第7話 換羽の儀

 タオは、湖の都についてからも、ずっと娘を探し続けていた。年は十六歳前後、湖の民の娘。取引相手には、商品の体をくまなく見て、納得のいく娘だけ買い入れると知らせた。高額の買い取り額が噂になり、次々に奴隷商人が訪れる。だが、目的の娘はいない。

 明日は換羽の儀だ。それまでに見つけたい。だが、手がかり一つない。

 焦りでいっぱいの胸には、旨い料理も入っていかない。好物を前にして手も付けず、一人酒場に座っていた。茹でたカニの乗った白い陶器の皿に、人影が差した。

「変な商品を探しているね、誰に卸すのかい、タオ」

 奴隷商人としては珍しい、女首領のメテアが声をかけてきた。

「お前の知った事か」

「あら、ご挨拶ね。男の商人が知らない所も、女の私なら知っているし、見つけてあげられるのよ。金を弾んでくれればね」

 メテアはカニの足を一つ取り上げ、パキリと割った。

「特別な印のある十六ぐらいの娘を探している。これを見せるのはお前が初めてだ。お前、口だけは堅いよな。誰にも言うなよ、この印がある娘を買いたい。これだけ探して居ないのだ。もしかすると、その娘は・・・・・・奴隷ではないかもしれない」

 タオは誰の目にも触れぬよう、懐に隠している布を取り出した。布には印があった。何年も、繰り返しこの印を見てきた。カニの足に食らいついていたメテアは、足をぽいと投げると、上着のすそで手を拭いて、そっとタオが差し出した布を広げ、一目見るとすぐに閉じてタオにつき返した。

 もう一本、カニの足を折った。

「これ、ヘルダの印?奴隷なら、奴隷商の苗字と、何番目の奴隷かを示す数字のはずだ。この印は豪商や技術者、いや、貴族か、それ以上の身分のはず。なぜ、奴隷娘に、この印を探す?」

 メテアは無意識に右肩に手を置いた。今は手で隠れているが、メテアの肩には葉の形をしたヘルダの印がある。まるでそれを見せつけるかのように、メテアはいつも肌蹴ている。

「メテアこそ、その印、貴族の出なのか?」

「まあね。私は、こんなに美しくて若い女だ。売っている方じゃなくて売られる方かと誤解されないように、身分をアピールするために印を出している」

 メテアは愛しそうに印を撫でた。

「若く美しい?よく言うな。お前もそうだが、生まれは貴族でも、身を落す者もある。だから、・・・・・・」

 確かに、メテアは美しい。金色の髪で濃い青い目は森の民のようだが、黄色い肌をしている。混血であろう。若いと本人は言ったが、主観の問題だとしても、いわゆる『若い娘』の年齢はとうに過ぎている。多分、二十代後半か三十路だ。

「湖には公衆浴場や水浴びをするところが沢山ある。私達の組でそこを探してやるよ。男には探せない、女の場所だ。奴隷だけじゃない、市民もやってくる。貴族は来ないが。それから、表に出せない商品も見てきてやるよ。だから、あんまり目立つことをするな。お前の身が心配だ」

「どういう風の吹き回しだ?」

「噂になっている。タオが、危ない商売に手を出したと。若い娘を、闇で貴族に売ろうとしていると。そんなうわさが出れば、その金を分捕ろうって企む者が出てくる。金を持っているぞと、触れ回るのと同じだ。おまえはバカだったのか。まあ、そうだと思っていたけれど、ここまで馬鹿だとは知らなかった。絶対に、裏路地は歩くな。闇商売も、やりたけりゃ、止めない。だが、もっと上手くしろ。私がやばい橋を渡らなくてすむ方法を教えてやるから。・・・・・・しかし、人相が悪くなったな。ずいぶんやつれたせいだ」

「人相は元々だ。痩せたのは、金がなくて食えないだけだ。だから、謝礼は、噂以上は出せないぞ」

「十分だ。代わりに、お前の探し物が見つかったら、私のも手伝え」

「了承した」

「前金な」

 メテアはタオの飲んでいる果汁入りの炭酸水と、揚げたクックを取り上げて、去っていった。香油だろう、通り過ぎた後はいい匂いがした。その香りは、過去を思い起こさせる。母は衣服に香を焚き染めていた。砂漠のバラの実を焚いていた。なぜ、奴隷商人などにその香りを重ねてしまうのだろう。

 疲れているのか。

 ふと、砂漠で捕らえたお転婆娘を思い出した。毒を使ったから、砂漠の竜の怒りをかったのかもしれない。悪い事は出来ないものだ。その後、運が無い。

 砂漠馬も砂鳥もちりぢりになって、集めるのが大変だった。けがをさせてしまった。荷車や荷も大きく損傷した。砂漠狼に食われなかっただけましかもしれない。

 そういえば、あいつの印を確かめる前に逃げられた。死に物狂いで娘を守ろうとした男のせいで、意識のない幼い娘の衣服を剥ぐ気になれなかった。

 年もちがうし、あのお転婆がこの印をつけているわけはない。タオはヘルダの印の描かれた布を懐にしまった。父との約束を成し遂げなくてはならない。約束を果たせないまま、ずいぶん経ってしまった。一日も早く、父の無念を晴らさなくては。タオは左手首を額に当てた。

 タオの周りのテーブルもそうだが、湖の都には、やたらと森の民が居た。驚くほど多い。そして、噂以上に森の民の気は荒い。町のあちこちでトラブルを起こしていた。湖の国の警備の者が仲裁に入っても、反撃され、体格の差には勝てず収拾がつかない。

「テルーの者を呼べ」

 森の民が揉め出すと、人は口々に叫ぶ。テルーの商隊の用心棒が駆けつけて、おさめてくれる。彼らは周囲に謝ることも弁償することも無いが、荒れた森の民を人気のない所に連れていき、事態を収拾する。森の民の行いの悪さで、森の商隊の出入国が制限されれば、商売に差し支える。商隊の利益のために仲裁しているだけだが、街の治安を保ってくれるテルーの手の者を、湖の人々は信頼している。

 湖の都の空気はきな臭く、緊張と期待が交じり合い、欲と願望が渦巻く。漂う危うい気配は、沸点に達しそうだ。


 換羽の儀の朝は曇りだった。

 湖の国らしい程よい気温、湿ったそよ風は爽やかで、仄かに木々と水草の香りがした。湖の国の王子、リュイ・ヤルブは、湖の見える王城のバルコニーに居た。

「準備はおすみですか、リュイ王子」

 背後から、ウリ女王の声がした。

「はい、女王陛下」

 ゆっくりと王子は振り返った。

 王子は目を見張り、息を飲んだ。女王の正装は眩しかった。冠の下に、薄い水色のレースのベールをかぶっていた。ベールの後ろの端には、湖の国の細工師が作った、小さな銀の鈴がいくつかついている。彼女が一歩、王子に歩み寄る度に、涼やかな音色がする。ベールの下の髪は毛先に少し広がった羽があり、黒くて長い。髪は周囲に緑がかった光をはじいている。水色と白の艶のある布で作られた、簡素で優美なラインのドレスは、裾を引きずることなく、軽やかな足さばきに揺れる。ウエストに結んだ深い青と銀の組紐が、彼女の唯一のアクセサリーだ。その紐の先にも、小さな鈴が付いている。言葉を発せないリュイ王子に、ウリ女王は笑いかけた。

「緊張してしまいますね。大丈夫ですよ、貴方なら」

「はい、そのお言葉を励みにします」

 女王は左手を差し出した。王子はひざまずき、その手の甲に唇を押し当て、立ち上がって腕を組んだ。

「行きましょう」

「ええ」

 二人が王城の正面、陸に面している方のバルコニーに向かうため、部屋をいくつか横切った。正面バルコニーのカーテンの前で立ち止まると、湖の国の宰相ヌクス・ツーンがさっと右手の指示棒を上げた。晴れやかに演奏が始まり、カーテンが左右に開かれた。女王が一人歩み出て、バルコニーの真ん中に立った。集まった人々は、女王を見上げ、歓声を上げた。

「ウリ女王、万歳!」

「湖の国、万歳!」

「リュイ王子、万歳!」

 女王は人々の歓声を笑顔で受け止め、次に、両方の手のひらを顔の前で広げた。沈黙を求める仕草に、群衆は従った。

「皆さんこんにちは。王室の行事に、このように多くの人が集まり、興味を持っていただき、祝福を与えて下さって、わたくしの胸は嬉しさに震えています。王室を代表してお礼を申し上げます。誠にありがとうございます」

 張りのある大きな声で、女王は言った。やや低めの深みある声は、良く通る。

「湖の国、女王、ウリ・ヤルブは、本日、換羽の儀を行う事を宣言します。本日午後より、湖の斎場にて、換羽を迎える王子、王女を皆さんにご紹介いたします。音楽と舞を湖の竜に奉納し、真珠貝の儀式を取り行います。一番みごとな真珠を見つけた者が、次の王位継承者です。公正で明確な選定方法です。国民の皆さん、我々王家は、皆さんの代表として、日々、知的に、倫理的に、公平に、国を治める努力をしています。どうか、大公無私を目指す我々の治世が末永く続くように、共に祈ってください」

 女王は語り終わると、頭を深々と下げた。大きな拍手が沸き上がった。

 続いて、リュイ王子がバルコニーの前に立った。

「国民の皆さん。この良き日に、換羽の儀を行う事ができ、嬉しく思います。本日、儀式を行う者を代表して、リュイ・ヤルブが皆さんにお願い申し上げます。本日は、湖での漁、航行はできなくなります。王室の儀式のため、国民の皆さんの生活の妨げとなり、申し訳ない。どうか、ご理解をお願いします。また、湖の国以外の諸国からお越しの皆さん、我々にとって、厳正で神聖な儀式です。どうか、お静かに見守ってくださいますよう、お願いいたします」

 招かれた森の王ゲレル・ヒューレーが短い挨拶をし、砂漠の王ダルチ・ミドゥバルがあいさつした。足元がふらつくダルチ王を、リュイ王子は思わず支えた。警護が一瞬近づいたが、王が合図し、下がった。

「かたじけない、リュイ王子」

「いえ、旅でお疲れなのでしょう。どうか、この地でゆっくりお過ごしください」

 リュイ王子は砂漠の王に微笑みかけた。初めて会うはず。しかし、そんな気がしない。ダルチ王は、先日あったガル・ラッカードにどことなく似ている。そのせいだろうか。

 リュイ王子は、ダルチ王を三つ並んだ王座の左の席に案内した。ウリ女王が真ん中に着席し、右に森のゲレル王が座った。王子はウリ女王の椅子の背後に立ち、その後ろに、各国の宰相が立った。

 女王の合図で演奏が始まり、パレードが動き出した。楽師たちが先頭を行く。山車や舞踊家たちが続く。道化師も、軽業師も。湖の斎場に向けて練り歩く行列に、群衆は湧いた。行列が過ぎると、群衆はその後ろをついて移動した。

 群衆の関心がパレードに移ったと判断した王城のバルコニーでは、先ほどまでの表向きの姿勢は消えた。砂漠の王を心配する声が上がり、すぐに湖の王室の医師が呼ばれた。王はリュイ王子の肩を借り、控えの間に移動した。ラッカードの兄弟たちも控えた。

 王を診察する医師は眉をしかめ、深いため息をついた。財政難から、王の側室や姫たちは同行していなかった。王の一行とは別に、個人で湖見を訪れた裕福な貴族たちは、王の様子を遠巻きに見るだけだった。医師は病名を告げる相手を探しているのだろうか、周囲に視線を巡らせた。

 砂漠の国の宰相が、そんな医師に声をかけた。

「見立てはいかがですか」

 医師はすぐには答えなかった。

「本日、初めて拝見したので見立てはまだ途中、まだ何とも言えません。申し訳ございません、明日も診察しましょう。今日のところは、体力回復の薬湯をお持ちいたします」

 医師は宰相には答えず、王に向かって言葉をかけた。

 医師は王に深々と頭を下げ、部屋を辞した。

「宰相の私に言わぬとは」

 ブセアは憤慨して呟いた。森の宰相ムアド・テクムーは、ブセアの肩を叩いた。

 女王と森の王は心配そうに言葉を交わしていた。

 森の王ゲレル・ヒューレーは先王の後を継いだばかりの二十八歳。まだ、正式な妃は居ない。側室は居るが、いわゆる色を伴うものではないと聞いている。先王は病の床で、ゲレル王の側室たちを選び、新王への助けを頼んだ。宰相が、今以上に権力を握るのを阻止するためとも言われている。ゲレル王はすらりとした長身で、緑の瞳と銀色の髪をしていた。和やかに話す二人は、お似合いに見えた。

 ほどなくして、薬師がやって来た。ダルチ王が薬湯を飲み終わり、薬師が退出するとき、森の宰相ムアドがぶしつけに聞いた。

「薬湯は何だ?」

「医師より、他言無用と言われております」

 女性の薬師は静かに歩み去ろうとしたが、ムアドは薬湯の杯を取り上げ、懐に入れた。

「何をなさいます」

 薬師は、懐に向かって手を伸ばした。

「森の宰相に何をする気だ」

 森の警護が薬師を退けた。

 薬師はきっとムアドを睨んでから、くるりと背を向けて去っていった。全身紺で、襟と袖の先だけ白い簡素な衣装の薬師は、服とは対照的な優美な銀細工の指輪をはめていた。


 正午前に、王たちも湖の祭場に出発した。王と護衛たちは陸路を取らない。王城の湖側の玄関から船に乗る。砂漠の王も薬湯のおかげか体調を戻し、一行と共に行動できた。船は穏やかな風を受け、静かに進んだ。鏡のような穏やかな湖面を緩やかに渡り、板張りの斎場に着いた。天幕が用意されていて、王たちと供の者はその中に座った。

 湖の女王ウリ・ヤルブの合図で、民族音楽の演奏が始まった。数種類の弦楽器と木製の横笛、打楽器を主とした演奏は緩やかで甘く切ない響き、湖の国を母国とする者にとっては郷愁を誘い、心を強くするものだった。ゆっくりと始まった曲調は、進むにつれ打楽器の速度が増し音量が上がる。終盤は強く激しく、躍動感あふれるものとなった。午後の柔らかな光の中で、群衆は静かに聞き入った。

 王たちの天幕近くに、豪商たちの長と幹部、小さな商隊の長の天幕があった。湖面に張り出した木製の桟敷席に商隊のほかの者たちは座っていた。一般の見物人よりはずっといい場所だ。

 アシャはハナの商隊の人々と居た。テルーとガルの商隊に挟まれた、小ぢんまりとした一団だ。

音楽に耳を傾け湖面を見ているうちに、アシャはなぜか、懐かしく、物悲しく、切なくなった。初めは、兄弟からもマルからも離れ、知り合いが多くないためだと思っていた。しかし、徐々に、それとは違う、それだけではないと思い始めた。これまで感じたことのない、ざわざわした感覚に襲われた。

「アシャ、元気が無いようですが、大丈夫ですか」

エミナが柔らかに聞いた。

「大丈夫です」

アシャは笑顔を作ろうとしたが、上手くいかなかった。

 変だ。全身がざわつき、体中の産羽(うぶね)が逆立つ。体ががくがく震え始めた。音楽の元に行かねばと思ってしまう。アシャは桟敷のクッションから立ち上がり、一歩、二歩、湖に向かって踏み出した。隣に座るテルーの屈強な男に、アシャの脚がぶつかった。

「なんだ、お前」

「どういうつもりだ」

気の荒い森の男たちは気色ばんだ。

「立つな、見えない」

 桟敷席の背後に座ったり、さらに後ろで立ったりして見ている群衆から、不満の声が飛んだ。

だが、アシャは止まれなかった。何かに引っ張られるように、更に一歩、前に進んだ。

ここ数日、人々の心は沸騰寸前だった。それはまるで、ぎりぎりまで酒で満たされた杯のよう。興奮や期待、思惑と駆け引き、倦怠と焦り、野心と諦め、様々な感情が詰まった張りつめた表面に、最後の一滴、「不満」が落とされた。

 群衆の感情は、杯からあふれだした。溢れる勢いのまま、アシャの居る桟敷席に向かってなだれ込んだ。

 

 タオとメテアは、その騒ぎを群衆の背後から見ていた。

「座れ」

「立つな」

「一般人も桟敷に入れろ」

「湖の民や、商隊だけ、優遇するな」

 見物人たちが乱暴に桟敷を占拠しようとした。一人が始めると、誰も彼も自分を止められない。

「静まれ、やめろ。静かに儀式を見守る約束だろう」

テルーの男たちが群衆を押し返した。群衆の後ろの酒場の店先には奴隷商人たちが居て、騒ぎを面白そうに見ていた。

「どうなると思う?」

「儀式が台無しになるのは困るな。騒ぎに乗じて、うちの奴隷が逃亡しては迷惑だ」

「では、俺たちも、鎮めに行くか」

 奴隷商人らも背後から、落ち着くよう、見物人たちに静かに声をかけた。

 人々は不満を口にしながらも、少しずつ元の場所に戻った。

 舞台の上では、こちらにかまうことなく、儀式が進んでいた。換羽の儀を行う王子や王女が一人ずつ紹介され、拍手を浴びていた。ついに、真珠貝の儀に入った。

ロールを打つ太鼓の鳴り響くなか、王女たちと王子は、飛び込もうと身構えた。

 見物人の乱入を止めに入っていたメテアとタオも、酒場の席に向かった。


 アシャはまだふらふらと立っていた。ハナの商隊の者が、座らせようとしても、その腕を押しやり、少しずつ湖に近づく。

「おい、いい加減にしろ」

 森の屈強な男がアシャの上着の首の後ろを掴んで、座らせようと引き下げた。しかし、それくらいで引き倒されたりするほど、アシャはやわな体ではない。アシャが倒れない代わりに、水色の上着も中に来ていた桃色の肌着も、びりびりと音を立てて破れた。

 白い背中が露わになった。

 午後の日の光が、右の肩甲骨とその下にある印を照らす。真珠を抱く貝が刻まれたヘルダの印。

 少女の眩しい肌に男たちが唸った。その声でメテアは振り向いた。

 メテアの目に、娘の背中の印が飛び込んだ。

「タオ、見て!」

 メテアはタオの袖を引いた。

 メテアの見る方向に視線をやったタオは、何も言わず走り出した。

 人ごみをかき分け、走り出すタオ。再び群衆は不満を爆発させる。なかなか前に進めない。

「アシャ、何をするのですか?」

 エミナが大声で叫んだ。

 アシャは、捕まえよう、座らせようとする手をかいくぐり、一気に駆け出し、桟敷席の一番前、湖へ張り出す手すりに足をかけた。力いっぱい踏み切って、綺麗な弧を描き飛びこんだ。水色の服が水しぶきのようにはためいた。アシャはほぼしぶきを上げず、手練れの潜水婦のように湖の中に消えた。

 群衆は息を飲んだ。

 アシャは換羽の儀の王族が水に入る同刻に、湖水の深みを目指し潜って行った。

「大丈夫だろうか」

 桟敷の周りの者は、顔を見合わせた。

「アシャは泳げるのでしょうか」

 エミナが誰に聞くでもなくつぶやいた。

「多分、水に入ったことはないはずだ」

 ハナの隊の古株が言った。

「助けなくては」

 ウォセは剣をエミナに渡し、服を脱ごうとした。

「真珠貝の儀の最中だ。湖に入ってはならぬ」

 桟敷に勝手に上がり込んだ老人が、ウォセを止めた。

「しかし・・・・」

「あれは、泳げるはずだ」

 やっと桟敷席の前の方まで、人をかき分けてきたタオが言った。

「なぜだ?おまえは誰だ?」

 ウォセは、突然割り込んで来たタオに不審げに聞いた。

「背中のヘルダの印、あれは湖に深い縁があるものの証。習わなくても泳げるはずだ」

 タオは、手首の印を隠している防具がずれているのに気づかなかった。エミナはそれを見逃さなかった。エミナはその印のある手首をつかんで、群衆から隠した。声を潜めてタオにささやく。

「アシャのも、これも、詳しい話を聞かせて下さい。ハナが貴方の事を探しています。私はハナの商隊の占い師見習、エミナです」

 タオは顔を歪ませ、エミナの手を振りほどき、防具で手首を隠した。

「見たのか」

「安心してください、私の声は、あなたの頭に直接話しかけ、周囲の人には聞かれていません。よく聞いて。アシャが、湖に飛び込んだお嬢さんが、砂漠の盗賊の砦から水筒を持ち帰りました。そして、盗賊に捕らわれた時の話を聞かせてくれました。貴方が首領のタオですね。ハナは、換羽の儀で滞在する間、テルーの屋敷に居ます。昔、貴方のお母様に仕えていたハナです。必ず、来てください。ハナはあなたに会いたがっている」

 タオは目を見開いた。今すぐ伝えなくてはならないことがある。この不思議な『砂漠の女神の贈り物』の占い師見習いは、タオの口に出さない言葉も聞き取ってくれるかもしれない。

 タオはエミナの手を取った。

 だが、人ごみに流され、タオの手はエミナから離れた。

「ほら、戻れ、戻れ」

 テルーの商隊の屈強な男たちは、群衆を鎮め、元の席に戻させる。

 茫然としているタオを引っ張って、メテアは酒場に戻った。

「やっと見つけられたな、タオ」

「ああ、だが、間に合わなかった。換羽の儀が始まってしまった・・・・・・もっと、早く気付いていたら・・・・・・砂漠で気づいていれば」

 タオはテーブルに突っ伏し、拳を叩きつけた。

「遅すぎるなんてことはない。目の前に真実があるのに、お前は諦めてしまうのか」

 メテアは肩をたたく。タオはゆっくり頭を上げた。

「いう通りかもしれない。見つけてくれて助かった。金は弾む」

「金はいらない。それより、あの娘の話を聞かせろ。それが対価だ」

「それはたすかるが、・・・・・・話すと長い。それに、すぐに行かねば」

「かまわん。話す間、お前についていく」

「でも、仕事は?いいのか?いつ暴徒にやられるかもしれないぞ」

「ああ、仕事っていうのは・・・・・・あれは、お前と同じ。隠れ蓑だ」

 メテアは懐から布を取り出した。その布には別の印があった。それを見て、タオは悟った。

「お前も探していたのか。俺と同じように、行方知らずの高貴な人を」

「そうだ。お互い、よくもまあ奴隷商人など、同じ事を思いつくものだな」

「俺は、考えた上で奴隷商人に身をやつしたのではない。奴隷商人に人質にされた。そいつらを殺して乗っ取っただけだ」

「なかなかやるな」

「だが、父は、その時死んだ。・・・・・・事をなし、父の名誉を回復したい。それには、あの娘を助け、この手で本来の場所に連れて行かないと。・・・・・・娘が無事だといいが」

「タオ、なにをぐずぐず言っている。事をなそう。私は付き合うぞ。ついていく限り、失敗は許さない。すぐに席を立て。儀式を無事に終えるため、きっと、司祭たちは娘を探し助けるだろう。だが、儀式に紛れ込んだからには、無罪放免にはできない。処分を決めるため、娘を城へ運ぶはずだ。先回りだ、城に行くぞ」

 メテアは悠然と微笑んだ。


 アシャを心配する身内をよそに、儀式は順調に進んでいた。一人、また一人、王家の娘たちが真珠貝を手に湖から上がった。濡れた体を布にくるみ、一列に立っている。

 最後の娘が水から上がり、皆に祝福されていた。

 リュイ王子はまだ上がってこない。ウリ女王も家臣たちも、不安を隠しきれずにいた。司祭が救助の合図をしたとき、湖の真ん中に王子が浮き上がった。上がってきたのは王子だけでない、ぐったりとした商人らしきの換羽前の娘を抱えていた。王子は足だけで泳ぎ、斎場に向かった。

 王子は娘を先に斎場にあげた。水色の衣装の娘は、胸にしっかりと真珠貝を抱いていた。数人の司祭助手が娘を介抱し、王子は身軽に水から上がった。娘はぼんやりとした表情でたたずんでいた。司祭は娘から真珠貝を取り上げた。

「リュイ王子、素晴らしく大きな真珠貝を見つけられましたね」

 王子は、慌てて自分が見つけた真珠貝を服のポケットから取り出そうとうした。しかし、娘を助けた時、貝を落としてしまったのか、ポケットに真珠貝はなかった。これでは失格だ。王子は首を振った。

「いいのです。王子が拾った娘が持つものは、王子が拾ったものです」

 そう小声で司祭は王子に言うと、儀式用の小刀を手にした。

「では、真珠貝を開けます」

 陸に戻った順で、それぞれの貝を開けた。一人目の姫は、残念そうなため息をついた。補佐の者が大きさを測ったが、それは豆粒より小さかった。

 次の姫は、開けられた貝を誇らしそうに見た。大きな白い真珠だった。

 一つ開くたびに、姫たちは一喜一憂し、互いを称え合った。

 とうとう最後の、王子とアシャの貝が開けられた。一目見て、司祭も、司祭補佐も、王子も、目を見張った。驚くほど大きな真珠だ。黄色味がかった金色の真珠は、虹色の輝きを放っていた。

「最も大きな、黄金の真珠だ!」

 司祭補佐が叫んだ。それを聞いて、人々は歓声を上げた。

「綺麗」

 アシャはにっこり笑い、そのまま意識を失い崩れ落ちた。王子はアシャを助け起こし、自分の席にもたれさせた。アシャはすぐに目を開きはしたが、ぼんやりしていた。

「今日は、王子は病人を助けてばかりですね」

 生気が戻った砂漠の王は、リュイ王子に笑いかけた。王子も笑顔を返し、儀式に戻った。

「本日の真珠貝の儀では、最後の貝が最高の真珠を持っていた。従って、最後の貝を探し出した者が、次の王位を継ぐものとする」

 司祭が宣言した。

「これにて、換羽の儀は終了。皆さん、祭りの夜を楽しんでください」

 ウリ女王が一歩前に出て呼びかけ、一列に並んだ王族の姫と王子が一礼する。歓声と拍手が沸き起こった。


 王子は席に戻った。

「名は何という」

「アシャ」

 小さな声が答えた。玉座の近くで控えていた警護の小柄な男が、腰を折ったまま前に小走りに進んだ。ひざを折り、頭を下げたまま言った。

「申し上げます。その娘は、我らラッカードの者。ご迷惑をおかけして申し訳ございません。直ちに、こちらで引き取ります」

「ガル・ラッカード殿のお嬢さんだったのですか。群衆が商隊の桟敷になだれ込んでいました。押されて転落したのでしょう。王子が助けることとなり、本当によかった。まだぼんやりしているのは、頭の打ちどころが悪かったのかもしれません。しばらくこのまま安静にさせて、我らの船で城に運びましょう」

 湖の女王ウリ・ヤルブは、商隊の長の席にいるガルに言った。

「ありがとうございます。ご配慮、感謝いたします」

 ガルの代わりに、傍で控えていたヴェンは答え、警護の場に戻った。

 ラッカードの兄弟たちは不安だった。アシャの状態もだが、儀式の最中に湖に転落した事が政治的な問題にならないか不安だった。長であるガル・ラッカードはさらに不安だった。毎度毎度、事件は狙ったようにアシャに降りかかる。ため息が出てしまった。

「大丈夫。少しは揉めるかもしれないが、上手く収まるはず」

 ガルの斜め後ろに座っていたハナが耳元で言った。占い師の言葉は心強い。ガルは頷いて顔を上げた。

 群衆が見守る中、王たちの船は王城に向かった。警護の者達も乗船していた。その後ろに、貴族たちの船。

 船に乗る資格のないガルは、急いで陸路で向かった。それより先に、タオとメテアも王城を目指していた。タオには、片耳の欠けたシキオ・チェルニと片目のオコ・ヌートルも付き従った。


 王城に着いたのは、当然、陸路より船が先だった。王たちが下船し、次に宰相たちが降りた。姫と王子が降り、警護の者、供の者、司祭たちが降りた。大広間に船で移動した全員が入り、儀式が無事に終了した事を祝った。発泡酒が配られ、女王が杯を掲げて言った。

「滞りなく換羽の儀が終わりました。皆さんのご協力を感謝いたします。各国からお越しの皆さま、誠にありがとうございました。さ、警護の皆さんも一緒に、乾杯」

「乾杯!」

 ほとんどの者が杯を掲げ、煽った。拍手が室内に広がった。

 その中に、一人、異質な者が居た。森の宰相ムアドは、満たされた杯をわざと落とした。床の硬質な石の床に銀杯がぶつかった。音とともに、泡立った白い酒がはねた。

 大広間の空気の温度は、急速に下がった。

「どうなさいました?」

 ウリ女王が聞いた。

「滞りなく儀式が済んだ?」

「ええ」

「とんでもない。インチキだ」

「何を言う、控えろ」

 森の若き王ゲレル・ヒューレーは、自分より年かさの宰相を強く嗜めた。

「本当の事を申し上げている。あの印は、湖の国の印ではない」

 ムアドはリュイ王子の上半身を指さし、つかつかと靴音を立てて広間を横切った。

 王子が身にまとった薄衣は、濡れて体に張り付いていた。濃い色の肌着を着て、透けて見えるのを防いでいたが、王子の肌着は下半身だけ。布越しに、左の胸のヘルダの印が見える。

 前女王が記したヘルダの印は、ほかの王族と同様、公にされていない。湖の王族は、貝や、真珠、魚など、湖に関連した印をつけることが多い。しかし、時には、特別な別の印をつける事も許される。だから、王子の印が湖に関わるものでなくても、とやかく言う無礼者は、これまでいなかった。

「お前は湖の王子ではない。王位継承権のない者を、次の王位に指定した。さて、どうする?湖の国は、王位を継ぐ者がいなくなる」

 ムアドは言い放ち、大きな声で笑った。

「何を申す」

 ウリ王女は震える声で立ち向かった。

 皆が、リュイ王子に注目する。王子は褐色の瞳を見開き、立ち尽くしていた。顔色をなくした肌は普段より一層黄色く、濡れた髪はいつもより深い褐色。色素の薄い、一般的な湖の民の姿とは大きく違う。湖の民らしくない、がっしりとした骨格、流々と盛り上がる筋肉、頭一つは皆より高い背丈。

 無遠慮な視線にさらされ、王子はたじろぐ。

「最後の真珠を見つけた者が次の王位継承者だと、お前は宣言したな?」

 ムアドは、手にした扇で司祭を指した。

「いかにも。最後の真珠貝を見つけた湖の王族が、次の王位継承者だ」

 司祭は気力を振り絞り、言い返した。

「だが、見つけた者は王族でない。私は、その理由を知っている。きっと、薄々、気づいておいでだったのだろう?ウリ女王は」

 ムアドは、悪に染まった笑いを浮かべた。

「では、その理由を言ってみなさい」

 静かにリュイ王子は命じた。

「ダメです」

 ウリ女王はムアドを睨んだ。リュイ王子はウリ女王の蒼白の顔を見てから、ムアドに向き直った。

「理由を述べよ」

 リュイ王子は一歩前に出た。

「これは、勇敢な。では、話そう。ほんの一部の者しか知らなかった秘密だ。湖の前女王フフ様の一つ目の卵が孵化するはずの日、卵守は育児嚢を開いたが、卵にひびは入らなかった。孵化する前に、卵の中で命を落していたからだ。フフ・ヤルブ様は三日待った。勿論、ひびは入らない。失意の中、フフ前女王は二つ目の卵を産んだ。二つ目の卵の行方を知るものはいない。なぜなら、その晩、二つ目の卵は何者かに奪われたから。卵守ごと。私を出し抜く奴がいたとは、残念だ。壊してやろうと思っていたのに。消えた卵の代わりに、リュイ王子、お前がその卵守の寝床に居たのだ。フフ女王は悲しみのあまり、一つ目の自分の卵から孵った王子だと信じ込んだ。亡くなるまで信じていた。それを知っている者は、私がその場で切って捨てた卵婦と、私だけだ」

 ムアドは、大声で笑ってから、さらに続けた。

「逃げた卵婦のとどめはさせなかったが、あの刀傷では長くはなかったはずだ。だから、その秘密を知っている者は、今では私だけだ」

 ムアドは鼻で笑った。

「なぜ、その時、私も切り捨てなかった」

 静かなリュイ王子の言葉に、ムアドは大きく笑った。

「決まっている。おまえが大きくなるまで秘密にしておき、その秘密の持つ力で、私の思うように国々を支配するため。残念だったな、リュイ王子。いや、王子ではないか。せっかく今日まで王族として生き残ったのに、全て私のためだったとは。おまえの湖の民らしくない姿、泳ぎが苦手で貝の見分けもできない点、成長するにつれ、はっきりしてきた。疑いを唱える大臣たちは大勢いた。それを、ウリ女王が諫めてきたのだ。なぜ、女王がここまで退位しなかったと思う?おまえの立場を守るためだ。結婚して子供が孵化したら、退位を勧められる。王位を退けば、ウリ女王もただの一王族の意見、会議での発言権が弱くなる。そうなれば、リュイ王子、おまえの身が危ない。そうであろう?ウリ女王」

 リュイ王子はウリ女王を見た。

 ウリ女王は目を逸らした。

「ウリ女王は初めからわかっていたのだろう?ヘルダの印が違うと。湖の国の王家で、王子がこれほど元気に換羽を迎えられるわけはない。家系的に無理なのだ」

 ムアドは畳みかけた。

 リュイ王子は膝をつき、その場に崩れ落ちた。

 湖の宰相ヌクス・ツーンは王子の肩に手を置いて、言葉をかけようとした。言葉を発する前に、ムアドが言った。

「さて、ここで問題だ。湖の国は、この口止め料として私にいくら払う?まあ、私は、金などで満足しない。この国を治める権利を主張する。見てみろ、この部屋は私が支配している。三つの王家を一度に支配できたのだ。中々いいだろう?」

 ムアドが手を上げると、森の国の警護が各国の王たちを取り囲んだ。自国の王族を守ろうと立ちはだかった警護たちは、突然パタパタと倒れだした。

 ムアドは残忍な微笑みを浮かべた。

「口にするものには、気を付けないと。たとえ、祝いの酒杯でも」

 広間はさらに凍り付いた。

「私が、お前の兵の剣で斬られ、王がいなくなっても、我が国の民はお前のものにはならない。暴力で王座につこうとしても、彼らは認めないだろう。他の国々でもそうだ。だから、兵に刀を下ろさせろ。ムアド、今ならまだ間に合う。王たちに詫びるのだ」

 森の王、ゲレル・ヒューレーは諭すように言った。

「とんでもない。森の国など、いつだって私は手にできた。軍隊は宰相の私の言うがままだ。だが、森の国だけを手にしてもダメだ。他国の王が異を唱え攻めてくる。だから、三国の王族が集まる機会を待っていたのだ。今日、ここで、全員に王位を譲ってもらう」

 ムアドは一人ひとり、王と女王の顔をうかがった。

 静かだった部屋の向こうが、急に騒がしくなった。剣がぶつかり合い、戦う音がする。

「どうしたことだ。森の隊の者達が、王城を占拠したはず。さては、ネズミが数匹入り込んだか?どこの国のネズミかな?まあ、勝ち目はないさ、うちの兵が片付けるだろう」

 ムアドは更に憎々しい笑いを浮かべて、湖のウリ女王に近づいた。

「偽物の跡継ぎを指名してしまい、跡継ぎの居なくなった湖の王国。私がウリ女王と結婚して差し上げ、女王に卵を産ませてやろう。湖は私の子孫が統治できる。三国の真ん中に位置するから、私はここに住もう。森の竜の守りし剣は、今、私の手下が探している。剣が見つかれば儀式を行い、森の王を継ぐ。そして、砂漠の国は王子が居ない。もうすぐ、ダルチ王、貴方は何者かの毒で死ぬだろう。財もなく王もいない国など亡びる運命。私が砂漠の国も引き継いでやろう」

 ムアドは、ウリ女王の肩に腕をまわし、得意げに言った。

 広間の一番大きな戸に、外から何度もぶつかる音がした。争う男女の声がして、刀が人の体を切る時の嫌な音と、うめき声がした。その直後、再び、戸が外から強く押された。

 勇気ある湖の姫のひとりが扉の内鍵を開けようと、取り囲む森の警護を押しのけて走り出た。姫を背後から森の警護が襲う。剃りの付いた大きな刀が、大きく振りかぶられた。切り捨てられる姫の悲鳴を聞きたくないと、人々が耳を押さえた。

 だが、悲鳴は聞こえなかった。

 代わりに、金属がぶつかる鈍い音がした。大きな刀は、卓上用の燭台の脚で食い止められた。食い止めた者は森の警護の腹を蹴り、さらに刀の柄を蹴った。警護の大男は、尻もちをつき、剣を取り落とした。男の腹と刀に体重をかけたせいで、男を蹴った何者かの小柄な体は宙返りし、身軽に着地した。翻る水色と白の濡れた衣装は、女性のもの・・・・・・。

 アシャだ。

 アシャのは目の焦点がさだまらないまま、本能的に姫を助けた。

 姫はアシャに背を預けたまま、鍵を解き、扉を開いた。

 開かれた扉から、傷だらけのタオとメテア、タオの部下のシキオとオコが部屋に駆け込んだ。

「何者だ」

 ムアドは彼らを睨んだ。

 タオは左の手首の防具を外し、投げ捨てた。部屋中に聞こえるよう、大声で叫んだ。

「私はタオ・オビス。父は前の砂漠の宰相、ボロー・オビス。陰謀のために不名誉な疑いをかけられたまま死んだ父から、私に託された仕事をしに来た」

 タオは誇らしげに三角が並んだヘルダの印を頭上に掲げた。この印は地位のある者なら、そして、十六年以上前の政治情勢を知るものなら、誰もが知っている印だ。砂漠の臣を代々勤めて来た由緒あるオビス家の家紋。

 広間の人々は言葉も無かった、一人を除いて。

「オビスの家族の残党め・・・・・・全て葬ったはずなのに」

 ムアドは思わず呟いた。先ほどまでの、自信満々で残忍に笑った表情は消え、不安と焦燥が露わになった。

「父が失踪する直前、私は人質に取られた。父は、砂漠の王子を殺すように、そうしないと私の命が無いと私を誘拐させた悪党に脅された。私の父を脅したのは、森の宰相、ムアド・テクムー、貴方だ。だが、父には王子を殺すことなど、できなかった。私を見捨てることも。だから、ケルス老に相談した。どうすべきかと」

 タオはそこで言葉を切り、ブセア宰相を見た。

 ケルス老の息子として、砂漠の現宰相を務めているブセア・ケルスを、広間中の人は注目した。ブセアは無表情だった。

「ケルス老は、こう提案した。ムアドはとても強くて狡猾だ。私の父が王子を殺さなくとも、次の刺客を用意して必ず王子を亡きものにするはず。王子を守るため、だれにも知らせず安全な所に預けよう。絶対にムアドに気付かず、手の出せない場所。砂漠の王子がお生まれになってすぐに、父は王子を連れ、湖の王室に向かった。事情を話し、女王の卵婦に託した。その時、卵婦は父に言った。ムアドが、大した交渉事もないのに、丁度、湖の王室に乗り込んできたと。もしかすると、ムアドはどちらの王室の後継者もなきものにしようと企んでいるのではないか、砂漠の国のように、湖の国にも危機が迫っているかもしれないと言った。卵婦の提案で、王子と卵を交換して育てあうことになった。父は、湖の女王の卵を抱えた卵守を携え、見つからないよう湖の王城から抜け出した。湖の王子は、長くは生きられないと言われている。だから、託した王子を、ムアドは敢えて殺そうとはしないだろう。そして、砂漠で孵化する湖の女王の卵は、きっと女の子だ。王女なら、砂漠では跡継ぎにはならない。だから王女もムアドに命を狙われることはない。父と卵婦はそう考えたのだ。私を助け出した後、ムアドを捕らえ、王子と卵の入れ替わりを公表するはずだった。父は仲間を二手に分け、一方は湖の王室の卵守を砂漠の城に届け、もう一方はムアドが雇った盗賊の砦に向かった。だが、ムアドは、初めから父も私も殺す計画だったのだ。私を助けに来るだろうと、砦で大勢の兵士が待ち構えていた。父は兵を目にし、降伏を申し出た。囚われ、盗賊の砦に幽閉された。だが、我々もそれでは済まさなかった。ムアドの兵が引いた後、暴動を起こし、盗賊を全て殺し、砦を乗っ取り、人知れず盗賊になり替わった。だが、その戦いで父は命を落とした」

 そう言って、タオは控えているオコとシキオをまねいた。

 二人が一歩前に出ると、ムアドはガタガタと震えた。

「我らの仕えていたボロー・オビス殿を脅しに来た貴方を、はっきりと覚えています。貴方のたくらみを知っている者が生き残っているとは、予想外でしたか?」

 シキオが静かに言った。

 毒に体に慣らしている警護たちは、しびれ薬が覚め始めた。ひとり、また一人と、床から立ち上がる。

 タオは懐から布を二枚出した。

「父から託された最後の手紙だ。聞いてくれ。『我が息子へ、最後のたのみだ。湖の女王の卵を抱えた卵守が、砂漠の王室にたどり着けなかったときは、何があっても探し出せ。ヘルダの印の写しを卵婦に描いてもらった。この印を持つ者が、湖の王室の一員だ。命に代えても見つけ出し、正しい家族に返しなさい。そして、王子を返してもらいなさい。砂漠の王子を、必ず王のもとにお連れするのだ。頼んだぞ。ボロー・オビス』」

 タオは手紙を読み終えると、ヘルダの印を描き写した布を高く掲げた。

 そこには、真珠貝と真珠が描かれていた。

 その印を見た後、広間の人々の目はアシャに注がれた。アシャは、先ほどから、扉を開けた姫を守ろうとかばい、人々に背中を向けていた。破られて肌蹴た背中に、タオがもつ布の印と全く同じ真珠貝のヘルダの印があった。

「奴隷商人を装い、初めは砂漠の旅人の卵守を調べた。時が経てばそれに合わせ、その年ごろの子供のヘルダの印を調べ続けた。旅人、奴隷、可能な限り・・・・・・だが、卵守が抱えていた卵が生れたばかりだと思っておらず、探す娘の年齢を間違えていた。・・・・・・既に出会っておきがら、今まで気づかず・・・・・・姫、申し訳なかった」

 タオはアシャにゆっくりと近づいた。一歩遅れて、シキオとオコも足を進めた。

 タオはアシャの前に跪き、左手を差し出した。

「湖の姫、どうか、このタオ・オビスと共に、本来の家族の元に戻りましょう」

 半分意識が無いまま、アシャはタオの左手に自分の左右手を置いた。タオは立ち上がり、その手を引いて、ウリ女王の前に導いた。アシャはウリ女王の前で、完璧なお辞儀をした。

 警護のラッカード兄弟たちは、驚きに動けなかった。

 リュイ王子の前に、メテアは跪いた。

「砂漠の王子、リュイ様。正しい家族の元に参りましょう」

「待て」

 ムアド・テクムーは、それを止めた。

「この男が砂漠の王子だと、証明できていない。証拠がない」

 メテアは自分の肩にある葉の形のヘルダの印を示し、ムアドの前に立った。

「貴方は、多くの人を切りすぎた。切った者のヘルダの印もお忘れですね。亡きフフ女王の卵婦は、私の母です。この印が腕にあったはず。虫の息の母から、砂漠の王子の印を預かり、私は母の侍女と王宮から逃げました。母は、暗殺計画から命を守るために、王子は砂漠の王室から連れ出されたと言った。いつか私が見つけ出し、砂漠の王室へ連れて行くように。湖の国の卵婦が、なぜ砂漠の国の王子の秘密を知っているのか。私には理由もわからなかった。私は母に問いかけた。でも、深手を負った母に残された時間はわずかで、詳しいことは聞けなかった。換羽が済むとすぐ、私は奴隷商人に成りすました。ヘルダの印をたくさん見ることのできる立場だから。でも、時が経つうち、成りすましたつもりが、本物の奴隷商人に落ちてしまった。私はあらゆる悪事に手を染めた。掟ギリギリの手を使って情報を集め、砂漠の王子の行方を捜した。・・・・・・もしも、母の言葉を最後まで聞けていたら、・・・・・・まさか、砂漠の王子が湖の王室で生きているとは思いもしなかった。リュイ王子は本物の湖の王子だと・・・・・・。わかっていたなら、もっと早く、本来の場所にお連れできたのに・・・・・・」

 メテアは大粒の涙を流しながら、気丈に顔を上げていた。懐から布を取り出し、王子の前にそっと差し出した。

 床にはいつくばっていた王子は、ゆっくりと顔を上げ、砂漠の王子のヘルダの印が描かれた布を見た。生気が消えていた瞳に灯がともった。布の表面をゆっくりと右手で撫でる。

 王子は立ち上がった。濡れた上着を脱ぎ棄てた。

 左胸には、先端が五つある星の印。メテアはリュイ王子の裸の上半身の横に、布を広げた。その印は、全く同じだった。

 部屋はどよめいた。そして、祝福の拍手が起こった。

 王子の頬を涙が伝う。メテアは相変わらず大粒の涙をぽろぽろこぼしながら、王子に優しく微笑んだ。

 メテアは、砂漠の王ダルチ・ミドゥバルに歩み寄るよう、王子に腕を差し伸べ身振りで促した。リュイ王子はゆっくりと王の方へ進んだ。ダルチ王は首からかけていた大きなメダルを外した。メダルのように見えた物は大型のロケットだった。王は留め金を開いた。片方には亡き妻の絵姿、もう片方には、卵のかけらが貼ってある。それをリュイ王子に見せた。

 卵のかけらには、ひびの入ったヘルダの印があった。リュイ王子の胸の星より行く周りか小さいが、そっくり同じ。

 ダルチ王は涙ぐんだ。リュイ王子は、自分によく似た絵姿の女性を見詰め、そして、父であるダルチ王を見た。

 

 開かれた戸から、ガル・ラッカードが広間に入って来た。

「失礼、アシャを迎えに参りました。森の兵が私を阻もうとしましたが。・・・・・・何事でしょうか・・・・・・」

 ガル・ラッカードは途中で言葉を飲み込んだ。室内は異様な雰囲気だった。ガルの登場で我に返った森の宰相と警護は、敵に立ち向かう気力を再びかき集めた。

 ムアドは、ゲレル・ヒューレー王の首に短剣を突き付けた。

「動くな、私に逆らうと、森の王の命はないぞ」

「やめろ、ムアド。そなたが王の地位を狙っているのは、ずっと前から知っていた。森の竜の守りし剣を奪おうとした事も知っている。お前の手下が、宝物庫の番人を殺して忍び込んだ夜、森の竜の長は宝物庫の屋根を壊した。竜は剣を持ち出し、隠したのだろう。私たちが気づかないと思っていたのか。お前の謀反に、他国を巻き込むな」

 短剣を首に突きつけられても、森のゲレル王は落ち着いて言った。

「なんだと?」

 ムアドは残忍な目でゲレル王を見た。

「私には、弟も妹も、従妹も、叔父上もいる。王位継承者はいくらでもいるから、私が死んでも森の王国は揺るがない。皆の者、ムアドの言う事に従う必要はない。私の命など、悪事を止めるためなら惜しくない」

 森の王ゲレルは、ゆるぎない声で言った。

「黙れ、死にたいのか」

 ムアドは裏返った声で叫んだ。ゲレル王の首の皮膚に短剣が沈み、薄っすらと刃の上に血が乗った。

「王とは、国を守るために命を懸ける立場。お前に、その覚悟があるのか?」

 ゲレル王は静かにムアドに聞く。ムアドは荒々しく叫んだ。

「動くな、お前たちは、ゲレル王が死んでもいいのか?自分のせいで、王が死ぬのに耐えられるか?できないだろう?だったら、私に従え。言う事を聞け。ほかの王たちは、もう一度船に乗ってもらう。湖の東の岸に馬車がある。それに乗って、人質として森の国に来てもらおう」

 森の国の警護は、ダルチ王とウリ女王、そして、新たに砂漠の王子となったリュイ王子を捕らえ、船に向かって移動し始めた。森のゲレル王の喉首に刃がある限り、誰もムアドに逆らえなかった。

「ムアド殿」

 リュイ王子が声をかけた。

「わが父、ダルチ王を解放してくれ。私が行けば問題ないだろう。父はとても体調が悪い」

 その声にムアドは立ち止まった。しばらく鳴りを潜めていた悪い笑いを浮かべた。

「そうだな。ダルチ王は長くはない。きっとそのうち亡くなるだろう。リュイ王子さえこちらの手に落ちれば十分だ。代わりにあの娘を連れて行こう。真珠を見つけた娘が次期王位継承者なら、連れて行かねば。アシャと言ったか」

「アシャ・・・・・・」

 ガル・ラッカードは走り寄り、アシャを守ろうと手を伸ばした。手が届く前に、ガルは森の警護に殴りつけられ、床に崩れた。起き上がろうとしたところを、背中を踏みつけられ、次に頭を踏みつけられた。額が切れ、血が飛び散った。

「リュイ王子、・・・・・・」

 ダルチ王は右手を伸ばした。王子は振り向いて、王に大きく頷いた。

 湖の都にいた森の民は、見物客のふりをやめた。彼らは、一般人を装った傭兵だった。剣を取り、隊を組み、王宮の周囲と東への街道を制圧した。森の国の客が、あれほど気が荒く喧嘩っ早かった事もうなずける。

 王たちの乗った船は東の船着場の岸に付き、すぐに馬車に押し込められた。森林馬六頭で引く馬車は、東の街道石畳を疾走した。明日の朝には森の城に着くだろう。

 都を占拠した森の兵たちは、逆らうものを次々に切り捨てた。

 きらびやかで楽しかった換羽の儀の日は、血塗られた恐怖の日に変わった。

 城に残された湖と砂漠の警護や、アシャの身を案じて城に駆け付けたガル・ラッカード、それからタオとメテアの一行は、地下牢に閉じ込められた。砂漠のダルチ王と宰相ブセア・ケルスも一緒だった。

残された貴族たちは、手も出せず、右往左往するばかり。

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