。背、高いね。相当泳げるんだって?」
「はい、まぁ、いえ……」
「え、どっち?」
なんでこの人は初対面の相手にこんな自然に話せるのだろう。蒼衣はしどろもどろに応対しながら、海原の
「俺に遠慮せず、ボコボコに指導してやってくれ。もちろん突っ返してくれても構わねえから」
「ははは、了解です」
「じゃあな蒼衣。また迎えにきてやるから。達者でやれよぉ」
「あ……あぁ、オッケー」
車に向かって去っていく上機嫌な大吉に軽く手を振って別れた蒼衣は、父に背を向けられた途端急激に心細くなった。大吉の運転する車が完全に見えなくなるまで見送ってから、海原はようやく肩の力を抜き、晴れやかで柔らかい笑顔を蒼衣に向けた。
「よし、じゃあ行こうか蒼衣君。とりあえず試験内容について、また後で説明する時間は設けるつもりだけど、一応歩きながら少し話そう」
「あ、はい…………はい?」
何気ない発言の中に、到底聞き逃せない単語が紛れ込んでいたような気がした。間の抜けた顔で聞き返すと、海原もきょとんとした顔になる。
「え? だから、これから受けてもらうドルフィントレーナー採用試験の説明を」
サイヨウ、シケン?
その穏やかでないワードに思考停止すること数秒、蒼衣はようやく全てを理解した。
──タダでなれるわけじゃ、ないんですね。
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