第8話 森の都へ

 湖の都の地下牢は暗い。夜目が利く看守が駐在するため、わずかな松明しかなかった。じめじめした石壁に、捕らわれた人々はもたれていた。夕食は出なかった。水分も取れていない。砂漠の王ダルチは、再び体調を崩し始めた。額に玉のような汗が浮かぶ。

「医師を呼んでくれ。薬師でもいい」

 ガル・ラッカードは看守に向かって言った。だが、看守たちは森の宰相に加担した荒くれ者達。

「無理だな。我々は閉じ込めておくようにとしか言われていない」

 看守の一人が酒の杯を煽りながら言った。

「お願いだ。薬師の薬湯をたのむ。他は我慢する。薬湯一杯だけ。ここから出たら、何でも望みの物をやろう。だから、薬湯をくれ」

 ガルの言葉に、看守の一人が立ち上がった。

「望みの物?森の宰相ムアド殿がくれるはずだ。お前の頼みを聞かなくても、俺様は望みの物を手にできる」

 看守はあざけるように言った。

「頼む。明日の金貨より、今日の銀貨だろう?」

 ガルは牢の柵から腕を突き出し、拳をゆっくり開いた。掌の上には、数枚の銀貨。看守の指が銀貨に触れるギリギリで、ガルは拳を握り、腕を引いた。

「薬湯一杯か、・・・・・・」

 看守は杯を煽り、仲間に呼びかけた。

「酒をよこせ」

 別の看守が千鳥足で近寄り、瓶を渡した。木製の蓋を口に咥え引き抜くと、ぷっと吐いた。瓶を傾けて杯に酒を注ごうとしたが、酒は出ない。看守は瓶の口を下から覗き込んだ。

「空だぞ」

 苛立って投げた瓶が、石造りの壁に当たり砕けた。

「配られた酒はもうなくなった。お前、飲み過ぎだぞ」

 もう一人の看守は言った。その男の足元もフラフラだ。

「薬湯を届けてもらったら、酒を運ばせよう。だから、頼む」

 ガルは辛抱強く言った。看守はしばらく唸っていた。

「分かった。薬湯一杯だけだぞ。酒と旨いものを持って来させろ。手の中の銀貨もよこせ」

 酔いがましな方の看守が、薬師を呼びに行った。

 薬指に銀の指輪をつけた薬師がやってきた。牢の前で薬師は止められ、杯を取り上げられた。看守が柵の中に腕を入れ、ガルは杯を受け取った。苦し気な王は、ガルから受け取った薬湯を少しずつ飲んだ。飲み終わる頃には滝のような汗は止まり、顔色も戻って来た。

「杯を返せ。もたもたするな」

「薬師殿、テルーの屋敷にハナの商隊がいる。ハナに、酒と旨いものを看守殿に届けるように伝えてくれ。明日の朝、もう一度、薬湯を頼む」

ガルの呼びかけに。薬師は大きく頷き、踵を返した。

 牢の中の人々が見守る中、王は見る見る回復した。

「かたじけない。私はともかく、他の人達だけでも出してもらうように頼もう。一般の民を、王家の問題に巻き込むわけにはいかない」

 ダルチ王は、ガルの手を取った。

「失礼ながら、私の祖先は王族の一員。同族として、王をお守りいたします」

 ガルは力づけるように王の手を握り返した。

 しばらくすると、賑やかな声が聞こえた。薬師がハナたちを引き連れて来たのだ。

「特別な酒だよ」

 ハナは看守たちの杯に酒を注いだ。

「とびきりうまい酒だな」

 看守たちは緩み切った顔で杯を煽った。

 美しいエミナがにこやかに焼き肉を切り分け、愛想よく皿に載せていく。荷物を運んできたのは白い馬ブレナイトとそれを引くウォセだった。

「まだまだ酒が有りますよ」

 ハナはどんどん酒を注ぐ。ブレナイトの背には大きな樽も乗っていた。さすがにその量の酒は飲めないだろうと、牢屋の中の者は皆、呆れた。

「ほら、こっちに来い。若いほうの女に酌をさせろ」

 酔った男たちが、エミナに手招きする。

「これを取り分けたら、お持ちいたしますね。お酌はそれから」

 エミナは含みを持たせて微笑んだ。

「じらしやがって。肉はいいから、こっちへ来い」

 看守の一人が椅子から立ち上がり、おぼつかない足取りでエミナに近寄ろうとした。

「そろそろかしら」

 薬師が呟いた。

 エミナに向かって数歩歩いたところで、看守の足から力が抜け、ばたりと倒れた。

「どうした?」

 慌てて立ち上がった残りの二人も、数歩動くと、そのまま崩れた。薬師は三人の意識がない事を確認した。エミナが、男たちの腰から鍵束を取り上げ、牢の鍵を開ける。ウォセはブレナイトの背の樽の口をひねり、杯に注いだ。

「安心しろ。こっちの樽は眠り薬入りの酒じゃない。果汁だ、飲んでくれ」

 ハナが差し出す杯に次々に注ぎ、檻の人々に回した。エミナの切り分けた肉も、果物も。

 酒を入れて持ってきた瓶も、果汁の樽も森の国の物だった。ガルはそれに気付いて、ハナに確かめた。

「マキシ・テルーが力を貸してくれた。ムアドに激怒している。奴を倒すためなら、なんだってするだろう」

「テルーにも感謝しなくては。だが、まずは、ハナ。恩に着る」

「やだよ。やめてくれよ。当たり前の事をしただけ。まあ、別に、後でお礼をたんまりくれても、受け取ってあげるけどね」

 ハナは笑った。食べ物の箱の下には、剣と弓矢があった。警護たちは支度した。

 ブレナイトに乗ったダルチ王を一番にして、人々は牢の中から出た。ラッカードの兄弟たちは看守の脚を持ち引き摺って、牢の中に放り込んだ。鍵をかけると、鍵の束を松明の燃える壁のへこみに置いた。鍵は見えても、手が届かない。悔しがるがいい。

「ガル・ラッカード様」

 薬師がガルに歩み寄った。

「昨日、妹弟子からお預かりした紙には、ある薬が少量付着していました。どちらで手に入れましたか?どなたに使われましたか?」

「薬そのものは手にしたことはない。誰が持っていたのか、誰に使ったのかもわからない。私はその薬包紙だけを手に入れた。砂漠から到着されたダルチ王に挨拶に伺ったが会えず、代わりに、王の小鳥がその紙を私にこっそり運んできたのだ」

「薬の詳細は後ほどお知らせいたします。王にお持ちしているのは、解毒の薬湯です。医師は、王の体調不良は毒薬によるものとおっしゃいました。どうか、内密に」

 薬師は声を潜めているようでいて、わざと周囲に聞こえるように言った。

「そなたが狙われるぞ」

 ガルは慌てて薬師に言った。

「そうですね」

 薬師は涼しい顔で言った。

「私を狙う者が、王に毒を盛った者です。私を見張ってくだされば、謀を暴けるでしょう」

 薬師はぐるりと見渡した。ある者が、左の薬指の指輪を触った。大きく張り出した石が乗っている。エミナはそれを見逃さなかった。

 ハルト・ラッカードが薬師の背後に立った。

「私から離れないように。女性だけの場に行くときは、エミナ殿と共に動くように」

 ハルトは静かに言った。

 エミナは、特定した男の心拍が更に早まるのを見守った。誰が薬の持ち主か明白だ。ガルに伝えたい。だが、ハナの言葉を思い出した。この場で知ったことは、適切な場面で口にしよう。それに、この星の人たちはとても賢い。エミナが言わなくても、もうわかっているのかもしれない。

「こちらです」

 湖の警護は、隠れ通路に皆を案内した。

 地下牢からさらに下った。空気はとても冷えていた。

「湖の下です」

 湖の警護は説明した。湖の東側は、比較的浅い。その下を通る秘密の湖底路にに、地下牢からの隠し通路は続いている。所々に蜘蛛の巣が張る照明の無い石造りの通路を、手持ちの灯りを頼りに進んで行く。天井はさほど低くはない。横幅は人が二人通るのがやっとだった。

通路の突き当りに長く急ならせん階段があった。螺旋階段の先の扉を開けると、そこは農家の納屋だった。息の切れた人々は、乾草に座ってしばらく休んだ。

 人の近づく足音がして、外から閂を開ける音がした。納屋の中の人々は凍り付いた。

 戸が開かれた。

「おけがはないか?この抜け道をご存じとは、湖の王室の方たちであろう?」

 灯りを掲げた老人が、ささやき声で言った。

「森番様、お騒がせして申し訳ございません」

「王家の薬師殿か?薬師殿も一緒とは思わなかった。噂は届いておる。王たちが森の宰相に連れ去られて、警護の者は地下牢に入れられたと。だから、準備しておいたぞ」

 老人は、納屋の外の薪の山を崩した。中から剣や食料が出てきた。

「ありがとう、さすが、湖の竜の森番ね」

 薬師は老人に飛びついた。老人はその場に尻もちをついた。

「これ、老いぼれに、怪我をさせる気か」

「ごめん、おじいちゃん」

 薬師は、これまでの怜悧な印象を覆す照れ笑いをした。

「静かにしないと竜が起きる。音を立てずにこの場を離れなさい。街道に出ないで、森を抜ける道を覚えているか」

 森番は薬師に聞いた。

「多分。でも、夜だと厳しいかも知れない」

「この子たちを先頭にしなさい。この馬達は森を抜ける道を知っている」

 二頭の小柄な馬を指した。

「かたじけない」

 ガル・ラッカードは深々と頭を下げ言った。

 納屋は小高い丘の上の中腹にあった。北東は窪地になっている。窪地には、水色の鱗の竜たちが数頭、体を丸めて眠っていた。この場所は湖の東の丘、湖の竜の営巣地を見下ろす森番の住まいだった。

 湖と砂漠の警護たち、ブレナイトに乗った砂漠のダルチ王、砂漠の宰相ブセア・ケルス、ラッカードの兄弟たちとガル、薬師とハナ、エミナとウォセ、タオとメテア、そして、新たに加わった二頭の馬を連れて、一行は静かに丘を下った。

 森の中の道を急ぎ足で進み、東の空に日が昇る頃、湖の国のはずれの町に着いた。ハナが街に出て交渉し宿が決まってから、皆でそこに移動した。水分と食事を摂って、昼過ぎまで眠った。ダルチ王は眠る前に薬師の作った薬湯を飲んだ。少しずつ体力を戻している。皆は希望を持った。

 ヴェンは砂漠の都を出る前に手にした薬包紙が胸のポケットにまだあることを、そっと指で確かめた。


 東の山々から太陽が昇る頃、森の王たちが乗せられた馬車は森の都の城に着いた。ムアドの支配下となった王宮に王たちは監禁された。森の王ゲレル・ヒューレーは王の居室に、他の者は王宮の奥にある来賓用の部屋に入れられた。拘束はされなかったが、窓は鎧戸を閉められ、戸は外から鍵と閂が掛けられ、見張りも厳重に配備された。

 アシャと湖の女王ウリ・ヤルブは同じ部屋だった。湖の、いや、砂漠の王子リュイと、湖の宰相ヌクス・ツーンが同じ部屋だった。五人は不安ながらも、疲労のため、部屋に入れられるとすぐに眠った。何もできない時は、十分な休養と栄養を取るに限る。そうすれば何か解決の手立てを見つけられるかもしれない。

 移動中のアシャの意識は、まだ普通ではなかった。ぼんやりと目を開けていたが、何も見ていないように思えた。今は部屋の長いすで目を閉じて眠った。ウリ女王はアシャに毛布を掛け、自分も上着を脱いで床に入った。このような状況にもかかわらず、女王はなぜか心が軽かった。大切な人の帰るべき場所が見つかった。ほっとした。勿論、ここから逃げ出さなければ、そこに帰る事も出来ない。が、そんなことは、これまで抱えてきた胸に重くのしかかる疑念に比べれば、何でもない気がした。

 リュイ王子が前女王の子供ではないと、うすうす気が付いていた。だが、二つ目の卵の存在は知らなかったし、それを卵婦がボロー・オビスに預けた事も知らなかった。聞きたくても、前女王は、それを聞ける精神状態ではなかった。

 ウリ王女が知っていたのは、王子の胸にある星の印が、前王妃が卵に記したヘルダの印とは違っている事。ただそれだけだった。

 卵が孵化しなかった事実を受け入れられず、心が壊れてしまったフフ王女に生きる気力を持たせるため、どこかから連れてこられた子供、それがリュイ王子なのだと思っていた。王族の子供であれば良いが、平民の子供だったらどうしよう。もしもそれが露見したら、リュイ王子は処刑される。不安で眠れぬ夜もあった。

 リュイ王子が砂漠の王子だとは。

 なんと喜ばしいことだろう。

 リュイ王子は王子として、いつかは王として、幸せに生きていける。もう安心だ。嬉しさのあまり涙がこぼれた。

 ウリ女王は、久しぶりに穏やかな眠りに落ちた。


 鎧戸の隙間から漏れる朝日が顔に当たり、アシャはまぶしさに目をこすった。初めて見る部屋に驚き、周囲を見回した。豪華で重厚な家具や敷物。壁紙の模様は、森の製品かもしれない。

 昨日の事をはっきり覚えていない。換羽の儀に出かけたのは覚えている。桟敷席に座って、湖の国の民族音楽を聴いた。初めて聴くはずなのに、なぜか懐かしかった。体の奥から湧き上がるリズムにじっとしていられなくなり、冷たい水に飛び込んだ。

 あれは夢だったのだろうか、現実だったのだろうか。

 湖は心地よくアシャを包んだ。魚が泳ぎ、水草が揺れる。湖底から水面に向かって、泡がゆっくり上っていく。湖底の岩の壁面に、白っぽい平らな貝を見つけた。ヴェンが、商隊の扱う品について教えてくれたことを思い出した。湖水の平らな貝は真珠貝だ。貝の中に入り込んだ異物の周りに、貝の出す粘液が層となって硬く付着する。そうしてできた真珠は、湖水産の貴重な宝石だ。真珠は、白、グレー、ピンク、水色、黄色、黒い物がある。そして最も貴重なものは金色で、周囲に七色の光を弾くと言われている。せっかくだから、真珠が入っている貝を探そう。そうすれば、またまたやらかしてしまった無謀な行動も、ガルは許してくれるかもしれない。

「美しい真珠を作るには、健康な貝なのが最低条件だ。欠けていたり、不健康そうな色だったりする貝殻はダメだ。次に、体液の分泌が良い貝。貝の内臓は蝶番側にある。だから、蝶番側がふっくらしているものがいい。そして、真珠が大きく成長するためにはある程度の大きさと厚みがある物になる」

 真剣に語ったヴェンをぼんやりと思い出した。

「真珠貝には全部に真珠が入っているの?」

 アシャの問いに、ヴェンは苦笑いした。

「養殖と言って、人間が育てている場合は、真珠の核となる異物をわざと貝の中に入れる。そうすると、ほとんどの真珠貝で真珠ができるらしい。だけど、天然物、湖に自然に生息する貝には、ごくまれにしか真珠はできない」

「じゃあ、天然の真珠貝から、どうやって真珠を見つけるの?片端から貝を取ってしまえば、全滅しちゃうわ」

「湖の民の中には、訓練で真珠の在る無しが見分けられるようになる者が居ると言う。王室の人達は、他の人々よりもその才に秀でているから国の長になったらしい。真珠は富を国にもたらす。昔は真珠を養殖できなかったから、真珠貝を見分けられる能力は王に値する資質だったのだろう」

 ぼんやりとした頭で、アシャはヴェンの言葉を繰り返し思い出した。

 岩場の周囲を泳ぎながら、良い真珠貝を探した。アシャは、ある岩場に心ひかれた。これまでよりも注意深く周りをめぐると、岩の中ほどにある大きな真珠貝が気になった。岩肌と貝殻の間に、いつも腰につけている短剣を差し込んで回転させた。貝は岩から外れた。うれしくて大切に胸に抱えた。ヴェンは大きくてきれいな真珠を見つけたら、喜んでくれるだろうか。また、あの手で頭を撫でてくれるだろうか。

 いや、ヴェンではない。ヴェンはもうすぐ妻を探しに旅に出るだろう。だから、ガルに見せるのだった。そう考えると、体から力が抜けてしまった。水面に向かおうとするが、水を蹴っても、蹴っても、なかなかたどり着けない。だんだん足が重くなり、体から力が抜けていく。その時、大柄な青年が心配そうにのぞき込んだ。アシャは抱えられ、水面に向かう。途中、一度止まり、青年はアシャに鼻をつまむ仕草をした。よくわからないけれど、指示されるように鼻を片手でつまみ、頬を膨らませた。それが済んだら、また水面に向かった。

 ガルやヴェンに真珠貝を届けられそうだと、アシャは幸せな気分で真珠貝を抱え、青年はアシャを抱えて水面を泳いだ。広々とした板張りの上に引き上げられ、ふわふわした気持ちで居た。よくわからないけれど、アシャの大切な真珠貝を、年取った男が取り上げた。貝殻が開かれると、中から現れたのは見た事もない大粒真珠。金色の真珠はとてもきれいだった。アシャはうれしくて、青年に笑いかけた。

 その後の事はよくわからない。和やかな雰囲気から、急に叫び声の飛び交うものに変わり、兵士のような大男に捕まえられて馬車に乗せられた。

 ずっと一緒に居てくれたのは、優しい女性だ。たしか、この部屋の片隅にある洋服掛けのフックから下がっている上着を着ていたはずだ。

 アシャは立ち上がり、上着の所に行った。きれいで高級な上着。湖の女王がバルコニーで着ていた衣装によく似ている。湖の国では、このデザインが流行中なのだろう。

 アシャは床(とこ)に眠る美しい女性を見た。年は三十歳を少し過ぎたところだろう。黒い髪はつやつやだった。その美しい髪を見て、早く換羽したいと、一層思った

 女性が、ゆっくりと目を開けた。まだ半分まどろみの中にある瞳は青く、湖の様だった。

「おはようございます。今日は、元気そうですね」

 けだるげに女性は微笑んだ。寝顔に見とれていたことが知れて、アシャは恥ずかしかった。

「おはようございます。アシャ・ラッカードと申します。よく覚えていないですが、ご迷惑をおかけして、申し訳ございません」

「昨日の出来事は、何処まで分かりますか」

 女性は起き上がりながら聞いた。

「湖に落ちた。・・・・・・あとは、真珠貝から、大きな金色の真珠が出てくる夢を・・・・・・」

「そうですか。でも、それは夢でなく、現実に起こったことです。湖に落ちた時に、頭でも打ったのかもしれません。今日は、はっきりしているようで、ほっとしました。ところで、私は誰かわかりますか」

「いいえ」

「ウリ・ヤルブ。湖の国の女王です」

 女王はにっこり笑った。

「ええっ、女王様?どうして?ここは、お城ですか?」

「ここは森の国の王宮です」

「湖の国ではないのですか?」

「簡単に説明しますね。あなたが見つけた真珠貝から出た金色の大きな真珠が、今回の換羽の儀で最高の真珠でした。だから、その真珠を見つけた者が次の王位継承者だと、司祭は宣言しました。多くの人は、リュイ王子が見つけたと思っていました。でも、貴女だった」

「はあ」

「換羽の儀が無事に済んで、王城で王たちが歓談している時に、森の宰相ムアド・テクムーが謀反を起こしました」

「謀反?」

「そこに、タオ・オビス、砂漠の前宰相の息子が、森の兵を倒しながらやってきて、・・・・・・傷だらけだったのよ。そして、貴女のヘルダの印が湖の王女の証だと、皆に証明した」

 ウリ女王はアシャの両方手を取って優しく握り、力づけるように覗き込んだ。

「わたしが、湖の王女?盗賊で奴隷商人のタオが、前の宰相の息子?」

「ええ、あなたの背中にあるヘルダの印は、湖の前女王、フフ様がつけたもの。いろいろいきさつがあって、全部話しきれないけれど、あなたは湖の王女なのです」

 アシャは壁の鏡に映る自分の背中を、振り向いて見つめた。破れた上着から肌蹴た背中には、貝と真珠のヘルダの印がある。

「助けてくれた男の人の胸には、星の印があった。その人に、お礼を言わなきゃ」

「覚えていたのね。それは、リュイ王子です」

「湖の王子様?」

「いいえ。砂漠の王子。胸のヘルダの印はその証。あなたと入れ替わったのよ。話すと長くなるから、それはおいおい説明するわ。まずは、二人で洗面しましょう。それから、貴女の上着を何とかしなくてはね」

 ウリ女王は、水差しを取り上げた。

 ウリ女王の身支度が済む間、アシャは上着を脱いで、破れた上着の背中の布を細かく裂いた。下着の裾を破いてそれに足し、細い布を縦糸と横糸に見立て、交差させ、荒い織物のようにした。上着はやや細身になったが、背中が丸見えにならない程度の手直しができた。アシャは、その上着を長いすに置くと、ウリ女王に続いて洗面をした。

「驚きました。アシャ王女は手先が器用なのですね」

「女王さま、私はアシャ・ラッカードです。そう呼んでください」

「いいえ、あなたは王女。でも、その問題は後で話しましょう。今は、もっと大切なことをしなければ」

 ウリ女王は、部屋に置かれた果物をむき、アシャに差し出した。

「逃げるために、食べておかねばなりません」

 アシャは受け取り、かぶりついた。女王も口にした。

「砂漠の商隊と湖の王室は、考え方が似ているのですね。わたしも、そう教えられました。どんな時でも、まずは腹ごしらえ」

「当然です。国を治める長たるものは、とらわれの身になってはなりません。残念ながら、そうなってしまったときは、まずは、国民のために死なないこと。だから、食べなければ。次に、人質として利用され国民を苦しめる種にならないよう、逃げなければなりません」

 食べ終わると、アシャは窓に向かった。カーテンを開けると、ガラス窓がある。内鍵は簡単に開いた。木製の鎧戸は外から閉められ、隙間から一筋、太陽の光が注いでいる。光は斜めに床に伸びている。その角度から、アシャは時間を割り出した。この季節であれば、砂漠より北にある森の国は、太陽は低い角度で天中に昇り、日没は真西より南のはずだ。太陽は南西にある。今は夕方のはずだ。

 隙間から閂が見えた。細い物が有れば、閂を外すことはできそうだ。閂を外せれば、他に鍵があったとしても、木製の鎧戸は内側から蹴破れる。

 窓の外の音に耳を澄ませた。庭掃除をする召使の箒の音がする。地面をこする箒の音は、下からではなくほぼ横から聞こえる。そして、小鳥の声が上から聞こえる。だから、この部屋は、一階のはずだ。

「女王様、他に、誰が捕らわれているのですか」

「森の王、ゲレル・ヒューレー殿。湖の宰相と、リュイ王子が捕らわれています。場所はわかりません」

 アシャは扉の鍵穴から廊下をのぞいた。向かいの壁しか見えない。はいつくばって、床と扉の隙間からのぞいた。廊下の床は、この部屋と同じ、硬質な石でできている。部屋の扉の両側に、一人ずつ大きな男が居る様だ。ほとんどじっと立っているが、時々、足を少し踏みかえる。体が動くときに、鎧の部品がこすれる音がする。槍を持ちかえるたび、石の床をたたく音がする。

 廊下を移動する女性の靴音が聞こえる。重い荷物を持っておらず、足早だ。

 この部屋から右手の、廊下の突き当りまで、何度も往復する音がする。おしゃべりが聞こえた。

「リュイ王子さまは、素敵な方でしたね」

「本当だわ、お会いするのが、こんな悲しいことでなければよかったのに」

「おかわいそうに。全ての王室は、ムアド様に支配されてしまうのね。どうしたらいいのかしら」

「大丈夫よ、森の竜の守りし剣は、まだ見つかっていないのですって。あれがなければ、ムアド様は王になれない」

「ずっと見つからなければいいのに」

「しっ、黙って。こんなおしゃべり、ムアド様に聞かれたら首が飛ぶわ」

人の往来がまばらになると、アシャはウリ女王の前に跪いた。

「女王様、『森の竜の守りし剣』とは何か教えていただけますか」

 ウリ女王はアシャに手を差し伸べ、自分の隣に座るように仕草で示した。アシャはおずおずと立ち上がり、指示されるままに座った。

「森の国の戴冠の儀式で使われる剣です。次の王位継承者は、皆の前でその剣を抜き、天に掲げて宣言します。『森の竜の守りし剣、我が引き継ぐ』それが、王位継承の儀式。王位を継ぐ資格のないものは、鞘から剣が抜けないと言う伝説があります。そして、森の竜は、不適当な継承者が剣を抜こうとすると、その剣を隠すと言い伝えられています」

「ごく最近、森の先王がお亡くなりになり、ゲレル・ヒューレー王が継いだと聞いています。その時も、その儀式を?」

「ええ、わたくしも出席しました。ゲレル王は見事に剣を抜かれました。剣が陽光を反射して、とても美しかった。ところが、その後、剣は王城から消えたのです。竜の長が城の宝物庫の屋根を踏み壊し、持ち出した。竜の長は行方不明と聞いています。砂漠に星が落ちたという噂の前後だと思います。この話を知っているのは、森の民の一部と、森の王から報告を受けた湖の王族だけ。換羽の儀の後、ダルチ王にもお話して竜の専門家を集め、三国の王族で会議をするはずでした」

「森の竜は緑の鱗と聞いています。また、竜の長は、左前足に玉を持っていると聞いています。その話は本当ですか」

「ええ、長の竜は左前足に玉を持って生まれてきます。その玉は、次の長の卵。長は生涯、玉を離しません。玉は長とともに成長し、長の命が危険にさらされて、初めて卵の性質を表し孵化すると言われています」

「わたし、星が落ちたのを見ました」

「まあ、怖かったでしょう」

「星が落ちる前に、月の前を竜が横切ったのです。緑色の鱗で、左前足に何か持っていた。それから、雷が竜に落ちて、竜は左前足の物を落してしまいました。竜は何度も雷に打たれ、砂漠に落ちました。・・・・・・生きていればいいのですが」

「あなたが見たのは、きっと森の竜の長だわ。あなたの話を手掛かりに、森の竜と卵を見つけましょう。彼らが見つかれば、剣も見つけられるでしょう。探すためには、まずは、ここから脱出しなくては」

 ウリ女王は勇ましく立ち上がった。だが、アシャは静かに座ったままだ。

「ウリ女王様、森の竜の剣はどのような形ですか、探す手がかりが必要です」

「武器に関しては、わたくしには説明できません。わたくしには、どれも同じに見えてしまいます。でも、森の王なら、一目でわかるはずです」

「それ以外、手掛かりはないのですか」

「森の国の王の肖像画に、描かれているかもしれません」

「女王様。これから日が暮れます。お湯を使って、夕食を頼んでください。お湯を用意する使用人や給仕の人々から、何か引き出せるかもしれません。それから、湖の都からここまで、どれほどかかるかご存知ですか」

「戴冠式に出席した時は、四頭立ての馬車でした。湖の国のはずれの町で一泊して日の出前に出発し、夕暮れ前に着きました。今回は六頭立て、夕暮れに湖を出発し、翌朝の未明についた。つまり、半日です」

「ありがとうございます。湖の都と森の都はとても近いのですね。わたしは森の都は初めてです」

「そうです。森と湖は都も近く、国のはずれの町同士は接しています。争いが絶えません。このようなことになって、国境の町が荒らされていないか心配です」

「ウリ女王、砂漠の都は砂漠が障壁となり、ほかの国が攻め入るのはむずかしいです。砂漠の都から、他国を攻めることも不可能です。それに、砂漠の国には森や湖の国ほど豊かな資源もありません。普通に考えたなら、ムアドは湖の国の侵略を企てても、砂漠の国まで手を伸ばそうとしないはずです。なぜ、砂漠まで狙うのでしょうか」

「まあ、素晴らしい。アシャ、あなたは政治について深く学んだのですか?」

「いいえ、政治について学んだことはありません。でも、商売については学びました。裏をかく方法も。ですから、私が考えるに、・・・・・・女王様、砂漠にはきっとムアドの手先がいます。そうでなければ、ムアドも砂漠にまで手を出すはずはない。それとも、・・・・・・ムアドの方が手先で、もっと策略にたけた人物が砂漠の国にいるのかも」

「まあ、アシャ、怖い顔」

 アシャは、慌てて頭を振った。

「不快な思いをさせて申し訳ございません。慎重に行動した方がよいように感じましたので。・・・・・お湯を頼みましょう」

「いいえ、不快ではありません。頼もしい。砂漠の商隊は知にたけているとの噂は、事実だったのですね」

 女王の言葉に、アシャは笑顔になった。扉までかけていき、大きく二回たたいた。

「女王様が、お湯を使いたいとご所望です」

 低い囁く声がしてから、返事が有った。

「しばし待たれよ」


 湖の国のはずれの町では、ラッカードの兄弟たちと湖と砂漠の警護、ガル・ラッカード、ハナ、砂漠の王と宰相、そしてウォセとエミナとブレナイトが、森の都の王城に乗り込む準備をしていた。

 湖の国境の町は、気の荒い森の民に時々ひどい目にあわされてきた。だから、森の国に乗り込んでいく彼らを匿ったし、出発の準備を無償でしてくれた。湖の都と森の城の間を結ぶ森の伝令を、上手く足止めすると約束してくれた。

 王の健康状態は大きく改善していた。エミナは占い師の修行に必要だと頼み込み、薬師に解毒剤の内容を教えてもらった。薬湯を作ったやかんに残った物を指ですくってなめ、薬師が止めてもガルの持っていた薬包紙も舐めた。薬師は呆れた。

「こんなことが、占いに役に立つの?」

「ええ、とても。ありがとうございました」

 エミナは、にこやかに答えた。

 ヴェンは、自分の懐に収めたままの薬包紙の事を考えた。多くの人は、王が湖の国に到着してから体調を崩したと思っている。でも、そうではない。王に呼ばれて砂漠の国の王城に行ったときも、王は体調が良くなく会えなかった。

 今回の謀反と、ダルチ王に毒を盛った者がつながっているのか、つながっていないのか。つながっていれば、その人物は砂漠の国でも毒を盛れるムアドのスパイだ。犯人がこの中にいるとしたら、今も我々の動きをムアドに報告し、内側から潰そうと狙っている。

 一方、毒を盛った者と謀反企てたムアドとつながりがないなら、敵は二つ。

 ヴェンは武者震いした。

「どうした、鳥使いのヴェン、怖気づいたか?」

 砂漠の宰相ブセア・ケルスが少々冷笑を含んだ声で聞いた。前々から感じていた、ブセアは他のラッカードの兄弟よりヴェンに対してあたりが強い。なぜだろう。不思議に思いながら見つめ返した。

 ケルス家ははるか昔から脈々と続く高位の貴族。ブセアが才能を見込まれ王城に出入りし始めたのは、二十歳を超えてからと聞く。長年大臣を務めたケルス老のご子息なら、幼いころから王城に出入りしそうなものだが、そういった話は聞かない。たかが豪商のラッカードの兄弟でさえ、換羽前から父に従い城に出入りしている。次の世代が幼いころから王や大臣に顔を見せるのは、一族が王宮で地位継を保つために必要なことだ。なぜ、ブセアは二十歳を過ぎるまで王城に行かなかったのだろう。理由があるはずだ。

 ブセアの年齢は父と同じかそれ以上のはず。しかし、その若々しい顔はヴェンの一番上の兄と同年代のように見える。

「はい、若輩者には重い役目です。さすが、宰相は落ち着いていらっしゃる」

 ヴェンの言葉にブセアはあいまいに笑い、仲間を激励しに行った。人々の中を順に回るブセアを、ヴェンは目で追った。にこやかに笑う姿、誰に対しても親密そうだ。ブセアは、最後に白馬の世話をしていたウォセとエミナの所に向かった。ヴェンも彼らの会話に加わろうと思い近づいた。にこやかに声をかけたが、突然、ブセアは硬い口調になった。

「お前、その剣をどうした」

「宰相殿、この剣でしょうか、これはたまたま砂漠で拾いました」

「砂漠に?その剣が落ちているはずがない。それをよこせ」

 ブセアはウォセに詰め寄った。

「宰相様、どうなさいました。皆さんがご心配されています。どうか、お静まり下さいませ」

 エミナはブセアの手に自分の手を重ねて優しく言った。エミナの言葉で、更に周囲が耳をそばだてた。

「離せ」

 ブセアは、エミナの手を振りほどき、反動でエミナは壁にたたきつけられた。壁がへこむ音に、皆がかたずをのむ。沈黙の中、ブセアの手の甲の爪痕から一筋、血が流れ床に落ちた。

 エミナは姿勢を立て直すと、何もなかったかのようににこやかに説明した。

「私たち、拾った剣の持ち主を捜すため、旅をしているのです。この剣を拾った夜、剣の精が竜の形となって私の夢枕に立ちました。持ち主の所に戻りたいと。そして、本当の持ち主以外にこの剣を渡せば私たちは竜に殺されると、そう告げられたのです。ですので、何があっても、持ち主以外、どなたにもお渡しできません。たとえ、宰相様でもです。誠に申し訳ございません」

 エミナは優雅に頭を下げた。

 静まり返った人々の視線を感じ、ブセアは我に返った。

「すまない。事件のために、気が立っていた」

「そうでしょうとも。お気になさらず」

 ダルチ王も、湖の宰相ヌクス・ツーンも、ウォセの剣には前から気付いていた。彼らは、同じ時に同じ場でそれを見たことがある。二人は視線を合わせそっと頷きあった。

 エミナは何か言いたげにウォセを見た。ウォセは物問いたげに軽く首を傾げたが、エミナは左右に小さく首を振った。

「エミナ、何か察したね。でも、口にするのを待った。それでいいよ」

 エミナの後ろからハナがこっそりささやいた。

「はい、ハナ」

 彼らは湖の国境の町を後にし、森の国の都を目指した。街道を避け、静かに森の中を進み、夜更け前に到着した。


 夜更け前、ウリ女王とアシャは夕食を終えた。準備の都合で、入浴より食事が先になった。部屋の中を行き来する侍女たちは元気がない。ウリ女王は石鹸を受け取りながら、侍女に小声で聞いた。

「他のお二人も、ご無事ですか」

「はい。女王様より先にお食事を召し上がって、先ほどお湯を運びました」

 侍女はさっと背を向け、あらぬ方向をたまま答えた。

「これ以外の種類の石鹸はないかしら。例えば、蜂蜜とハーブが入った物とか」

 女王は、何気ない風を装い言った。湖の王室はいつもその石鹸を使う。

「新しいものは、・・・・・・先ほど別の方にお出ししてしまい、あいにく・・・・・・申し訳ございません」

「新しいものでなくても大丈夫です。その方が使い終わってから、こちらに持ってきていただけないかしら」

「すぐにお持ちします」

 女王はにっこり笑い、侍女の手の中に耳飾りと布きれを滑り込ませた。布は、スカートの中に重ねる下着を破り取った物。メルデーの実の皮を潰して作った紫色の汁を、かんざしの先に着けて手紙を書いた。

「一階の部屋。女性二人。怪我も無く元気」

 侍女が一人減って、部屋の召使は一人になった。ウリ女王は、年配のその召使を近くに呼んだ。即位の儀で訪れた時の話などを振って、現在の情報を引き出そうとした。年配の召使は寡黙にうつむくばかりだった。

 あまり多くの情報は得られなかったが、王城の現状を多少つかめた。ムアドは途方もなく大きな財と権力を持ち、家来たちに命令を下している。しかし、人々が従うのは尊敬からではない。人質を取ったり、脅したりして操っているだけに過ぎない。今回の謀反後は特に。国で一番大切な王様が、ムアドの人質になっている。民である自分たちが意に沿わぬふるまいをしてしまえば、王の命はどうなることか。

 召使も家臣も、誰もムアドには逆らえない。王に対する忠誠心が高ければ高いほど、王の身を案じ、よりムアドに従ってしまう。仲間に引き入れるには、若く向こう見ずな召使や衛兵を狙うべきだ。

 蜂蜜とハーブ入りの石鹸を持ってきた若い侍女は、恭しく女王に差し出した。石鹸の表面に、王子の印の先端が五つある星と宰相の家紋が薄っすら刻まれていた。

 女王もアシャも必要以上に長くお湯を使い、なるべく召使に話しかけたが、それ以上の情報を引き出すことはできなかった。

 昼まで寝たのでさほど眠くはない。お湯を片付けて召使が去った後、二人は脱出の手立てについて相談した。力を蓄え明日こそ逃げ延びるチャンスをつかもう、アシャと女王は誓いあい、眠りについた。


 翌朝、洗面と身支度を済ませたアシャとウリ女王は、部屋から出るように言われた。衛兵に囲まれ、王室の広間に連れていかれた。森の王室の廊下は広く、壁には肖像画がいくつかかかっていた。アシャは肖像画に剣が描かれていないか探したが、見当たらなかった。

 広間は湖の王宮よりもさらに豪奢できらびやかだった。石造りの床には厚い絨毯がひかれ、見事な一枚板のテーブルが真ん中に置かれていた。朝食が並ぶ。

 森の木の実や果物、ゆでてから窯で焼いたクックはつやつやとしていた。動物の焼肉が数種類あった。深夜に食事をしたにも関わらす、アシャのお腹は鳴った。ウリ女王はクスリと笑ってアシャを見た。恥ずかしいよりもおかしく、アシャも笑った。

 控えていた一人の若い給仕が笑いをかみ殺していた。肩が細かく揺れている。

 これは、行けるかもしれない。

 王室に仕えている召使たちとはどのような人物なのか、ムアドは考えたことがないのだろう。由緒正しい召使は、信頼できない統治者に魂まで従うことはない。そして、彼らは時に、自らの命よりも国のために役立つことを選ぶ。統者を目指すなら、その事を知っておくべきだ。

 その給仕の男に椅子を押され、二人は席に着いた。遅れてリュイ王子と宰相のヌクス・ツーンが席に着いた。アシャが一番下手で、その向かいに湖の宰相、ウリ女王の向かい側にはリュイ王子が座っていた。二人は真っすぐ目を合わせた。最後に、森の王ゲレル・ヒューレーが入って来た。彼が一番疲れてやつれた顔をしていた。それもそうだろう、自分の席のはずの王の席に、今はムアド・テクムーが座っている。ゲレル王はその左の席に着くことになった。

「皆さん、おはようございます。よく休まれましたか」

 ムアド・テクムーの問いに、誰も答えなかった。ムアドはテーブルを見回してから、ため息をついた。

「さて、森の竜の守りし剣がまだ届きません。剣が届かないと、あなた方を自由にしてあげられない。剣が届き戴冠の儀を行えば、ゲレル殿は自由してあげます。次に、砂漠の王が亡くなれば、砂漠の都を制圧させます。正式な王子ではないですが、リュイ王子には国を譲るとサインしてもらいましょう。応じなければ、この中の誰かを殺します。例えば、ウリ王女。王子は、ウリ王女を殺したくないでしょう?その後、私はウリ女王と結婚する。リュイ王子もゲレル殿と同様、自由にして差し上げましょう。王位継承者だと言われているお前、お前はしばらく捕らわれの身のまま。私の卵が産まれたら、その時はお前も自由にしてやろう」

 ムアドは、得意になってしゃべり続ける。

「自由、なんと良い響き。全員、真の自由を差し上げよう。私からだけでなく、この世の全てから、人生からの自由。つまり、死を与える」

 重い沈黙が流れた。ムアドだけが冷笑を浮かべている。

 沈黙を破り、口を開いたのはアシャだった。

「大丈夫、剣は貴方の手に入らないわ。入ったとしても、貴方は剣を抜くことなどできない。だから、王にはなれない。心配なんかしていないわ」

「お前など、ウリ女王に何かがあった時のための予備。その自覚がないようだな。すぐに切り捨ててやろうか」

 アシャはひるまなかった。静かに光を湛える水色の瞳でムアドを見た。

「どうぞ、今すぐ私を切り捨てていただいてかまいません。在位中の王と王位継承者を殺害した者は、王位に着くことはできない。これは、全ての国の決まりです。謀反を防ぐため、古くからある掟。貴方が私を殺したら、貴方はどの国の王にもなれない。喜ばしいことだわ。・・・・・・・勿論、王になる資格など、あなたには初めから無いけれど」

 アシャは内容に反し、穏やかに言った。誰が、こんな事を言える彼女が、さっき腹を鳴らして笑っていたあどけない少女と同じ人だと思うだろう。商隊の養い娘として生き抜くため身に着けた気概は、他の姫とは違うアシャの強さを浮き彫りにした。

 ムアド・テクムーは怒りに顔が赤らんだが、耐えて言い返した。

「どちらの言う事が正しいかは、すぐにわかる。さあ、朝食を」

 ムアドは、ナイフとフォークを取り上げた。

 それを合図として、壁際に控えていた給仕たちはそれぞれの杯に搾りたての果汁を注ぎ、中央に盛られた様々な料理を取り分けた。王族たちは皆食欲が無いようで、僅かな食べ物をゆっくりと口に運んだ。アシャだけは、モリモリ食べた。給仕がお代わりをアシャに取り分けようとした時、皿に置かれたアシャのナイフが絨毯の上に落ちた。

「失礼を」

 若い給仕は、自分に責任があるかのようにへりくだって言った。

「構わないわ。新しいものを持ってきてくださる?」

 アシャは涼しい顔で言った。給仕が落ちたナイフを拾おうとしたが、絨毯の上にナイフは見当たらなかった。

 不思議そうに床からアシャを見上げた給仕に、アシャは僅かに目を細めた。給仕にはそれで伝わったようだ。

「今、新しいものをお持ちします」

 給仕はナイフを拾ったふりをし、腕にかけたナプキンの下に利き手を隠した。

「商隊育ちは不作法だな」

 ムアドは馬鹿にするように言った。アシャはにっこり笑った。

「落としたのは給仕だ」

 森の王ゲレル・ヒューレーがムアドに言った。アシャは、ゲレル王に本当の笑顔を向けた。王たちは、アシャの様子を見ているうちに、先ほどよりも口に運ぶ食物の量が増えてきた。ほどなくして、給仕がアシャに新しいナイフを持ってきた。アシャのテーブルにそっと置いた。誰にも気づかれないようナプキンをかけた方の腕で、膝の上に置かれたアシャの手に、給仕はそっと小さな短剣を置いた。アシャはそれをスカートの隠しポケットに入れた。さっき落したナイフは、靴を脱いだ足の指でつかんで、反対の脚の靴下に挟んでいる。アシャは武器を二つ手に入れた。

 顔色を変えずに食べ物をよそう給仕と、涼しい顔をしたアシャ。二人以外は誰も気付いていなかった。

「最高の給仕をありがとう。さすが名高い森の王室」

 アシャは給仕をねぎらった。その時、顔を寄せ他の誰にも聞こえない小さな声で、口元を動かさずに一つだけ願い事をした。腹話術だ。腹話術はアシャの特技の一つだ。旅回りの演者たちを真似、幼い頃に兄弟たちと競い合った時に身に着けた。兄たちに力業や軽業で勝てるわけがないから、アシャは腹話術を選んだのだ。こんな特技が役に立つ日が来るとは思いもしなかった。

 給仕もアシャに合わせ、知らぬふりをして前を向いたまま仕事を続けた。アシャは二回目に皿に盛られた分も、残さずきれいに食べた。

「育ちが卑しいと、食べる量も違うのだな」

 ムアドは嫌味を言った。

 食後の茶が運ばれ、窓の外でさえずる小鳥の声がした。開け放たれた窓から、何羽かが飛び回っている姿が見える。そのうちの青い一羽が、食卓テーブルまで飛んできた。ゲレル王のすぐ前で、じっと顔を見詰めて首を傾げ、ひとはね、二跳ね、王に近づく。その様子に、ウリ女王は身を乗り出した。ウエストに巻いた組紐の鈴が微かな音を立てた。

 青い小鳥は鈴の音にひかれ、ウリ女王の周囲を飛んでから肩にとまった。女王は声を立てて笑った。アシャは、ヴェンに習った小鳥を呼び寄せる時の口笛を吹いた。小鳥は、今度はアシャの差し出した指にとまった。アシャの指に小鳥はくちばしをこすりつけた。今度は、リュイ王子がアシャの真似をして口笛を吹いた。青い小鳥は、リュイ王子の指に飛び移った。リュイ王子も笑った。ゲレル王、ヌクス宰相、青い小鳥は王族たちの差し出す指に次々にとまっていく。宰相の太くてぽっちゃりした手にちょこんと乗った青手乗りは、一段と小さく見えて可愛かった。捕らわれの人々は、しばし小鳥と楽しんだ。

「何のたくらみだ」

 ムアド・テクムーは、小鳥に向かって腕を振った。小鳥は、鳴きながら広間から出て行った。

「たくらみなどではありません。ごく普通の、しつけられた青手乗りです。どこかのお屋敷から、逃げ出して来たのでしょう」

 アシャは苛立つムアドに向かって、静かに言った。

「湖の国のテルーの屋敷にも、同じような鳥がいたな。湖の国では、青手乗りは多いのか」

 ムアド・テクムーは、苛立ちを誤魔化すかのように、湖の宰相に聞いた。

「ええ、とても多いです。森の都も、流行が始まったのではないでしょうかね」

「そうか」

 ムアドは気のない返事をした。青手乗りが一番多いのは砂漠の都だ。賢い手乗りは、わけもなく逃げ出したりしない。ムアドはそれを知らないようだ。アシャは、近くに仲間の存在を感じた。食事の時間は終わり、捕らわれの王族たちは再び部屋に閉じ込められた。


 ヴェンは、森の国の丘に居た。王城の裏手にある丘には、姿を隠すのに丁度よい茂みもあった。頃合いを見計らって、クックのくずと穀物を空に蒔いた。青手乗りを呼ぶ口笛を吹き、鈴を鳴らした。小鳥たちが飛んできた。一匹が向かう方向に小鳥はついて行ってしまう。小鳥のこの習性は、本当にありがたい。メル以外の小鳥も一緒に群れとなってくれたから、目くらましになった。

「よくやったな」

 ヴェンはメルに呼びかけた。メルは地面の餌をついばむのをやめて、ヴェンの指に乗った。メルの足輪に挟んだ紙は消えていた。目的通りアシャに渡っているといいが、そればかりはわからない。

 ヴェンは、仲間のいる都の門の外に向かった。門を出る時も、入る時と同様に簡単に通してもらえた。予想通り、都の門は比較的手薄だ。

 他国の王達を幽閉しているせいで、警備は王城に集中している。町の中は通行人も少なく、兵もまばらだ。湖の国に軍の主力を送っているのだから、巨大な軍勢を持つ森の国でも手は足りなくなってきている。

 武器の確認は厳しいが、武器を奪われることもなく入れる場合もある。現に、ヴェンは何の検査もされず門を通過できた。小柄で線が細いと、肩に青手乗りを乗せるだけで害がないと判断される。この外見は好きではないが、門番を騙すには最適だ。ヴェンを旅の軽業師だとでも思っただろう。

 湖の国のはずれの町で泊まった時に、皆、一般人の服装に着替えている。この分なら、数人ずつに分散してもっともらしい訪問理由を言えば、都の門は通過できる。潜入方法を考えながら、ヴェンは仲間の隠れ場所に戻った。


 部屋に戻ると、アシャはウリ女王に手招きをした。女王が近付くと、自分のスカートを持ち上げた。お行儀のよくない行動に女王は目を見張ったが、アシャの片方の靴下に挟まれたものを見て、さらに目が大きくなった。アシャは慌てて女王の口を手で覆った。声を出さないようにゼスチャーで示してから、手を外した。見張りは部屋の外だ。話し声と音さえ気を付ければ、何をしているかばれない。

 もしも、アシャがムアドなら、見張りを中にも立たせるか、中を監視できる窓を付ける。ムアドは案外、詰めが甘い。見事な装飾掘りをされた木製の戸に穴をあけたくなかったのか、衛兵が足りないのか。

 アシャは女王に頷いてから、スカートの隠しポケットを見せた。そこにある短剣を見て、女王は口元を押さえた。最後に、朝食の席でメルが手のひらに落とし込んだ丸め紙を、袖を手繰って取り出した。記号が描かれていた。幼いころ、兄たちと兵隊ごっこをした時に使っていた暗号だ。この暗号はアシャとヴェンにしかわからない。これを書いたのは間違いなくヴェンだ。アシャは胸が温かくなった。

 ウリ女王は読めない記号に眉をひそめた。アシャは女王の耳に口を付けて、小声で言った。

「夕刻に助けが来ます。それまでに部屋から出て、他の人達も部屋から出しましょう」

 アシャの言葉に、ウリ女王は目を丸くした。無声音で口を動かした。

「ばれたらどうするのですか?」

「それは考えません。ばれないようにするのです。考えるべきは、ばれたらどうするのかではなく、どうやれば、ばれずに上手く脱出できるかです」

「分かりました。私は何をすれば?」

「体をほぐして、チャンスまで休みましょう」

「それだけ?」

「できるだけ穏やかに過ごしましょう。あ、ばれないように配慮するのでしたら、必要な品をいくつか持って来るように衛兵に頼んでみるのも、いいかもしれません」

 商隊での生活は、アシャを狡猾にした。幼さと老練さが混在するアシャは、女王にとって初めて出会う種類の人間だった。


 王家の救出に来た者達は、昼頃から、バラバラに分かれて都の中に入った。屈強な男たちは、警護の制服から庶民のものに着替えるだけだ。

「用心棒の仕事を求めて来た」

と、言えば、武器を携帯していても納得された。取り上げられることも無かった。森の兵たちの人手不足は深刻そうで、

「兵隊の募集があるから、王城に向かうように」

と、声をかけられたくらいだ。

 本格的な偽装をしたのは、ダルチ王。王は庶民の姿で小さな馬に跨り、ハナとヴェンが連れ立った。

 病気の父親を治療するため、森に転地療養に来た事にした。

 タオとメテアは印をきっちり隠し、一家に仕える奴隷のふりをした。

 森の都では、ガルは湖や砂漠の都ほど顔を知られていない。歳は取っているが、兵の職を求めて来たことにした。上品な商人の衣類を脱ぎ、袖のない筋肉が強調される用心棒の服装をすると、隊の者でさえ、長のガル・ラッカードだとは思えなかった。

 ブセアは医師のふりをし、薬師は薬師のままでいた。ウォセとエミナは彼らの召使と用心棒。

 計画実行中は、都ですれ違っても視線も言葉も交わさない約束をした。約束の時間、決められた場所にそれぞれの準備物を必ず用意する誓いを立て、解散した。


 一方、湖の都では、森の兵隊に隠れて移動を始める湖の民や、堂々と移動を宣言する商隊も出て来た。いくら森の兵の数が多くても、寄せ集めただけの荒くれ者も含まれている。それに、二つの国に挟まれ幾度となく戦の可能性があったにもかかわらず、都の門さえ築かない湖の国の一般の民こそ、しなやかな対応ができ、したたかな危機回避能力に長けていた。その事実を森の軍隊は気付いていなかった。

湖の都に残っていたガル・ラッカードの商隊は、人々が寝ている早朝、タフトを空に放った。

 テルーの商隊も動いた。面と向かって抵抗するわけではない。

「我々も、森の宰相ムアド・テクムーに力を貸そう。我らは森の商人、今回の件に加担できなかったのは心外だが、少しでも早くムアド殿に会って挽回したい」

 堂々と森の都に向かった。交渉をしたのはテルーの右腕を務める男だ。テルーは嘘がつけないから、一言も話さなかった。

 森の都を目指すテルーの商隊には、当然、他の者達も紛れ込んでいた。湖や砂漠の強者達が、テルーの隊の衣装を借りた。彼らは、全速力で向かった。


 午後遅く、タフトは森の都に到着した。都の大通りにいたヴェンは、上空のタフトを目にすると、指笛を軽く二回吹き、長く続けた。命令が伝わってくれたなら、タフトはこの上空をいったん離れ、指笛が届くどこかに隠れているはずだ。

 ヴェンは、薬師に相談できないままの薬包紙について考えた。薬師が無理なら、父だけにでも伝えたい。だが、二人の周囲にはいつも誰かいて、話す機会がなかった。裏切者が誰かわからないうちは、ヴェンの持つ薬包紙の存在を知られてはならない。

 裏切り者は誰だ。砂漠から来た者。兄弟でさえ、例外ではないかもしれない。誰一人信用してはいけない。こわばったヴェンの肩にメルはとまり、そっとヴェンの耳をつついた。


 アシャは部屋から出られないままだった。ウリ女王が要求した美容に関わる様々な品も届けられず、アシャが空腹を訴えても、食料は届けられなかった。アシャがあまりに騒ぐので、衛兵が腹立ちまぎれに言った。

「日が落ちてから、再び広間で夕食だ。それまで、騒ぐな」

 午後遅く、鎧戸が外からそっとノックされた。

「お約束の食べ物をお持ちしました。許可が下りなくて、窓から失礼します。衛兵には、内緒ですよ」

 朝食の時に剣をくれた給仕の声がした。

 鎧戸の閂が外され、開けられた。アシャは、窓を開けて、食べ物を受け取った。

「ありがとう。でも、見つかったら大変。早く戻って」

「ウリ王子やゲレル王にも、窓からお持ちしようと思うのですが・・・・・・」

 給仕は、まだ中身が残っているかごの中をのぞいた。

「ダメです。貴方が危ない。・・・・・・窓から食べ物を渡すつもりなら、ゲレル王やリュイ王子の部屋も一階なのね」

「はい、この窓沿いの端の部屋にリュイ王子が、ゲレル王の居室の寝室は北側です」

「ありがとう、さあ、早く」

 アシャは窓を閉めて鍵をかけた。給仕は鎧戸を閉めて閂をかけた。

 アシャは、他の人たちがどの部屋にいるか聞くために、朝食の折の腹話術で給仕に食べ物を届けてくれるように頼んでいたのだ。だから、旺盛な食欲を見せつけ、部屋で空腹を訴え続けた。だが、許可が下りない限り、給仕は来ないと踏んでいた。まさか、危険を冒して窓から来るとは。給仕の身が心配だ。

 アシャは、ウリ女王からベールを受け取った。食べ物を皿ごと乗せた。上手に包み込み、四隅を結んで零れないようにした。ベールについていた鈴はすべて外してある。午前中にすませておいた。組紐の鈴も取り外してある。その組紐で、食べ物が入ったベールをアシャは背負った。

「そろそろ動きしましょう」

 アシャは女王に言った。

「だったら、荷物は置いて行った方がよくありませんか?」

「給仕が来た証拠を部屋に残すわけにはいきません。恩を仇で返すことになります」

 アシャのささやきに、ウリ女王は頷いた。

 アシャは、さっき閉めたばかりの窓を開けた。ナイフを取り出し、刃の背を上にして鎧戸の隙間に入れ、そっと上に持ち上げた。閂(かんぬき)鎹(かすがい)から閂が外れた。閂は落下する。アシャはすかさず鎧戸を開け、左手で閂を掴んだ。固唾を飲んで見守っていたウリ女王に、アシャは閂を渡した。まず、女王が窓を超えて外に出た。アシャは出るとすぐに窓を閉めた。手早く鎧戸を閉め、閂をかけた。

音を立てないよう、建物に沿って移動し、リュイ王子が居ると言われた部屋の閂を外し、鎧戸を開けた。攻撃かと思った王子たちは身構えた。アシャの顔を見ると、ほっと吐息を漏らした。アシャは口の前に右の人差し指を置いて、左手でこちらに招いた。湖宰相とリュイ王子を窓から出すと、先ほどと同じようにもう一度閂をかけた。

 ウリ女王も湖の宰相も戴冠式で一度来ていたので、ブセア王が閉じ込められている部屋はすぐにわかった。今度は閂だけでなく、南京錠までかけられていた。アシャが眉をしかめると、ウリ女王は髪からかんざしを差し出した。宰相が上着のスカーフ止めのピンを抜いた。アシャは二つを受け取ると、南京錠の鍵穴に差し込んだ。しばらくすると錠は開いた。

 そっと鎧戸を開け窓を叩いたが、ブセア王は気付かなかった。王は疲れて寝ているようだ。アシャたちとは立場が違う。もしかすると、昨夜は失われた剣について、詰問されていたのかもしれない。さて、どうやって窓を開けよう。

 その時、足音がした。四人は固まった。アシャは手早く鎧戸と閂を元に戻した。

窓の西側に大きな木があった。その木と壁の間にもぐりこんだ。しかし、全員は隠れられない。王女と宰相を残し、アシャとリュイ王子は太い木の幹を登った。

衛兵らしき二つの足音が、どんどん近づく。

 もう駄目だと思った時、上空で羽音がした。空を見上げると、巨大な鳥が飛んでいた。鳥は低く飛び、建物の向こう側に消えた。

 建物の向こう側から、呼び掛ける声が聞こえた。

「おーい。こっちで荷物を運ぶのを手伝ってくれないか」

 その声をアシャはよく知っている。胸が温かくなった。

 その声で、ふと記憶がよみがえった。

 目の前には木の洞。そこから生え茂る植物。なよやかな薄い色の葉は、硬くて尖ったこの大木の葉とは別のもの、ヤドリギだ。ヤドリギは実を着けていた。鳥使い達は野生の鳥を捕まえる時、このヤドリギの実を使う。実を噛んでねばねばしたとりもちを作り、小鳥がとまりやすそうな木の枝に巻き付ける。周囲に餌を置き、罠にするのだ。木の下の藪に隠れて、小鳥が止まり足がくっついて取れなくなる瞬間を狙う。そうなったら、素早く木に登り、傷つけないように小鳥を捕まえ羽を優しく布で縛ってから、小鳥の足元にとりもちを外すための灰をかける。アシャは、ヴェンの説明を思い出した。

 アシャはそっとヤドリギの実をつかみ取ると、口に含んだ。ねばねばとしたものが口に広がる。

「見回り中だ。何を手伝うのだ」

 こちらに向かっていた衛兵が、建物の向こうに呼びかけた。

「重くて一人じゃ無理だ、手を貸してくれ」

「仕方がないな」

 衛兵の足音は建物の向こうへ遠ざかった。足音が建物を曲がったところで、重いものが地面に落ちる音がした。一つ、二つ。

 アシャは急いで木から降りると、鎧戸を開けて口に含んだとりもちを窓に付けた。とりもちは、アシャの右手の指と窓ガラスをくっつけて離れなくした。左手で短剣を抜くと手早く円形にガラス傷をつける、軽く叩くと、窓ガラスは丸く切り取られた。切り取られたガラスはアシャの手に張り付き、地面に落ちることはない。アシャは穴から右腕を入れ、窓の鍵を開けた。静かに窓を開け、部屋に入った。リュイ王子も後に続いた。

 リュイ王子は寝ているゲレル王の口を手で覆ってから、揺り起こした。王は驚き、叫ぼうとした。王子は掌をさらに押し付け、落ち着くようにささやいた。ゲレル王は黙ったが、目を見開き、荒い呼吸を繰り返した。なんとか事態を飲み込んだようで、王子に頷いた。ゲレル王は急いで靴を履いて、上着を引っかけ窓から出た。ウリ女王と湖の宰相は、窓と鎧戸を閉めて閂をかけ、丁寧に南京錠までかけた。

 足音も無く気配が近付いた。振り向いて頷くと、相手も頷いた。

 捕らわれの身から自由になった五人は、現れた小柄な男、ヴェン・ラッカードに導かれ、王城の外壁に沿って北に進んだ。目指すのは北側にある裏門。

 裏門につくと、門番たちは猿ぐつわをされ手足を縄で縛られ、ラッカードの兄弟に藪の中に押し込まれているところだった。

 アシャや王たちが門を出ると、ヴェンは中に残り、門を閉め閂をかけた。

 指笛を鳴らす。

 大きな影が近付き、タフトが舞い降りた。ヴェンは助走をつけてタフトに飛び乗った。タフトは地面を一歩蹴って飛び立ち、都の外を目指した。

 徒歩で逃げた者達は、城の裏にある丘へ急いだ。丘の上では、ガルやハナ達が待ち構えていた。五人は用意されていた衣装に着替えた。とりもちが手から離れず、少々苦労したが、アシャもどうにか着替えた。アシャは少年の服装、リュイ王子はかつらをかぶり、平民の服を着た。ウリ女王は色の濃いベールで顔を隠し、占い師の服装、ゲレル王と湖の宰相は農民の服装になった。

 着替えると、都の門への道を下った。丘を降りたところで、一台の農業用の馬車が待っていた。薬師が綱を握る馬車に、ゲレル王と湖の宰相が乗り、先に都から出た。町はずれで、タオとメテアが檻を乗せた荷車を用意していた。

「また、お前に捕らえられるのか」

 文句を言うアシャを軽々と抱え、タオは笑いながら檻の中に放り込んだ。リュイ王子とウリ女王も中に入れられた。檻の上から覆いの布をかけ、門の外を目指した。都から出る時は、金目の物を積んでいないか程度の調べですんだ。

 日が暮れ前、都の外の森のはずれで全員が合流した。湖の警護が準備していた馬車に乗り換え、東の街道を、一路、国境を目指した。


 日が傾き始めた。夕食の時間になれば、王族たちの逃亡にムアドが気づく。追手が来る前に国境を越えなければ。

 早く、早く、馬を急がせた。

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