第2話 卵焼きとのお別れ

 放課後、僕は一人教室に残って、食べ残した弁当を食べていた。グラウンドで部活動に励む生徒の声が教室に届いていた。


「あら、何やっているの?」


 誰も来ないと思って物思いに耽り、青春を気取って黄昏ていた僕を、クラスメイトの里井梨花が奇襲してきた。

 里井梨花は僕が所属するクラスの委員長である。真面目で面倒見のいい性格で、盗撮騒ぎでクラスメイトから責められているとき、彼女は唯一それを止めてくれた。ちなみに高野は高笑いをしていた。性格の良さは天と地の差があった。


「食べ残して帰ると心配されそうだから、食べてから帰ろうと思ってね。そっちは?」

「私はちょっと忘れ物よ」梨花は自分の机の中を探りスマートフォンを取り出し「あった」と言った。

「スマートフォンかあ」


 僕は梨花の持つピンクの可愛らしい端末を見て、愁いを帯びた声で呟いた。


「何よ、羨ましいの?」


 梨花は携帯の広告ポスターに使えそうなくらい凛としたポーズで携帯を持っていた。


「うん、ある意味」

「ある意味?ああ、この前の件ね」


 もしもスマートフォンを持っていたなら疑われることもなかっただろうな、と負け犬の遠吠えながら考えてしまったのだ。


「でも、疑われる原因は携帯だけじゃないでしょうけどね」


 僕にとって不本意なことを言いながら、梨花は僕の前の席の椅子をくるりと回し、僕の目の前に触った。


「あなたって友達少ないし、顔暗いし、いつも変な本ばっか読んでいるし、顔暗いし」


 二回目の顔が暗い発言が出たところで、僕は唐揚げを租借しながら左手を口元に掲げ言葉を遮った。僕は美味しい唐揚げを十分堪能してから飲み込んだ。


「分かったから、人が気にしていることを淡々と述べないでくれ」

「気にしているんだ……」


 梨花はとても驚いた顔をしていた。どうやら僕は他人の目を気にしない、冷たく強い人間だと思っていたらしい。本当は全く逆で、人の目を気にし過ぎる質だということを今度ゆっくり説明しなければならないだろう。


「それで、どうなったの?」


梨花は唐突に、今回の件がどうなっているのかを聞いてきた。僕の心境を気にしているようで気にしていないその様は、彼女の精神の強さを表していた。


「正直に謝れば許してくれるそうだ」

「でも、やってないんでしょ?」


 梨花は平然とそんな優しい言葉を言った。僕はその言葉に顔を綻ばせながら「どうして信じてくれるの?」と聞いた。


「だって、あなたがやってないって言うからよ。私ね嘘をつく人とつかない人の違いくらい分かるつもりよ」


 僕は「そっか」と呟いて、煮豆を口に入れた。こうして信じてくれている人がいるんだから、罪を認めてしまってもいくらか慰めになると思った。


「あ、謝っちまおうとか思っているでしょ」

「君は嘘を見抜くだけでなく、心も見抜くのか。怖いな」


 梨花はふふっと可愛らしく微笑んだ。僕は少しだけ、本当に少しだけ彼女の微笑みに見惚れた。ばれないようにすぐ顔を伏せた。


「あ、照れたでしょ」

「見抜くんじゃない。心を」


 テレパシーが使える人間と話しているみたいで本当に怖くなってきた。


「ねえ、本当にそれでいいの?ガラケーだから犯人なんて絶対おかしいよ」

「ま、推理小説だったなら売れないのは確かだね」


 僕の皮肉に梨花はしかめっ面を浮かべた。


「真面目に考えなよ」


 梨花のこういうところは、彼女の面倒見の良さをよく表していた。さぞモテるんだろうなと思った。


「私に考えがあるんだけど」


 真剣な顔で梨花は言った。彼女の真面目さがその表情に現れていた。僕は真っすぐ向けられた彼女の目を見ることに抵抗を感じた。また照れてしまっては恥ずかしいと思ったのだ。

 梨花はその考えとやらを僕に話すことなく、携帯で電話をかけ始めた。


「あ、ひーくん?今暇?なによ、どうせ帰ってアニメ見るだけでしょ。いいから学校に戻って来てよ、相談したいことがあるのよ。いや、電話じゃちょっと説明しづらいの。いいから早く来なさい。え?」


 梨花はひーくんとやらを学校に呼び出そうとしているらしい。そして途中で携帯を耳から外して僕を見て言った。


「腹減ったからなんか食わせてくれるなら来てくれるってさ」


 梨花は僕の弁当を凝視していた。何を言わんとしているのか馬鹿な僕でも分かった。弁当には卵焼きが一つ残されていた。しかし、价子さんの卵焼きめちゃくちゃうまいんだよなあ、と他人にあげてしまうことを悩んだ。


「ひーくん、卵焼きならあるけど。ねえ、それって甘いやつかって聞いてるけど」

「甘いよ」


 そしてうまいよ――あげたくないくらいに……。


「急いで来るってさ」


 こうして、卵焼きは勝手にひーくんとやらのものとなり、僕は梨花の考えに巻き込まれることとなった。

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