第4話 お決まりのやつ
僕は人生を謳歌出来ないだろうと分かっている。それは僕の境遇とかは関係なくて、単に性格の問題だ。僕は優柔不断で、問題を先送りにする。気づいたら皆から遅れをとり、輪の中には入れなくなる。今後もずっとそうなんだろうなと、どこか他人事のように考えている。だから謳歌出来ず、幸せにはなれない。
そんな問題も、僕は先送りにしている。
なので仮町の行動の速さと決断力は、羨ましい限りだった。
僕を助けると決めた仮町は、盗撮されたと訴えている女生徒を連れてくると言って教室を出て行ってしまった。
「彼は昔からああなのか?」
二人っきりになった梨花と僕は仮町について話し始めた。
「ああって?」
「つまり、男らしい」
「まあ男だからね」
さっきまであんなに僕の心を見抜いていたくせに、今になって梨花は恍けたようなことを言った。
「そりゃ見れば分かるよ。そうじゃなくて、彼はいつもああやって良い人なのか?」
彼と会って数分しか経ってないが、彼がシンプルに良い人だということが分かっていた。それくらい、良いやつだった。
「頭悪いだけだよ。だから不器用で嘘がつけないんだよ」
嘘がつけない。だから正直に生きている。なるほど、僕が劣等感を抱くわけだ。それは僕が一番したい生き方で、どうしても出来ない生き方だから。まあ、見た目に関しても劣等感を抱いていないわけではないが……。
「遅くなったな」
仮町が出て行ってから数十分しか経っていなかった。彼の中では時間が普通より早く流れているらしい。
「連れて来たぜ。これがお前の盗撮した相手、南野雀ちゃんだ」
デリカシーの無い言葉に心を痛めながら、仮町の後ろにいる女生徒を見た。小柄で、見るからに気が弱そうで、長い前髪で目線を隠していた。一度だけ見たことがある。盗撮事件の次の日職員室に呼び出されたときにいた女の子だ。あの時は問い詰められる僕を残してすぐ出て行ってしまったので、名前を聞いたのは初めてだった。
「それと、お友達の園圭美代子ちゃんだ」
雀ちゃんの後ろにもう一人女生徒がいた。背は雀ちゃんと同じくらいだが、武道家のような鋭い目つきをしていた。髪は短くボーイッシュな子だった。よく言えばスレンダーで、悪く言うなら女性らしさに欠ける体つきだった。そしてその子には見覚えがなかった。記憶力の良い方ではないので普段なら断言しないところだが、彼女の攻撃的な目を忘れるとは思えなかったので見たことがないと断言できた。
三人はぞろぞろと教室に入って来た。
「被害者の子は分かるけど、その美代子ちゃんは何で来たの?」
梨花が聞くと美代子ちゃんは鋭い目つきをさらに鋭くさせて「何よ」と言った。その同い年とは思えない気迫に圧倒され、梨花は黙り込んでしまった。
椅子を二つずつ向かい合わせに並べて、僕の隣に仮町が座り、仮町の前に雀ちゃんが座った。なぜが目つきの怖い女の子は僕の前に座った。僕は恐怖のあまりうつむいてしまった。
「それで何の用なの?」低い声で美代子ちゃんが聞いた。その声にははっきりとした怒りが込められていた。勿論睨んでいた。
「話が聞きたくてさ」
仮町はそんな美代子ちゃんの怒りをものともせず、平然と言葉を返した。
「こいつの潔白を証明したいんだ。だから事件の概要を詳しく教えてくれよ」
美代子ちゃんは相変わらず般若のような形相で僕を見ていた。対照的に雀ちゃんはこの展開についていけないのか、借りてきた猫のようにおどおどしていた。
「意味ないわよ。そいつが犯人で間違いないんだから」
美代子ちゃんはミステリードラマの探偵のように、僕を指さして言った。
「で、でもみよちゃん、私ただガラケーを見たってだけで、顔は見てないんだよ……?」
雀ちゃんが美代子ちゃんの制服の袖を引っ張って、小さな抵抗をした。しかし、雷の前に人間が無力なように、彼女の抵抗は打ち砕かれた。
「いいから、私に任せて」
その声は優しかったが、中に力強さを孕んでいるように思えた。子供の味方をする母親のような優しい力があった。
「でも、ガラケーを持っていたから犯人なんてむちゃくちゃだよ」
教壇に腰かけて傍観していた梨花が反論してくれた。しかし、そんな反論では雀ちゃんを宥めることは到底できなかった。雀ちゃんは振り返った。
「ガラケーを持っているのがこいつだけなんだから必然的にそうなるでしょ」
「そもそもそのガラケーを持っているのが彼だけだって、どうやって調べたの?」
そういえばそうだ。この学校には生徒が三百人ほどいるはずなのに、事件の次の日には僕が呼び出された。全ての生徒を調べたにしては時間が短すぎる。
「二年の小鳥沢先輩っていう人がいて、その先輩はこの学校の全生徒とLINE交換をしているの。でも、こいつだけは先輩のアカウントに登録がなかった」
聞きなれない横文字に、僕は頭を抱えた。LINEとは何かを梨花に聞こうと思ったが、聞いたら恥をかきそうだったので聞くことは出来なかった。
「あ、そっか。小鳥沢先輩か」梨花が手をぽんと叩いて言うと仮町も「あの「今日何食べた?」を執拗に聞いてくる先輩か!」と言った。
そういえば僕も入学式の日に眼鏡をかけた先輩にスマートフォンを向けられて「ID交換しましょ」と言われたのを思い出した。僕はメルアド交換のことだと勘違いしてガラケーを出したら何も言わずに去って行った。
「なるほどねえ。一応筋は通ってるわ」梨花は納得してしまった。
本当に全員を登録しているのか?と疑うべきところなのにそうしないのを見ると、その先輩の交友関係の広さは有名で、十分証拠に足りうると判断されてしまったらしい。
「雀ちゃん、君は何部なんだ?」
ずっと黙っていた仮町が脈絡ない質問をした。
「陸上部です……」か細い声で雀ちゃんは答えた。
「競技は?」
「走り高跳びです」
「おお、すげえな。俺あれ苦手なんだよなあ。マットに落ちるとはいえ、あの姿勢で飛ぶっていうのが怖えんだよな」仮町は爽やかに笑いながら言った。最初は怯えている様子だったのに、だんだん警戒心を解き始めていた。
「なんなのよ、あんた」和やかな雰囲気は予想通り美代子ちゃんによって壊された。
「そんなこと聞いてなんになるのよ」
「事情聴取は捜査の基本だろ?」
仮町は変わらず明るい声で言った。でも、その目は鋭く美代子ちゃんを睨んでいた。美代子ちゃんは何かを言い返そうとしていたが、圧倒されたのか口をつぐんだ。
「事件が起こったのは何時ごろだ?」
「三時四十五分くらいです。私、校舎裏の更衣室で着替えていたんです。その時カーテンを閉め忘れていて、閉めようと窓に近づいたら、十メートルぐらい離れた林の中にガラケーを持った人が立っていたんです……」
仮町は「ふむ」と言って気取った感じで考え込んだ。髭もないのに顎を擦っている。
「運動部って大体四時ぐらいに始まるだろ?どうして皆より早く更衣室に?」
「私、更衣室の鍵当番をやってて、だからみんなより早くいかないといけないんです」
「そっか、じゃあ更衣室には雀ちゃんだけだったんだな」
雀ちゃんはこくりと小さく頷いた。仮町は小さく「分かった、今日はありがとう」と言った。
「ちょっと、私たちはこいつに謝って欲しくて来たんだけど」
「謝るのはもう少し調べてからでもいいだろ?」
「よくない!」
教室に、美代子ちゃんの叫び声がこだました。空気が激しく振動し窓が揺れるような錯覚を感じるほどの大きさだった。
「じゃあ一日でいいから待ってくれ。あと一日で真犯人が分かんなかったら、俺とこいつが土下座して謝るよ」
「なんで僕まで!?」
驚く僕を尻目に、仮町はどんどん話を進めてしまった。
仮町と美代子ちゃんは数秒睨み合った。その後美代子ちゃんは椅子が倒れそうになるくらい乱暴に立ち上がると、教室を出て行った。廊下から「すず、行くよ」と声が聞こえた。雀ちゃんは腰を曲げて立ち上がり、ぺこりと頭を下げて出て行った。
「よかったのひーくん。あんな約束してさ」
「いいんだよ。大体分かったから」
なぜか悲しそうに仮町は言った。
「分かったって何が?」
「思春期の悩みの種かな」
仮町の意味不明な言葉に僕は首を傾げた。その後、分かったことを何度も聞き出そうとしたが、仮町は頑なに言わなかった。
「仮説の段階だから、言えないな」
「出た!お決まりのやつだ!」
なぜか梨花がテンションを上げてそう言った。僕は事件の当事者である僕をほったらかして、どんどん先へ進む彼らを傍観しながら、また置いて行かれると不安に駆られた。
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