天文台の客人 2
「めちゃくちゃ元気のある子ですねー」
スピーカー越しに質問攻めをしていた声を聴いた感想です。
どうやら私は、あの声の主と応対をしなければならないようです。そういうのあまり得意ではないんですけどね。成り行きです。
今のところリラックスできそうなので、出されたお茶でも頂いておきましょう。見た感じ紅茶っぽいです。
「もう待ちぼうけてるよ」と言って、白衣を着た立派な髭を携えておられるご老人はスピーカーとマイクの電源を切りました。ハァーとため息をついてから、こちらのテーブルの空いている席へと座ります。
「ずいぶんお疲れですね」
「あれの相手はとにかく疲れるのさ。君も直にわかるだろうがね」
花柄のポットに入ったお茶を空いたカップへと注いでから、老人はハッとしてクスクスと笑い始めました。
「いやはや、うっかりしていたよ。ストレイくん、これは君が飲んでくれないか?」
「えぇ、お気遣いありがとうございます。博士」
「それは皮肉かね?」
「とんでもない。私にはもう一人、同行者がいるのですから。ねっ?カイくん」
呼び掛けると、ひょこっと青い帽子の隙間から黄色い楕円の目をした黒いモヤモヤが顔を出しました。私の友人兼家族のカイくんです。
「わざわざ僕が飲まなくたって。おねーちゃんが飲めばいいのに」
「あら、出されたものはちゃんと召し上がらないと相手に失礼だよ?」
「ハイハイ」
渋々といった感じでカイくんも紅茶を頂きます。カップに口だけをつける様子が、水を飲んでいる子犬みたいでかわいい。本人は嫌がってるけど。
「ところでもう一度確認したいのですが、今から来る女の子と話すだけでいいんですか?」
「あぁ、そうだよ。なるべく長い時間、相手をしてもらえると助かる」
「うーん」
目の前のおじいさま———ルナ博士から請け負った話はとても単純なものでした。女の子はツィーという名前だそうです。ちょっと言いにくいですね。今のところ好奇心旺盛で元気な子という印象。男勝りなところもあるのでしょうか。
正直なところ、私の社交性は息絶え絶えと言ってもいいでしょう。それは大人だろうが子供でしょうが如何なく発揮される運命にあります。
頑張って圧倒されないようにしなければ...
まぁそれはともかく。
ちょっと唸ってしまった訳ですが、頼まれごとに対する報酬が割に合わない気がして仕方ないのです。...否、合わなさすぎる。
詳しい説明は省きますが、私がここに居る理由は食糧の確保...生命体の魂を貪りに来たのです。
貪るって言ってもがっつく訳じゃないですけど。現に、ほら、クエスト受けてクリア報酬を受け取る形式ですからね。貰うものが重いので「悪魔との取引だ!」って例えられちゃうと何も言い訳できませんが...
ルナ博士は、それをストンと承知してくれました。
なんだかあっさりしすぎてません?
「いろんな場所にお邪魔している身ですが、こんな機会は滅多にないのです。取引の様相をしているとはいえ、生命を奪い取る行為に変わりはないのですから。だからとーっても嬉しいので出来る範囲の無茶振りでしたら力の限りを尽くしますよ。太陽にだって身を投じますよ。...で、本当のところの頼みごとって何ですか?」
「変わらんよ、迷子のお嬢さん。あの子の話し相手になって、あの子の気が済むまで遊び相手になって欲しい。そうしたら、ツィー以外の私達の「ヴィタエ」と...」
博士の視線が右手へ移り、中央にあるエレベータの奥の壁に止まりました。実際には壁の向こう側へと、それは注がれているのでしょう。
「先程落ちてきた星も、君の好きなようにするといいだろう」
そう口にした博士は、ひどく疲れた表情をしていたように見えました。ツィーちゃんとの会話を切った時とは別の疲労感を纏った顔。止まっていた視線は遥かに遠くをみているようでした。
その瞬間、その老人は確かに此処ではない、何処かに居たように思えました。
「...『ヴィタエ』というのは、魂...ここの住人の生命という事で良いんでしょうか」
「相違ない。しかし、もし拒否する者が居たとしたら、その意思を尊重してもらいたい」
「それは一向に構わないのですが」
なんだか煮え切らない思いでいっぱいでした。ツィーという女の子が、この人たちにとってどんな意味合いを持つのかも、私はまだ知りません。先程までご一緒だったスワンさんというロボットと同じく機械の身体である事は承知してますが、それを除けば普通の女の子にしか思えません。
スワンさんの態度からして、ツィーちゃんと此処の住人は家族のような親しみのある関係性であることが垣間見えます。仮に、この場の住人を取り込んで彼女を独りにした時、その事に彼女はどう思いを巡らすのでしょうか。実際、この件をちょろっと話していた時、スワンさんは反対していましたし。
...相手が「良い」と応えているのだから、何食わぬ顔で引き受けても、まぁ、良いのかも知れません。据え膳食わぬは何とやらとも言います。
けれど、自身の食事には慎重でいたいのです。たとえ我儘であっても生命に対する礼節は弁えて居たいのです。
あと私男じゃないですし。
断っちゃおうかな。
「...申し訳ありません。やっぱり、引き受け難いです」
「そうか」と博士がポツリと言った後、しばらく無音の空間が時間を漂わせます。いつの間にかお茶を飲み干していたカイくんにチラリと目をやると、私に気付くや黄色の楕円を目を細めるように伸ばしてやれやれといったような表情を作りだしました。お人好し、とでも言いたげです。うるさいやい。
なんだか切り出す言葉が出てこず、なかなか沈黙が途切れないので残ったお茶をずずいっと飲むことにしました。
「ストレイくん。初めに君が生命を...『ヴィタエ』を食すと言った時だがね。救いの神が手を差し伸べに来たのだと、本気で思ったのだよ」
「はっゴッフォ」
突然の言動に思わず息を吸ったため飲み物が変なところに侵入しました。
え?なに?
「ごっほ、けっっほ...えっと、わたし、そんな大層な者では」
「ハッハッハ!素っ頓狂なこと言ったと思ったろう?しかしな、本当のことだ。私は科学者だが、一応、神様は信じておるのだ。だから思ったのさ。きっと何かしらの導きで君が此処に来て、我々にも贖罪の機会が与えられたのだと」
そのまま、彼は私に語り続けました。
「我々は自らの『ヴィタエ』を軽々しく見ていた。だがそれを発見し、存在を立証できたことに浮かれていたのだ。そして風の向くままに流される種子のように、吹けば何処までもいけるのだと信じていた。大した研究も進んでおらんかったのになぁ...。ただ、時間がなく、状況に流されるまま、無限に続くであろう生を信じて死から逃れたのだ」
言葉は彼の記憶から後悔を引き出すように紡いでいて、その念だけはハッキリと伝わってきました。
「君は生命に対する敬意を、何よりも我々が『ヴィタエ』と呼ぶものに理解があると思っとるよ。ただ生き延びてそのまま朽ち果てるより、君の糧となった方がよっぽど価値があるというものだ...それでもダメかね?」
「か、買い被りすぎです。それに逆ですよ。私が見境を失くせば、魂どころか器も消し去ってしまうくらい貪欲になるのです。廻るはずの生命を途絶えさせる悪魔です。この上ないくらいの生命の冒涜者といってもいいでしょう」
「悪魔なら、都合のいい取引を断ったりなどせんよ」
笑みを浮かべつつ、そんな世辞を飛ばされました。
この人がどんどんイジワル爺さんに見えてきたのは気のせいでしょうか。ちょっと被っている帽子で目を合わせないように話しましょう。失礼だけど。
「そうだな、それでも引き受けられないというのなら追加で頼まれてはくれないかね?」
「悪魔らしくそのまま引き受けようかなとも思いましたけど...なんでしょう」
なんだか悪態をついてしまった。
「ツィーだけは、外へ連れていってやってくれんかね」
「外って...「ここの外」ですか?」
「それは絶対にならん」
博士は強く否定しました。
「此処の...楽園の外だけは絶対に見せてはならん」
博士に目を向けますと、先程とは打って変わったような険しい表情でした。
「出来れば君の世界へ。出来ぬのなら、せめて彼女が還られる場所を...」
一応、「外」からこの施設へ入ってきたので私もその様子は少し把握していました。
所々の壁や床についた黒い染み、まだ使えそうな銃の傍に横たわる人、通路にはバリケードのような物も積まれていました。
明らかな争いの跡が「外」には遺されていました。
「ツィーちゃんは、あの様子を知らないんですね」
「そうだ。あの子だけが知らない...だがそれが、我々にとって特別な意味を持つのだ。...どうか、何か聞かれたとしてもストレイくんの世界のことを話してはもらえんかね」
なるほど、彼女には秘密があるようです。外については知られないような立ち回りかたを心に留めておきましょう。
「...わかりました。お引受けしましょう」
「そうか、ありがとう。助かるよ」
安心したのか、力が抜けて博士の肩が低くなりました。
断るつもりが結局、引き受けてしまいましたね。そんな事もありましょう。
私も落ち着いたのでもう一杯お茶を頂こうかしら。
「...それにしても、あの子遅くない?」
カイくんの疑問も当然でした。花柄ポットのお茶も温くなってますし、それなりの時間が経っていたようです。
「まったく、あいつは大体こうだから困る...」
博士はやれやれと席を立ち、もう一度マイクの前へと赴きました。
「おい。どこをほっつき歩いとるんだ。道草を食うなと言ったばかり...」
「あ、じじい!」
ツィーちゃんの声は、なんだか苛立っている様子でした。
「エレベーター動かないんだけど!電源入ってるの?これ!」
『...』
「...すまん」
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