轢かれた猫の話 3
「あんた、そんなとこで何しとる」
川沿いに建ち並ぶ家々の一軒から老年の男性がストレイに声を掛けてきた。
彼女たちが座る場所のちょうど正面に住む老人のようだ。何やら怪訝な様子で彼女を見ているが、それもそのはず。
ストレイは今まさに獲物に食らい付こうと両手を挙げて爪を立てるようなポーズでサバと向かい合っている。けれど、目の前のサバと頭上周辺にふよふよ浮いている黒玉は彼には見えていない。どちらも幽霊のような存在だからだ。
スッと老人に向き直る彼女は、
「おはようございます、おじいさん。私は散歩中で、ただの通りすがりですよ」
極めて自然を装い、にこやかな挨拶を交わすも老人は怪訝な表情をしたままだ。
「散歩中って、そこで誰かと話しておらんだかい?」
「歌ってたんですよ。静かで気持ち良かったので、つい口ずさんでしまったのです」
「はあ...そうかい」
苦しい言いくるめに若干困惑したようだが、あまり気に留めないことにしたらしい。
彼女に対する不審者ゲージは「中」といったところ。
「まぁなんでも良いが、この辺歩き回るなら道が狭いから気をつけな。この間、そこで轢かれた奴も居るからの」
「知ってますよ。サバトラの猫さんですよね」
チラリとサバの方へ視線を送る。
サバは先ほどの事があった所為でビクッと身が震えた。今の視線は単純に思い当たる対象への眼差しなのか、それとも中断された「食事」を後で再開するから待ってろよという脅迫なのか...たぶん、後者だろうなと当然のように猫は考えた。
「大丈夫だって。あれは半分冗談だからさ」
サバの考えを見透かした声が頭上から聞こえた。見上げてみれば、ストレイの青い帽子から出現した黒い球体がサバを見下ろしていた。どうやら、この少年のような声はアレから聞こえてくるらしい。
「おねーちゃん、子供っぽいところあってさ。おまえの反応が面白そうだったから脅かしてみただけなんだ」
「とても...とてもそうには見えなかったんだが」
あの大きく開いた無機質な赤黒い空間に喰われていたならば一体どうなっていたのだろう。
「まぁボクの名演技があってこそだね。9割本気だったからね」
「食う気満々じゃないか」
「残りはジョークだしー」
その1割に含まれるジョークは果たして信用できるのだろうか...
このときストレイたちの評価がサバの中で「変人」から「捕食者」へとクラスチェンジ!
亡者の身でも生命の危機は感じるんだと実感中である。一瞬の油断が命取り...けれど此の期に及んでも身体は一歩も動かないため、奴らの気が変わって食事が始まれば最後だろう。詰んだ。
諦めの境地に辿り着いたサバの精神は、残りの時間を出来る限り有意義に過ごそうと思った。幸い、ストレイは老人との会話が続いているようで、まだ猶予はありそうだ。とりあえず、今思っている疑問を解消することにした。
「...で、俺を食べるだの冗談だの勝手なことを言ってるが、死んだ奴なんか食って美味いのか?そもそも、俺って食えるのか?」
肉体は既に無くしている。しかし、こうやってストレイたちと会話が出来ている。もしかしたら、目の前の黒い球体のような姿で喋っているのかもしれないが、胴体に目を向けた限りでは通常の猫の体のようにみえた。
「俺は今、どういう状況なのだろう」と質問と共に初めて思い至った。
「いや、別に美味しくはないけど。ボクたちはね、おまえみたいな魂を食って生きてかなきゃいけないんだ」
「タマシイ...」
サバにとっては聞き慣れない言葉。「何処かの家猫がそんな名前で呼ばれてたっけ」くらいの認識だ。
「ボクたちは「カミさま」って呼んでるけどね。此処だと魂って言った方が通じるみたい...解らなかったら、おまえみたいに「死んでるのに話せてる奴の事」くらいに思って良いんじゃないかな。生命そのものって感じだよ」
「はぁ...」
「適当に理解していればそれでいいんじゃない」
まったく理解できない。
しかし、サバが彼女らにとっての栄養源であることは何となく分かった。やっぱり喰われるんじゃないか。
「因みにカミさまってのは結構どこにでもいるんだよ」
そう言った球体はサバの頭の上にちょこんと居座った。
「おい、貴様、まさかもう喰うつもりなのか!?」
「いや、それ冗談だって。食べないって」
突然の接近に取り乱してしまったが、まだ大丈夫らしい。球体にとっては冗談らしいが、サバの心情は、正にまな板の上にいる気分であった。
「あと、ボクには「カイ」って名前があるんだからね。えーと...」
カイと名乗った球体は、どうやら周囲を見回すようにサバの頭の上でクルクル回っているようだ。
「お、居たぞー。ほら、見てみなよ。じいちゃんの向こうの辺り」
そう言われて、サバはストレイと会話中の老人の背後辺りに視線をやる。
一見、何かが居るようには見えないが...
「わかるかなー?停まってる自動車の上に白いモヤが見えると思うんだけど。ボクを白くした感じのさ」
「白いモヤ...あっ」
気付いてみれば、確かに不自然なモヤが民家に停めてある車のボンネットの上に乗っていた。モヤというよりは、カイと同じく球体を少し保っている白い何か。ケセランパサランの様な綿毛が存在している。
意思は有るのか無いのか。少し吹いた風の方向に流されるがまま、海中のクラゲに似た動きで宙をふよふよと泳いでいる。風に吹かれたまま家屋の壁に衝突するかと思いきや、それは壁に吸い込まれる様に消えてしまった。
「俺も今はあんな姿をしているのか...?」
「おまえはアレとは少し違うね。見て感じたかもしれないけど、あいつらは自分から考えたり行動したりしない。ただ流されて、ただ生きている。姿も、おまえは猫の姿で間違いないよ」
猫のままである事に、サバは少し安心した。
あの様では、猫であることに気づいてもらえないだろう。
(ん?)
はたと、サバは違和を感じた。
一体誰に気づいて欲しいのだろうかと。
「あのさ。それ思い出さないと、ホントに全部食べちゃうからね」
「は?」
その考えを見透かしたカイが脅すように語りかけてきた。
「別に大層な事にはならないけどさ。おねーちゃんが納得しないから」
さっきの違和も、カイの言う思い出す事も、サバには全く身に覚えがない。
一体何を指して言っているのだろう。
「おっと、もう病院に行かなくちゃならねぇ」
ストレイと老人の会話が終了したらしい。
「あら、そうですか。お時間奪っちゃって申し訳ないです」
「いやいや、若いねーちゃんと話すのなんてこの歳になると滅多に無いからな!いい暇潰しだったよ。さっきも言ったけどよ。この辺り道狭いから気をつけて帰れよ」
「はーい。横山さんもお大事に〜」
最初の心証は何処へやら。ずいぶんと仲良くなった二人は手を振って別れを告げた。
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