轢かれた猫の話 4

横山さんは別れた後、そのまま車に乗って走り去っていった。

「ふう、意外とお喋りなお爺さんだったなあ」

ストレイは一安心したのか、息をつくと同時にぽつりと一言漏らす。

「おつかれー。爺ちゃん、家に入らずに行っちゃったけど準備とかよかったのかな」

「財布と診察券を持っていれば大丈夫でしょ」

ストレイを労うようにカイは話しかける。

どうやら、彼女はあまり会話が得意ではないらしい。「ありがとう」と付け足して、カイを両手ですくい上げて帽子のツバへと乗せる。

「さて、サバくんの新情報が手に入りましたよ〜」

得意げな調子でサバへと語りかける。当猫の通り名も把握したようで、「君のことまるっとお見通しだぜ」という感じで自信満々である。

「こいつ、死ぬ前のこと上手く思い出せないんだってさ」

「ふっふっふっ、そんなことだろうと思いましたよ。なので私が手助け致しましょう!」

サバは「違和感がある」程度にしか考えていないし、記憶がないと明言もしていない。だが話は勝手に進む。

この一人と黒玉に苛立ちが募る。さっきの心をよぎった言葉も気になる。不安のタネがぽこぽこ顔を出して、サバの気持ちを不安定にしていた。

けれど、さっきの言葉の正体を暴いていみたいという衝動も、それと同じくらい大きかった。

俺は誰に見つけてもらいたいのか。

オモチャにされたまま消えるのも嫌だし、こいつらを利用してそれを探してみてもいいか。

「じゃあ教えてくれよ。アンタは俺のどんな話を聞いたんだ?」

そうですねー、と老人との会話を思い出しつつ、律儀に始めから一つ一つその内容を喋り出した。

「まず君がサバトラのサバって呼ばれてて...」

「おう」

「横山さん家からあっちの数軒先の飼い猫で...」

「違うぞ」

「へ?」

僅か2個目にして情報の誤りが発覚。

「あれぇ?...以前に行方不明になった飼い猫くんだと聞き及んだのですが?」

「知らないな。俺はずっと野良で一匹猫だったよ」

「向こうのおうちにも同じ猫さんが居たらしいですがねぇ」

横山宅から大体4、5軒先の赤い屋根の家屋を指す。その区画の端っこに建っている家で、川沿いの道と住宅街へと入る横道に面しているようだ。川沿い側に玄関があるようで狭い敷地に所狭しと並ぶ他の家々と比べれば、石塀に囲まれたその住宅がそれなりの面積を有していることが分かる。内側にはちょっとした庭もあるのか、松っぽい小木が顔を出していた。

二階の出っ張った部分は洗濯物を干す用のベランダになっている。今は吊るされている竿に掛かっているものは何もない。

「ちょっと見にいってみますか」

よっこらしょっと言いつつ座っていたブロック塀から降りて長いスカートの埃を払う。そのままストレイは帽子に乗っているカイと共に目的地へ歩き出す。

「オレ、動けないんだけど」

「おおっと、失礼しました」

声を掛けられて初めて気が付いたのか。

少し慌てて振り向いてサバへと駆け寄る。

目線を合わせるようにしゃがんで、片方の手を目の前に差し出して一言。

「こっちにおいで」

それを聴覚で捉えた次の瞬間には、失っていたはずの首以下の感覚が戻っていて、彼女の掌に前足が乗っていた。「はい、よくできました」と言った彼女は前足の乗っていない手で頭を撫で回してくる。

急に戻った身体の感覚に戸惑いぽかんとしていると、そのまま抱きかかえられてしまった。

「さて行きますか!」

「いや、降ろせよ」

理解は追いつかなくても一言申す猫。

何のために歩けるようにしたんだか。

「猫ちゃん抱いて歩くのやってみたかったんですよねー」

「あっそう…」

ジタバタもがけば簡単にすり抜けられそうだが、先に気が抜けたようで暴れる気にもならなかった。

只々ストレイの気の向くままに事が進行していく様は、不安が嵩んでいくばかりで安まる所を知らない。嵩んだ不安がクッキーだったらミルフィーユが出来そうな頃合いだ。間に挟まるクリームなんて無いけれど。

流れに身を任せる事を選択したサバだが、終点までの道のりで力尽きてしまう予感がしていた。まぁ元気であろうが無かろうが、流れ着く先はストレイの胃の中だから些末な問題か。状況に思考を巡らせたところで結局、何も変わりはしないだろう。

それでも疑問は浮かぶ。

食事をするだけなら何故、自分を知ろうとするのだろうか。

「...なんで俺にちょっかい出したんだ?」

カイは、半分は食事目的と言っていた。...だとすると、もう半分は?

反射的に出た質問に対して、ストレイは少し考えてから答える。

「ただの、お節介ってやつです...ごめんね?」

はにかみながら、申し訳なさそうに簡素な答えを返しただけで後に続く言葉はなかった。

明らかにはぐらかすような回答だったが、彼女の表情と雰囲気から悪気はないとも感じ取れた。

けれど、サバは不安を拭うためのもっとはっきりとした回答を欲していた。納得しきれずに溜息をつくと「ごめんね」ともう一つ謝罪が降ってきて、顎の下や頭部を撫でてくる。

なんだか不器用な優しさを与えられている気分だ。

サバを抱えながら歩いていたストレイが立ち止まる。

件の家に到着したようだ。


「ごめんくださーい」

 呼び鈴を鳴らしながら中の住人に声がけするも、来客を迎える返事や玄関へ赴く物音はなし。

 今は平日でお昼が近い午前中。共働きの家庭ならば労働に勤しんでいてもおかしくはない時間帯だ。子供が居ても、勉学に励んでいるか...もしかしたら、この時間に訪ねてくる人間に用心して居留守を決め込んでいるのかもしれない。

「午前中の来訪者って勧誘とか多いイメージなんですよね」

「なんの話だよ」

「いやー、たぶん人は出てこないだろーなって」

 思い付きで来てみたはいいが、さっそく手詰まりだった。不法侵入できなくもないが、そんな事をしようものなら間違いなくストレイの同居人と御目付役にドヤされるのは明らかだったため、その案は却下である。

得られるモノが無いならば、ここにずっと居ても仕方がない。何処かで適当に暇つぶしがてら、時間をみて訪ねよう...とストレイは考えていたのだが。

「ここ、見え覚えあるな」

 サバが神妙につぶやいたので、もう少し留まることになった。

 おそらく、記憶に残っていない家屋だったのだろう。一匹猫を自称しているならば飼い猫であったはずもないのだし、野良であっても、縄張りの範疇であれば憶えていても良いが、それにも当てはまらない。

 けれど、確かに猫は憶えていた。

「よく、裏の小さい車庫から、二階の窓へ上っていた気が...する...」

 するりとストレイの腕から抜け出し、門前の塀をつたいぐるりと家の裏へ歩き出した。

 ストレイたちも彼を追って裏へと向かえば、確かに車が一台入るだけの小さな車庫が建っている。車庫から二階の屋根へ上るには少し高さがあるように見えるが、猫の脚ならば軽々届く距離だろう。登った先の窓のある部屋は子供部屋だろうか。勉強机が少しだけ覗いて見える。

 此処へ来ていたということは、家の住人と接点があったのだろうか。

 それとも単に通り道だったのか。

 自身に問いかけても、サバが答えを得ることはない。

「俺は此処へ何しに来ていたんだろう」

 塀の上から風景をじっと睨んでも、おぼえるのは苛立ちだけだ。

 今日はこんなことばかり。最悪な日だ。

「サバくん。一度そこから離れませんか」

 イライラの一番の原因が話しかけてくる。

「なんだよ」

「そんな睨まないでくださいよー...そこでジッとしてても仕方ありませんし、その辺を散歩しませんか」

「行くなら勝手に行けよ。俺はここで考え事をしてるから」

「急にそんな意地悪にならなくても」

「うるせぇ。食事だかなんだか知らんが、もう俺に付き纏うな」

「うーん...じゃあ後で見にくるので、その時また会いましょうね」

「その時はもう、何処かに消えてるかもな」

 ストレイたちに対する堪忍袋の緒が破裂したのか。動けるようになったのも起因して先ほどよりあたりが強くなってしまった。

 彼女はサバのその態度を特に気にしてはいない。けれど「一つだけ」と付け足して彼に忠告をした。

「あの屋根の上には登らないでくださいね。危ないですから」

 そう言ってサバを特に引き止めることもなく、きびすを返してスタスタと川沿いの通りへと戻っていった。

 向こうから張り付いてきたくせに、あまりにも簡単な言葉だった。

 彼女のなんだか一貫しない態度はサバの毛を逆撫でしたようで、先ほど破裂したばかりの堪忍袋は修復されず更にズタズタに切り裂かれてもはや原形は残っていないであろう。ストレイたちの株価は底値を示して取引終了。

 アイツらのことは忘れよう。

 サバは心に決めて、件の2階窓を改めて注視した。

 其処には確かに何もない。何一つ、変哲も現象も見当たらない。

 窓は、やや北向きに設置されていて陽当たりは悪く、さらに道路を挟んだ向かいの家屋が原因で日没前の少しの間だけ光が差す塩梅だ。部屋は暗い時間の方が多いだろう。子供部屋ではなく、物置に当てられているのではないか...窓から側面だけ見える勉強机も主人を失って久しいのではと思わせられた。

 けれど微かに残る記憶は、あの屋根の上で誰かと過ごしていたはずだと疑ってやまなかった。決して通り道ではない。僅かに陽の当たる屋根の上。その時間帯を確かに過ごしていたのだと。

 疑惑が深まるにつれて甦る記憶も鮮明になっていくようだった。

 部屋は人間の子どもが使っていて、サバが窓の外に居ると決まって好奇の視線を投げる。子どもは、猫が少しでも機嫌を損ねれば逃げることを知っていたので開けることなく窓越しに見つめるのだ。やがて陽が当たらなくなると猫は去り、部屋の主は名残惜しそうに猫を見送る。

 そんな光景を思い出した...気がした。

 やはり、あそこへ赴いて確かめなければ...そんな衝動に駆られて脚は自然と動く。

 しかしこの違和感はなんだろう。目的地を定めた脚とは裏腹に猫の頭には不自然な疑問が浮かんでいた。

 僕はどこに居たのだろうか。

 ぼんやりと考えながら、招かれるように、サバはいつもの様に車庫伝いに窓際へ寄るのだった。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

迷子の日々 @sdertt

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ