小さな泥

正直なところ、俺は全力でお引き取り願いたいと思っている。

だってこの上なく怪しい。一番怪しいといえば黒玉ことカイくんの事だが、あれはもう不思議生物と認定して横に置いてしまおう。いわゆる地球外生命体か何かなんだろう。初めて交信に成功した名も無き一般人として表彰を願い出ても良い。

問題は彼女だ。

カイくんの事を「よくわからない」と言い放ったこともそうだし、「食べる」ことに関しても熱弁はしていたけど危うさしか感じなかった。てか神さまとか野良狸が実験体ってなんなんだよ。わが国では八百万の神さまが居るらしいけどマジでいるのか。そして狸の悩みってなんだよ。辛うじて神さまの悩みってのはわかるけど狸て。そもそもどうやってコミュニケーションをとるの?カイくん乗せるとあら不思議、いかなる生物とも以心伝心ってか?便利だな、おい。

...と疑問が尽きないわけだ。ハッキリ言ってまっっっったく信用できない。

できないが、

「話すだけで、いいのか」

何故か乗り気だった。疑念だらけだったのに。

カイくんに大口を開けさせて「通ってみる?」って聞かれたときは、本当に食べられてしまうのではないかと恐怖も感じたのに。

「仕様もない話だぞ。きっと、誰だって経験して、成人するまでには多くが克服していることだ。以前に感じたことを、子供じみた悩みを、解決する努力もしないで、ただ延々と頭の中でぐるぐる巡らせてる。どうでもいいことだ」

言葉を続けながら、今もしっかりと恐怖を感じていた。

しかし、その恐れは先刻感じたものとは別物だった。

「それに死にたいなんて、生きている上で誰だって思うことさ。俺の勤めてる職場でもわざわざ呟く奴だって居る。パソコンでSNSでも開いてみろ。そんな奴等はごまんと居るんだ」

俺はずっと炬燵の机を見ながら喋っている。彼女たちの顔を見たくなかった。

「俺に構うより今にも自殺しそうな奴の所にいったらどうだ?俺の笑い話を聞くよりは、よっぽど社会に貢献できるしアンタの腹も膨れるんじゃないか」

そこまで言って、俺は口を閉じた。なんだか彼女たちを傷つけるようなことを言った気になって、少し罪悪感がある。勢いで言葉が出てきたから、突き放した言い方になっていたかもしれない。顔を上げたら、どんな表情が見えてしまうのだろうか。

「私たちはね、何処にでもいけるというわけじゃないんです」

ぽつりと、彼女が言葉を返してきた。

「私たちを知らない人、見かけていても心を傾けなかった人の下へ馳せ参じることはできません。縁が結ばれてないから。その人たちにとって、私たちは必要ないのでしょう。でも、エンドーさんは動画を観た上でメールもくれました。糧を得るためとはいえ、正直卑しい申し出をしていたと思います...それでも返事をくれたんです」

優しい口調で、なんだか諭されている様だった。

ちらりと彼女を見遣る。俺と同じく机を見ながら喋っていて目が合うことはなかった。代わりにカイくんの黄色い楕円と視線が交わる。ただじっと見つめているだけの素直な視線に感じた。

「仕様もないと言いましたが、それは問題なのでしょうか。どんなに小さなつっかえでも脚を上げることができなかったら一歩を踏み出せません。どんなに小さな沼るみでも長く留まってしまえば、いつのまにか抜けなくなってしまいます。よしんば踏み出せたとしても、傷を負ったり重い泥が付いてたら歩きにくいです。フットワークは軽い方が良いのですよ」

彼女の頭が持ち上がる。急に顔が見えたから、視線を向けていた俺はドキッとして一緒に頭が持ち上がった。

彼女は、にっこりと微笑んでこちらを見ている。悪い気分ではなかった。

「あと、お腹が膨れるとか関係ないです。食べること自体は義務みたいなものでして、悩みの重さとかも一切合切関係ありません!悪食でもありません!食べられればいいんです」

...それって食べる行為ができれば誰でもよかったってことだよな。

いや、良いんだけどさ。なんか一言多い気がするな、こいつ。

でもまぁ、話してみるか。

「本当に、大した話じゃないからな」

一応、念を押してから、其れを引き揚げた。

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