第6話

 大学の近くにあるファミリーレストランに総一郎たちが腰を落ち着けたときには、すでに夜の十時をまわっていた。バイトの休憩中に軽く夕飯をとっていたので、ドリンクバーだけを二つ頼んだ。

 アルバイトのあとと時間を指定された時点で遅くなることを覚悟していた総一郎は、今日も車を借りてきている。呼び出した手前、終バス前だろうと後だろうと、春香を家まで送っていくつもりだった。

「で、わざわざ呼び出して何の用なわけ」

 前置きも何もなく、ずばりと聞かれた。春香の性格ならそうなるだろうと踏んでいた総一郎は、用意していた言葉を返す。

「清香ちゃんがおかしいんだ」

 春香は大きく息を吐いた後、総一郎をにらみつけてきた。

「つまり、死にたいと」

「なんでそうなる」

「私のかわいい清香を、言うに事欠いておかしいですって? 水死と轢死と窒息死、どれがお望みかしら」

 総一郎は額に手をあてて、ため息をつく。

「まじめな話をしに来たんだよ、俺は」

「冗談よ。場を和ませてあげただけじゃない」

 そう言って笑うと、春香はドリンクバーからとってきたコーヒーに口をつけた。春香の眉間にしわが寄る。

「四十点」

「ファミレスのコーヒーに何を期待しているんだ、お前は」

「オレンジジュースにしておけば良かったわ」

 ソーサーにカップを置いた春香が、姿勢を正した。

「で、清香がどうおかしいって」

「なんか、清香ちゃんらしくないんだよ。焦っている、っていうか」

 もっと具体的に言わなければ伝わらないことはわかっていたが、順を追って話さなければ、総一郎自身も混乱しそうだった。

「昨日のデートの話よね。おおまかには聞いてるけど。ねえ、総一郎さん?」

「……そういうのって話しちゃうんだ」

 気恥ずかしいを通り越して、気まずくなってくる総一郎だった。

「まあ、うちは仲が良いから。でも女の子って友達同士でも良く恋愛報告会みたいなのするわよ。これが進化すると、井戸端会議になるの。テストに出るからね」

 春香は得意げな表情でコーヒーを口に含む。

「じゃあ、聞いてると思うけど、キスしたときに」

 げふっ、と春香がむせた。そのまま何度か小さく咳き込む。

 総一郎は慌てて、紙ナプキンを何枚か春香に渡してやる。

 口やテーブルにこぼれたコーヒーを軽く拭いて、春香が小さく礼を言った。

「ありがと」

「漫画みたいなむせ方をしたな」

 春香の顔が軽く赤くなる。恥ずかしいらしかった。

「それはどうでも良いのよ。なに、キスしたですって?」

 低い声で、春香が総一郎に問い詰めてくる。

「ええと、別れ際に。聞いてなかったのか」

 舌を入れられかけたことは、黙っておいた方が良いかもしれない。主に総一郎自身の身の安全のために。

「途中であんたから電話がかかってきたから、最後まで聞けなかったのよ。今朝はブラスバンド部の朝練があったらしくて会えなかったし」

 総一郎たちの母校でもある琴留高校のブラスバンド部は、そこそこ実力のあるところで練習も厳しい。去年の文化祭では、春香に無理やり連行され、ステージを見せられた。

 総一郎がはじめて清香と会ったのは、そのときだ。

「ってか、あんた手が早いにもほどがあるでしょうよ。何なのその電撃作戦は」

「だから、清香ちゃんが焦ってるって最初に言っただろう」

「……清香からなの?」

 怪訝そうな顔で問いかけてくる春香に、総一郎は小さくうなずいた。

「おかしい、わね」

「だよな」

「らしくないなんてもんじゃないわよ。あの子、あんたを総一郎さんって呼ぶことにした、って報告するだけで、顔を真っ赤にしてるのよ。キスなんて、五年くらいお預けくらっても不思議じゃないのに」

 春香が考え込むようにうつむく。

「清香ちゃん、何か無理してる気がして。……実のところ、春香の入れ知恵じゃないかと疑ってたんだけどな」

「私が清香を安売りするようなこと言うとでも?」

「ですよね」

 鋭い目で射抜かれて、総一郎は思わず敬語で返してしまう。

「けど、総一郎もさあ。確かに清香の行動はおかしいし、実際やったら膝蹴りじゃ済まさないけど、据え膳食わぬは~ってならなかったわけ? 無理してる清香とか、想像するだけでもかわいすぎるんだけど」

 問われて、総一郎は真顔になる。言い返そうとして、ちょっと恥ずかしくなって、視線をさまよわせる。けれど、もう一度真顔になって、背筋を伸ばした。

「大事に、したいんだよ」

 盛大に吹き出した春香が、机に突っ伏して笑い出す。笑いすぎてむせて、ひっ、ひっと浅く呼吸をしながら、ようやく顔を上げた。

「こ、幸運に、感謝しなさいよ。もしも今コーヒーを飲んでいたら、あんたの顔にかかっていたわ」

 まだ笑いが収まらないのか、春香の肩は震えている。目じりに溜まった涙を、細い人差し指が拭った。

「あーもう、笑いすぎて涙まで出てきたわ。あんたさあ。本当は男の皮を被った乙女でしょう。だ、だいじに……」

 そこまで言って、春香はまた発作でも起こしたかのように笑い出す。

「大概失礼な奴だよな、お前」

「や、お似合いだと思うわよ。あんたたち」

 春香がにやにやしながら言う。

「文化祭からだから、えっと、八ヶ月くらい? 端から見てて、ばればれなくらい両思いなのに、付き合いだすまでそれだけかかってるんだもの。私が何回清香と話す機会をセッティングしてあげたか、わかってる?」

 不意に、春香は笑いを収めた。テーブルに頬杖をついて、目を細める。

「あんたたちらしいペースで付き合っていけばいいのよ。……何を焦ってるんだか」

 そのまま春香は黙り込んでしまった。

 総一郎は、間が持たなくなって、コーヒーをすする。冷めてしまったコーヒーは、さらに点数を下げていて、春香でなくとも三十点と言いたいところだった。

「良いわ。それとなく聞いておいてあげる」

 春香が顔を上げて、笑う。

「恩にきる」

 総一郎は頭を下げた。

「ま、報酬として、ここのお代くらいは持ってくれるんでしょうね」

「安いもんだ」

「あそ。店員さーん、ポテトチーズグラタンと、ほうれん草のソテーと、季節の苺パフェと、あとキャラメルのタルト!」

「そんなことだろうと思ったよ。せめて呼び出しにはベルを使ってくれ。恥ずかしいから」

 手を振って店員に向かって声を上げる春香に、総一郎はがっくりと肩を落とした。

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